第24話 軍艦島


「すっご。こんな場所にも来れるなんて、信じられない……」


ため息のようにそう言葉を漏らす彼女は、ボロボロに崩れた廃墟の景色を見上げていた。


廃墟といってもただの廃墟ではない。ここは、50年前に最盛期を迎えていた小さな島。軍艦島だ。正式名称を端島というこの島は、長崎県の沖合にある。元炭鉱であったこの島は、鉄筋コンクリートの住宅街が密に並んでおり、横から見ると軍艦のように見えることから軍艦島の愛称で呼ばれている。50年以上前の廃墟への立ち入りは危険であるため、一般人のアクセスは島の外周にある舗装された見学路のみとなっている。そんな普通は入ることができない場所に今奏多とユルカは立っている。


交通アクセス手段が船しかないが、ユルカが船に乗ると操縦者含め全員船から降りてしまうので、最初に奏多だけ上陸して島に想盤フィズを置いて行き、本土に戻った後に再度ユルカと一緒にワープしてくるという大変手間のかかることをした。が、その見返りとしては十分な光景が目の前に広がっている。


時に打ち寄せた高波が住宅街の最上階10メートルも超えて反対側にまで潮の雨を降らせる厳しい環境にさらされ続けたこの場所は、50年の月日も相まって損傷と風化がひどい。視界に入るものの色は朽ちた灰色と、わずかな植物の緑だけだ。長い間放置されているにもかかわらず完全には植物に覆われていないことが、この島の塩害の酷さを伝えてくる。


何も落ちていない道など存在せず、外の通りは瓦礫か植物、建物の内部も瓦礫が剥がれ落ちた天井材が床に散乱している。とてもヘルメットなしでは安心できない場所だが、ユルカのそばにいる限りは落下物の心配はない。


両サイドがコンクリートマンションに挟まれた通りに入る。通りは瓦礫を蔦が覆っているが何とか進めないこともない。


「登山靴買っておいて良かった」


鋭く張り出た木片を踏みつけながら、安堵の息を奏多は吐く。こういった元からある脅威にはユルカの力も無力だ。無論、ユルカも奏多が買ってきた登山靴を履いている。


朽ち果てた左右の建物を奏多は見上げる。不思議な感覚だった。これだけ大仰なものが50年以上も放置され、死を待ち続けるだけの姿を晒している。そんなとても珍しい物を見ているはずなのに、この50年前に人に捨てられた建物にどこか親近感を感じてしまっている。その理由はすぐにわかった。このマンションの外観があまり現代で見るものと変わらない姿をしているからだ。


無駄のない長方形に、等間隔に並ぶベランダ。鉄柵のほとんどは崩れ落ちているが、窓の並びといい、奏多が住んでいる集合住宅と似てすらいる。


奏多は、一度目にツアーでここを訪れた際に受けた説明を思い出す。


「ここの建物、日本で最初の鉄筋コンクリートマンションなんだって。ちょっと既視感あるのそのせいかな」


「確かに奏多のいる街でこんな構造の家見かけたな」


日本で最初ということは、当時の最先端。海底炭鉱業によって、一時期世界一の人口密度を誇るほどに栄えたこの島は、エネルギー革命による石炭需要の低下によって炭鉱が閉山し、瞬く間に無人島となった。


残ったのは人の痕跡だけ。上陸しても誰もいない。


もともと窓であった部分が、いくつも暗い口をあけている。その暗がりが自分を見ているような気がして奏多は背筋を震わせた。


軍艦島の道は複雑だった。道なりに進んでいるかと思いきや、突然現れた階段が建物内部へとつながっており、建物同士も小さな橋でつながっている。時たま橋が崩れていたり、瓦礫で塞がっているので引き返したこともあった。入ったどの建物も半壊しており、瓦礫の転がっていない場所はない。


「木片がすごい落ちてるな」


「うん。扉とか窓枠とか庇とか、いろんな部分が木造だったんだろうね」


「こっちの道、木で塞がってる。こっちに行こう」


そう言ってユルカは上に上る階段を指さす。ここにくるまでにいつの間にか建物2,3階程度の高さにまで来ていたが、まだまだ上階はある。


「どうせなら屋上行ってみないか?」


「いいね。……崩れてないといいけど」


外から軍艦島を見たとき、屋上が崩れている建物がたくさんあった。この建物もそうじゃないといいが……。


しかし……、


ガアアアアアン……。


「‼ 来やがった!」


ちょうど5階へ上る階段へ足をかけたとき、不気味な鐘のような音が世界に木霊した。ユルカの視線の先を追えば、吹き抜けた窓の外に真っ黒い穴、『お迎え』が来ていた。


「奏多!」


「うん! いつも通り私は離れて……」


「いや、ここで離れるのは危険だ! ついてこい!」


と、下の階段を目指して踵を返す二人だったが、振り返った先にも別の『お迎え』が発生していた。


「くっ……! 上だ!」


朽ちた室内に激しい足音を響かせて二人は階段を駆け上がっていく。『お迎え』は完全に物理法則を無視した動きをしており壁や床もお構いなしにすり抜けて追ってくる。階段を駆け上がった先で床から飛び出してきた黒い塊がユルカに迫ってくる。


「クッソ! こっちだ!」


体に魂法パオの札を張りながら、建物奥へと入っていく。ここも居住区だったのだろう。まだ窓にガラスの残った同じ間取りの部屋が並んでいる。


ユルカの後を追って走る奏多が、散乱している木材に躓いて転びそうになる。もはやもともと何だったのかわからない木片が廊下を埋め尽くしているせいで走りづらい。


背後に迫る黒い塊に冷や汗が頬を伝う。『お迎え』は奏多を狙ってはいないが、同じ直線状にいれば奏多も巻き込まれる。奏多が触れてもなにも起きないかどうかはわからない。


通路の先は別の建物とつながっている橋があり、そこを超えた先にある階段をさらに上っていく。こちら側の建物は比較的通路が綺麗になっており、幾分か走りやすくなっている。


ある程度距離を離せば『お迎え』は追ってこない。あと一息と二人が足に力を込めたとき……。


突然天井が崩落した。二人が走っていたちょうど真上。いつかの磐座いわくらが砕けたときと同じような腹に響く低い音が空気を震わせ、驚いて見上げた奏多の前上に無数の瓦礫が降り注ぐ。しかし、その瓦礫が二人に届くことはなく、ユルカを中心に瓦礫は不自然な軌道を描いて二人の周囲に散らばった。


「わっ!」


 飛来物が避けるのはユルカだけ。降ってきた瓦礫の一つが奏多の1メートルほど頭上を通りすぎ、思わず尻もちをついてしまう。


「奏多っ⁉」


「ユルカっ! 先に行って!」


「いや……もう大丈夫みたいだ」


「え?」


来た道を振り返ると、もう『お迎え』は来ていない。崩落の驚きと走っていた興奮だけがこの場に取り残されていた。


「立てるか?」


走り寄ってきたユルカが手を差し伸べてきた。


なんとなくその手を取るのが気恥しく思い、奏多はそれに気づかないふりをして立ち上がった。


「びっくりした……。ホントに危ない場所だね。ここ……」


「いや、これに限っては俺のせいみたいだ……」


「え……?」


ユルカの視線を送る先には、木造できた小屋のようなもの……祠の残骸があった。


「あ……」


「こんなところに、神社か何かあったみたいだな」


「あ、うん……」


一度目の観光に来た際に受けた説明を思い出す。


「確か、島の中に一つだけ神社があったらしいの。どこかの屋上にあるって聞いたけど、ここがそうだったんだ……」


 二人は崩れた天井から空を見あげる。


「こんなふうにもう誰もいなくなっても、神様ってのはずっといるもんなんだな……」


「うん……」


「また、迷惑かけちまったな……」


ため息のようにそう言うユルカの横顔はどこか暗い。その横顔に奏多は何も声をかけることができなかった。


ここは無人島。お参りに来る人はいないだろう。だがそれでも、こうして一つの社が崩れた。


出会ったころのユルカなら、こんなときにあんな表情をしただろうか。彼にはどうしようもできないことのはずだ。彼のあの顔は、奏多と過ごすうちに起きた彼の変化の一つだ。きっと彼もそれを自覚している。


その後も島内を見回り、住宅街から学校まで見て回ったが、肝心の炭鉱は『お迎え』が発生するポイントだったせいで行くことができなかった。


半日近く観光をした最後に、二人は島の端にある胸壁に腰かけて夕陽を眺めていた。


普段は波に打ち寄せられているこの壁は、今は海水にすら浸かれていない。ユルカの呪いによって海水が避けられ、二人のいる場所の100メートルほど先まで海底が見えている。奏多の視線先には、水槽のように突然海が断面となって切れている光景が広がっている。これもユルカといたから見れる景色だ。


「俺……弱くなった気がする……」


 ぽつりとユルカが海に言葉を零す。


「どうして?」


「前は、俺のせいで周りに何かあってもなんとも思わなかった。奏多に何か言われても心から何か思うこともなかった。……でも最近は、なんかちょっと……嫌な感じだ」


「……優しくなったんだよ」


 海の断面を見たまま、奏多はそう言った。


 人並みの優しさ。だが、それは常人あらざるユルカに必要なものだったか。彼の足かせとなっていないか。だとしたら全く必要ないものなのか。奏多には答えが出せない。


「それに、もし他の世界に行ったらもう……」


「……もう?」


「……。いや、なんでもない」


 ユルカの顔を見るが、彼の顔は空を見上げていて伺えなかった。その青い瞳がさっきまで自分の方へ向けられていた気がするが、それも気のせいか。奏多は、沈んでいく夕陽に視線を戻す。


「能力……強くなってきてるね……」


「そうだな……」


最初は20メートルほどだったのに、最初に『お迎え』に会った日から日に日に範囲が広がっている。それも、日を追うごとに拡大する範囲が広くなっている。


「この避けられる呪いってさ、俺の力っていうよりも、世界が俺をどれだけ拒絶してるかどうかなんだろうな。俺はただ世界に嫌われてるだけ。嫌われるほどその世界のものが寄り付かなくなって、耐えられなると『お迎え』で弾き出す。だから今は、世界が悲鳴をあげてる最中なんだろうな……」


「ポジティブにいこうよ。そんなのわかんないじゃん」


 フッとユルカは微笑を浮かべた。


「そうだな……。そうする」


残された時間の短さ、そして迫る現実の無常さを二人は悟っていた。ただし、現実の牙は二人の想像以上に早く二人を穿った。

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