罪と野獣と美女と罰 第5話



「どこから話したものか」


 慣れた所作で二本目のタバコに火をつけた先生が、咥えタバコで天を仰ぐ。 しばしの間が流れ、


「くそっ、やっぱりここからになるか」


 と続けた先生の口から吐き出された煙が僕らの間を揺蕩い、霧散した。


「昔、ここらで殺人事件が起きたことは知ってるか? 私が高校最後の年だったから……まぁ、数年前だ」


 十数年前だろうが。


「そんな事件知りませんよ」


 さっきまでスカートめくりの話でワイワイしてたと思ったら今度は殺人事件か。


「ほう、知らない? 未解決の事件でな。一人の独居老人が刺殺されたというあらましなんだが……まぁその辺はどうでもいいか。ここで言いたいのは、その事件が土台を成したということだ」


「土台……ですか?」


「そう、土台だ。下地と言い換えてもいい。噂やデマもそうだがな、都市伝説なんてものは、土台がしっかりしているほど加速度的に広まっていくんだよ。0から1より、1から2の方が容易いってことさ」


 先生の口元で形を残したまま燃焼したタバコの灰が、上手に灰皿に着地する。


「そして当時その殺人事件という土台に乗った都市伝説が、『赤い服の』だ」


「美女?」


 赤い服の、少女だろ? 先生曰く、自分にまつわる話とのことだから盛りやがったか?

 お好み焼きの最後の一切れを口に放り込み、歪な自己評価で七不思議のタイトルを改ざんした先生を訝しんでいたところ、おぼんを携えた七さんがパタパタとやってきた。


「はいよっ、食後のコーヒーね」


 ルンルンという音が聞こえてきそうな振る舞いでタイミングばっちりに食後のコーヒーを配膳しにきた七さんが、カップを置くとそのまま僕の隣に腰を落とす。テーブルに並べられたコーヒーカップの数は、なぜか三つであった。


「二人で難しい顔して、なんの話してるの?」


 客席ですっかりくつろぎ姿勢の七さんは、珍しく漫談以外の会話が繰り広げられていたこのテーブルの空気感が気になったようだ。僕らの表情を交互にうかがう顔が、変面のようにころころ変化して面白い。


「式はいつにするか話してたんだよ」


「なんの式だよ。葬式か? じゃなくて、うちの学校の七不思議の話をしてたんですよ。赤い服の……美女とか」


 美女の部分を強調して皮肉たっぷりに先生を見据えるも、「あぁ知ってる知ってる。懐かしいねそれ」という七さんの一言が、そんな僕の表情を間抜け顔へと仕立て直した。


「えっ、七さん知ってるんですか? 赤い服の、美女ですよ? 少女じゃなくて」


「少女? 赤い服の美女でしょ? 私たちが学生の頃に流行った都市伝説だよ。雪の降る夜、返り血で赤く彩られたコートを着た美女が、まだらに汚れたコートを醜く思って全身を真っ赤に染めようと血を求めて彷徨ってるとかなんとか。なまらおっかないよね」


 あら? ディティールまでしっかりしてる。直太郎くんの話と違うじゃないか。


「どうなってんの?」


 救いを求めて正面を見据えるとそこには、非常識な量の砂糖をコーヒーにドバドバと投げ込んでいる先生の姿。胃でも鍛えてるのだろうか。


「どうした少年。初めて炭酸を飲んだのっぺらぼうみたいな目をして」


「のっぺらぼうには目がないけど?」


「なんだ、少年は妖怪が好きなのか?」


「いやそっちの意味じゃ……」


 どいつもこいつも脊髄で話しやがる。牛歩よりも話が進まないよ。


「だから、どうなってんのって訊いてんですよ。赤い服の少女と、美女。どっちが正しいんですか?」


「どちらも正しいさ。もっとも、所詮都市伝説だからどちらも正しくないとも言えるがな」


「それはそうですけど、とりあえず順を追って話してくれません? 成り行きがさっぱりなんで。たまには教師らしいことしてくださいよ」


 こんな先生に教えを請うのは癪だが、降って湧いたチャンスだ。こればっかりは聞いて帰らないとあの二人に示しがつかない。

 僕のお願いを受け、不味そうに煙を吐き出す先生。教師のくせに説明するのは好きじゃないのだろうか。それとも単純に僕のことが好きじゃないのだろうか。


「つまりだ。さっき話した……アレが起きて、どこからともなく赤い服の美女という都市伝説が校内を駆け巡ったんだ。火にかけられたポップコーンみたいにな。ここまではわかるか?」


「ここまではって、使いどころ早すぎるでしょ。わかるわそのくらい」


 観念したように口を開いたトドメちゃんであったが、そこはやはりトドメちゃん。黙って聞いていられるほどの丁寧な説明はしてくれないようだった。


「そうか? 少年ならもしやと思ったのだが、まぁわかってるならいいか。えーと、それでどこまで話したっけ? 赤信号の横断歩道で待ってる時に、青信号の時に流れる音を口笛で吹いたら横でスマホいじってる人くらい殺せそうだよね、ってとこだっけ?」


「なんだよその完全バカの犯罪は。赤い服の美女っていう都市伝説が流行って、ってとこですよこのバカ」


 一を聞けば十返ってくるって普通良い意味だろうけど、この人の場合はイレギュラーだろう。 七さんはなぜか落ち着いてカップを傾けてるけど、僕がおかしいのか? これが大人の会話術なのだろうか。


「バカって言ったか? はい、内申に響いたー。ビッグベンの鐘のように響いたー……。そ、そんな怖い顔をするなよ少年。冗談だよ、冗談…………。えー、おほん。それでだな。その根も葉もない『赤い服の美女』という都市伝説が校内を席巻している真っ最中に、じつを伴った『赤い服の少女』という都市伝説が美女のそれを上書きしたということだ。うん、そういうことだ」


 半分ほどの年齢の高校生に気圧される先生が、もはや固形物となったコーヒーに手をかけながらへつらうように薄ら笑いを浮かべる。


「つまり、赤い服の美女の都市伝説が、赤い服の少女の目撃談に取って代わられたってことですか?」


 しかし、美女だ少女だとややこしいな。


「そうなるな。当事者のいない都市伝説が、実際に目撃したという体験談に喰われたのだから、当たり前といえば当たり前ではある。赤い服という際立ったキーワードが被ってるからな。両立せずに置き換わってしまったのだろう」「で、その校門で目撃された赤い服の少女が先生だと?」


 ライターで灯した火を、回顧するような目で見つめながら先生が首肯する。

 外では最近の雪模様の借りを返すように、太陽がその存在を強く示していた。


「さしもの私もあれには参ったよ。学校に行ったら、赤い服の少女が出た、赤い服の少女が出た、って大騒ぎだった。聞き耳をたてるとそれは間違いなく私のことでな。私はプルプルと愛らしい子犬のように震えたよ。どうして……どうしてだ……」


 そこまで言うと、先生はテーブルに理不尽な折檻を加えて、


「どうして昨日までは美女だったのに、私のときは少女なんだ! せめて美少女だろ!」


 などと意味のわからないことをほざいて顔をしかめた。

 意味不明の重体。三つ子の魂百までだ。この人は学生時代も現在も、白目を剥きながら明後日の方角を向いている。


「でも赤い服の少女って校門に何時間も立ち尽くしてたって話のはずだけど、先生は一体なにをしてたんですか? ナンパ待ちにしては人気ひとけも色気も足りないでしょうに」


 いきり立つ先生をそのままに、会話の流れを修正する。


「立ち尽くしてなんかいないぞ? 私はクリスマスパーティーの行きと帰りにウキウキで学校の前を通っただけだ。私が通りがかった回数とタイミングが、目撃した生徒が校門を見下ろしたそれにたまたま一致しただけだろう。行きも帰りも校門で立ち止まってぼんやり校舎を見上げたわけだが、今になって考えればもしかしたらなにか運命的な繋がりがあったのかもしれんな。振り返るタイミングがいつも同じ男女的な」


 らしくもない恋愛脳を装って遠い目をする先生を無視し、黙考する。

 久方ぶりの沈黙に、換気扇がゴーゴーと存在を主張していた。

 うーん、なるほどね。蓋を開ければ都市伝説なんてそんなものか。奇跡的なタイミングだけど、確かにそれなら校門にずっといたかのように錯覚するのも頷ける。

 寒空の下に、印象的な服装の少女。非日常な光景の前ではまともな思考は働かないだろう。赤い服の少女の伝承が正しいのなら、目撃した生徒は部活動の追い込みで心身共に疲弊してたみたいだしな。

 殺人事件で場が整って、乾いた学校生活を潤すように赤い服の美女という話のタネが自然発生したまさにその時、赤い服を着たちっこい先生が異様な形で偶然目撃された。まとめるとこういうことか。

 そして目撃者が影響力のある生徒だったのか、あるいはその友達がそうだったのかはわからないが、少女の噂はたちどころに校内に広がり、美女の都市伝説を喰った。


「あれ? でも七さんは赤い服の少女の話は知らなかったみたいですね?」


 これ見よがしに小指を立てて優雅にコーヒーをすする七さん。普段が普段だけに、おやっさんもこのくらいは黙認するしかないのだろう。七さんは人の七倍は働きそうだからな。


「うん。それって私が高三の最後の方の話でしょ? なら知らなくても仕方ないね。だってほら、私はここでバイトから正社員に上がるのが決まってたから、卒業さえできればよかったんだよ。だから高三の後半からは行きたい時にしか学校行ってなかったのさ。赤い服の美女の話はたまたま友達から聞いて知ってたけど、少女の話は耳に届かなかったな」


 蛇拳のように突き出した手をひらひらと振って、あっけらかんと不登校を告白する七さん。『ほとんど』を示すジェスチャーがそれで合っているかはわからないが、恐れ多くてツッコめないので放置だ。

 高校三年生って、そういうものなのだろうか。七さんじゃないにせよ、普通の生徒も受験があるから登校の義務が減るとか聞いたことがある。まだ先の話……って思っててもいいよな。


「それにしてもトドメが七不思議ねー。誰にでも輝けるステージはあるもんだね」


 平坦に悪口を放ち、コーヒーカップを傾ける七さん。

 この人もなかなか鋭利な口をしてる。でも確かにこの先生は老けない妖怪みたいな人だしな。そっちの世界では引く手あまただろう。


「クリスマス時期のパーティーに赤い服だなんて、先生も俗物的な感覚を持ち合わせてたんですね。もしかして七さんもそのパーティーに?」


 チラチラとエロイーザさんの仕事ぶりを確認する七さんだが、満足そうな顔を見る限りエロイーザさんはよくやっているのだろう。僕としても彼女には長く勤めてもらいたいと思う。他意はない。


「うん。パーティーって言っても内輪でダベってただけだから、まぁ今でいう女子会みたいなものかな。色々理由つけてちょくちょく集まってたけど、その日のことはよく覚えてる。晩ご飯でステーキ食べに行ったんだけど、あの日はトドメはしゃいじゃってさ。油はね防止の前掛けをマントみたいに背中側につけて、前にめいっぱい両腕伸ばしながら店内走り回ってたからね」


「それは……忘れたくても忘れられないでしょうね」


「うんうん。それにさ、初めてだったんだよ、トドメがそういうのに参加するの。ね? トドメちゃん」


 少し顔を赤らめている先生と、それをからかうように笑う七さん。


「先生ってやっぱり友達いなかったんですか?」


 ありきたりなストレートをぶん投げてみたが、先生はチラッと腕時計を確認するだけで、返事をくれたのは七さんだった。


「いやいやトドメは人気者だったよ。かわいーかわいーって、もうマスコットみたいに。でもトドメの家ってめっちゃ過保護だったから、学校の外で遊ぶことは全くなかったんだよ。筋金入り、というかもはやタングステン入りの過保護。可愛いの弊害かもね」


 過保護? 過保護だとこんな人間に育つのか? もし将来有名になったら、過保護が及ぼす成長への悪影響について吹聴して歩こう。


「そこまで過保護じゃない。当時は携帯もなくて、伝達は矢文か狼煙かマラソンがメインだったからな。今とは尺度が違うのだよ」


「あんたの尺度はどの時代でも使いもんにならんだろーよ。そして携帯は当時からあったよ。みんなパカパカしてたよ」


 庇護欲をそそる膨れ面でうつむきがちにか細く口を開く先生と、呆れ顔で即座にツッコミをかます七さん。


「てか過保護じゃないって? こちとら過保護って言葉でも足りないくらいだよ。トドメのお母さんはなんちゃらの会長もやっててよく校内に来てたし、毎日でっかい車で送迎だよ? あれ幼稚園バスって呼ばれてたんだから」


 幼稚園バス。可哀想だけどこれ以上ない例えだな。園児服に黄色い帽子をかぶった先生が目に浮かぶようだ。

 さすがのトドメちゃんも過去の話は恥ずかしいようで、いつもより小さくまとまっていた。それこそ園児服がぴったりなくらいに。

 そうか。もしかして先生はその見た目を気にして、なんとか自分が大人だと誇示しようとしてるんじゃないか? 国語教師のくせにいつも羽織っているこの白衣も、自分は生産年齢だという無言のアピールなのかもしれない。


「だから本当に過保護じゃないんだ。ちょっと門限が早くて旅行ができなくて、定時連絡が必要だっただけだ」


「この世じゃそれを過保護って呼ぶんだよ」


 目を見張る反応速度で切り返す七さん。七さんが横にいるとツッコミの仕事が減って楽だな。僕ならどうだろう、『ほとんど保護観察じゃねーか』とかだろうか。


「ずいぶん嬉しそうじゃないか少年」


 長年のライバルとのやりとりに劣勢を覚えてか、矛先を僕に向けて光らせる先生。

 そりゃあ嬉しいさ。久しぶりにツッコミの人数がボケを上回っているんだからな。イニシアチブを握った今、もはやなんでもござれだね。


「私を頭の中でいてこましているところ悪いんだが、一ついいかい?」


「そんなことはしてませんけどいいですよ」


「それじゃあ言わせてもらうが、どうして七が少年の横に座っているのか、わかるか?」


 なんだそれ。いつも以上に意図が掴めない。掴めない……が、割れた鏡を拾ってしまったみたいな不吉な予感が背筋を撫でた。


「わからないけどそれが?」


「答えは、七が休憩時間だからだ」


 あ、サボってるんじゃなかったのか。でも、それがなんだってんだ?


「なにが言いたいんですか?」


「つまりだ。七が休憩時間ということは、今は店がだんだん空いてくる時間ってことだ。そしてそれはつまり、ランチのメインの時間はもう終わったということになる」


「それで?」


「私は五時間目の授業がないからいいんだが、少年も授業がないのか?」


「あ」


 やられた。

 時計を見ると、五時間目もすっかり始まって黒板は半分近く埋まっているであろう時刻だった。

 短い腕を平らな胸の前で組んで悦に入る先生。態度も悪けりゃ人も悪い。このニヤけた顔を見るに、さてはかなり前から知ってて黙ってたな?


「ごちそうさまでした!」


 口早に放ち、僕が慌てて残りのコーヒーを飲み干して立ち上がったと同時に先生が、


「だからな、少年。人生はあみだくじみたいなものなんだよ。無限に広がる、縦線と横線が無数に入り混じったあみだくじさ。

 生まれ落ちたと同時に落下して、なにが待ち受けるかもわからないゴールに向かう。自分では愚直にまっすぐ進んでいるつもりでも、知らず知らずのうちに不可避な横線に導かれ、別のルートに逸れていることもしばしばだ。横線は生まれだったり環境だったり、今の少年だったらそうだな、友人関係なんかがそれにあたる。気づけばすっかり別の道を歩んでいることもあるし、途方もない回り道を経て結局元の道に戻っていることもある。

 でもな、少年。ただまっすぐにゴールした人よりも、何度も何度も寄り道した人のほうが、よっぽど強いんだ。時間はかかるかもしれんが、それでも全ての道で得たものってのは、なににも代え難い経験となって心に深く刻まれるはずなんだ。そうだろ? 少年」


 ………………。

 …………。

 ……。


「いやそれ……今する話?」


 トドメの一撃に世界が止まり、到底読むことの叶わない空気が流れる。

 僕らは予期せぬ死闘をあてがわれたハブとマングースのように見つめ合い、お互いの表情からは全ての感情が削ぎ落とされた。

 初めて体感する種類の雰囲気にしばし硬直するが、こんなことをしてる場合じゃない。

 一抹の心残りを胸に再度「ごちそうさま」と口にした僕は、七さんのポニーテールをかすめながらテーブルを後にした。

 そして会計をしてくれたエロイーザさんに、手書きの可愛らしい『いただきましたカード』なるものを貰い、「アリガスゴザマシュター」という挨拶を後頭部で聞きつつ足早に店を飛び出す。

 目が眩むくらいの日差しが全身に降り注いで少しだけおののくも、僕は健気に足を学校に向けた。


「なんだかなぁ……」


 結局僕がこの昼休みに得たものは、心地良い満腹感と心地悪い疲労感。そしてなにより、未知なるボケに対する己の無力感と、思いもよらない七不思議の行間であった。

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