第26話 最後の土地


その週の土曜日の昼下がり。


12月にも差し掛かり、頬に触れる空気は冷たい。季節はすっかり冬となっていた。コートを着込んでパンツルックないで立ちの奏多は、手袋に包まれた指先を擦り合わせた。


奏多は日本で一番高い建物、東京スカイツリーへ向かっていた。駅の目の前にある尖塔は見上げれば首が痛くなるほど高い。展望台の高さは、東京の代表的な観光名所だ。


だが休日だというのに駅周辺には人の気配もない。


全く人気無い都会の光景に、奏多の頬に冷や汗が伝う。


どんどん呪いが強くなっていくユルカ。もはや街中にいては膨大な数の周囲の人々に迷惑がかかってしまうため、今日までのユルカの拠点としてこの東京スカイツリーを選んだのだ。展望台から地上まで450メートル。ユルカの呪いの範囲外。東京スカイツリー関係者には申し訳ないが、そこにいれば多少呪いの範囲が広がっても関係者と一部観光客以外には迷惑をかけないだろうと踏んでそうしたのだ。しかし、その考えは甘かった。


数日で400メートル程度に肥大したユルカの呪いの範囲はさらに数日で加速度的に拡大していた。展望台から奏多のいる場所まで直線距離で約600メートル、奏多の周囲に人がいないことを考えれば1キロ近くの範囲になっているかもしれなかった。


奏多は慌てて駅から駆け出し、東京スカイツリー付近を流れる運河、北十間川へ向かう。川端の道にまでたどり着くと、嫌な予感の通り、川の水がすっかりなくなっていた。川の左右を見てみれば、奏多から何百メートル先に、いつか見た水の断面が見えている。


奏多が危惧していたことの一つだった。スカイツリーに行こうと決意した時点で、ユルカの呪いの効果範囲は川を横断してしまうほどの範囲となっていた。そんな状態で不用意に動き回れば、川がせき止められ、行き場をなくした川の水が溢れて街に流れ込んでしまうことも考えられる。


人気のないところへ、といって山奥に行かなかったのは、あまり大きく移動してそういった大事故を起こすのが怖かったからだ。


しかし、最悪の事態は免れているようで、奏多が心配していた川の水が溢れるようなことは起きていない。


北十間川は隅田川から枝分かれしている河川であるため、流れがせき止められても、隅田川の水量が増える程度で済んだのだろう。


ほっと息をついて、奏多は急いでスカイツリーの展望台へと向かった。


自分しかいないエレベーターを乗りえ終え、日の光に満ちた展望台に降り立つ。


ユルカは奏多に背を向けてガラス越しに町の風景を見ていた。


奏多もその横に並ぶ。


眼下に広がる景色は、一面に広がる人口の森。立ち並ぶビル群さえも小さく感じ、彼方に並ぶ山の景色まで見渡せる。目を凝らせば、ほんの小さく人があちこちで生活している姿も見られる。


「こうして高いところからの景色を見てると、世界にも俺以外の人がいるんだなって実感するよ」


視線の先では、人が普通に生活している。ユルカがもうずっと感じられていないものだ。


ユルカは名残惜しそうに視線を景色から奏多へ向ける。


「行こう。奏多。ここにいるのももうまずいんだろ?」


「うん……」


移動の方法はいつもの通り。


想盤フィズを用いて、あらかじめ行先のコンビニに送っておいた想盤フィズのもとへワープする。


もはや手慣れたものだった。足早にコンビニを出ると、二人の鼻先を潮のにおいが掠めた。


桜島のコンビニはフェリー乗り場のすぐ近く。澄んだ冬空の空気が体を包んでいるが、東京より南あることもあって、スカイツリーにいたころよりは肌寒くない。


目の前に広がる山がまさに桜島の火山そのもの。ある程度の標高まで草木に覆われているが、一定の高さ以上は草木のないごつごつした岩肌を見せている山がすぐそこにある。山の頂上は、噴煙か雲かわからない白い靄がかかっている。


コンビニの裏は道を挟んで海となっているが、見に行ってみてもそこには見渡す限り海水の引いた岩場しかない。当然周囲に人の気配もない。……と思ったが、フェリー乗り場のほうで作業着を着た人間を何人か見かけた。人影は二人から離れる方向に歩いていっている。


「普通にユルカが人に近づくときってさ、ユルカに近づかれる前からその場所から人がいなくなるけど、ワープで来るとさ、ちょっと周りに人いるよね」


「確かに。突然来るからそこまで俺の呪いも完璧にカバーしてないのかもな。まあ、深く考えるだけ無駄だろ」


「まあね」


 どのみち近づけたとしてもその人には認識されないのだから、些細な問題だ。


 と、そんな会話をしていると、ボンッという破裂音が空気を震わせた。


 驚いて音のした方を見ると、二人の正面にある火山がまさに小噴火をしたようで、火口らしき山の右手から黒煙がモクモクと上がっている。


「びっくりした。本当にしょっちゅう噴火してるんだね……」


「ああ。懐かしい音だ……」


ユルカは立ち上る黒煙に自らの記憶を重ねているようだった。


山の上などの遠くの景色を見ようとすると、その景色は灰色に霞んでいる。それをユルカは「火山灰が舞っているんだ」と教えてくれる。ユルカの周りにはないが、最近活発になっているらしい噴火の影響で火山灰が舞っているのだろう。


よく見れば、コンビニの周りや道路の端などにサラサラとした黒い砂が積もっており、この島に定期的降る火山灰の存在を教えてくれる。


 桜島に来て何をするかという予定はそれほど決まっているわけではなかった。ユルカは、噴火を間近で見てみたいと言っているので、最後にそうするとして、奏多が行きたいと思う場所も数か所しかない。が、桜島内の観光地のいくつかは神社であり、しかも一つの市町村ほどの広さの桜島を徒歩で回るのは厳しい。必然的に行く場所は限られた。


 ひとまず、コンビニからも近い『桜島ビジターセンター』へ向かうことにした。桜島の歴史を紹介している場所で、この島に来て最初に観光する場所としてはうってつけだ。


「あーあ。大学生ならなぁ。車に乗って行けたのに。もしくは自転車とかあればなぁ……」


「自転車ってあの車輪が二つ付いてるやつ? 多分俺それ乗れないぞ」


「あー」


桜島ビジターセンターは、扉が開いたまま無人となっていた。閉館になっていると思ったが、ユルカが突然来た影響だろう。


入り口付近にお土産コーナーがあり、そのまま入っていくと壁一面に真っ赤に噴火した桜島の写真が貼られている。


壁面のモニターには、溶岩を噴出する桜島の映像が流れている。


大地の怒りのように溶岩を噴出する姿は、映像とはいえ迫力がある。


奏多は壁面の写真の上部に見入った。大量の溶岩と噴煙をまき散らしている写真。その噴煙の中に一閃の雷が映っている。


「雷……」


ユルカと奏多に消えない傷を刻み、霹靂宿りとした自然現象。


「火山雷ってやつだな」


隣に並んだユルカが口を開く。


「噴火の時に巻き上がる水蒸気とか塵とかがこすれて雷が起きるんだ。俺の故郷でもよく見たよ。雷も、こんな感じの噴火も」


「思い出す? 故郷のこと」


「ああ。そりゃあ、町の景色とか、生えてる植物とかは全然違うけど、こういうのを見ると忘れてたことも思い出す」


「話してよ。聞きたい」


そんな会話をしながら館内を回っていく。


火山そのもの仕組みや、桜島の歴史、桜島のジオラマなどがあり見ごたえがある。


「大噴火の前兆ってこんなにハッキリとあるんだね」


過去の歴史によると、大噴火の前に一日に100回以上の地震や、浜辺を歩けなくなるほどの海水温の上昇が確認されているらしい。そうした予兆や些細な変化も見逃さないように観測しているから、大噴火が起きる前に島民に避難指示を出せる。だからこんな火山の近くにでも住民は居を構えていられるのだろう。


 1時間ほどで桜島ビジターセンターを見終えたあと、二人は桜島のジオラマの前で額を突き合わせていた。


「えーと、ここが湯之平展望所。火口から3.5kmの位置……」


 『湯之平展望所』と書かれた場所を指さす。


「そこのボードの説明によると、もっと火口に近い引之平展望所っていうのがあったけど、今は立ち入り禁止になってるんだったか?」


「『車道が閉鎖されている』ってあるから徒歩では行けると思うんだけど……」


「どのみち地図にもここにも載ってなかったら場所がわかんねぇな」


「うーん」


 ネットで検索してみてもほとんどそれらしい情報は見つからず、そういう場所があるらしいことまでしかわかなかった。


「でも見て、ここの山の名前、引之平になってる。多分このあたりじゃないかな」


 指さした位置は湯之平展望所の近くにある山だった。


 奏多は地図アプリを起動し、湯之平展望所付近の道路を見てみる。湯之平展望所までの道はほとんど一本道だが、先が行き止まりになっている分岐道が数本ある。そのうちの一本の分岐道が、ジオラマで引之平と書かれている場所付近に伸びている。


「ユルカ! 多分、この道だよ!」


ここからなら、最も火口に近づける。そしてここが、二人の最後の場所となる。


二人は頷くと、ビジターセンターを後にした。

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