罪と野獣と美女と罰 第13話




 ペットボトルを弄びながら廊下を戻り、本日都合三度目となる重い扉の開閉を行って体育館へ足を入れる。

 そこは相変わらずの地獄絵図であった。

 血潮代わりに飛び散る汗。響く怒号と嬌声。壁際には戦死者代わりに床に転がる黒ギャルと、その黒ギャルを中心に据えて野球バットなどのスポーツ用具で魔法陣のようなオブジェを作る果奈。左手一つで漫画本を広げ、右手でなにやら里々の鼻先の空間をまさぐっていた。


「かける言葉が見つからねーよ」


 呆れ顔で近づき、目を閉じたままぶつぶつと何かを唱える果奈に声をかける。


「あ、お帰りなさい空音。魔法陣沸いてるわよ」


「魔法陣沸いてるっ!?」


「蘇生にする? 転生にする?」


「里々死んじゃったの!?」


 供物のように魔法陣に横たわる里々を恐る恐る見下ろすと、胸部がゆっくりと上下に動いている。当たり前だけど、彼女はアホでも懸命に生きていた。

 そりゃそうだ。これで死んでたら僕はおやっさんになんて説明すればよかったんだよ。死因が縄跳びぴょんぴょんなんて誰が浮かばれるんだ。


「まだキツイか? ほら、水買ってきてやったぞ」


 ペットボトルを里々の顔の横に置き、邪魔な魔法陣の一端をスライドさせて空いた場所に腰を落とす。


「あ! なんてことするのよ空音。まだ術式途中だったのに。そんなことしちゃったらペットボトルと里々ちゃんの魂が融合して、なんかこう……ベコベコした感じになっちゃうわよ?」


「なんだよベコベコした感じって。もういいからお前はそこのボールと融合でもしてろ。尖りすぎなんだよ感性が。もっと丸くなれ」


 でもそれだとこいつの良いところがなくなっちゃうか?

 果奈と里々の顔を交互に見つめ、僕もずいぶんと板挟みで袋小路な恋路に迷い込んだものだと嘆いていると、達筆な『火』の字のように寝転ぶ里々のぷっくりとした唇がかろうじて開かれた。


「み、みず……」


 おでこのメガネを探す人みたいに、水の真横で水を欲する里々。


「ミミズ? 太いヤツ? やだ! どこ!?」


 薬でもやってるかのような聞き間違いをして、僕のズボンにしがみつく果奈。


「ほら、ここにあるから飲めよ」


 ズボンを脱がされる前に果奈の頭部をがっしりと掴んで引き離し、ペットボトルを里々の眼前にぶら下げる。


「み、みず!」


「やだ! どこ!?」


「お前は黙ってろ」


 ペットボトルをブン取り、腹筋のみで上体を起こした里々が牛のように水をあおる。

 ゴキュゴキュと喉を鳴らすと、あっという間にペットボトルの内容量を半分に減らした。僕的にはもう半分しかなくて、里々的にはまだ半分もあるといったところか。


「っぷはー! わや染み入る! わや痛み入る!」


「そうかい」


 ご丁寧に韻まで踏んだ感謝をされて感慨もひとしおだよ。

 口元を前腕でワイルドに拭い、「ふいーっ」と喜色を浮かべて再度寝転んだ里々は、


「死ぬかと思ったよ。三途の川が見えたもん」


 天井に挟まるバレーボールを探すように遠くを見つめ、目や口を弛緩させる。

 そりゃあ姥神うばがみもさぞかしびっくりしただろうよ。縄跳びでぴょこぴょこと三途の川を渡ろうとする奴なんて有史以来初めてだろうからな。


「なにがお前をそこまで追い込んだんだよ」


「いやー、その……」


 表情を隠すように首を捻り、ごにょごにょとなにかを呟く里々。まさか本当に人知れず地球の平和を背負って戦ってたんじゃないだろうな。


「なんだよ、はっきり言ってみろ」


 里々のほっぺたを引っ掴み、口をこちらへ向けさせる。このように自然にこいつらに触れられるのがツッコミの役得だ。


「だから、どら焼きが……」


 どら焼き?


「ここは私に任せてちょうだい」


 持っていた漫画本を大事そうに床に置いた果奈が座ったままで半歩分ぐいっとこちらに近づいて、


「里々ちゃんね、近所の汚いおじさんにどら焼きを貰ったのよ。それもわんさか。朝から引くほど自慢してきて、私も一個いただいたのだけどそれはもう絶品でね。ほっぺが恋に落ちそうな味だったの。で、朝はカバンいっぱいに詰められていたそのどら焼きが、三時間目の授業が終わる頃にはほとんど残っていなかったの。授業中、後ろから絶えずモシャモシャモシャモシャ聞こえてたからおかしいとは思ってたのよね」


 それは迷惑だな。果奈はどうせ読書中だったろうが、その他の真面目に授業を受ける生徒たちが可哀想だ。


「わんさかってどのくらい?」


「一昔前の殺人の時効年数分くらい」


「例え独特すぎない? 何年だよそれ」


「一昔だから二十五年に決まってるじゃない。勉強ばっかりしてないであなたも少しは漫画でも読んだら?」


「二十五!? そんなにどら焼き食ったの? ひみつ道具も出せないくせに?」


 その食欲からか体質からか、よく太りやすい太りやすいと嘆いてる里々がそんなに食うだなんて、どんだけ美味しいどら焼きだったんよ。なにかよからぬ薬でも挟まってたんじゃないだろうな? それこそ、空を飛べたりタイムスリップしちゃうようなさ。


「小さいどら焼きだし……そんなに食べてないもん。カプリ子にもあげたし、ムク美にも服部ハットリアン・デス・ワームにもあげたし、それに田中さんにだってあげたんだもん」


 変わらぬ赤面で、マグマにジョウロで水を撒くレベルの言い訳を展開する里々。


「どういう面子だよ。田中って名前が浮いて聞こえるの初めてなんだけど」


 それもしかしたら田中さん逆にいじめられてんじゃないの? そしてなんかUMAみたいな名前の奴いなかった?

 周りの人たちをそんな名前で呼んでおいて、よくあれだけの取り巻きが集まるもんだ。甚だ疑問である。


「それに、空音の分もちゃんと残してあるもん」


「え、僕のも?」


「うん!」


 声を弾ませ、百年の悲恋も報われるような笑みを咲かせる里々。

 その表情は僕の疑問を解消するには充分すぎて、体温が上昇する感覚を覚えた僕は「ありがとう」なんて普通の言葉を返すのが精一杯だった。

 こりゃあやられるわな。


「我慢できなかったから、半分だけだけど……」


「あ、そうなの?」


 オチまであるだなんて、ほんと気が利いてるぜ。


「ところで空音。昨日はどうだったのよ」


「えっ?」


 僕と里々のしっぽりとした空間を邪魔するように、急に本題に戻る果奈。空間と言っても魔法陣の中だしそんなロマンチックなもんではないか。

 昨日ねぇ……。

 もちろんこうなることはわかってたんだけど、いきなりきたな。なにをどう伝えればいいものか。

 僕は結局、昨日の智則くん宅で得た情報だけではいまいち決め手に欠けると判断していた。

 先生が記憶強奪に、さらには先生と七さんが殺人事件に関与していたんじゃないかという濃い疑惑は芽生えた。芽生えたけど、どうしたって今のままじゃ憶測の域は出ないだろう。

 わずかな遺恨も軋轢も残したくない。だから僕は、そんな素人推測を口にすることでいたずらにこの日常に影を落とすなんてことはしたくないんだ。

 だってそうだろう。言霊ってのは人間の意志の力。思い込みの収束なんだから。

 ミステリーやホラーは物語の中だけで充分。僕らの日常はすべからくコメディであるべき。在りし日の果奈の言葉を借りるならそう、『人生は面白い方がいいんじゃないのだ! 面白くなくっちゃ、ダメなのだ! うにゃははは! とんでもない!』なのである。

 だから僕は果奈の謎寄せパンダ気質を当てにして、新たなヒントを得るには絶好と踏んだこのディベート部全員集合の体育の時間に望みをかけていたんだけど……。


「なによ、まさか収穫なしなんて言うんじゃないでしょうね? 記憶をなくしてるのよ? そんなの、すごくすごいことだわ。怪しすぎるでしょうに」


 瞳に火を灯した果奈の追い打ちが降りかかる。消火しようにも、手持ちの水は里々に消化されてほとんど残っていなかった。


「どうしたんだよ。ここにきて一層やる気満々じゃねーか」


「それがね、どんどん謎の匂いが増してるのよ。これ以上くっさくなったら、鼻栓しなきゃいけないじゃないの。そうしたら私きっと、水泳帽もかぶってシンクロナイズドスイミングの真似事を始めるわよ? どうするのよ」


 若干の覇気をまとい、顔の各パーツを中央に寄せて凄む果奈。


「どうするのよって、それお前のさじ加減だろ。抗えよそんな安い衝動」


 そんなことされても冷めた目くらいしかできないぞ。


「はてにゃん、シンクロナイズドスイミングって、今はアーティスティックスイミングって呼ぶみたいだよ? 服部アン・デス・ワームが言ってた」


 呼吸の安定した里々が起き上がり、情報の訂正を入れる。問題はそこではないのだけれど。


「あら、そうなの? 里々ちゃんといるといつもタメになるわね」


 頭を撫で、顔が入れ替わるくらいの勢いで里々と頬をこすり合わせる果奈。あそこの隙間に入るにはいくら必要だろうか。水を奢ってやったくらいじゃきっとダメだろうな。


「でしょでしょ? この間も、『大は小を兼ねる』の意味を勘違いして覚えてるみたいだったから教えてあげたばっかだもね」


 えっへんという風に胸を突き出す里々。パツパツのジャージのジッパーから断末魔が聞こえた気がした。


「勘違いって、どんな意味だと思ってたんだよ」


「うんちをするときはおしっこも一緒に出るわよねって意味だと思ってたわ」


「甚だしいよ! 勘違いも非常識も甚だしいよ!」


 本人はさほど気にしていないようだが、こちとら痛々しすぎて胸が痛い。とてもじゃないが義務教育を終えた人間の発言とは思えない。


「元気いっぱいね。私は空音の活力源なのかしら」


「うっせーよ。お前はもうここで燻るような人間じゃないよ。世界に出ろ。バカの世界大会にエントリーしてこい」


 こいつの場合、もしかしたら招待枠でもう決まってるかもしれないな。


「もとよりそのつもりだけど、まずは昨日の話よ。どんなことが起こったの?」


 いつも通りうまい具合に話が逸れたと思ったけど、さすがにここは踏み外さないか。こうしている今現在も、果奈の鼻は匂いを感知しているのだろうし。

 でも匂いが増すってどういうことだ? 知らないうちにどこかでなにかしらの変化が起きているのだろうか。


「ウチも気になってた! あれからどうしたのさ。家大っきかった? あのコート、ちゃんと脱げてた? 呪われてなかった?」


 疑問点がズレた里々からの加勢も到着して、いよいよあれこれ説明しなくちゃいけない雰囲気。水なんて与えずにもう少し転がしとけば良かったか。

 大きな音を伴って、体育館の屋根の雪が一部、崩落する。

 どうやら観念する頃合いらしい。こうなってしまっては仕方がない。誤魔化し誤魔化し、話を進めてみるか。


「おーい!」


 腹いせに、わずかに残った里々の水を奪って喉と心を潤そうとしたその時、壇上に立つ先生の声が体育館に木霊した。


「十分前だ! みんな出したもの片づけてくれー!」


 なんと。さすが魔法陣。教師を召喚して僕の願いを叶えてくれた。


「だとよ。時間だ。続きは放課後、コタツを囲んで」


 この機を逃さぬべくすぐさま立ち上がり、タイムアップを強調するように下のジャージをパンパンと手で払って移動の意思を見せる。


「ぐぬぬっ。やむなしね」


 僕に釣られるように重い腰をあげた果奈は続けて、


「あーあ、こんなに色々と引っ張り出してくるんじゃなかったわ。なによ魔法陣って。こんなのただの、荒れた野球部の練習後じゃない。なっちゃないわ」


 今となってはバットやボールが乱雑に散らかっただけな自身の作品を見下ろし、躁鬱で鬱に傾いた時期のアーティストのように不満を漏らした。


「それだけじゃないだろ。お前あのバレーボールの装置もしまわなきゃ」


 ポツンと置き去りにされた装置を顎で示す。

 同時に館内を見渡すと、片付けを行う数名の生徒以外は皆その場に倒れ伏し、全身で息をしながら満面の笑みを浮かべて天井を仰いでいた。

 ヤル気の伝播。里々の熱に当てられた信者たちは、教祖が力尽きた後もその教えを信じて動き回っていたようだ。ここまでくると信心深いのか罰当たりなのかわからんな。


「あれは空音にお願いしていいかしら。結構重たいのよね」


「そんなもん使ってまでボケるなよ」


「笑いに痛みはつきものよ。こう見えて、結構頑張ってるんだから」


「そうかよ」


 それじゃあ僕も頑張らないわけにはいかないな。あのまま続けてれば痛いのは僕だったという事実は置いといて。


「ついでにほら、その装置であそこのモンスターでも倒してみるといいわ。きっとアレ、倒したらめっちゃレベル上がるタイプのヤツよ」


「モンスター?」


 言いながら果奈の視線を辿るとそこには……。

 肩に乗せた人形に微笑みかける男子生徒の姿があった。


「嘘であれよ!」


 願望とも取れるツッコミが口をつく。

 どうなってんだよ。僕の見識が狭いのか? それとも世界が広すぎるのか? 

 一昨日の里々はどうやら、ただ真実を話していただけだったようだ。おかしいだろ。普通嘘だと思うじゃん。


「嘘であれよ……か。なんとも秀逸なツッコミでおみそれしちゃうわね」


 うんうんと感慨深そうに頷きながら、のそのそと野球道具を束ね始める果奈。それに続くように、里々はキュイキュイと体育館の床を派手に鳴らしながら信者を労いに向かった。

 おかげで僕は肩に人形を乗せた男子生徒の着ているタンクトップに書かれた『正装』という文字に対するツッコミの機会を逃し、やれやれとバレーボールの装置へ足を進めたのだった。

 こうして僕らの楽しくも無益なジェットコースターのような合同授業は幕を閉じた、と思われたのだが。

 不意に、癇癪を起こしたサンタクロースがプレゼントの入った袋を煙突に叩きつけたような音が響き渡り、目が自ずと音の発生源を辿る。

 三半規管が損傷したかのようにくるくると回るバットに、缶踏みが始まったかのように四方に散らばるボール。

 脳の命令を待たずに体が動く。足が向くのはもちろん、


「果奈!!」


 全ての動の中心で、果奈が静かに倒れていた。

 息をするのも忘れて表彰台も狙える速度で駆けつけ、短絡的に無理矢理、果奈の体を抱き起こした。


「おい! はて……ん?」


「はてにゃー……ん?」


 僕に少し遅れ、疲弊した体で無理を押して駆けつけてきた里々。

 果奈の様子を間近で目の当たりにしたその表情は、僕と同じで片眉が大きく垂れ下がっている。


「なにしてんのお前」


「むっ?」


 鼻声の果奈。

 彼女は鼻をぎゅっとつまんでいて、梅干しとレモンを無理やり口に詰められたようなアホ面をしていた。それを見た僕は、腕の中のアホをなるべくぞんざいに解放する。


「あいだっ!」


「すぐびっくりさせるんでしょ! わやたまげた!」


 思い出したようにその場にへたり込んでくたびれる里々。そんな状態でも背後にオーケーサインを出し、遠巻きに心配していたクラスメイトたちへの配慮は欠かさなかった。


「なんだってんだよ」


「違うのよ、私はちゃんと卒倒したのよ。ちょっと気をしっかり持ちすぎただけで」


「どんな弁明?」


「あ、少し慣れてきた」


「慣れてきたって、匂いか?」


 果奈が散らかしたバットを束ねて持ち上げ、答えのわかりきった質問をする。


「えぇ。これはちょっと問題よ? なにかが今、大きく動いたわ。匂いがきつすぎる。すごくすごい。もしかしてこれ、人死にでも絡んでるんじゃないかしら」


「は?」


 危うくバットを落とすところだった。どうした果奈。読みが当たるなんてらしくないじゃないか。


「人死にはどうでもいいけど、はてにゃんもう鼻は大丈夫なの? そんなくっせーの? わやアラバスター」


「大丈夫よ里々ちゃん。嗅覚は疲弊するの。同じ匂いを嗅ぎ続ければ、それだけ鈍感になるってわけ。私のは普通と違うから一般論が完全に当てはまるわけじゃないけど、それでも正気を失うほどじゃないわ。心配してくれて嬉しい。愛してる」


「あ、ウチも愛してる! わや憎からず!」


 …………。

 人死にはどうでも……か。遠くの死人より近くの病人。それは考えてみれば当たり前なことだけど、あまり声高にはできない価値観だ。

 こいつらはもしかしたら、誰が人を殺してたとてなにも変わらないんじゃないだろうか。たとえ僕が望まぬ罪を犯したとしても、変わらぬ態度でそれを容認してくれる器量というか、無関心が備わっているのかもしれない。

 そうだとすれば僕の奔走は徒労に終わるのだけど……。あ、それと僕ももちろん愛してる。


「というわけで、放課後なんて待っていられないわ。昼休みに巨木を訪ねるわよ。いかり肩でおうおう言いながら詰め寄ってやるわよ。そこのバットも二、三本持ってってやろうかしら」


 お互いの人差し指をくねくねと絡ませ、どうやら友情の一歩先を示しているらしい二人の片割れの白い方が、顔だけをこちらに向けて口をひん曲げながら、おそらくはヤンキーと思われる形態模写を果敢に見せつけてきた。 首から上と下で別の人格が信号を送ってるような違和感。間違った頭部をハメられたプラモデルみたいだ。


「また巨木んとこ行くの?」


「言ったでしょ? というか、見たでしょう? しおれた花のように無残にも体育館に散った薄幸の美少女を。ついさっき、巨木になにかが起きたのよ。段階的だった匂いの変化が、一足飛びにパンデミックよ」


 パンデミックって、お前が一人でのたうちまわるだけだろうが。いくら仲良しだからって授業中に二人してバタンキューすることもないだろうに。


「なにか起きたって、良い変化なのか? それとも悪い変化?」


「良いか悪いかなんてどうでも良いのよ。そのどちらでも進展は望めるだろうし、行けばすぐにわかるのだから。私はもちろん、ひらがなで丁寧に書いてあったりでもしない限りなにが起きてるかなんてとてもかくてもわかりっこないけど、二人ならきっとわかるわよ」


 またそんな悲しいことを。カタカナレベルまでならお前でもわかるだろう。たぶん。


「早く謎を全部解いちゃって、優雅にコーヒーを啜りたいものだわ」


 しみじみと、絹のような笑みをこぼす果奈。


「それは僕も同感だ」


 最初の頃は酷い顔をして嫌々コーヒーを飲んでた果奈だけど、今ではすっかりその味も匂いも気に入ったようでなによりだ。病気のために毎日苦い薬を飲まなきゃいけないように、好きでもないコーヒーを飲み続けるなんてのはつらすぎるからな。


「だからこそ事態は急を要するわ。ご飯の前にちゃっちゃと済ませて、食後はコーヒーブレイクと洒落込みましょう。きっとなにかが見つかるわ。でももしかしたら、木の下から死体が出てきちゃったりして。ゲロゲロ」


「わやゲロゲロ!」


 飛び回る虫を捕まえるカエルのマネをするように舌を出し入れしてはしゃぎだした果奈と里々。本来可愛くなるであろうその仕草が扇情的な光景とならない理由は、モノマネに対する姿勢が引くほど真摯で「もっと舌筋を意識して!」とか「遊びじゃないのよ!」なんて言葉が飛び交うからであろう。

 隠してる僕が思うのもなんだが、全く呑気なもんだよ。

 いつもなら死体が出るなんていう果奈の推理は斬って捨てるくらいの戯言だけど、今となってはあながち間違っていないかもしれないってのがなぁ。

 頭を掻きながら、体育の授業なのになぜか鈍った体を伸ばす。

 今はこうしてゲロゲロやってる二人だが、いざ死体なんて非日常を目の当たりにしたらさすがに陰るだろう。リアルゲロゲロの可能性だってある。

 だからこそ僕は嘘を吐かなければならない。取るに足らない小さな嘘を積み重ね、本当に隠したい大きな嘘をうやむやに。

 正義の味方にはなれなさそうな僕だけど、せめて悪の敵くらいにはなってみたいものである。


「こんにゃろ! こなくそ!」


 カエルのマネの過程でなにが起きたのかわからないが、いつの間にか腕を前に伸ばした里々に頭を抑えられ、届かないパンチや蹴りを楽しそうに繰り出している果奈に、「お前ほんとそれ好きだな」と呟いてから僕は片付けに戻った。

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