罪と野獣と美女と罰 第8話




 すっかり日も落ちて久しい午後六時。

 閑静なベッドタウンとして知られる真駒外まこまがいの、とあるドデカい家の前でタクシーを降りる。

 周囲はどうやら老人ホームが乱立しており、治安が良いのか悪いのかはよくわからなかった。 タクシーはとても楽だったけど、智則くんのコートの気持ち悪い色に気づいた運転手さんが、目をこする度に国からお金を貰えるのかなってくらい目をこすりながら運転していたので、道中は気が気でなかった。

 焦らず慎重がモットーであるカメさんマークのタクシーを見送りつつフードを脱いで、豪邸の全容を捉えるようにして顔を上げる。


「どうなることやら」


 果奈と里々の二人には、智則くんが快く用意してくれた十五分プラスアルファの時間をもって、僕が昼休みに苦心してトドメちゃんから獲得した赤い服の少女と美女に関する情報を臨場感たっぷりに提供した。

 だが非情なことに、息も切れ切れ説明してぐったりとした僕に二人から返ってきた台詞はそれぞれ、「エロイーザさんて、すごくすごい名前ね」と、「少女とか美女とかもうわけわかんない。わやややこし!」であった。

 予想以上に芳しくない反応だったがそのあとに続いた言葉はもっと衝撃で、「よくよく考えてみたら、初めて殿方の家に行くなんていう一大イベントを智則くんの家なんかで消化したくないわね」と、「あ、それは確かに。じゃあ空音に任せちゃおっか。ほら、心配ならこのおやつ持ってっていいから。わや寛大」であった。

 そんなわけで僕の横には智則くんが一人で立っており、ポケットには個別包装のチョコパイが一つ入っている。

 肝心の果奈が来なくてどうすんだとも思ったが、好都合といえば好都合ではあるか。 


「大きな家だな。ご両親はなにか悪いことでも?」


 背丈を大きく越える門扉をくぐりながら、横の影に言葉をかける。


「普通の会社経営ですよ。悪いことは……多分してないと思います」


「へー」


 訊いてみたものの、過ぎた日の星座占いくらい興味がなかった。

 これまた大きな玄関を開けて「どうぞ」と促した智則くんに続いて家に入ると同時に、奥から小さな毛の塊が三つ飛び出してきた。


「ただいまー! よしよし」


 もさもさと智則くんに集まる毛玉たち。ちぎれんばかりに尻尾を振りながら、井戸に落とされた罪人のように、気持ち悪い色のコートの裾を掻きむしっている。

 こいつらがコートの匂いの主か。


「めんこいなぁ」


「わかります? 空音さんも犬派ですか? ドッグ、オアキャット?」


 野蛮人の機内食かな?


「僕は犬も猫も大好きだよ」


「中立派ですか。僕はご覧の通り犬派で、この白いのが『ケル』で黒いのが『ベロ』、茶色いのが『スー』です」


 ずいぶんと可愛い地獄の番犬であった。


「ポメラニアンって犬種なんですけど、知ってます?」


 ナチュラルに馬鹿にしてくる智則くんであるが、生憎僕はポメラニアンという名前がポメラニア地方にあやかって付けられたってくらいの知識はある。ポメラニア地方がどこにあるのかまでは知らないけれど。


「僕も触れるか?」


 しゃがみこみ、犬たちと目線の高さを近づける。


「多分無理ですね。正気じゃないんで」


「正気じゃないの!? 狂犬病!?」


「いえ、注射はちゃんと打ってますけど、ポメラニアンって臆病で喧嘩っ早くてあまり他人に懐かないんですよ。うちのは特に人一倍落ち着きがなくて」


 それを言うなら犬一倍だろう。

 試しに手の甲を上にしてスーの鼻先に持って行くが、すぐに歯茎を見せ始めたのですかさず引っ込めた。小さいながらも、地獄の番犬の名は伊達じゃないらしい。


「どうぞ。日本式なんで、ここではきものを脱いでください」


 外国人の来客が多いのかボケなのか、教科書で読んだことはあるが耳にするのは初めてな台詞が飛んできた。打ち解けてきたってことでいいのかな?

 若干面食らいながらも靴を脱ぎ、あてがわれたふかふかのスリッパに足を滑らす。


「家の人は?」


「いないみたいですね。両親共働きなんで、いつも帰り遅いんですよ」


 そんな状況は是非とも女性の家で発生して欲しかったよ。


「部屋は二階です」


 土間から正面に見えていた幅の広い階段を上る智則くんに追従する。チビたちは体格的に階段を上がれないらしく、階下で恨めしそうに僕を見上げていた。

 踊り場にかけられたモザイク画を横目に二階へ上がり、廊下を進んだ突き当たりの部屋が智則くんの部屋だった。

 ドアには『智則』と書かれた変な色のボードがぶら下がってるので、たとえ文字が読めなかったとしても部屋の主は自ずと知れるだろう。産まれたばかりの赤子でさえ、『ココダ』と指を差すかもしれない。


「これは……」


 んにーっと、怪談で耳にするような音を伴って開け放たれたドアの奥を見て、僕はガタガタと膝を震わせる。汗もダラダラで、だらしなく開いた口は二度と閉じないかもしれない。もちろん嘘である。特筆すべきがなかったもんで。

 目算で六畳の倍以上ありそうな部屋は開放感が半端ではないが、いかんせん調度品が窓際に配置された勉強机と本棚しかないため、物寂しさが漂っている。

 ここはとても広い部屋で、どこか悲しい部屋であった。

 部屋全体の色調も白がメインで、こんな簡素な部屋に住んでいる奴がどうしてこんな外套を羽織っているのか理解できない。

 そうこうしてるうちに気持ち悪い色のコートを脱いだ智則くんが、クローゼットを開けてそれをハンガーに丁寧に掛ける。クローゼットの中には地獄があるのならこんな景色なんだろうなと思わせる世界が広がっていて、色とりどりのサイケデリックな服が、大陸へ輸送される奴隷たちのようにぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。取り繕った大国の縮図みたいな部屋だな。


「うわっ、なにこれ」


 彼を傷つけずにツッコむのは不可能だと判断して目を背けた先。そこに置かれた大きめの勉強机には、天板はもちろん、幕板、引き出し、果ては脚に至るまで、おびただしい数の付箋が無造作に貼り付けられていた。

 さらにその付箋群は机の中央に置かれたラップトップパソコンや隣の本棚にも所狭しと貼られており、その全てに謎の単語が書き記されている。

 ピンク、黄、青。無数に散らばる色とりどりの付箋に書かれたその内容は『過保護なドジっ子ナース』だったり『半時計回りのオルゴール』だったりで、滅茶苦茶というか支離滅裂というか、ちょっと部屋に上がったことを後悔させるものばかりだった。パソコンの左上に貼られた『イヌイットの価値観』なんて、どことなく宗教の香り。


「これ、なに?」


 念のため、智則くんに背中を晒さないように一歩引く。


「これって、付箋ですか? これはネタです。僕、小説を書いてるんですよ。だから家でも学校でも、思いついたらなんでもすぐにメモするんです。忘れちゃったりでもしたら困りますから」


「忘れちゃったりってお前が言う……って小説? 小説ってもしかしてあれか?」


 そうか。僕は智則くんを見たことがあったんだ。

 根雪が目立ち始めた先月のある日。予定にない全校集会が催されて、主役は一人の男子生徒だった。

 その集会の趣旨は確か、地域で取り仕切られている文学の賞を本校の生徒が史上二番目の若さで貰い受けたという、規模的にも功績的にも中途半端なものだったと思う。

 生徒の列の中、長い槍を持ってその場で繰り返しジャンプしてた果奈が教師たちに連行されていった事件のせいでよくは覚えてないけど、だいたいそんな感じだったはずだ。


「あの集会で表彰されてたのは智則くんだったのか」


「そうですそうです。いやー恥ずかしいですね」


 まんざらでもない様子の智則くん。僕は賞を貰ったことことなんて人生で一度もないけど、形を伴って誰かにはっきりと認められるってのは、さぞかし良い気分なんだろうな。

 変身を残してるかもとは思ってたけど、まさか文才とは。枕詞にすっかり騙されたよ。

 乱雑に貼られた付箋からはどんなジャンルの小説を書いているのか全く読み取れなかったが、努力しているだろうことは想像に難くなかった。


「よく賞なんて取れたね。どんな話なの?」


「学生同士の恋愛小説です。浮世絵を描いてる平凡な男子生徒と、下半身にキャタピラついてる平凡な女子生徒の話です」


「よく賞なんて取れたね!? どんな話なの!?」


 なんだよそのテーマ。シェイクスピアですら筆を折るだろ。

 応募が一件だったのか? 審査員たちの下半身にもキャタピラついてない限り、票なんて集まらないだろ。

 いやもしかするとこの智則くんは、不利な題材を吹き飛ばすくらいに美しい文章を書くのかもしれない。

 本棚には純粋な読み物だけじゃなくて執筆の入門書なんかもいくつか並んでるから、どうやらしっかりと物書きのなんたるかは学んでるようだし。


「あ、これ……えっ?」


 本棚の縁に貼られたピンクの付箋。そこに書かれた文字を見て、毛が逆立つ。


「赤い服の……?」


 どうしてこいつの家の付箋に赤い服の美女という言葉が書かれてるんだ?

 赤い服の少女ならまだ理解できる。今現在、岸川高校で流布している七不思議は赤い服の少女なんだからな。でもここに書かれた赤い服の美女ってのは先生の話からすると、十数年前にいっとき流行っただけの早世の都市伝説だったはずだ。

 いや待て待て、どうだろう。一般的に赤い服の美女とは、単に赤色の服を着た綺麗な女の人なんじゃないか? もしかしたら字面だけでムラムラするために付箋に書き記したって可能性もある。世の中にはナポリタンやエニグマという単語に萌えを覚える人間だっていると聞くから、そのくらい智則くんなら朝飯前だろう。


「この、『赤い服の美女』ってなに?」


 素直にストレートに、今晩の食事を尋ねるようにして問う。


「赤い服の美女ですか? いいところに気づきますね。実は今、昔この地域で実際に起きた殺人事件を題材にした小説の執筆を考えてるんですよ」


 アンクル・サムのように突き出した人差し指を僕に向ける智則くん。格好いいを履き違えるとこうなるんだぞということを身を呈して教えてくれていた。


「殺人事件……」


 とぼけたように口にするが、その実、僕の頭の中には百福での先生たちとの会話が鮮明に思い出されていた。

 やっぱりそうなるよな。この流れで偶然のわけがない。

 智則くんという存在を介して果奈の元に舞い降りたヒントも、どうやら僕の元に届いたそれと同じで赤い服の美女に関するものだったようだ。

 巨木の謎を知りたければまずは赤い服の美女だとでも言わんばかりに、世界が僕らに赤い服の美女の謎を解けと迫ってくる。

 まさか巨木の下に犯人の亡骸とか事件の第二の被害者とかが埋まってたりしないだろうな? この謎を解いた先では一体誰が得をして、誰が損をするんだろうか。

 とにかく今は、果奈がいないから耳で情報を集めてみるしかないな。


「その事件の犯人が赤い服の美女なのか?」


「実際のところは違うんですけど、そうですね。僕が今考えている小説のプロットだと犯人はその赤い服の美女なんです。実在する事件を作品に興すにあたって色々と調べて……長くなりますけど、いいですか?」


 是非もない。

 僕は静かに頷いてから、ポケットのチョコパイを取り出した。

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