罪と野獣と美女と罰 第9話
「その事件は今から十三年前の冬に起きたもので、当時は局地的にとても話題になった事件なんです。殺されたのは一人暮らしのおじいさんだったんですけど、この人がなかなかの曲者でして」
「曲者?」
「はい。近所じゃ有名だったんですよ。身寄りもなく、ゴミ屋敷にたった一人で住んでいたその老人は、会う人会う人を面罵しながら町を練り歩くような、まさしくクソ野郎だったんです。そんな人だから、恨みを持っていた人間は山ほどいたはずですよ。実際、警察は結構な数の人間を取り調べたと聞きました。でも、ついぞ犯人は見つからなかったんです。証拠過多じゃなくって容疑者過多ですよ。昔の殺人事件は親族と向こう三軒両隣を調べれば犯人は見つかったと聞きますから、未解決も頷けます。どこにも監視カメラがないという時代と、毎日雪が降りしきる冬という季節も犯人に味方したようですね。無益な取り調べに時間を割くうちに大事な証拠は雪に埋まって、やがて一緒に解けてしまったんです」
そこまで話すと、本棚に詰め寄った智則くんが『赤い服の美女』と書かれた付箋を引き剥がした。 階下から番犬たちの甲高い遠吠えが届いて、智則くんの目線が一瞬だけブレる。
「この赤い服の美女は、その事件が起きてすぐにうちの学校で流行ったくだらない流説なんです。そして僕はこの流説、この都市伝説上のキャラクターを、実際の殺人事件の真犯人に据えた話を考えてるというわけなんです。まだ登場人物の名前も決まってないくらいに全然なんですけどね」
言い終えたと同時に再度ケルベロスの女々しい雄叫びが遠くで響き、智則くんが顔を歪めて頭を押さえた。
「あ、そうかご飯だ。晩ご飯の時間忘れてました! ちょっとあげてきますね」
そう言って短兵急にドアへと向かう智則くんの背中に僕は、
「その前にさ、赤い服の美女の話って誰から聞いたの?」
「あ、それは姉からです」
おざなりに答えた智則くんは、そのまま小走りで部屋を飛び出した。
姉から聞いたって、お姉さんはどうして赤い服の美女という都市伝説を知ってたのだろう。 オカルト好きでたまたま美女の話も少女の話も両方記憶に残っていたのか、それとも七さんみたいに赤い服の少女の話が出る頃には学校に行ってなかったのか。
いずれにせよ、お姉さんは先生たちと同じ時代にうちの高校に通ってたってことだな。
「赤い服の美女が殺人犯ね……」
広い部屋でポツンと立ち尽くすのが寂しくなり、壁に向かって言葉を投げかける。
偶然にも僕と同じ結論に至った智則くん。だが過程が違う故に、彼がフィクションと捉えた赤い服の美女を僕はノンフィクションだと確信している。その点が彼と僕の唯一の、そして決定的な違い。
そしてこの違いはきっとそのまま、僕らの置かれた環境だったり立場だったりを示していると思う。
悔しいが、先生の話した意味のわからないあみだくじ理論が頭にちらついた。
ちらついたけど、さっきの智則くんの話だけでは僕のあみだが左右に移動した実感が湧かない。新しく得た情報といえば、被害者が痴れ者だったことと事件のざっくりとしたあらまし。とてもじゃないが満足できる内容ではない。
やはり僕らの求めているもの、僕らをあらぬ方向へと導くあみだの横線は、欠落した彼の記憶の中にあるようだ。
あらためてデスク周りを吟味する。
机の上には『左利きの猿』や『モッキンバード』などと書かれた付箋。パソコン周りには『二度目の仏の顔』や『燃える氷』などと書かれた付箋。そして本棚には『暴言より方言』や『かさぶたのふりかけ』などと書かれた付箋が貼られている。
一体全体これらの単語にどんな意味があるんだ? それっぽい言葉だけ並べて、実は意味なんてないんじゃないのか?
「なにか記憶喪失に繋がりそうなものは……んっ? こっ、これは!」
めげずに本棚周辺を無礼に引っ掻き回していたところ、赤い服の美女なんて目じゃないくらいの衝撃が身に降りかかる。
エロ本だ! 一目でそれとわかる背表紙が本棚の端に収まっている!
電波が飛び交うペーパーレス時代、紙媒体でしか味わえないあのえもいわれぬ愉悦を彼は知っているのだ。
背表紙には、『月刊わっしょいポロリン倶楽部』とある。わっしょいだと? なんてこった。智則くんはなんて男らしいんだ。
僕の心には、彼が小説で賞を受けたと聞いたときよりも数倍大きい賛嘆の心が湧き上がっていた。
「どれどれ」
謎解きの真っ最中にあの果奈と里々が、ヒントが転がっているかもしれないこの家に来ないなんておかしいと思ったんだ。だが理由がわかった。理由はこの『月刊わっしょいポロリン倶楽部』だ。
全ての道はここに通じ、僕のあみだくじの終着点はここだったのだ。
白と黒の影もなく、智則くんは階下。世界が僕に、この本を手に取れと囁いている。
チラっとドアを警戒してから、僕はだだっ広い部屋の端で本棚にそろりと腕を伸ばし、目当ての本を掴んだ。
くっ、ギチギチに詰まってやがる。
だが僕は諦めない。僕の筋肉はこのために存在するはずだ。それに、苦労して見つけたお宝を前にして掴み取らないバカがどこに……まぁ一人心当たりあるけど、今はそんなことどうでもいい。引き抜くぞ!
「こ、これは……」
僕の目に飛び込んできたのは、世の有毒動物がそうであるように私は毒を持っていますよとアピールするかのようなケバケバしい色合いの表紙。
中央に坐するは
そして一際目を引いたのは、『一冊丸ごと! 葛飾北斎大特集!』という逞しい筆文字だった。
「ぅわっしょーいっっ!!」
僕の筋肉はこのために存在していたのだと思えるくらいの勢いで『月刊わっしょいポロリン倶楽部』を床に叩きつける。
「ゴリゴリの春画じゃねーか! 感性が追いつかねーよ!」
床の上で開かれたページには、面長で見透かしたような一重の女性と共に『鉄棒ぬらぬら先生の軌跡』という文字が躍っている。
「やべっ」
誌上の女性と目が合って我に返る。あ、待てよ? というかこれは資料か。智則くんの前作の参考資料だ。
「ん?」
文字通り肩を落としながら拾い上げた本を棚に力ずくで納めたちょうどその時、紙切れが二枚重なって床に落ちていることに気がついた。そのうちの一枚は長方形でも正方形でもなく、端がショートケーキ一つ分くらいの範囲で乱暴に破られている。
本を引き抜いた時か本を叩きつけた時にどこかから落ちてきたであろうそのわら半紙は、よく見るとトドメちゃんが作った例のテスト用紙であった。
再度かがんでテスト用紙を手に取ると、智則くんが給餌を終えて戻ってきた。
「お待たせしました。今、少し揺れませんでした? この間の余震ですかね」
僕の怒りは豪邸を揺るがすほどのエネルギーを持っていたようだ。
「それ、なに持ってるんですか?」
「これ? さっきの……地震でどっかから落ちてきてさ。テスト用紙だよ」
飄々と話を合わせ、用紙に目を落とす。
満点だ。記憶をなくした恥ずかしい奴のくせに満点だよ。
ほーなるほど。『お腹を切り裂かれて小石を詰められている時の狼の気持ちを答えなさい』の正答は、『狼は寝ていたからその時のことを覚えていない』だったのか。
「ところでなんでここんとこ破れてるの? テストの内容にムカついたの?」
当然の疑問をぶつけてみる。
「それがわからないんですよ。そのテストを受けたのも返却されたのも昨日らしいんで。まぁ全問正解だったから万事オーケーですけどね」
呑気に言い放ち、智則くんの親指が天を向いた。噛む様子はないので喧嘩は売られていないようだ。
「へー」
なるべく感情が表に出ないよう気持ちを整えて、平坦に答えてみる。だって思わずツッコみそうだったから。
智則くんはアホ面で万事オーケーだと言うが、そんなはずないだろう。記憶のない日に受けたテストの用紙が破れているんだぞ? 普通、疑うだろう。なにかを疑って然るべきだろう。
破れているのは一枚目の右下。果奈が人面狼ウルフワンとやらで理外の減点を喰らった、問題が印字されていない空白の部分。
もしこれがなにかを隠して破られているのだとすれば……。
「いや、まさかな」
智則くんにはさとられないように、もう一枚の破れていない方の紙を光源の下に晒してみる。
そこまで甘くはないだろうと思いながらも、わずかな可能性を頼りに紙の角度を調整して本来そこにあるはずのないものを探す。
数秒経ち、クソみたいな問題文や空白を彷徨っていた焦点がなにかに固定された。
それは、筆圧により押しつぶされた紙のダメージ。それは、破れた箇所に書き込まれたであろう文字の残滓。
…………。
「先生もドジだな」
智則くんに聞かれないよう、口の中だけで呟いた。
そして僕は二枚の紙を机の上にそっと置き、
「まだ赤い服の美女の、次の小説に出てくる殺人犯の名前決まってないって言ってたよな?」
「え? あ、はい、まだどのキャラも名前は決まってませんね。なかなかしっくりくるのがなくて」
「じゃあさ、『なな』ってのはどうかな? 奈良の奈を繰り返して、
「奈々……。いいですね! 響きがぴったりです!」
「それはなにより」
おそらく失った昨日も見せたであろうえびす顔で、ピンクの付箋に『奈々』と書き込む智則くん。 そりゃあ響きは気に入るだろうよ。なんたって、その名前は昨日のお前が思いついたものなんだからな。
ありきたりな、恥ずかしくなるくらい古典的な方法で視認できた文章は二つ。
一つは『赤い服の美女』
そしてもう一つは、『殺人犯の名前は
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