罪と野獣と美女と罰 第10話




 その後ご両親が帰ってくると、長身を頼られての電球交換やら荷下しやらを済ませてるうちにあれよあれよとご相伴に預かる運びとなり、満腹となって智則くん一家と別れた。

 ケルベロスとは最終的にとても仲良くなり、「この子たちが家族以外に懐くなんて」という男ならば一度は言われてみたい言葉をかけられてお土産までもらう始末。

 ご両親にもなぜか相当気に入られたようで、「おかわりするザマス」とか「うちに勤めるか?」などの甘美な台詞が食卓を飛び交った。もしかしたら僕の進路が鉄板焼き屋以外にも広がったかもしれない。

 溶けてジャリジャリになった歩道の雪を疎みながら、左手のお土産をぶらつかせて歩く。

 将来の展望は開けたみたいだけど、謎の調査は混迷の様相を呈してきた。

 テスト用紙に隠された、『赤い服の美女』と『殺人犯の名前は七』の文字。これらはもちろん智則くんが書いたもので、おそらく間に合わせの備忘録であろう。

 常日頃から小説のことを考えていた智則くんはあの理不尽なテストを満点を取るくらいにさらりとこなし、余った時間を利用して次回作の構想を練り始めた。

 考えていたのはもちろん、記憶をなくした智則くんが先ほどまだ決まっていないと述べていた、登場人物の名前。全体のプロットもそうだけど、書き始めるにはキャラの名前も重要だろうからな。

 そんなことを考えていた彼の目に留まったのが、今まで解いていたテストの問題文。

 テストには複数回、『狼と七匹の子山羊』という言葉が登場していた。それを目にした智則くんはそこから『七』の字を拝借し、『しち』を『なな』に変えて名前に使用することに思い至ったのだ。

 いくらトドメちゃんのテストとはいえテストはテスト。彼にネタ帳なんてものがあるのかどうかはわからないが、いずれにせよカバンや引き出しを漁るような怪しい動きをするわけにもいかなかった智則くんは、止むを得ずテスト用紙の空白にそのアイデアを書き記した。

 これが、テスト用紙に『赤い服の美女』と『殺人犯の名前は七』が書かれた経緯であろう。 問題はここから。

 テストを回収してアホ面で採点を行った先生は、智則くんのテスト用紙を見てあのクリクリとした目をさらに見開いたはずだ。

 紙の上の『殺人犯の名前は七』という文字。ありふれた奈々ならまだわかるが、漢数字の七という名前は珍しい。先生は自然とこれを同級生の七さんにあてはめ、さらには『赤い服の美女』という文字から、その殺人は例の老人の事件だと確信した。

 そしてその後、先生は自身の作った問題よりもよっぽど問題だと判断したその箇所を破り取り、隠蔽を図った。ご丁寧に記憶までも引きちぎって。

 バカ二人が織りなす記憶喪失事件。記憶の強奪方法にはなんとなくの見当がつくが、今大事なのは手段ではなく動機。

 だっておかしいだろう。『殺人犯の名前は七』の文字を目にして、その痕跡を必死に隠滅する。それじゃあまるで、七さんが本当に例のクソジジイを殺した犯人みたいじゃないか。

 ともすれば、先生が共犯という線だって十二分にありうる。

 昨日の今日。昼休みに交わした僕との会話はとてもタイムリーで衝撃的だったはずだろうに、先生はそんな素振りは全く見せなかったと思う。


「うーん……」


 ダメだ。振り返ろうと試みるも、数々のボケが邪魔をして先生の細かい所作なんてとても思い出せない。


「まいったね」


 冬の澄んだ満天の星空を仰いで思索に耽る。

 僕は昔から、物語の中の名探偵って輩が嫌いだった。

 権利も義務もなく謎を食い散らかし、全ての真実をみだりに白日のもとに不法投棄する門外漢。

 殺された者の悪辣非道な過去を考慮せず、殺した者の凄惨な過去を憂慮しないその所業は、僕の目にはいつも悪として映っていた。

 厚顔無恥としか思えない揚々とした態度で得意になって関係者を集め、例えば家族を悪漢から守るために止むを得ず罪を犯した者、例えば愛する人を凶漢から守るために仕方なく人を殺めた者に向けて、恥ずかしげもなく人差し指を突き出す。

 殺された者が人後に落ちないクソ野郎だったとしても、その謎解きのスタンスに変わりはない。

 探偵って奴らはいつだって謎解きに目がくらんで、本当に不幸な人間の前ではしゃぎまわる。   

 だから僕は昔から、そんな物語の中の名探偵って輩が嫌いだった。

 車のライトが網膜を叩き、自然と眉間にしわが寄る。

 では僕が、蛇蝎だかつの如く名探偵を嫌うこの僕が、今やるべきことはなんだろう。 

 必ずやらなければいけないことは二つある。

 一つ目は、巨木の謎を完膚なきまでに解き明かすこと。それにより、謎解きを楽しむという僕らの願望と、果奈の嫌う謎の匂いを断つことができる。

 そして二つ目。もっともこれは七さんと先生が本当に事件に関わっていればの話だが、僕のやるべきことは奇しくも先生と同じで、隠蔽だ。

 僕らは暗々のうちに謎を嗅ぎつけ、嬉々として喰らう。

 得てして、周囲を巻き込んで。

 その謎の答えが、およそつまびらかにしてはいけないものであったとしても。

 僕らの大好きな謎解きという娯楽はいつだって、誰かの秘密に手を突っ込んでかき回しているようなもの。それも下品に不躾に、ぐちゃぐちゃにだ。

 もちろん果奈と里々はそんな無作法も厭わないだろうし、なんならそんな性格こそがまさしく、僕が二人に惹かれた理由かもしれない。だから僕は二人にはそのままでいてほしいし、二人が変わってしまうのが怖いんだ。

 あの二人とて、自分たちが食い散らかした謎の残骸によって苦しむ人を目の当たりにすれば、足が止まるかもしれない。二人の足が止まり、心が止まった先に待っている光景は、周囲の目を恐れて気もそぞろに漫画を読む果奈や、人見知りでオロオロする黒髪痩躯の里々という可能性だってある。

 外気と想像のダブルパンチが体を震わせ、常闇の恐怖が足元に垂れ込める。

 変わり果てた二人との学生生活なんてごめんだし、だからといって二人の我を引っ込ませるのも違う。そしてなにより、謎解きによるコラテラルダメージを最小限にとどめたい。

 だからこそ僕は暗躍しなければならない。

 できれば誰の古傷も開かぬよう、誰のかさぶたにも触れぬように内々に処理できるのが最良。もちろん、あちらも立ててこちらも立てるなんてのは少し都合が良すぎるから、落とし所をうまく探さなければいけないだろうけど。

 やらなければいけないことの大変さと自分の身勝手さに呆れて、自然と頬が緩んだ。

 二人のキャラクターを守るため。巻き込まれるであろう人たちを守るため。そんな聞こえのいい言葉を並べ立てたところで結局のところは徹頭徹尾、全ては自分の欲望のためなのだ。

 振り返ることを知らない果奈と里々の後ろを歩み、こぼれ落ちる真実を拾い集める僕の求めるもの。

 とどまるところを知らない果奈と里々のボケにツッコみ続ける僕の求めるもの。

 それのためなら僕は……。

 陽のあたらない細道に永久凍土のように重なる氷を力強く踏みしめると、亀裂が大きく四方に走る。

 そこにはもう、恐怖や不安なんてものは微塵も残っていなかった。



 幾度目かの角を無意識に左に折れたところ、急に視界が明るく開ける。

 顔を上げると、そこには地域密着に特化した、オレンジ色に輝くみんな大好きコンビニエンスストア。

 考え事をするなら歩きながらだろうと徒歩で帰路を進んでいたわけだけど、帰巣本能ってのはこんな時でも機能するらしく、気づけばここはもう家の近所だった。

 あとは明日だな。家に帰ればあの姉がいるから。

 ゲームをしながら次のゲームの発売日を待つ自堕落な姉は、色々と持て余した大学生。家に帰るなり二人でババ抜きだったり二人で人狼だったりを強要されて、考え事なんてとてもとても。まかり間違っても、あいつに謎解きの相談なんてできるわけがないし。


「そういえば、お土産ってなんだこれ」


 コンビニの前で、そろそろ邪魔くさくなってきた左手のお土産に気が移る。かじかむ手をこらえながら紙袋を左右に大きく開き、気持ち悪い色のなにかでないことを祈りながら中を確認する。

 お菓子と……、これは本か。

 袋の中には、僕でも知ってるくらいに有名な高級菓子の箱と、文庫本サイズの小説が一冊。 手に取るとタイトルは『脳プロブレム〜弔いの豚〜』で、作者は宗谷智則とある。

 なんと。智則くんの小説は製本されてたのか。


「おいおい」


 よく見ると、本の下部に巻かれた帯に『こんな恋愛をしてみたかった!』という推薦文と、『岸川高等学校教諭、愛冠トドメ(独身)』の名前が印刷されていた。

 まったく……。本当に、どこまでも楽しませてくれる人だよ。

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