第13話 輝く可能性

「じゃあいくぞ」


とある土曜の昼下がり。いまだに崩壊した足場が散乱するいつもの廃墟の中庭にて、午後の陽光を受けた二人は地面を見つめていた。……互いの肩に頭を乗せるようにギュウギュウに身を寄せ合ってしゃがみながら。何もこんなだだっ広い場所でそんな空間の節約をしなくてもいいはずなのだが、こんなことをしているのには理由がある。


窮屈な姿勢ながらも慎重に発せられたユルカの声を聞いて、奏多も固唾を飲んでこれから起きることに意識を向ける。


二人の視線の先には、足元の大きな半透明な板。二人の傍らにあるペンキと紙によって紡がれたユルカの想互術サージェンだ。その板は、冷たい輝きを息遣いに自らの役割を果たそうとしている。


想盤フィズが蒼く光った。


どきりと跳ねた心臓の鼓動は一瞬の不安。次の瞬間には奏多の見る景色は一変して、その視界は真っ黒に染まった。ついでに肩越しに感じていたユルカからの圧だけでなく、背中や肩口、頭にも一斉に圧が襲いかかり、本格的に窮屈になる。


耐えきれずユルカも奏多も頭上に覆っていたものを押し除けて、その場から勢いよく立ち上がった。


「ぶはっ!」


二人の目に入った景色は、薄暗く狭い倉庫のような場所。そして、二人が飛び出したのは、この場にある段ボール箱の一つだった。


「……」


しばらく周囲を見渡した後、二人は目を合わせてニッと笑い合った。


「成功!」




時は少しだけ遡る。


ユルカから想互術サージェンを使う世界の話を聞いていた時、奏多は思ったのだ。ユルカの使う想互術サージェンの一つ、ものの位置を入れ替える魔法を使えば、観光地やイベントに行くのがずっと楽になるのでは、と。


ユルカにそれを話しても、「理論上はできるけど、結局行先へ想盤フィズを置かなきゃいけないから、どこか行くために使うのは無理だろ。行った先から帰ってくるために使うならできるけど」なんて一蹴されたが、そこはなんとでもなると奏多は思っていた。何せ便利な時代だ。ユルカは知らないかもしれないが、この世界には郵便というものが存在する。想盤フィズ一枚遠方に送るなど朝飯前だ。


問題は宛先だ。行きたい場所付近の適当な住所に送ってもいいのだが、単純にその住所に住んでいる人に迷惑だろう。送った手紙がどういう扱いをされるかも分からない。ゴミ捨て場や手紙が捨てられた川に移動するのは遠慮したい。


ユルカの話だとこの想互術サージェンは入れ替え先の空間に何か物の一部が入っていると発動できないそうなので、移動した先が柱の中だった、なんてことや移動先の物を抉りとって移動、なんてことにはならないそうだ。だからそういう類の心配はしなくていいが、逆を言えば何か物を巻き込んでしまう場所に想盤フィズを置かれると移動出来ないということだ。それを鑑みても単純に想盤フィズだけをどこかへ送るのは得策ではない。


奏多は脳みそを絞って考えた。


物を送っても迷惑にならなくて、他の物を巻き込まない場所に置かれるようにどこかへ想盤フィズを送るにはするにはどうすればいいか。


そして考えた末に出した結論がこれだ。




「ついたー! 京都ー!」


両手を広げてクルクル回りながら、上機嫌に奏多は快晴の空を見上げる。秋の半ばでも京都はまだどこか空気が生暖かく、秋空のはずの空も低い。遠方に見える寺院と思われる木造建造物たちが奏多の心をくすぐった。


彼女の後ろにはキョロキョロと周囲の景色を見渡すユルカと一軒のコンビニがあった。


ユルカは自身が出て来たコンビニを振り返る。


「なんでもできる場所なんだなここ」


「うんうん! 流石コンビニって感じ!」


そう。さっき二人が想互術サージェンで移動してきた先は、コンビニのバックヤードだったのだ。


最近は自分宛てに届いた荷物をコンビニで受け取ることも可能だ。普通、個人ではコンビニ受け取りを指定した配送はできないのだが、メルマリなどの個人通販サイトを利用していると、そこでの配達法の一つとしてコンビニ配送を選択できる。それを利用して奏多はホームセンターで特大サイズの段ボールを調達し、自分自身と京都の住所を持つメルマリアカウントを作成。京都のアカウントで、自分のアカウントで出品した一円の特大段ボール箱を落札し、コンビニ受け取りを指定することで、見事想盤フィズだけが入った段ボール箱を京都のコンビニへ郵送することができたのだ。


それができればあとは簡単。京都のアカウントのほうに到着通知が届いたあとに、段ボール箱に収まるように身を寄せて廃墟から想互術サージェンを使って移動するだけだ。ユルカも一緒に飛ぶので、ワープする瞬間を目撃されて騒ぎになることもなく、観光を終えたあとはダンボールごと帰れば、ダンボールがコンビニに残り続ける心配もない。


「ホントに来れちゃったよ! 京都!」


しかも東京郊外から一瞬で。行きも帰りも時間を気にしなくていいということは、それだけの時間観光できるということだ。しかも、行き帰りにかかる交通費は、段ボールを送る値段だけ。破格も破格だ。


空気に深い歴史の匂いが満ちているような気がした。深呼吸で目いっぱいその空気を肺に取り込んで、奏多は目を輝かせる。


「なんか、雰囲気が違う場所だな。高い建物が少ない」


この世界に来て東京の摩天楼や住宅群ばかりしか目にしていないユルカはそんな感想を漏らす。


「そうだね。この場所の景色はこの世界の中でもあんまり見ない景色かも」


 木造建築が多く、そうでない建築物にも景観を崩さないように条例で外観に制限がかけられているような街だ。今出てきたコンビニも、その条例に従って看板の高さは低く、看板の色彩は茶色と白という落ち着いた雰囲気にとどめている。


 無人の通りを抜け、気まぐれに細い通りに入る。そこは左右を黒く染められた木塀で挟まれており、入った足が踏むのは、アスファルトではなく石畳で舗装された道。雲を透かして降り注ぐ日光の陰りが、暗さよりも先に落ち着きを伝えてくる。こうした何気ない通りですら、奏多には特別に感じた。


(ユルカが新しい世界を見るときもこんな気分なのかな)


 いや、きっと自分以上に新鮮に感じるはずだと思いなおす。自分はまだこの世界の常識や事前知識があるが、ユルカが見て回る世界は、それらすら全く新しいものなはずだから。


 そう考えると奏多の目に映る景色がさらに輝いているように感じた。なぜ石畳なのか、どのようにして作られたのか、木塀上部の瓦の形には意味があるのか。この世界にいるのに今みているものすら全てを説明することはできない。見方を変えれば、すべてが不思議で独創的なものだった。


「どこに向かってるんだ? 京都と言えばお寺とか言ってなかったか?」


「今日行くのは神社だけどね」


 携帯端末で方向を確認しながら奏多は歩を進める。


「巌澄神社ってとこ。全然有名じゃないんだけど、ちょっと気になるものがあって」


「気になる?」


「そこさ、水と雷の神様を祀ってるんだって」


「雷って……俺たちの呪いについて何かわかるかもしれないってことか?」


「まあ、七割観光。雷の神様を祀ってるところはほかにもあるし。でも、面白いのが、そこに残ってる伝説の中に、雷に撃たれた人の伝説があるんだって」


 ピクリとユルカの眉が揺れる。


「だいぶマイナーな観光地だったから、ネットではあんまり詳しく載ってないんだけど行く価値あるかなって思うんだよね」


「まあ、あんまり期待しないでおくよ」


「なんでよ」


「いろんな世界巡って俺も結構調べてる。それでもなんとかならなかったんだぜ?」


「……」


だから、期待を抱くのももう辛いと、彼はそこまでは言わなかった。だが、どこか辛い記憶がその表情ににじみ出た気がして、奏多の心は少しだけ冷えた。

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