第23話 刻限
それからも毎週のようにあちこちに旅行する日々が続いた。
「ユルカのいた世界はさ、どんなところだったの?」
真っ赤な温泉で足湯を堪能しながら、奏多はそんなことを訊いた。ここは、大分県別府市。温泉で有名なこの街で、この土地が作り上げた不思議な景色をめぐる、いわゆる「地獄巡り」に二人は興じていた。
季節はすっかり冬になっており、肌に触れる空気は冷たい。
今いる場所は血の池地獄と呼ばれる名所で、その名の通り、血のように真っ赤な温泉が湧いて池となっている。本来この場所には池とは別に足湯ができる場所が設置されているが、二人は血の池の端の岩に座って直接血の池で足湯をしていた。
湯の温度はだいぶ熱かったが、浸かれないほどではない。
「あー、そうだな……」
ユルカは高く空を見上げた。その瞳はきっと空よりも遠い場所を見ている。
「灰がずっと降ってる場所だったな」
「灰って、ものが燃えた後に出る灰?」
「そう。あっちこっちに火山があってさ、年中灰が降ってたな。もちろん、世界の全部がそうってわけじゃなかったけど、俺が暮らしてた島はそうだった。火山でできた島が……俺の生まれた国だった」
「みんな火山のすぐそばに住んでたの?」
「真隣ってわけではなかったけど、一、二キロ離れたところには住んでたな。あんまり近いと噴火の火山弾とかが降ってきて危ないし」
それでも活火山の周囲一、二キロの場所に住むというのは近い。
「へぇ、こっちの桜島みたいな感じかなぁ……」
「こっちにもそんな場所があるのか?」
「うん。今ユルカが言ったみたいに火山でできた島で、近くに人も住んでるの。年に何百回も小さい噴火してるんだって。この前ニュースで見た」
ユルカは小さく笑った。
「じゃあ、似てるかもしれない。もっとも、俺のところは年に千回くらいは噴火してたと思うな。大体年中灰が降ってたから」
「灰がずっと降ってるって不便じゃない?」
「そういうもんだって思ってたから何とも。そりゃ大量に降ってくる日は嫌だったけど。この世界で電気が主なエネルギー源であるように、元の世界だと熱が主なエネルギー源だったから、火山の近くに暮らすのは都合が良かったんだ。ここみたいに温泉もいっぱいあったな」
ふとユルカの横顔を覗くと、彼は穏やかな微笑みを浮かべていた。
「朝起きると、まず家の周りの掃除をするんだよ。灰が積もってるからな。知ってるか? 灰って結構滑るんだよ。何回コケながら掃除したことか……。それで町中に灰を回収する乗り物が周ってて、集めた灰をどこかに捨てにいってくれる」
「灰って吸っていいの? 体の構造がこの世界の人と違う?」
「同じだと思う。でも、あっちの世界での魔法みたいなものがあって……」
次々とユルカの口から元の世界の話が紡がれた。その話は今まで聞いたどの世界の話よりもはっきりとした形を持っており、言葉に触れた心に暖かな感触を覚える程だった。彼の故郷。ユルカがまだ人と関われていたころの世界。その質感の高さは、そこが彼の故郷であるというだけではなく、彼の中での誰かと過ごした日々の価値の高さを表しているようだった。思い出は人と紡ぐもの。遠い世界のことでも、記憶にだけなら触れることができる。
「やっぱりさ、元の世界に帰りたい?」
ユルカは真っ赤な温泉に視線を落とした。
「どうかな。このまま帰っても結局誰にも認識されないし。帰れるとしても今のままじゃあな……」
「能力……呪いが無くなったら、帰りたい?」
「そうだな。でも、呪いが消えたら世界からはじき出されることもなくなるから、結局俺が望む形で戻れることはないんだろうな」
「ごめん、こんなこと訊いて」
「別にいいよ。気にならない。不可能すぎてそういうことに何も感じないんだ」
それもそれで悲しいことだと奏多は思ったが、これ以上空気を湿っぽくしないためにこの話を切り上げた。
地獄と呼ばれる場所の観光は、二人が訪れる場所としてはうってつけであった。もとより観光地で人が多いが、ユルカのおかげで人混みに困ることはない。そのうえ基本的に各地獄は一定範囲以上が立ち入り禁止となっている場所が多いが、ユルカのおかげでそういった場所にも入ることができる。立ち入り禁止の場所に入ることに若干の後ろめたさがないわけではないが、入ることで誰かに迷惑のかかるわけでもないので、好奇心にしたがって入っても問題なさそうな場所に限っては立ち入っている。前のように神様を追い出してしまうようなことにならないように気を使いながら……。
地獄と呼ばれるだけあって鬼をモチーフにした装飾やお土産が見られ、観光地として見応えがある。コバルトブルーが美しい海地獄(熱すぎて入れなかった)大量のワニが飼育されている鬼山地獄(もちろんワニはユルカから一番離れた場所にたむろしており、遠目にしか見えなかった)携帯端末の写真機能で次々不思議な景色を収めていく。
温泉卵や各地獄をモチーフにしたプリンに舌鼓を打ちながら、十分に別府を堪能した。
どこへでも行けるならと、熊野古道や東尋坊など、それほど人混みが気にならない観光地へも訪れた。ユルカの能力の恩恵が薄くとも観光地は観光地。行きたい場所へはどんどん行った。
ただ、タイムリミットも確実に近づいてきていた。
ユルカの前に『お迎え』が現れる頻度が増えてきたのだ。最近だと、ある観光地のどこに行っても『お迎え』が出るせいで、なくなく観光を諦めたところも出たくらいだ。
また、世界の拒絶が強くなるかのように、ユルカが世界から避けられる範囲も広がっていった。初めて会ったころは、人が近づけない範囲が20メートルほどだったのに、『お迎え』に会ってひと月も経つころには、40メートルほどにまで拡大している。
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