第27話 遠い、遠いこの地で


「いやー……遠い……」


そろそろ歩きはじめて一時間半が経とうとしていた。


アプリによると引之平展望所があるらしい場所までは、二時間程度だそうだ。いくら奏多が陸上部とはいえ、坂道を二時間も歩くのは流石に疲れる。一筋の汗が頬を伝った。


展望台へと続く道は左右を松の木に囲まれていた。最悪展望所への道などなくても直接道路から出て火口を目指そうとユルカは言っていたが、さすがにこの松林を抜けていくのは嫌だ。


舗装された道路は、うっすらと灰が積もっており地を蹴る足に合わせて煙のように灰が舞う。


奏多の予想は当たっていた。湯之平展望所へ向かう道を通り過ぎた先に、確かに分岐した道があり、その道は金属製の門で閉ざされていた。門の横は人が通れる程度のスペースが開いているし、ここが引之平展望所へ続く道とみて間違いないだろう。


門の脇を抜け先に進んでいく。道の風体は明らかに変わった。積もっている灰の量は明らかに増え、最近人が通ったらしい気配もない。道路はアスファルトで舗装されてはいるが、長らく整備もされていないようで、そこかしこがひび割れてしまっている。


火山にはもうかなり近づいていた。もはや麓より噴煙を上げる火口のほうが近い。


山を登っていくごとに景色が変わっていく。生えている木々はどんどん少なくなり、灰色の地面が見えてくる。


そして、


「おおー!」


道を登りきった先には開けた場所があった。アスファルトで舗装された道は途切れ、広がっているのは灰色の景色。あたりには背の低い植がまばらにみられるだけで、あとは荒々しい岩と斜面だけが佇んでいる。


「展望……所……?」


 全く殺風景な景色だった。景色を臨むための高台もなにもない。人工物といえば、川のように斜面を下っているいくつも連なった凹の字型のコンクリート群、砂防ダムがあるくらいだった。


道を間違えたのか、もともと展望台などない場所だったかは定かではないが、とりあえず火口には近づくことができた。


「もっと近づいてみる?」


「いや……もうここらへんでいい」


 ユルカは首を振った。


「これ以上俺が近づくと、火山も噴火しなくなりそうだし。……それに、あんまり近づくと危ないだろ」


「え、ユルカに危ないとかないでしょ。全部避けるじゃん」


「あ・ん・た・が、危ないんだよ。物が当たらないのは俺だけで、避けられる軌道によっては飛んできたものが当たるかもしれないだろ」


「あ、あー……」


「それに、溶岩でできた岩は脆いんだ。登ってる途中で足元が崩れたら、普通に滑落して死ぬぞ。だから……」


そこまで言ってユルカは言葉を止める。何事かと奏多がユルカの顔を見る前に、青年は奏多に背を向けた。


「と、とにかく、俺はここでいい。ほら、そこにでも座ろうぜ」


 砂防ダムの端を指さしながらさっさと歩いていくユルカのを見て、奏多もどこかぎこちなく返事をするのであった。灰の積もった地面を踏みしめ、ユルカの後に続く。


 火口側を向いて二人は並んで白いコンクリートに腰を下ろす。服が汚れるのが嫌だったので、奏多は持ってきておいたレジャーシートを広げて二人で座る。


 不思議な場所だった。奏多たちがいる下り側だけが欠けたすり鉢状となっており、左右と正面の山がはじまる前に広場のようななだらかな斜面が広がっている。一様に灰が積もっている光景は、灰色の湖のようだった。よく見れば雨の流れた筋が灰に描かれている。


 荒々しい岩。乏しい植生。無骨な人工物。全く人のために飾られていない荒涼な風景に、圧倒と言う名の排他の感情を覚える。しかしそれも錯覚で、実際自然は自分になど見向きもしていないという事実だけがここにはある。呼吸するだけで吸う空気が重く感じ、どこかずっと遠くから米粒よりも小さな自分を見ているような感覚に見舞われた。


 奏多は背後を振り返る。


「いま、ユルカの力の範囲……どれくらいになってるんだろうね……」


 風になびくものもない静かな景色。桜島の市内と雄大な海、火山灰に霞む先に臨める対岸の鹿児島市内。正面に広がる景色とは違った雄大さを伝えてくる景色がそこにはあるが、ユルカの力の効果範囲がわかる指標がないため、今彼の能力の範囲がどれくらいなのかはわからない。


「軍艦島から四日で4倍くらい、2日でさらに倍以上……同じ感じで広がるなら、今日の半日だけでさらに1.5倍くらいになってそうだな」


 朝会った時点の範囲が仮に1kmだとすれば、今やもう1.5kmくらいか。もはや何にも影響を及ぼさずに人の生活圏に入ることは許されないだろう。


 本当にここが二人の最後の場所だ。


「じゃー今日は何聞こっかな! こういう場所に来たし、ユルカの故郷の話とか、もっと詳しく話してよ!」


ことさらに笑顔を咲かせる奏多に、ユルカは首を振った。


「いや……今日は、奏多の話が聞きたい」


「え? 私?」


ユルカの青い瞳に奏多が映りこむ。奏多は両手と首を振った。


「いやいやいや! 私の話なんて面白くないよ! ユルカが体験してきた世界と比べたらなんの面白味もないし! 」


「そんなことない。俺が知りたいんだ。奏多のこと」


「……」


 ユルカの真っ青な瞳が奏多を見据える。その瞳に宿った真摯な思いを受けて、奏多はゆっくりと言葉を紡いだ。

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