罪と野獣と美女と罰 第12話
体育館の扉を閉め、閑散へ続く道を進む。
廊下には、植物でも生えてきちゃうんじゃないかってくらいに容赦ない日光が突き刺さっていて、変質者の一人や二人は春を待たずに湧いてくるほどに朗らか。
「静かだな」
体育館からの奇声が届かなくなり、奇妙な感覚が全身を網羅する。それはもの寂しさだったり不安感だったり。
いつもと同じ校舎をただ歩いているだけなのに、授業中というだけでこうも雰囲気が違うんだな。
高校ってのは不思議な空間だ。義務教育が終わった志を異にする子どもたちが三年間を共に過ごし、将来も視野に入れなきゃいけないし今も目一杯楽しまなきゃいけない。
僕はこの高校でなにを得て、なにを諦めるのだろうか。
「すいませーん」
特に身にもならないことを考えながら歩を進めるうちに購買に到着し、売り場に不在のおばちゃんを奥から呼び出す。
「あいよー」
音速ってのはこんなに早いんだぞと証明するように、声の到着からしばらく経って売り場におばちゃんが顔を出した。
「なんだい発足くんかい。まだ授業中だろ? 腹ペコかい?」
よく里々と一緒にいるからだと思うけど、おばちゃんは僕を顔と名前が一致するくらいには見知ってくれていた。校内どころか、この町内であいつを知らない人間なんていないからな。
「腹ペコは腹ペコなんですけど、今は水が欲しいんです」
「水? 水で一体なにをしようってんだい?」
カウンターに片肘を乗せて怪訝そうに顔をしかめるおばちゃん。場末のスナックの情報屋みたいだ。
「飲むでしょ。逆にそれ以外なにに使うんですか」
変なことを言う人だ。もしかしてこのおばちゃんは一酸化二水素のジョークをいまだに曲解してるんじゃないだろうな?
「いやね、昔、教室に水が大量にブチまけられて大騒ぎになったことがあってさ」
「そりゃひどいですね。それって、七不思議に関係してたりします?」
「七不思議? いやーただ単に風紀が乱れてただけだよ」
七不思議は関係なし。そりゃそうか。新しい情報がなんでもかんでも七不思議に関係してくるなんてのは話がうますぎるよな。
「今の子たちはみんなおとなしいけどね、昔はそりゃあひどいもんだったよ。毎日死人が出てたよ」
「どんな学び舎?」
毎年喪中じゃねーか。死神みたいな名探偵でもいたのかよ。
「昔って、おばちゃんはどのくらいおばちゃんやってるんですか?」
「あんたおばちゃんを職業だとでも思ってんのかい? 売店のことなら、あたしはもう二十年になるよ。長年いろんな子たちを見てきて、たまに相談に乗ったりなんかしてね。その中にはね、今じゃ売れっ子作家だったり、テレビに出てる子や政治に携わってる子もいる。あたしの自慢だよ」
「それはすごいですね。なんかいい話だ」
「そうだろ? 作家の子には、パクられたら困るから書いたものには自分にだけわかるサインを入れとけって教えたりさ、当時からアイドルやってた子には枕営業の時の為の寝付きが良くなる枕を教えてあげたんだ。政治家志望の子なんて、『誠に遺憾です』と『記憶にございません』の発生練習に付き合ってやったもんだよ」
「それは……タメになったでしょうね」
大仰に腕を組み、心にもないことを口に出す。
「あぁ、水買いに来たんだったね。年寄りの話は長くていけないやね。ほれ、水一本、百円だ」
ペットボトルの水を冷蔵スペースから取り出して台に置くおばちゃん。
僕はポケットから小銭入れを取り出し、桜の描かれた硬貨をつまんで手渡した。
「はい、まいど」
「ありがとうございます」
踵を返し、ペットボトルを手に歩き出す。
しかし二十年か。僕の今までの人生より長いじゃないか。そんなに長く続けられる仕事を手に入れたなんて、人徳のなせる業だろうが羨ましい限りだ。
二十年もあればきっと……ん? 二十年ってことは。
「おばちゃーん! もう一ついい?」
ちょっと騒がしいコロンボみたいなノリで再度おばちゃんを呼び寄せると、今度はすぐに登場してくれた。申し訳ないね。
「なんだい。賞味期限切れてたのバレちゃったかい?」
「えっ?」
すぐさまペットボトルを確認する。
「切れてないじゃん」
「当たり前だろ。賞味期限切れなんて売らんよ」
「……」
騙しやがったな。結構年上のあまり話したことのないおばちゃんの嘘なんて誰が見破れるんだよ。
「え、えーっとですね。さっきおばちゃん、ここに二十年勤めてるって言ってましたけど、七さんって知ってますかね? 七飯七って名前の、今から十三、四年前くらいにここに通ってた女子生徒なんですけど」
気を取り直し、忙しなく舞い戻った目的を告げる。毎年何百人もの生徒と接触しているのだから覚えてろって方が無茶なんだけど、ダメでもともと。なにもしないよりは建設的だし、藁にすがるよりは現実的だろう。
「七飯の七ちゃん? んーピンとこないなぁ。なんか見た目に、他の人とは違う特徴はないのかい? 右腕だけ異様にデカいとか、下半身がキャタピラだとか」
「あんたも読んだんかい! そしてそれ他の人と違うってかそもそも人じゃないよ!」
そんな奴らが先輩にいたんだとしたら、僕らは七不思議の調査なんてヌルいことやってる場合じゃない、そっちを優先して調べるべきだ。
なんなんだ? 僕と会話する人間はみんな定期的にボケないと死ぬ呪いにでもかかってんのか? てかその場合、本当に呪われてるのはもしかしたら僕か?
笑いは人間関係の潤滑油だが、油だけにスベることだってあるんだぞ?
おばちゃんを見ると、僕のツッコミにひとまずの納得を示すようにこくこくと頷いていた。ボケたがる輩ってのは老若男女、世話が焼けるよ。
「あ、でも……そうか。人と違うといえば、もしかしたらいつもそばにトドメちゃんがいたかもしれないです。愛冠先生」
人と違うというワードで思い当たってしまい若干心苦しいが、この程度は二、三歩歩けば忘れるくらいの感情だろう。
「愛冠先生? あーはいはい! 七ちゃんって、いつもあの子の横にいた子かい? あのキリッとした、ポニーテールの」
記憶のサルベージに成功したおばちゃんが、パチンと柏手を打つ。
「あ、多分それです」
当時の髪型もポニーテールとは初耳だが、あんな人の横でキリッとできるのは心をしっかり保てるツッコミ気質の人間だけだから、それはおそらく七さんでいいだろう。
「で、その七ちゃんがどうしたのさ」
「あ、えーっと……」
そういえばなにを訊けばいいのだろうか。七さんって人殺したことありましたっけ? なんてまさか訊けないし。
まぁここは無難に、
「七さんって、学生時代はどんな人でした?」
僕の質問に、おばちゃんの視線が左上に滑る。
「そうだねぇ、正直なところよく覚えてないね。取り立てて言えることもないくらいの印象だわ。なんせトドメが目立ちすぎてたから」
「先生ってそんなに目立ってたんですか?」
あのナリと性格じゃあ仕方がないかもしれないけどな。もしかして当時はもっとちっちゃかったのかな?
「目立つというか、際立つというかね。なんせあの顔であのサイズでしょう? お人形さんみたいだったよ。いつもだっさいリュック背負ってたけどね。耳ついた」
「へー」
悪目立ちじゃなかったのか。そういえば七さんも先生は大人気だったとか言ってたし、当時は今ほどすっとこどっこいでもなかったのかな。
惜しい人を亡くしたな。そんな先生もぜひ見てみたかった。今じゃメッキも化けの皮も剥がれて、粗が目立つばかりだ。
「悪いね、たいして覚えてなくてさ」
「いえいえ、とんでもないです。七さんとは少し親交があって、ちょっと興味本位で訊いてみただけですから」
売り場で頬杖をつくおばちゃんが「ふーん」なんて、疑惑の視線を送ってくる。これはきっと、惚れた腫れたの勘ぐりだろう。女性ってのは幾つになっても色恋に目がないらしい。もちろん例外はいるけれど。
「手間かけました」
そう告げて、再度購買を背にして歩き出す。 おばちゃんの返事は聞こえなかったが、初々しい高校生と大人の恋を頭の中で展開させているのだろうと判断して、そのまま体育館へと向かった。
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