罪と野獣と美女と罰 第14話




 昼休み。下駄箱の前。

 千人近い全校生徒が一斉に動きだすこの時間は校舎を揺らすほどの活気が溢れていて、中でも購買のある一階はインドの電車やフィリピンの刑務所とまではいかないにせよ、それなりに人の波でごった返していた。

 今日の昼食は購買の焼きそばパンにしようと思ってたけど、どうやら考えが甘かったみたいだな。


「お待たせ」


 耳に届いた鼻声に嫌な予感を覚えながら振り返ると、そこにはすっかり快方に向かった里々と、鼻栓に水泳帽という出で立ちのバカがいた。

 僕は予定調和の冷めた目を向け、


「お前なぁ、もうそれボケハラだぞ? ボケハラスメントだ」


 と、苦情じみたツッコミを飛ばす。

 辛辣な発言と呆れ顔を受けて、叶うはずだった告白を断られたような顔になった果奈が、膝から崩れ落ちこそはしなかったものの足をカクカクと震わせ始める。


「え、つまらなかった? これはその、予告ギャグっていう新機軸で……昨日から家で一人で考えてて……」


 鼻声で、羞恥からくる饒舌と共に詰め寄ってくる果奈。あ、少し泣いてる。


「大丈夫だってはてにゃん! ウチはわや笑ったもん。こそこそ準備してるとこなんて、わや傑作!」


 いたたまれない様子の果奈の肩を抱き寄せながら、ヤスリで洗車するような慰めを与える里々。


「でも里々ちゃん、空音は全然笑わなかったじゃない。こんなに体張ったのに。橋から転がり落ちてもおかしい年頃なのに」


「アクションスターかよ」


 箸が転んでもおかしいだよ。これはもう、橋と箸って日本語は難しいよねー的な話とは違うだろ。


「里々ちゃん今の聞いた? あんなおっかない顔して、また私をなじってるわ」


 疑心暗鬼に陥った果奈はツッコミにさえ敵意を感じ取ってしまうようで、里々の胸に顔を埋めて大会前の気弱なスイマーのように怯えていた。比喩とかじゃなくて見たまんまの意味で。


「おーよしよし。はてにゃんかわいそ! 空音もほら、これあげるから落ち着きなって」


 果奈を巻き込んだままカバンを漁り始めた里々が、うぐうぐと苦しそうな声を漏らす果奈を無視してカバンからなにかを取り出す。


「ほれ」


 そう言って差し出された里々の手の中には件のどら焼きが握られていたのだが、その見た目が想像とは違っていて僕はほころぶ顔を隠せなかった。


「なんだよこれ。どら焼きって丸くなかったっけ? これもはや三日月じゃん」


 欠けてしまったどら焼きは里々の口の形をしっかり残していて、なんなら一本一本の歯の形状すらわかるほど綺麗にかじりとられていた。獣のやり口のはんぶんこである。

 貰っちゃっていいのか? こんなの、キラキラ光ってないだけの宝石じゃないか。


「文句あんの? いらないの?」


「いやいや、ありがたく頂戴するよ」


 引っこみかけた里々の腕を掴み、大慌てで手の中のどら焼きを確保する。


「早計よ里々ちゃん。どら焼きは今すぐ取り返したほうがいいわ。空音はきっと、そのどら焼きの歯型から里々ちゃんの口内を粘土かなにかで再現する腹積もりよ」


「そこまでは考えてねーよ!」


 どこまで歪んでんだよこいつは。


「馬脚をあらわしたわね? そこまではって、じゃあどこまでは考えてたのよ。大方、『これは多分犬歯ー』とか言いながら、どら焼きをペロペロしようと思ってたんでしょ」


「そこまでも考えてねーよ!」


 告げ口する子どものように、里々の胸元にすがりつきながら鼻声で突っかかってくる果奈。いい加減水泳帽を脱げ。


「バカなこと言ってないでさっさと行くぞ」


 吐き捨てて、靴を履き替える。

 そして念入りに左右の確認を行ってから、慎重な手つきでパンパンのカバンにどら焼きをしまいこみつつ玄関を出た。

 その間は終始、里々の顔は見れない奥ゆかしい僕であった。


 校舎から一歩踏み出すと、春を錯覚させる麗らかな空気が全身を包む。

 正門から続く歩道にはロードヒーティングが施されていて雪がないが、視界の右に広がる地方特有のだだっ広いグラウンドでは、メインで使用されている奥側を除いて積雪はいまだ所々にのさばっていた。

 もちろんそれは肝心の巨木がそびえる中央の一角も同じだけど、まぁこのくらいなら大丈夫。この前に下見した時と同様、僕らのような雪国っ子には障害になり得ない。

 珍しく二人の先を進み、足跡もわだちも無い綺麗な雪を踏みにじる。

 振り返ると、当たり前のように手を繋ぎながらゆっくりと歩を進める二人の姿。果奈の水泳帽はさすがに頭から消えていて、代わりにコートのフードが浅めにかぶせられていた。鼻栓はそのままだけど。

 のんびりとすればするほど昼食の時間が減るけれど、すでに過剰摂取であろう里々と嫌な匂いのする中での食事に抵抗のある果奈には関係ない話か。

 二人が追いつくのを待たず、足早に巨木のたもとに向かう。

 まさかないだろうとは思うけど、万が一死体だなんだが埋まっているんだとすればあいつらに先を行かせるのは愚策でしかないからな。丸ごと誤魔化すのは難しいだろうけど、直接目に触れさせないぐらいの世話は焼けるはずだ。


「空音ー!」


 背後から里々の声が響く。


「どうしたー?」


 振り返って少し張った声量で返事をすると、なぜかあっかんべーをする果奈の隣で里々の派手な爪がなにかを指し示していた。


「そこー! ハルニレの、校舎側の地面! なにか光ってるよ! わやブリリアント!」


 返事を放棄し、すぐに情報通りの方角を確認する。

 本当だ。なにかが光を反射している。埋蔵金? 死体が身につけていたアクセサリー? 

 刹那に思考を巡らせながら、我先にと足を急かす。


「なんだこれ……」


 靴に染み込む雪も厭わずに巨木へ駆け寄った僕が目にしたもの。それは。


「海苔?」


 ちょうど今しがた雪から顔を出したかのように湿って色の濃くなっているグラウンド。そこにはハートを割るようなギザギザの亀裂が走っていて、銀色にきらめく大きな缶の一端が突き出ていた。見たところ、海苔なんかが入っていそうなプレーン缶に似た容器である。


「うーむ」


 嫌な予感がするな。

 わかりやすく死体が埋まってないのは良かったけど、缶が埋まってるとなると僕みたいな人間からすれば、その中身は骨とか体の一部だなんてのを想像してしまう。心配性というより、悪い癖なんだろうな。考えてみれば果奈の悪癖なんて可愛いもんだ。


「なにそれ、おせんべい?」


「なにそれ、くっせ」


 やっとこ参着した二人が、埋蔵物に対する各々の第一印象を僕の頭上から降らせてくる。


「掘り返してみてよ。もしかしたら幻のおせんべいかもしれないよ?」


 隙だらけにガードを固めたへっぽこボクサーのように両腕を胸の前で構えてヘラヘラワクワクする里々。繋いでいた手を引き上げられる形になった果奈も、なぜかつられて同じポーズを取っていた。もっとも、果奈の顔はすでにパンチを二、三発食らったみたいにボロボロだけど。


「なんだよ幻のおせんべいって。てかお前まだ食うのか?」


「わや食う。だってどら焼き分は運動したからね。おせんべいなら余裕でイケるよ。わやどすこい!」


 空にツッパリをかました里々は続けて、


「それにもしまた食べすぎてもさ、考えてみたらウチには里々体操第一があるから平気だったよ」


「里々体操第一? なにそれめちゃくちゃ見てみたいんだけど」


 お金払ってでも見といた方がいいと感じるのは気のせいだろうか。第二もあるのかな?


「そんなに見たいなら今度見せたげるけどそれよりほら、ザクッとそこ掘っちゃってよ」


「やっぱりそうなる?」


「当たり前でしょ。手が汚れるし冷たいのが嫌なのはわかるけどさ、ウチは爪こんなだしはてにゃんは鼻こんなだから」


「果奈って鼻で土掘るの? 豚なの?」


 そして、嫌なのは手が汚れるからでも冷たいからでもないんだけど。

 首を大きく伸ばしながら二人を逆さに見上げて抗議の視線を送るも、そこはやはり僕の理想の二人。どんな手段を講じたところで心変わりは望めないだろう。里々はメトロノームのように体を揺らしながらニコニコしてるし、果奈に至っては顔に情報が多すぎてもはやなにを考えているかなんてまるっきり読み取れない。


「わかったよ……」


 観念して、湿った土に手を突き入れる。虫の知らせか、言いしれぬ悪寒が全身をあまねく駆け巡った。

 せっせと土を掘り起こす僕を、ハルニレの木がじっと見下ろしている。

 雪折れもせず、葉を落としてもなおたぎるこの巨木は、果たして足元になにを隠して生きてきたのだろうか。


「おえっ!」


「………………」


 黙々と作業をこなすも、缶の露出が増えるたびに果奈のえずきが降りかかる。


「くっせ! くっせ!」


「………………」


 匂いが増してつらいのはわかるけど、これじゃあ僕がいじめられてるみたいじゃないか。


「あ、これもう取り出せ……そう!」


 ことのほか緩い土に助けられて発掘作業は難なく終了。しゃがんだままで缶を持ち上げて、大半を包んでいた袋を引き剥がす。


「おっ?」


 安産型の骨盤ほどの缶を抱えたまま驚きの声を漏らすと、それに反応した二人がしゃがみこみ、僕の左右から缶を覗き込んだ。


「どう思う?」


 左右の白黒に問いかける。


「くっさく思う」


 お前さっきからそれしか言ってないな。


「暗号だ! 初めて見た!」


「僕も初めてだよ」


 そう。里々の言う通りこれは、まごうことなき暗号である。

 缶の蓋にあたる上面には、油性ペンの横書きで大きく『二十五年後の私たちへ』という文字と、縦書きの、


『アルビノのパンダ』

『彼岸と此岸』

『あしながを自賛』

『毛の抜けた猿』

よろずとが

『人面瘡と漫才』

『怪力無常』

『うどんで首吊り』


 というどこかで見たようなセンスの言葉。さらには、『これらのワードの共通点は?』という問いかけと、『わかる人にはすぐわかる。わからない人には一生わからない』という助言めいた文章も下の方に書き込まれていた。

 缶には五桁のダイヤルロックがかけられており、どうやらこれらの文字は解錠ナンバーを示す暗号文とそのヒント。

 とどのつまり、巨木の下に埋まっていたのは死体でもなんでもなく、暗号と鍵付きのタイムカプセルであった。


「…………」


 眉をひそめるついでに目を閉じて、ついでに奥歯もすり減らす。

 参ったな。待ち焦がれたとっかかりがこれか? なにも好転してないどころか、事態は悪化の一途をスムーズに転がり落ちてるじゃないか。


「これは……タイムカプセルかしら。それともエロ本? 鍵までついて、ずいぶん厳重なのね」


 目を開けると、顔のすぐそばには鼻栓の上からさらに鼻をつまんで缶を覗き込む果奈。


「一、十、百、千、万。うわっ、その鍵って番号一万通りもあるの? わやくわばら」


「いや十万通りだろ」


 指折り数えた結果、惜しくも間違った答えを導き出して僕の肩に寄りかかる里々。


「ふむふむ。アルビノのパンダ……」


 嬉しいんだか苦しいんだかわからない顔で早速暗号を読み上げた果奈はさらに、


「難しいわね。一見して数字と関係ありそうな単語は『万』くらいだけれど……うーむ」


 と顎に手を当てそれらしく謎に挑んでみせ、


「里々ちゃんはどう? なにかわかるかしら」


 僕を通り越して里々に視線を送った。

 謎に挑む姿はそれなりにさまになってるけど所詮果奈だし鼻栓ついてるし、足にしらたきを巻いてバンジージャンプするくらいに心許ない。どう見たってこれはひらがなレベルのヒントではないし、文字通りカタカナどころか漢字も使われてるからこいつじゃお手上げだろう。

 バトンを渡された里々は僕の肩に預けた体重を引き取って両手の人差し指でこめかみをぐりぐりしながら、


「さっぱりわかんないや。わや遺憾! 空音は?」


 渡されたバトンをさらに僕に繋げた。


「僕は……」


 僕の頭には、きっとこれだろうという数字がヒント文を見た瞬間から浮かんでいた。

 このヒントはこれ以上ないほどの蛇足だろう。『わかる人にはすぐわかる。わからない人には一生わからない』なんてことを書かれたら、ひねくれてる奴にしてみれば答えは二択みたいなもんだからな。


「なにさ、もしかしてわかったの? 番号」


 煮え切らない返事をした僕に里々が詰め寄ってくる。


「この謎解き、ちょっと僕に預けてくれないか?」


 少しだけ真剣な眼差しを向けて奇跡の類いを期待しながら懇願するも、里々から返ってきた答えは無情にも「ヤダ」であり、おまけに反対側の果奈からはなぜか、「空音にはシーモンキーすら預けないわよ」なんてお言葉も頂戴する始末。取りつく島は、沖ノ鳥島ほども見当たらなかった。どうしようかな。


「そんないじわるするなら筆箱に生のししゃも詰め込むよ?」


「せめて焼いてくんない?」


「隠し立てするなら魔法の杖でぶん殴るわよ?」


「せめて魔法使ってくんない?」


 精神攻撃タイプの里々と直接攻撃タイプの果奈。

 四面楚歌だ。二人を考えてのことだってのに、これじゃああんまりじゃないか


「やっぱりこれ、幻のおせんべいなんじゃないの? 一人で食べようとするなんて、わや猛々しい!」


「もしこの中にせんべいがあったとしても、ヴィンテージせんべいだぞ?」


 おそらく十三年ものだろうからな。


「そんなに食いたいんなら……」


 言いかけて、閃く。窮地を脱する一発逆転の妙案。

 僕は宝物のどら焼きをつぶさないようにカバンを漁り、


「お前ら、これを見てもそんなことが言えるのか?」


 一目で高級とわかるそれを取り出す。


「そ、それは!」


 僕の取り出した切り札を、黄金の血液を持つ人間を見つけた医者のような目で凝視する里々。驚くのも無理はない。これは本来、僕なんかのカバンからは出てくるはずのない代物なのだ。


「これあげるからさ。さっきの話受け入れろよ」


 里々が生唾を飲み込みながら見つめるこれは、智則くんの家でお土産として渡された、『万来亭ばんらいてい』のマカロン詰め合わせである。


「仰せのままに。わや御意!」


「ちょろっ!」


 こうべを垂れて、賞状を受け取るようにして箱に手をかける里々。僕もそれに倣って頭を下げ、うやうやしくマカロンを手渡した。まずは一人。


「私はちょろりちゃんとは違ってマカロンごときで陥落するような女じゃないわよ?」


 腕組みをして唇をすぼませる果奈。

 そのくらいわかってるさ。お前は食欲よりも知識欲だからな。

 そんなこいつには、


「これならどうだ?」


 カバンから一冊の本を取り出す。言うまでもなく、智則くんの『脳プロブレム〜弔いの豚〜』である。


「なにそれ」


「小説だよ。智則くんが書いたんだ。この前の全校集会で表彰されてたの、智則くんだったんだよ。覚えてないか?」


「とも……のりくん? 記憶にないわね」


「全校集会のことを訊いたつもりなんだけど!?」


「冗談よ。あんな気持ち悪い色のコートを着た人間なんて、それこそ記憶喪失でも覚えてるかもしれないわ」


 それは確かに。恋人や自分の名前にはピンとこないくせに、「気持ち悪い色の……コート……。どこか懐かしい……うっ、頭が!」なんてことになりかねない。


「で、その本がどうしたのよ。智則くんの小説なんて、たとえどんな賞を取ろうとも私の琴線には触れなさそうだけど」


「これ、浮世絵を描いてる男子高生と下半身にキャタピラついてる女子高生の恋愛物語なんだってさ」


「キャタ……ピラ?」


 かかった。まさに破れ鍋に綴じ蓋。あまりに歪な釣り針だけど、果奈の口にはちょうどいい。


「どうした? 読みたいか? 気になるか?」


 伸びる果奈の手から本を避難させつつ挑発すると、果奈はわなわなと体を震わせてわかりやすい葛藤を見せ始めた。もう一歩だ。


「どうせお前は暗号なんて解けないし今でさえ鼻栓してギリギリなんだからさ、一緒にこの缶を開けたら気絶しかねないだろ?」


 そして追い討ちをかけるように智則くんの本を果奈の鼻先にぶら下げて、


「放課後には諸々説明してやるから、お前はこれ読んで少し休憩してろ。下半身がキャタピラだぞ?」


 と煽り、本でぴしゃぴしゃと頬を叩いてみた。

 されるがままに「あっ、あっ」と漏らす果奈はやがて観念したように本を掴み取り、


「ふん。放課後までよ? それまでには頑張って読み終えるから」


 午後の授業を読書で過ごすことを高らかに宣言し、ちょろりと陥落。


「あぁ、約束だ」


 こうして二人の籠絡は、智則くんファミリーの全面協力により完遂したのだった。

 物語ってのは、うまいこと全てが繋がるようにできてるもんだな。


「はてにゃん、そうと決まったら教室戻ろ? おーよしよし。わやいとおかし!」


 我が子のようにマカロンの箱を抱き揺らして赤ちゃんの人形を連れ回すヤバい奴みたいになった里々と、


「え? これトドメちゃんが推薦文書いてるの?」


 この本の一番の笑いどころに早速気づいてしまった果奈。

 二人はすぐに背中を向けて、雪を避けるように大股になったり小股になったり、そして仕舞いには「突撃ー!」とか「やー!」なんて自暴自棄になって雪を蹴散らかしながら、一度も振り返ることなく校舎の中へ消えていった。

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