罪と野獣と美女と罰 第6話




 部室。コタツの中。

 四角く見える外の天気は相変わらず快晴。なれど、冬は放射冷却がどーのこーので雲がない方が寒かったりもするみたいで、日差しが届かないところでは今日も今日とて肌が痛い。


「もう放課後か」


 生徒たちを救い出すために校舎に鳴り響くチャイムを耳にして、天井に声をぶつける。

 授業の途中で教室に割り込む勇気が湧かなかった僕は結局、五時間目どころか六時間目の歴史の授業までも音速でぶっちぎり、コタツでぬくぬくと放課後を迎えてしまった。

 古きをたずねて新しきを知る機会を逃したのはいささか心苦しかったが、サボったおかげでこの二日間という極めて狭い範囲の歴史を見つめ直す時間はたっぷりとれた。

 昨日の部室で果奈が口にした、『ブランド物のお皿の上に偽物のコーヒーカップ』という言葉の意味。

 昼休みの会話に照らし合わせると、どうやらブランド物のお皿は『赤い服の美女』で、偽物のコーヒーカップは『赤い服の少女』ということだったようだ。

 少女の方は勘違いから生まれた噂話なのだから、偽物だということは理解できる。なにせ元ネタがただの通りすがりの先生だからな。

 だが美女の方はどうだ。先生は根も葉もなく芽吹いた自然発生的な都市伝説と言ったけど、果奈にしてみればこちらが本物であり、本命だ。意見が対立しているじゃないか。

 ここで問題なのは、先生と果奈のどちらを信じればいいかではない。

 先生と果奈では、上になにが載るにせよ天秤はいつも果奈の方に傾くから、僕が信じるのは当然果奈だ。だから僕は赤い服の美女という都市伝説がただの噂ではなく、なにかしらの意味を持っていることを疑わない。

 ではなにが問題か。

 ここで僕が問題視するのは、七さんが語ってくれた『赤い服の美女』の内容。

 返り血で赤く彩られたコート。

 血を求めて彷徨う。

 物騒なワードが、腹を壊しそうなほどにてんこ盛り。

 そしてこんな血なまぐさい都市伝説がブランド物、本物ということはだ。可能な限り甘く見積もったところで無視できない可能性が浮上する。

 だってこの都市伝説の土台は例の未解決殺人事件。となると、どう考えてもこの赤い服の美女その人が、殺人事件の犯人じゃないか。

 そしてそれはそのまま、今回僕らがヘラヘラと臨んでいる謎解きの過程もしくはゴールに、『殺人犯の特定』というイベントが組み込まれたことを意味する。

 そう、果奈の嗅ぎつけたこの謎は、迷子の子犬探しもパートナーの不倫調査も飛び越えて、未解決殺人事件のクローズという段階にまで至ったのだ。

 僕たちは別に刑事部捜査一課ではないし、名探偵部ですらないというのに。


「はぁーっ……」


 嘆息をしても一人。チッ、チッ、という時計の音が煩わしかった。

 猿の手のように僕らの願いを叶えようとする果奈の謎媒なぞばい体質。確かに僕は刺激的な学生生活を願ってはいたが、人死にはさすがにやりすぎではないだろうか。

 もちろん僕の思い過ごしの線もある。夢見がちな高校生が、都合の良いように色々とこじつけて勝手に悲観しているだけかもしれない。


「でも、果奈だからなぁ」


 頭の中で、悪い顔をした果奈がケタケタと嗤っていた。

 いずれにせよ結論はまだ先だろう。トドメちゃんが言うところの、あみだくじの横線が足りない。


「でも、果奈だからなぁ」


 まだやってこない二人をわずらい、ドアを見つめながらまたしても一人寂しく呟く。 僕らをゆっくりと深淵に導くあみだの横線。足りないけれど、どうせすぐに揃ってしまうのだろう。僕にこれだけまとわりついてきたんだから、果奈の周りにはもっと濃い謎の残滓がこびりついているに違いない。

 手のひらを天に向けて大きく伸びをする。背骨の辺りでポキポキと小気味良い音が鳴るも、首筋を撫でる隙間風のせいで快感には浸れなかった。

 あーだこーだ考えて間違った道を進むより、今はあの二人が持ち寄る情報を待とう。

 しかし二人とも遅いな。あれこれ考えているうちに結構経ったぞ? 掃除当番か? 

 委員会なんて高尚なものとは無縁な僕らだから、放課後に時間をとられる用事といえばなにかの当番か呼び出しくらいだけど。


 時計の針が扇を描き、屋上からロープを垂らした二人が特殊部隊みたいに窓を蹴破って部屋に入ってきたら笑うなぁなんて考えていた時、ドアノブがゆっくりと捻られた。


「え、ドアの向こうが部室に繋がってる……」


 おそらく、『どこでもドアをくぐった』という恐ろしくわかりにくいボケとともに、ようやく果奈のお出ましである。確信が持てないからツッコミもままならねーよ。


「どうだった?」


 ボケをスルーして今日の釣果を早速問いかけるが、果奈はキョトンと首をかしげる。


「どうって、いつも通りよ。でも昼休みに少しお水飲みすぎたから、結構出たわね。蟻の巣くらいだったら一族郎党根絶やしよ」


「そんなこと訊いてねーよ!」


 僕のおしっこフェチ設定は、残念ながら日を跨いでしまっていたようだ。ドアの件に関してツッコミを浴びせなかったせいか、一つギアを上げたボケが飛び出してきてしまった。


「今ちょうどトイレに寄ってから来たところだもの、どうって訊かれたらそのことだと思うじゃない。恥かかせないでちょうだい」


 濃灰色のスカートをひらつかせてコタツの定位置に近づく果奈。断言するが、彼女はことボケるというモーションに関しては恥という概念なんて持ち合わせていない。


「おしっこの話じゃなくて、お前の大好きな謎の話だよ。果奈のところにはどんなピースがすり寄ってきたのかって訊いてんだよ」


 学生カバンを放り投げ、綺麗に靴を脱ぎ揃えてコタツに収まる果奈。マフラーに収まった髪を手の甲で滑らすようにして解放すると、こちらまで良い香りが漂ってきた。


「あぁ、空音の大好きなおしっこの話じゃなくて、謎の話ね。今日は特別な出来事はなにも訪れなかったわよ」


「なにも?」


「えぇ。それと勘違いしているようだから言っておくわ。あのね、確かに私はみんなで謎解きをするのは好きだけど、それ以上に謎の匂いが嫌いなのよ。消したいの。私に寄ってくる謎を跡形もなくね。最近は、ちょっとそのくっさい匂いもクセになってきてることは認めるけど、やっぱり基本的には嫌いだわ」


 指で両眉毛の外側を釣り上げ、今のキャラ設定の表情の乏しさを無理矢理カバーしながら語る果奈。

 こいつはいつだってふざけるから、事の深度が計れない。この性格に、この能力だ。今までつらいことも何度かあっただろう。


「あ、でもいつもと違うっていえば、昨日の国語のテストの件でトドメちゃんに呼び出されたわね」


 やっぱり呼び出されてやがった。教室の窓際で静かに本を読む姿はまさしく優等生のそれだが、その本はコミックだし本人のスペックは地を這ってるからな。まぁ、書物に貴賎はないのだけれど。


「僕のクラスでは今日だったよ。そのテスト」


 酷いテストだった。あのテスト内容で呼び出しなんて、する方もされる方もどうかしてるだろう。

 トドメちゃんは結構な頻度で小テストを実施する。それは別に、定期的にテストを行うことで勉強する習慣を身につけるとか緊張感を保つとかではなく、単に先生が楽できるからである。生徒と本音でぶつかる本人から直に聞いたのだから間違いない。


「だいたい、『童話、狼と七匹の子山羊で七番目の子山羊が隠れた場所は?』なんて言われてもわかるわけないじゃないの。そもそもどうして隠れてるかさえわからないわよ」


 やれやれといった風に片手で頬杖をつき、呆れ顔を作ってみせる果奈。

 そんな問題もあったな。教科書の本筋とは関係のない、授業中にたまにある先生の小話から出題される設問。授業中にちゃんと起きてたかを確かめるためのセクションだが、果奈は当然聞いてなかったみたいだ。新しいネタでも考えてたんだろうな。


「どうして隠れてるかって、タイトルでわかるだろ。狼から逃げてんだよ」


 ちなみに七番目の末っ子山羊は、大きな柱時計の中に隠れて難を逃れている。


「狼? 狼さんって、いつも童話でボコボコにされてる可哀想な雑魚でしょ? 狼さんみたいな弱い獣から逃げる必要あるの?」


「いやそれはだな……」


 ややこしい話であった。


「それにあの設問はどういうこと? 『お腹を切り裂かれて石を詰められている時の狼の気持ちを答えなさい』って、それは一体どういう状況なの? 狼さんも心配だし、そんな問題を作ったトドメちゃんも心配だわ。サイコよ」


 こめかみを中指でトントンしながら先生を哀れむ果奈。もっともな意見ではあるが、こいつに言われちゃ先生もおしまいだろう。


「それで、先生に呼び出されてなにを言われたんだ?」


「通院を勧められたわ」


「通院?」


「そうなのよ。トドメちゃんにも困ったものよね。隠れた場所の答えを『食肉コーナー』にして、狼さんの気持ちを、『これじゃあお腹が重くて、犬科なのに猫背になっちゃうよ(笑)。とほほ(泣)。ワオーン(鳴)』にしたのが気に入らなかったみたい」


「通院じゃなくて入院しろ!」


「なによ空音まで。もっと労わってくれてもいいじゃないの。私なんて通院勧められたばかりか、参考のためにテスト用紙の余白に描いた人面狼『ウルフワン』の絵にすら赤ペンで大きくバッテン書かれて、百点も引かれてたのよ?」


「あのテスト五十点満点だったよね!?」


 僕の迅速な反応に、柔らかい表情を返す果奈。

 相利共生。このような掛け合いにおけるツッコミの重要性を理解しいてるのは助かるけど、いつも身構えて会話をしなけりゃいけないこともついでにわかって欲しいものだ。

 そんな僕の心中なんてどこ吹く風と口元を綻ばせたままの果奈が、カバンから缶コーヒーを取り出してあおる。

 そういえば、缶コーヒーを飲む女性ってこいつ以外に見たことないな。


「飲む量、増えてきたか?」


 どこかで謎の匂いが強まるとその消臭作用にすがってなのか、果奈はブラックコーヒーを飲む機会が増える。気休め的なものだとは思うけど、ないよりはマシなのだろう。感覚的なことだから伝わりようがないけど、僕は少し心配だよ。


「あら気になる? 確かにコーヒーには利尿作用があるものね」


「決めたよ。僕はもう二度とお前の心配はしない」


「え、なにそれ急に。寂しい」


「うっせぇよ」


 コタツをはさみ、静かに流れる二人の時間。

 傍から見れば羨ましいのかもしれないが、コタツの上で飛び交う言葉は「ハブとマングースって、デブとパンケーキみたいなものでしょ?」とか、「あれはもはや腕毛の濃い人間じゃなくて、腕毛の薄いチンパンジーよ」だからな。たまには異性の好きな仕草の話とかしてみたいよ。


 心地よい沈黙がしばらく続いて、果奈がチラチラとこちらをうかがいながらほっぺ辺りで缶を傾ける小ボケに取り掛かろうとしたちょうどその時、ドア付近からのコンコンという音が耳に届いた。

 僕らの意識はすぐにドアのあちら側に向けられて、缶を持つ果奈の小指が折りたたまれる。  

 ノック? この部屋にノックをかます奴の見当がつかない。普通の人には見えない魔法の扉というわけではないが、外部の人間が気にもかけないという点ではそれに近い。

 果奈もどうやら僕と同じ気持ちだったようで、一生懸命鼻をクンクンさせてノックの主を探っていた。目を瞑っているのは、他の感覚を遮断した方が鼻が利くからだろうか。皮膚感覚も同じく断っているのだとすれば、もしかして今なら抱きついてもお咎めなしかもしれない。抱きしめて無反応だなんて死にたくなるだろうけど。


「里々ちゃんと、知らない人」


 果奈の鑑識が終わると同時に、ノックの返事を待ちきれなかったドアが悠々と軋み始めた。

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