第4話 運命の日
あまりに急な展開に言葉が出てこないでいると、今度は男に右肩を強く押され、後ろによろけた。
「お前ひなに何したんだ。なんでひなが泣いてんだよ。」
抑えきれない怒りが声に現れている。
「まだひなは苦しんでんだよ。弱みにつけこんで誑かすのやめろ。お前なんかに何が分かるんだ。」
今度は襟のあたりを鷲掴みにされる。
あ、殴られる。
と思ったと同時に強い力で駐輪場の入り口の壁に押し付けられた。背中に激痛がはしる。
人の話も聞かないで、ここまでされる筋合いはあるか?
いや、どう考えてもない。
「お前こそ、話ぐらい聞けよ」
手を伸ばして男の襟元をつかみ返し、押し返す。
急な抵抗に驚いたのか、相手はバランスを崩して尻もちをつき、こちらが馬乗りになるような体勢になった。
「ふざけんなよお前!」
「ちょっと五月やめて!!」
呆然と立ち尽くしていたひなが、我に返ったように間に割り込み、俺と男を引き離そうとする。
「中学の同級生でさっき助けてもらったの。勘違いしないで!」
彼女の言葉に男は攻撃の手を止めた。
ヨレた襟元を正しながら、男に向き合う。
「俺は綾瀬薫。浜辺さんの中学の同級生。彼女が駅で倒れてて、歩けなくなってたから家まで連れてった。」
「は?なんで家なんだよ。」
「思いつかなかったんだよ、悪かった。」
男は不満そうに舌打ちしたが、一応誤解は解けたようだ。
「お前は?」
「俺は永野。こいつの幼馴染。死んだ祐樹と3人で、小さい時からずっと一緒にいたんだ。」
ひなの方をちらっと見て永野は言った。ひなはじっと地面を見つめていて、その表情は分からない。
そうか、そういうことか。ひなには、悲しみを共有し、守ってくれる人間がいたのだ。やはり俺の出る幕ではなかったのだ。
「そうか。悪かったな、誤解されることして。なんも手出してないから、安心しろ。」
「当たり前だろ。もし手出したら絶対に許さねえからな。お前も、知り合いだか何だか知らねえけど、よくわからん男になんか付いていくな。俺に連絡しろ。」
低い声で永野は言った。
どこかで見たことのある目をしている、と思った。
「うん、ごめんね五月。綾瀬君も、迷惑かけてごめんなさい。」
顔をあげないまま、消え入りそうな声で彼女は言った。
「わかったならいいよ。行くぞ。」
落ち込む彼女に同情したのか、永野の口調が急に柔らかくなった。そしてひなの方に行き、彼女の手を引いて歩き出した。ひなも大人しくそれに従う。
なぜか目が離せず、駅の改札を過ぎ遠ざかっていく彼女の後ろ姿を見つめていた。
姿が見えなくなるまで、ひなは一度も振り返らなかった。それでもしばらくの間動くことが出来ずに、二人が昇っていったホームへの階段を大勢の人がなぞっていくのをただ見つめていた。何か大きなものが引っかかっているのは間違いなかったが、それが何なのかは分からなかった。
冷たい風が頬をかすめたのを感じ、もう帰ろうと来た道を引き返し始める。
彼女といた時よりも、ぐっと寒く感じた。空を見上げたが雲がかかっており、星は見えない。
もう一雨降るかもなあとぼんやり考えたとき、ふと、背後から見降ろされているような違和感を覚えた。
振り返り、視線を上空に向ける。
ホームへの階段を二人が歩いているのが視界に入った。手首を掴まれ、引きずられるように歩く彼女がいる。
その時、ふとこちらに顔を向けた彼女の視線と、俺の視線がぶつかった。
頭の中で、パチンと音がした。
しまった。
やってしまった。間違えたのだ、俺は。
彼女はまだ水の中にいた。そして溺れていた。何で気が付かなかったのだ。
踵を返し、全速力でさっきまで立ち尽くしていた駅に向かい、改札を突っ切ってホームへ向かう。
このたった数時間で見た彼女の表情が、絵本のように脳内でパタパタ流れる。
彼女のためと思いつつ、自分のためだったのだと思う。
とにかく必死で走った。
でも、遅かった。
ホームに着いたとき、遠ざかっていく電車が目に入った。
肩で息をしながら、やはり降り始めた雨と、そこに射す弱々しい光が星の見えない暗闇に消えていくのを、言いようのない思いで見つめていた。
−
それから、なんとか彼女を見つけようと、昔の友達をあたったりしたのだが、
不思議なほど彼女の消息を知っている人はおらず、ついに見つけることはできなかった。
俺が彼女と再び再開したのは、それから1年ほど経った、夏の終わりの頃だった。
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