第10話 世界は鮮やかで

さて、と新ためて奏多とユルカは、部屋の正面と左右にある会場への入り口に目を向ける。


このイベントには順路というものが無いらしく、来場者が三者三様に好きな入り口から入って、好きに会場を見て回る展示形式らしい。それぞれの入り口の上に、「Season」「illusion」「Silence」というそれぞれの会場のテーマが文字盤に書かれている。


「ねぇ、こっちから行こう!」


もう楽しみではちきれそうな心のままに、奏多はユルカの手を引っ張って「Season」の文字が書かれていた部屋に入っていく。


「わぁ……」


道を進み、少し暗い角を曲がった途端、視界いっぱいに鮮やかな光が飛び込んできた。


教室ほどの広さの空間で、壁一面ガラス張りの水槽となっているばかりか、床までもが水槽となっている。それもただの水槽ではなく、床も壁も水槽の背面が液晶パネルとなっており、赤い紅葉が舞う鮮やかな演出の映像が流れている。


部屋に入った奏多が最初に見た世界は赤だった。


床も、壁も一面の赤。それは水面を焼く一面の紅葉たちだった。真っ赤に染まった楓の木から、ハラリハラリと落葉が続く映像が壁の液晶に映されている。床には流水に移ろう紅葉たちが映され、本当に水の上に立っているようだ。耳を撫でる流水にも似た落ち着いた音楽は、流れる時を何倍にも引き伸ばす。


「すごい……。本当にやってる……」


ユルカの言っていた通り、スタッフたちは閉場処理を終える前にどこかに行ってしまったらしい。


目の前に繰り広げられる鮮やかな光景。だが……


「魚……いなくない?」


そう、プロモーション映像でも見られた熱帯魚がいない。いや、いることにはいるが、どの魚たちも水槽の端によってしまっており、奏多からはギリギリ尻尾が見える程度であった。


「これって」


「あぁ。俺のせいだな」


 つまらなさそうに青年は言葉を漏らす。


「な、なるほど……こういうことにもなるんだ……」


 立ち尽くしている間に目の前の季節は移ろう。


紅葉が全て落ちてしまい、床を流れる紅葉もいつしか過ぎ去り、厳しい冬がやってくる。


魚たちにとっては厳しい季節。床は凍りついた映像に変わり、壁の液晶は雪の舞う映像に切り替わる。


先ほどの紅葉が目立っていた光景とはうって変わった白い世界。おそらくは、この厳しい環境を表現した背景に魚たちを泳がせることで、今度は映像よりも熱帯魚を目立たせようとする演出なのだろう。とはいえ、熱帯魚がいなくともこの演出だけで十分に綺麗だ。


「ま、まあ、これはこれで、楽しもっか。逆に考えれば、熱帯魚なしでの演出なんてあなたなしじゃ見られないものだしね!」


 ポジティブを爆発させる奏多。ユルカはそんな奏多を珍しそうに数秒見た後に小さく頷いた。


二人は館内を巡っていく。「Season」の展示は先ほどの部屋だけではなく、次の部屋も続いており、光が彩る通路を通して「illusion」「Silence」の展示会場へと繋がっていた。


「ねぇ、他にはどんな魔法が使えるの? 元の世界だとみんな魔法が使えたの?」


六角形の水槽の中で、映像と魚の群れが混じっている光景を眺めながら奏多は尋ねる。


「いろいろ使える。元の世界のやつも、他の世界のやつもいくつか」


「え? 他の世界のも?」


「ああ。さっき使ったやつも他の世界で覚えた魔法なんだ。あの世界では魔法じゃなくて想互術サージェンって呼んでたけど」


 ユルカは視線を上げて、映像と実態の熱帯魚が舞う大きな水槽に目を向ける。水槽を透かして見る彼の瞳の先には、今まで巡ってきた世界の姿が映っている。


「ほかにやることもないからな。いろんな世界に飛ばされるたびに、その世界がどんな世界か調べるんだ。使えそうなら、魔法や想互術サージェンみたいな特殊な技術を勉強することもあった」


「じゃあ、めちゃくちゃいっぱい魔法が使えるんだ」


 ユルカはかぶりを振った。


「全然。だいたい他の世界では使えない。この世界に魔力がないみたいに、他の世界の魔法を使うための条件が別の世界でそろってないことがほとんどだ。……それに、使えたとしても、大体ちゃんと使えるようになるまでに次の世界に飛ばされるから、その世界で本当に初歩的な魔法までしか使えないな。俺が元いた世界の魔法もここでは使えない」


「その、さーじぇん? っていうやつはこの世界でも使えるんだね」


「ああ。これは、自分の中にある力……確か想源フィズマとかいう力を使うからな。俺の体があれば使えるから、結構重宝してる。といっても、あと使えるのは、音を出す想互術サージェンとか、光を出す想互術サージェンとか、基本的なやつと、便利そうだから覚えた汚れを集める想互術サージェンくらいか」


「汚れを集める想互術サージェンって何? それ使い道ある?」


「ある。俺は水にも避けられるから、シャワーも浴びれない」


「あっ」


確かに、と青年の顔をみる。言われてみれば、多少汚れてはいるものの、何年も体を洗えていないほどの不潔さはない。


「俺にとっては重要だよ。自分の体の汚れを集めて捨てる。……まあ、俺が汚れていようが誰も気にしないから、たまにしかやらないけど」


誰からも認識されない状態が続けば、身なりなど気にすることがなくなるのだろう。実際出会った頃に着ていた服は、服というのもおこがましい様になっていた。彼はそれをもう気にすることがないほど人と関わらないでいたのだろう。


「私と会うときは使っててよ。その魔法」


ユルカは驚いた様子で奏多を一瞥したあと、目をそらして「わかった」とだけ言った。


「Season」の展示を見終え、「illusion」の展示へと足を運んでいく。ここは、映像と実体の熱帯魚を巧みに使って、観客を騙して驚かすような演出がされているらしい。もちろん、ユルカの前ではどの熱帯魚も一匹残らず水槽端によってしまっているのだが。


映像でできた魚群が舞い、派手な模様の大型魚が投影される。本来熱帯魚との組み合わせで織りなされるものなのだろうが、映像だけでも十分に楽しめる。意表を突かれる表現に二人の心は自然と弾んだ。


一つの展示が奏多の目に止まる。キューブ型の水槽が階段のように積み重なっているものだ。その水槽の中では逃げ場がないので、ユルカから一番遠い水槽の端で真っ赤な熱帯魚が息を潜めている。さすがに水槽を飛び出して逃げたりはしないらしい。こういう形でなら一応ユルカも生き物に近づけるようだ。


「Season」の展示でもそうだったが、映像の演出が一周して同じ演出に戻るまで結構な時間を要するが、この会場を貸し切り状態で使えている二人は、周囲を気にすることなく演出を思う存分楽しんだ。


 その間も奏多はユルカから他の世界のことを聞き続けた。


「本当にいろんな世界があるんだね。いろんな世界が見られるなんてうらやましいな」


目まぐるしく色の変わる魚の映像を見ながら、ため息をつくように奏多はそう言う。


「それしかやることがないから」


目を伏せてそう言うユルカを見て、奏多はぐっと眉に力を込めた。


「……最初はさ、神様がこんなふざけた力をくれたのは、世界を見て回らせるためなんじゃないかって思ったんだよ。だから、行った世界を回って、その世界のことを調べたりもしてて……」


「確かに……きっとそうだよ」


「ハッ。そんなわけない。だったら人や物まで避けさせる意味が分からない。やっぱりただの呪いなんだってすぐに思い直したよ」


「…………」


それは、悲しい思い直しだ。だが、


「でも、そう思った後もいろんな世界に行くたびにその世界のことを調べてたんでしょ?」


「そうだけど……それはほかにやることがないからで……」


 奏多はユルカに微笑み返す。


「ポジティブに考えようよ。同じようにその世界を調べるなら、『それしかやることがないから』って考えるより『そのためにこの力を与えられたんだ』って思う方が、ずっといい気分にならない?」


「いや……」


とユルカは何か言い返しそうになったが、声を少し止めると奏多へ苦笑を返した。


「いや……そうだな。そっちのほうがいい。そう思うことにするよ」


「でしょ! そっちの方が絶対いいって! この世界のこともいろいろ調べよう! 私も手伝うからさ!」


「それ、あんたがあちこち旅行行きたいだけだろ」


「い、いや、そんなことないし……」


まあ、全くないと言えば嘘になるが。


「まあ、なんにせよ!」


奏多は小走りに円筒形の水槽の前まで行ってから、ユルカへ振り替える。月の光のように淡く穏やかな光を背に、彼女はユルカへ笑みを向けた。


「これから先は、もっと楽しくなるよ!」

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