罪と野獣と美女と罰 第18話




「言い訳を聞こうか」


 これ以上ないくらいにちんまりとパイプ椅子に座る先生を上空から糾弾するように見下ろし、万が一の可能性に賭けて耳を傾ける。

 もしかしたらなにかのっぴきならぬ事情があったのかもしれない。三十路過ぎだぞ? 僕の思い描いてた大人ってやつは、なんの理由もなく人体標本にキスなんてしないんだ。


「ち、違うんだ少年。私はただ、人体標本が息をしていないことに気づいて、人工呼吸を試みてたんだ」


「そっちの方がヤベーよ! あっさり想像超えてくんじゃねーよ!」


 言い訳のダイナマイトでマントルまで墓穴を掘り広げる先生。


「殺せよ。殺してくれよ、少年」


「諦めるなよ! なにか事情があるんだろ?」


「事情? 強いて言うなら、キスってどんな感じなのかなって思って」


「僕が悪かったよ! ごめんて!」


 半開きの口で下を向き、自暴自棄になったからくり人形のように薄ら笑いを浮かべる先生。事情どころか、そこにあるのは悲しい大人の情事だけであった。

 目に入れても痛くないくらい可愛くて、目を背けたいくらい気色悪い。恋の病の病原菌と恋の病の特効薬を同時に与えられた気分だ。


「なんか色々と嫌気が差したんだよ」


「せめて魔が差せよ」


「実は神の声が聞こえたんだよ」


「とまんねーなおい!」


「しかし少年にも非はあるぞ? 乙女の部屋をノックもせずに開けるなど言語道断だ。世が世なら打ち首だ」


「他の先生に見つかってたら、そっちの首が飛んだかもな」


 いや、もしかしたら逆に待遇が良くなるかもしれない。不憫だもの。


「なんだい、奇跡的に私の失態を目撃したからってはしゃいじゃって。私のキス顏を見れるなんていう得難い経験はこれが最後になるかもしれないんだぞ?」


「堪え難かったよ!」


「なんだ少年。いつもそんな小気味良いツッコミばかり返して、私を誘惑してるのか?」


「迷惑してんだよ!」


 僕の切り返しに反論もままならず、さらに縮こまる先生。いじめすぎたか?

 ツッコミってのは愛ゆえなんだけどな。


「ところで先生、なにか食べ物持ってません?」


 漫談を切り上げるために話を逸らし、ついでに食欲も満たせないかとせびってみる。


「なんだ、私と同じで昼飯はまだか? 食べ物ならあるぞ。私はおかげさまで食欲が失せたからな。うぬにやろう」


「うぬ!?」


 なぜか上機嫌になった先生が、机の横に置かれた変なリュックに手を突っ込む。


「ほら」


 差し出されたのは、やさぐれたレッサーパンダらしきキャラクターの布に巻かれたお弁当箱であった。


「まさか手作り? 貰っちゃっていいの?」


「構わんよ。少年が食べなければ行き場がないんだ、受け取ってくれ」


 先生は視線を逸らしながら、腕を目一杯まで伸ばしてお弁当箱を僕の胸に押し付けた。


「じゃあ、遠慮なく」


 キャスター付きの椅子に座り、膝の上で包みをほどく。お弁当箱も箸も包みと同じキャラクター。先生のお気に入りだろうか。


「おぉ!」


 斜めに切られた卵焼きに、これまた斜めに切られたウインナー。それだけでもテンションが天井を振り切るのに、コロッケのような揚げ物とハンバーグまで詰め込まれている。サイズはどれも先生らしく小さいが、どれもこれもお世辞抜きに美味そうだ。

 たとえ病床に伏していたとしてもボリュームは全然足りないけど、作り手とは違って奇をてらわないこの王道弁当は小腹を満たす軽食としては満点なんじゃないだろうか。

 てっきり絵に描いた餅とかどっかの定食屋の割引券でも入ってんのかと思ったのに、これじゃあツッコミの出番がない。


「手料理を男性に食べてもらうのは初めてだ。感慨深いな」

「いやそれ重いな。軽食なのに重いな」


 卵焼きに伸ばした箸が止まる。食欲失せるんだけど……。


「あまりのクオリティに迷い箸か? まずはそうだな、卵焼きなんてどうだ? それは結構自信があるんだ。私のは少し甘くてな。ほら食え。食ってみろ」


 キラキラとした顔で卵焼きを推してくる先生。感想が欲しいのだろうが、僕にツッコミ以外を期待されても困るぞ。


「あ、美味しい」


 先生の初めての相手となる名誉と共に口に運んだ卵焼きは、上手いこと言えないくらいに美味かった。


「これ本当に先生が作ったんですか?」


「もちろん。まぁ、溶き卵を3Dプリンターに流し込んだだけだがな」


「さぞかし時間かかっただろうね!?」


「あはっ。なんとも変わったツッコミだな少年。てっきり私は『そんなわけないだろ!』みたいなありふれた返しが飛んでくると思ってたんだが、いやはや恐れ入ったよ」


「今後のツッコミやりずれーよ」


 赤べこみたいに首を振る先生を見つめながら、技術革新甚だしい卵焼きを飲み込む。

 トドメちゃんがこんな料理スキルを持ってるなんて三輪車にエンジン積んでるような持ち腐れ具合だけど、とにかくおかげさまで腹も気分も半分ほど回復させてもらった。


「ごちそうさまでした」


 弁当箱を包み直し、先生に手渡す。


「おそまつさま。どうだ? 忘れられない味だったろ?」


 下手くそなウィンクをキープしたまましたり顔で問いかけてきた先生に僕は、


「それはどうかな。ほら、智則くんみたいに記憶を奪われることだってありますからね」


 意地悪く口火を切った。

 さぁ、始めよう。

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