罪と野獣と美女と罰 解決編(真)




 日付が変わって深夜二時。


「それで全部なのぉ?」


「あぁ、今話したので一連の出来事は全部。そんであとはこれを埋め直しておしまいだ」


 抱えたアルミ缶を少しだけ持ち上げて、靴に付着した雪を振り落とす。

 やっぱりどうにも気になって仕方ないしかさばるしで、こうなったら今夜にでもタイムカプセルを埋め直してしまおうと決意した僕は、暗闇の中でまたしても巨木を見上げていた。

 今回の同行者は濡れタオルを一心不乱に振り回す同級生じゃなくて、鉄製スコップをニコニコで引きずる姉。一緒にいるところを人に見られたくないという点では、まぁどちらも同じようなもんだろう。

 ジャンパーの上からエプロンをかける、ふざけた出で立ちの姉を見てうなだれる。

 出がけの玄関で運悪く姉ちゃんに捕まってしまった僕は、起訴も裁判もすっ飛ばされて姉弟仲良く深夜徘徊の刑を告げられてしまったのだ。主文は後回しにされなかったので、これでも軽い判決なのだろうけど。

 そして当然、道中でタイムカプセルについて根掘り葉掘りせっつかれた僕は、ここ数日の出来事を事細かに語り聞かせるハメになった。もっとも、どうせ意味がないので謎解きに関してはあの二人と同様、真犯人には言及しなかったけど。


「あらまっ。それじゃあ、お友達には真犯人さんを教えなかったのぉ?」


 背後から届く生ぬるい声に、僕は大きくため息をつく。

 ほらな、やっぱり意味がなかった。

 怪訝な顔で振り返ると、スコップの持ち手で頬を潰した姉ちゃんがニヤニヤ顔でこちらを見ていた。


 発足いこい。


 致命的な短所と、それを補えてもあまり嬉しくない長所を兼ね備えた彼女は真駒外中央大学の二年生で、僕の姉。

 趣味が高じて垂れ流し始めたゲームプレイ動画の人気が燃え広がって、いつの間にか確固たる地位と収入を獲得していた半ひきこもりの一人有閑階級女である。

 エプロン姿で顔は隠してる上に、『原文げんぶんママ』なんてふざけた名前を使用しているにも関わらず、『チルドレン』と呼ばれる重症のファンが世界中に点在してるというんだから世も末だ。


「話聞いただけで犯人わかるの?」


 缶とスコップをばくりっこしつつ、意味のないやりとりを開始する。


「ママだもん、わかるというより伝わるよぉ」


 シロップを煮詰めたような甘ったるい声音。どれだけ耳にしても慣れることのない、天性のバイノーラルビート。


「姉だもんだろーが。世話焼き怪獣ママダモンだってんならまだわかるけど」


「あら、それじゃあ空くんはマダダモンだね。女性経験マダダモンだ」


「やめろっ!」


 ペチペチと拳でジャレ合うくらいのつもりでいたのに、どうやら相手は引き金に指をかけていたらしい。


「そんなに焦らなくても大丈夫、彼女さんはすぐにできるわよぉ。空くん足速いもん」


「足の速さが通用するのは小学生までだ」


 悲しいことに高校生ともなると、積極性と思い込みによる手の早さなんかが大事だったりするんだ。


「あらまっ。手の早さだなんてやらしい子っ」


「会話の流れで頭ん中読むのやめてくんない?」


 巨木のたもと、見覚えのある手つきで缶をあやす姉がケタケタ笑うと、少しだけ荒ぶった風が僕の背中を叩く。姉ちゃんはその風を正面から浴びて、体勢を大きく崩した。


「それで、犯人誰だと思う?」


 遅れて風を受けた巨木が軋むと、よろけたままの姉ちゃんは、


「ちんまいトドメちゃん先生の、お母さんでしょう?」


 地面に向かって吐き出されたその答えは、僕の心を少しだけ押し潰した。


「これだから姉ちゃんには相談できなかったんだよ」


 タイムカプセルが埋められていた箇所にスコップを突き立て、煙突のない家の前で立ち尽くすサンタクロースのような気持ちで嘆く。

 闇に塗れた校庭で、白息と積雪だけが明け透けに輝いていた。


 姉ちゃんの言った通り、老人を刺し殺した犯人はトドメちゃんのお母さんだ。

 年上のお姉さんたちと交わした百福での楽しい会話。何度思い返し、何度頭で否定してみても、確信めいた邪魔な霧が晴れない。

 あの昼休みに、七さんは例のクリスマスパーティーが先生と学校外で遊んだ初めての機会だったと言ってたけど、それはちょっとおかしいだろう。異常なほど過保護だったという先生のお母さんが殺人事件が起きたばかりの町を、殺人犯がうろついているかもしれないその町を、娘一人で歩かせるはずがないからな。

 ではなぜ先生のお母さんは、殺人事件が起きたばかりのそんな危ない時期になっていきなり、初めての外出を許したのか。

 それは、その時期が一番安全だと考えたからだ。

 殺人事件が起きて犯人が捕まっていないとなれば、普通の人なら外出を控えるだろう。でも殺人犯であるお母さんからすればそれは全くの逆。その時期のその町が、一番安全なんだ。

 だからお母さんはトドメちゃんの外出を許した。

 厳戒態勢が敷かれ、子どもたちに害をなす老人も、そしてもちろんもいないその時期だからこそ、お母さんは娘に羽を伸ばさせたんだ。

 クリスマスパーティーは、過保護のムチで抑圧された思春期の先生に与えられたアメのようなものだったのだろう。レシピの過程に殺人がある、甘くて真っ赤なアメ。

 七さんの自白文も、先生のお母さんが犯人だと考えれば見えてくるものがある。

 七さんは交差点でコトが起こる前に、犯人が交差点に不用意に足を踏み入れる前にすでに犯人に声をかけようとしていた。つまり七さんは犯人と顔見知りであり、声をかけるくらいには親しかったということ。

 七さんは交差点で、これから人を刺しに向かう先生のお母さんを目撃した。先生のお母さんが、声をかけようとして結果的には命を救った七さんのことに気づきも見向きもしなかったのは、心ここにあらずだったのだろう。これから人を刺し殺しに行くってんだからそんな心境も頷ける。

 自白文での『バッグ』とか『料理包丁』という女性や母親をなんとなく示唆するワードも、沈黙を強いられた七さんの良心が、無意識に抗った末に漏れ出した表現だったのかもしれない。 七さんは本当に、本当につらかったはずだ。

 良かれと思って命を助けた人が、その日に他の命を奪ったこと。そんなことは手紙に書いてあった通りただの巡り合わせで、考えても仕方のない話。普通の人はどうだかわからないけど、とにかく七さんはそれを大した問題とは思わなかった。

 問題だったのは、誰にも言えずに一人で抱え込んだことだ。

 そりゃあ誰にもなにも言えるわけがない。警察に話せば犯人は捕まるけど、その犯人は友達のお母さん。そしてそんな悩ましい状況を相談したい唯一の相手が、犯人の娘であるトドメちゃんだったんだからな。

 だから七さんは自分の心に嘘を吐かせて必死に口をつぐんだ。つぐむしかなかった。


 そう。七さんが事件のことを誰にも言わなかったのは『助けた人が殺人を犯したという後ろめたさ』からではないし、犯人を庇ったのは『殺された老人が死んでも仕方のないような人だったから』ではない。

 誰にもなにも言わないことで七さんが庇いたかった本当の相手は、犯人じゃなくてトドメちゃん。

 七さんはただトドメちゃんを守りたい一心で、押し潰されそうになりながらも沈黙を守ったんだ。


 罪を見逃すことの罪悪感と良心の呵責。トドメちゃんに対する友情と愛情。

 二律背反。

 吐き出すことも叶わずに、胸の中で膨らみ続ける矛盾した感情。

 そんな全ての重圧に七さんの脳は、七さんの心は負けたのだ。

 だから七さんは……。正義感が強く、愚直で、単純で、心の底から優しい七さんは、記憶を失った。

 を許したの心が、さんにを与えるように。

 そして、殺意と悪意に守られたトドメちゃんは、なにも知らずに今日もすやすや眠るのだ。


 放り投げるようにスコップを雪に突き立て、少し汗ばんだ額を拭う。


「やっぱりトドメちゃんはもちろん、あの二人にも真犯人なんて言えないよな」


 全体的に暗すぎて、これじゃあどうにも笑えない。


「そうだよねぇ。無駄に悲しい思いはさせるものじゃないもの。知ってるのは犯人さんと、私たち三人だけで充分だわねぇ」


 あれこれ考えてるうちにいつの間にかがっつりと穿っていた穴に、タイムカプセルを突っ込みながら妖しく微笑む姉ちゃん。


「三人って、僕らと七さんか? 七さんは記憶なくしてんだからノーカウントだろ」


「あらまっ、あとの一人は七さんじゃないですよぉ?」


 根雪をしっかりと踏みつけて、ブブーっと手をクロスさせる姉ちゃん。


「え、じゃあ誰さ。僕の周りにはとびきりのアホしかいないはずだけど」


 果奈は飛んでる飛行機を見かけたら必ず手を振りながら駆け出すし、里々なんて手羽先を食べるんだなんてぬかしながら市販の卵をコタツで温めてたんだぞ? 

 どいつもこいつも、地区大会ならシードレベルの強豪だろ。鍋の白菜を見ながら、それがキャベツかレタスかで口論してたなんてこともあったっけな。


「お友達のことを悪く言うんじゃありません! お姉ちゃんは空くんをそんな子に産んだ覚えはありませんよ?」


「僕も姉ちゃんから産まれた覚えはないけどな」


「そうやって空くんはいつもあー言えばこー言うでしょ? しばらくご飯抜きにしますよ?」


「え、ご飯作れたの?」


「また口答え! 教えてあげませんよ?」


 エプロンのポケットに手を突っ込み、大股の仁王立ちで凄む姉ちゃん。風になびくロングスカートの裾からは、学生時代のダサい赤ジャージが見え隠れしていた。


「教えてくれないなら、配信してる最中に後ろで彼氏のフリするぞ?」


「わっ、お姉ちゃんとうとう彼氏できるの?」


「いろんなサイトのアカウント全部消してやるぞ?」


「裸一貫で再出発……腕が鳴るわね」


 なんで効かないんだよ。こいつは赤毛のアンか?


「それじゃあ、アレだ。ホラー映画見た後のトイレとお風呂も付き添ってやんないぞ?」


「えっ、それはやだぁ……ひっ!」


 とどめの発言をぶつけたところ、どこからともなく動物の鳴き声とも悲鳴ともとれる音がタイミング良く耳に届いてきた。


「あわわわわわ……」


 暗がりでも視認できるほどに眉尻を下げ、小刻みに全身を震わせながらしどろもどろにたじろぐ姉ちゃん。

 哀れな姿に気を使ってか、分厚い雲が月明かりを遮った。


「そ、そこまで言うならママが、じゃなかった、お姉ちゃんが教えてあげましょうね」


 どこから出したのかわからないオタマで非効率的に穴を埋め直した姉ちゃんは、加速する母性を抑えきれずにふにゃりと目を細め、


「犯人さんを知ってるもう一人はねぇ、智則くんのお姉さんだよぉ」


 肩の上辺りで縛ってある左右の髪を両手で手前に払った。


「お姉さん?」


「そだよ、初代のトム宗谷さんだね。空くんの話を聞いてて思ったんだけどねぇ、空くんはきっと、二つくらい勘違いしてるのよぉ」


 誇示されたピースサインを皮切りに、僕の推理に対する姉ちゃんの添削がのらりくらりと開始される。


「一つ目は、ゲームカセットの裏の数字だね。あれは在籍したクラスに偽装した、意味のある数字だよぉ」


「ゲームカセットって、タイムカプセルに入ってたやつか」


「そそそっ。果奈ちゃんじゃないけど、謎解きの最中に出てくる数字だもん。なにかあるかもーって勘ぐらないとダメだよぉ? 滅!」


「助言が助霊に変わってんじゃねーか」


「お、空くんできる子!」


 えへへーと、こちらに突き出されるオタマ。

 ぬるすぎる身内びいきにうんざりするが、僕は返事もせずにポケットから携帯電話を取り出す。念のためにと撮影してあったカセット裏の数字は、『一の六』『二の三』『三の一』の三つ。


「この数字がなんだって?」


 表示させた画像を姉ちゃんの眼前に突きつける。

 眩しさに目を細めた姉ちゃんの顔は、心なしか楽しそうに見えた。


「まぁ、これはわからなくても仕方ないかもしれないけどねぇ。だって、暗号を解いた先にまた暗号があるなんて普通思わないし、偽装もされてるもん。ゲームカセットの裏ってさ、名前書いたりする文化があるから、少し引っかかりはするけどクラスが書かれてたって別に特別なことじゃないものね。タイムカプセルに入ってたんだから、思い出の品かと勘違いしちゃうわよぉ」


「なんだよ、慰めかよ」


 僕と似た発想を持つ姉ちゃんだが、先に生まれただけあってその発想はいつも僕の少し先に及ぶ。これからも足並み揃えて歳を重ねるわけだから、もしかして僕は一生姉ちゃんに並び立つことはできないのだろうか。


「慰めじゃないわよぉ? だってママ、じゃないやお姉ちゃんは最初、数字じゃなくってゲームそのものが気になったんだから」


「ゲームそのもの?」


「うん。だってこのゲーム、タイムカプセルに寝かせて値が上がるようなものでもないし、どハマりする人も毛嫌いする人もいないような、平凡なゲームなんだもの」


 なるほど。ゲーマーならではの視点ってわけか。


「それでねっ、もしかしたらなにかあるんじゃないかって考えたの。そしたらさ、裏の数字が、缶を開けるために使われた暗号に符合するってわかったのよぉ」


「缶を開けるための暗号ってアルビノのパンダとかの?」


「そだね。『一の六』なら、一つ目の暗号文の六文字目って具合に使うの。面白いでしょ?」


 今にも温かいシチューが出来上がりそうなテンションと風貌の姉ちゃんが目を輝かせる。


「あぁ。確かに面白いわ」


 もしそれが本当なら、僕はまんまとしてやられたわけだからな。


「でしょう? 考えたわよね。だって、一度ことで成立させて役目を終わらせた暗号に、それを解いた先にしまいこんでいた新しい鍵であらためて意味を持たせたってことなんだから」


 人を食ったような暗号だとは思ってたけどまだ奥があったのか。いや、この場合は奥と言うよりは裏だな。


「智則くんのお姉さんはきっと変態だから、もし知り合っても仲良くしちゃダメよ? 万が一お付き合いなんて始めたら、ママいびっちゃうわよぉ?」


「いや知り合う機会なんてないと思うけど……」


 ツッコミも疎かに、携帯電話の画面をスライドさせる。

 お姉さんはそんな周りくどい暗号をなんのために、誰のために残したんだ?

 スライド中に表示された『月刊わっしょいポロリン倶楽部』の表紙にドギマギしながら、タイムカプセルの暗号を写した写真を開く。

 ゲームカセットの裏に書かれた数字は、『一の六』『二の三』『三の一』だったな。そして暗号の初めの三つは、『アルビノのパンダ』『彼岸と此岸』『あしながを自賛』か。ということはだ……。 携帯電話の光が、解いてみろよと言わんばかりの挑発顔で微笑む姉を照らす。キャラを固持するんならそこは息子の成長を見守る母親の顔であるべきだろうよ。


「やりずれぇな」


 えっと、『一の六』なら一つ目の暗号の六文字目だったな。ということは『アルビノのパンダ』なら『パ』、『彼岸と此岸』なら『と』、『あしながを自賛』なら『あ』ってことか。『パとあ』もしくは『ぱとあ』か? なんだそれ。


「どう? ヒント欲しい?」


 顔を真横にして視界に割り込んできた姉ちゃんが甘い言葉を垂れ流す。


「ヒントじゃなくて答えをくれ」


「え、いいの?」


 ぴょん、と跳ねて限界まで近づいてきた姉ちゃんが、全身を僕に預けながらきょとん顔で見上げてきた。


「いいよ」


 両肩を静かに押して突き放し、そのまま降参を示すように手のひらを晒す。

 果奈みたいに中古は願い下げとまでは言わないが、どうせ先を越された暗号だからな。姉ちゃんの前で格好つける必要もないし、ここは素直にご教示願おう。


「じゃあ言っちゃうけどね、裏に数字が書かれたあのカセットは一応有名だからちょっとは内容知ってると思うけど、ローマの休日をモチーフにしたゲームでしょう?」


 オタマで足元の雪を削りながら、


「数字が示す箇所の文字をそれぞれローマ字にしちゃってね? 『PA』『TO』『A』にするんだよぉ。それでゲームのタイトルが『抜けるような青』だから、ローマ字に直したその文字から青、つまり『AO』の二文字を抜くの。当たり前だけど『A』は一個だけで、順番通りに『AO』をね。そうすると残るのが……」


「P、T、A……。あ、PTAか!」


「七さんが百福で話してた、先生のお母さんはなんちゃらの会長でーのなんちゃらって、もちろんPTAのことだよね?」


 丑三つ時の校庭で、闇に抱きしめられているような奇妙な感覚が体を撫で回す。

 智則くんのお姉さんの裏暗号から導き出された答えは殺人事件の犯人を、トドメちゃんのお母さんを示していた。


「偶然……なわけないよな。この期に及んで」


「そうだねぇ」と呟き、雪面に書かれたPTAの文字をハートで囲う姉ちゃん。

 僕はその文字に少しだけ、足で雪をかけた。


「でも、この暗号にどんな意図があるんだ? お姉さんは告発でもしたかったのか?」


「そこまではわかんないよぉ。遊んでるんじゃない?」


「遊んでるって、こんな犯人特定するような暗号残して?」


 悪趣味にもほどがあるだろう。


「残してといってもこのカセットは地中に埋まってたんだから、本来なら時効成立まで誰の目にも触れないはずだったんだよ?」


「それはまぁ……確かにそうだな」


「それに万が一この暗号が誰かに見つかって解かれたとしても、PTAがなんだって話でしょう? こんなの、今の空くんにだから意味があるけど、ほぼ全ての人には意味のない言葉だよ。そもそももし犯人を暴きたいんなら暗号なんて作らないで、交番に駆け込めばいいだけだし。だから、これがどこかの誰かに向けられたメッセージとは考え難いんだよぉ」


「そうかもしれないけど……」


 そうかもしれないけど、少し納得できない。いたずらに犯人を特定するその所行が、僕の大嫌いな探偵のそれに重なって仕方がないんだ。


「暇つぶし……だったら怖いよね。高校三年生のその時期なら、当時の七さんみたく時間を持て余してた可能性もあるから、ミステリー作家が作品でこっそり読者に挑戦するみたいに、実際の未解決事件で一人、タイムカプセルの暗号を再利用して読者不在のまま楽しんでたのかも」


 会ったこともないお姉さんの存在がどんどんヤバい奴になっていくな。


「お姉さんはどうして犯人を知ってたのかな?」


「きっと、犯行帰りのママさんを目撃したんじゃないかしらね。向かう時ですら放心状態だったんだから、帰りなんてもう返り血なんて気にせずに無意識で歩いて、それなりに目撃されてるはずなんだよぉ。実際、赤い服の美女の噂も流されてるくらいだしね。だから智則くんのお姉さんはそれを目撃したんだと、ママは思いたいわねぇ」


「思いたいってのは?」


「お姉さんは得体が知れないから。もしかしたら独自の推理であっけなく犯人を特定してた可能性もあるってことだよぉ。空くんとはまた別のあみだを辿ってね」


 言い終わると、どことなく嬉しそうな顔をする姉ちゃん。

 おいそれと否定できないお姉さん名探偵説。事件の加害者とも被害者とも顔を合わせない変わった謎解きだと思ってたが、もしかしたら名探偵も不在だった可能性もあるのか。

 女ってのはどうしてこう、底が知れないんだろうか。

 智則くんに赤い服の美女の話をしたのもお姉さんだけど、一連の出来事は全部お姉さんの手のひらの上で開かれた舞踏会でしたなんてことはないだろうな?

 突如訪れる無力感。目の前の障害を一つ一つ乗り越えながら歩んでる最中に、横からスポーツカーで一気に抜き去られたような気分だ。


「あ、一つといえばね」


「いやいや、今のはどう考えても頭ん中読めないだろ」


「ママだもん、顔を見れば考えてることなんてすぐにわかるわよぉ。空くん今、『もしも一つだけ願いが叶うなら、君の体のホクロを線で結んで、僕らだけの星座を作ろうよ』って台詞を考えてたでしょ?」


「お前は弟をどんな化け物だと思ってんだよ!」


「ところで、それって誰に言うつもりの台詞? あまりにもロマンティック過ぎて、ごく一部の人にしか刺さらないわよぉ?」


「誰にも刺さらねーよ! ストーカーにすら嫌われるわ!」


「あらまっ、果奈ちゃんだったらもしかして、ってそうそう、空くんが勘違いしてるもう一つはね、果奈ちゃんに関してだよぉ」


「果奈?」


 エレベーターのボタンを押す際に突き指しちゃって、遺言を残して泣きながら病院に向かったあの果奈? これ以上あいつにキャラ付けは不要だぞ。


「空くんは、というか果奈ちゃんもさ、果奈ちゃんのお鼻は謎の匂いを嗅ぎ取ってるって思ってるだろうけど、それは少し違いますよぉ?」


 鼻先にオタマをふらつかせ、根底を覆すとんでもないことを平然と言ってのける姉ちゃん。


「嘘だろ? そこはさすがに否定できないだろ」


「惜しいんだよぉ。果奈ちゃんはねっ、謎もそうだけど、どちらかと言うと秘密の匂いを嗅ぎ取ってるんだよねぇ」


「秘密? 謎も秘密も同じようなもんじゃないの?」


 それこそ果奈が言ってた不思議も謎も元は一つってのに、秘密も含まれるだろ。


「ううん、やっぱり大違い。果奈ちゃんの嗅覚は人が隠したい秘密に反応する、ちょっとはしたない能力なの」


「どうしてそう思うんだよ」


「だって、謎だ不思議だに呼応した匂いを強く感じるなら、果奈ちゃん漫画喫茶になんて篭れないじゃない。ちゃんとした謎なんて日常にはそうそう落ちてないけどさ、漫画喫茶には推理漫画もあれば、最近は小説だって置いてるでしょう? 全部の謎に反応しちゃうとすれば、そんなとこにいたら果奈ちゃん倒れちゃうよぉ」


「あっ」


 言われてみれば確かにそうだ。恥も外聞もない果奈だが、漫画喫茶で鼻栓して過ごしてるなんて話は聞いたことがない。


「でも、それじゃあ……」


 走馬灯のようなフラッシュバックが襲いかかり、頭と口の歯車がうまく噛み合わない。


「果奈ちゃんは大衆に向けられるような、隠す気のない人工の謎とか秘密にはあまり反応しないと思うのよぉ。自分や仲間に向けられてないような、関わりの弱い謎は特にね。つまり、果奈ちゃんの鼻は自分の手の届く範囲の誰かの後ろめたい気持ち、なにかを隠す気持ちに強く惹かれるんだと思うの。だからね……」


 口にするのをためらうように少しだけ間を開けた姉ちゃんは、今度こそ僕の頭の中なんてお見通しだろう。


「だからね、今回のことで果奈ちゃんが感じとった匂いは、七さんが隠し通した罪と……」


 今度は悲観を煽るようにたっぷりと間を設けた姉ちゃん。


「空くんの嘘」


 静かに突きつけられた、胸を抉る現実。


「要するに、謎解きであいつらに犯人はわからないって言ったの、嘘だってバレてるってことだな?」


「残念ながらね。空くんは自分のことだけを考えて行動してたみたいだけど、果奈ちゃんはずっと、空くんのことを考えてくれてたってことだよぉ」


 ダメ押しの一言を喰らい、穢れのない雪面に背中から倒れ込む。


「まいったな……」


 冬の澄んだ空気は、こんな時にも美しい星空を届けてくれていた。


「いい子いい子する?」


「いらねーよ」


「じゃあ悪い子悪い子する?」


「あれだけはやめてください」


 綺羅星を遮るように覆いかぶさってきた姉ちゃんが頭を優しく撫でてくる。特になんの感情も湧いてこなかったので、僕はされるがままに頭を預けた。

 放課後、偽りの解説終わりに耳にした『私も甘いわね』という果奈の言葉。

 七さんを思いやって犯人をとことん追求しないと決めた姿勢に向けられたものだと思ってたけど、そうか。あれは僕のためだったのか。


「明日にでもうまく誤魔化すのよ? なんならママがついてってあげようか?」


 いたずらっぽく微笑み、甘言を垂らす姉ちゃん。

 本当のことを言うとか謝るとかじゃなくて、誤魔化すか。こいつはやっぱり僕の姉ちゃんだな。


「付き添いなんて御免だよ」


 姉ちゃんを巻き込みながらゆっくりと起き上がり、決意する。

 自分でなんとかするさ。真実も嘘もひっくるめてこその青春てやつだろうし、過保護なんてのはろくなことにならないんだから。


「あらそう? それじゃあ、用事も済んだし帰りましょうか。お姉ちゃんは撮影しないとだし」


 押しのけられる形でタイムカプセルが埋まってる方によろけた姉ちゃんが、スコップを伝説の剣のように引っこ抜いて月光を背に勇む。

 こんな夜更けに撮影か。まぁ、こうしてる間にもチルドレンたちはママのページを表示させながらアホ面で更新ボタンを連打してるんだろうしな。


「うん、帰ろうか」


 かくいう僕も、今夜は徹夜になりそうだけど。


「ところで空くん。さっき七さんの封筒にしまってたのって、なぁに? まさか自白文は戻してないもんね?」


「あぁ、アレ?」


 もちろん自白文なんて入れてない。十数年後にトリガーになり得るからな。他人に見つかれば警察沙汰の、本人に見つかれば記憶回復の。

 だから七さんの自白文は僕の部屋に置いてきた。あとは燃やすもペロペロするも僕の自由ってわけだ。


「封筒にしまったのはさ……」


 言いかけて、淀む。もしかしてこれはチャンスじゃないか?


「当ててみろよ。アレを入れることでさ、僕はコソ泥から怪盗にランクアップしたんだよ」


 安楽椅子探偵ぶって、僕のプライドを傷つけたことへの意趣返し。

 せめて最後くらいは花を持たせて欲しいもんだけど、どうだろう。この問題は少し簡単すぎるかな? なぁ、エロイーザさん。

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