罪と野獣と美女と罰 第17話




 七さんの手紙を読み終えるとすぐに、携帯電話が鳴り出した。


『解いたわね?』


 果奈である。


「電話してきたってことは、そういうことか?」


『えぇ。今しがた、謎に関する匂いが跡形もなく消えたわ。清々しいったらないわよ』


 跡形もなく……か。


「それは良かったな。コーヒーでも買ったらどうだ?」


『そうしたいけど、もうすぐ昼休みも終わるし小説もまだまだ途中なのよ。今、ララが沼にはまって立ち往生してるとこなの。続きが気になって仕方ないわ』


 ララって、キャタピラ女の名前か? 智則くんは繰り返し系の名前が好きみたいだな。


「すっかりハマってるな」


『それほどでもないけど、ページをめくる手は今のところ滑らかね。あ、チャイム』


 昼休み終了のチャイムが鳴り響く。


『それじゃあ、放課後を楽しみにしてるわ。コーヒー奢ってあげるから、授業が終わったらちゃんと部室に来なさいよ? 里々ちゃんなんてオカルト研究会から誘われたお茶会を泣く泣く断ったんだから』


「お茶の誘い? オカ研って意外と軟派な連中なんだな」


『そうみたいね。確か、放課後一緒にイルミナティーをどうのこうのって誘われたみたいよ』


「イルミナティはお茶じゃねーよ!」


 やっぱりオカ研はイメージ通りだったみたいだ。


『ちょっと、音響兵器ぶるのやめなさいよ。左耳で電話してるのに右耳からも聞こえたんだけど?』


「それは悪かったな。電話じゃ加減がわからなくてな」


『あら、ずいぶん素直じゃない」


「たまにはな」


『ふーん。まぁいいわ。それじゃあ続きはコタツで」


「はいよ」


 カバンに携帯をしまおうとしたところ、手の中から再度着信音が鳴り響いた。


『相談があるんだけど』


 里々である。


「相談? もうすぐ授業始まるぞ」


『すぐ終わるから。あのさ……やっぱり恥ずかしいな』


「用がないなら切るぞ?」


『あ、待って、ちゃんと言うから! あ、あのね? ウチ、そろそろ自分のことを『アタイ』か『あーし』って呼ぼうかなって思ってるんだけど、どう思う? まだ早いかな?』


「どうも思わねーよ! 早いとか遅いとかあんの!?」


 世界で一番どうでもいい相談であった。


『え、あるでしょ。空音だって、ゆくゆくは自分のことをワシって呼ぶつもりでしょ? ハタチくらいで俺に変わって、還暦を迎えるくらいにはワシに進化するんでしょ?』


「出世魚かよ! 僕はずっと僕だよ!」


 受け取りようによっては少し恥ずかしい発言をして、電話をブチ切る。

 しばし真っ黒な画面を眺め、今度こそ携帯をカバンにしまった。

 えーと、なんだっけ? あいつらと話してると全てがどうでもよくなりかけるけど……そうか、匂いが消えたって話だな。

 僕はすっくと立ち上がると、七さんの手紙を封筒にしまってから内ポケットに潜ませ、タイムカプセルを部屋の隅に隠すように置いて部室を後にした。

 喧騒の残響が微かにこびりつく廊下で一人、足音を鳴らす。

 さっきの電話で果奈は、匂いが跡形もなく消えたと言った。それはもちろん僕らの謎解きが綺麗さっぱり完了したことを指すのだけど、僕にとってはもう一つ、とても重要な意味を孕んでいた。

 七さんもトドメちゃんも人を殺してないことがわかって良かったけど、匂いがすっかりなくなったというのならそれはつまり、この頭の中に浮かぶ真犯人も、どうやら的を射て正鵠をぶち抜いてしまっているということだろう。

 食らい尽くしたはずの謎が、僕の内側でいまだ悪臭を撒き散らす。


「つらいな……」


 僕の足は教室と反対に向かっている。

 果奈が嗅ぎつけた今回の謎。解き終わった今あらためて考えてみると、まさに僕好みの謎であった。

 おあつらえ向き。悪魔からあてがわれたようなこの謎を解いた僕に残された仕事はあと少し。 悲しむ者が少ない道に向け、この謎解きというあみだに横線を。


 すでに五時間目の授業開始を告げるチャイムが鳴った校舎を進み、今は倉庫となっている書道部の旧部室前に到着する。

 どこかのクラスで国語の授業があれば仕方ないが、そうでなければこの部屋の中には先生がいるはずだ。殺人犯を七さんだと勘違いしたままの先生が。

 さくっと誤解を解いて、せめて六時間目くらいは真面目に自分の席で過ごしたい。連日午後の授業を丸々サボるのは、いくら日頃の行いが良いとはいえさすがに教師陣の心証を害すだろう。


「失礼しまー……」


 ノックもせずに軽い気持ちでドアノブを捻ると、背伸びで人体標本にキスをしようとしている先生の姿が目に入る。

 ゆっくりとこちらに向けられたキス顔を目の当たりにして、僕は六時間目の授業を諦めた。

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