第8話 ダッッッッッッッッサ!


「ダッッッッッッッッッサ!」


 いつの間にか誰もいなくなっていた駅前に奏多の声が響き渡った。


目玉が飛び出るほど驚いた。


まず、上下とも明らかにサイズが合っていない。ジャケットは本来女性が着るようなだいぶゆったりするタイプのものだと思われるが、ユルカがそれを着ればパッツパツになっており、スウェットも同様に彼の足に張り付くようになっている。


ボロ布を身にまとっていたときとは別の意味で肩を並べて歩きたくない。


「い、いやいや! なにそれ⁉ えっ⁉ どこでそんな服手に入れてきたの?」


「え、これは……」


「ああーいい! 説明しなくていい! もう! なんなの⁉ どういうこと⁉」


「おいおい落ち着けよ」


ダサい恰好のやつが真顔でそう言ってくる。


「落ち着けないよ! なんであなたは平気なの?」


「おかしいか?」


「おかしいよ!」


ずっと人と交流しないとこんなファッションセンスになるのか? いや、それにしたって酷すぎる。


「もー! まずは服買うところからね!」


と、早速今日の予定が変更になったのであった。


こうしてデジタル水族館へ行く前にユルカの服を買った。が、その道中彼と行動を共にすることにより、奏多は青年が生きる世界を目の当たりにすることになった。


まず、周囲に人がいない。予想できていたことだが、街中でそれを体感するとその不気味さはひとしおであった。普段交通量の多い通りに誰もいない。風も吹かない。通り過ぎる喫茶店や飲食店にも誰もいない。まだ湯気の上るコーヒーや食事を残して……。完全に人の存在を感じないわけではなく、そうした僅かに残っている人の気配が逆に世界からの疎外感を強めている。なんなら遠くのほうには、人の姿を確認することはできるのだ。青年が人を寄せ付けない範囲はおよそ20メートル程度のようで、道を挟んだ反対側の歩道や一つ先の交差点には人を見つけることができる。しかし、そんな彼らも近づくころにはどこにもいない。ユルカはこんな孤独を感じ続ける世界にずっと生きているのだ。


ユルカの生きる世界の生きづらさは奏多の想像以上だった。とりあえず近くのアパレルショップで買い物をしようと思っても、会計をする店員がいない。とりあえずユルカには外で待ってもらうことでなんとかしたが、ユルカ一人ではこれはできない。彼が人の営みに関わることができないことが身をもって奏多は知った。


彼が190cmはあろう長身であるので、服のサイズがあるか不安だったが、何とか大きめのサイズの服をギリギリ着ることはできた。それでも、ズボンの裾が若干足りず踝が見えているが仕方がない。


思わぬ出費に奏多は苦い顔をせざる得なかったが、着替えろと言ったのは自分な手前そこはもう気にしないことにする。


着替え終えたユルカと電車に乗って会場へ向かう。揺られる車内はもちろん無人。こんな電車に乗るのは、母の実家がある田舎町の電車に乗った時くらいであった。


長身の青年は窮屈そうに電車に乗っており、とりわけ彼の顔の位置にくるつり革に迷惑そうな表情を見せる。


「これなに?」


「なにこれって、つり革だけど……知らない?」


「ああ。知らない」


「電車って揺れたりするから、こうやって捕まってバランスを崩さないようにするためのものだよ」


「へぇ……」


 と言ってつり革持つが、彼の高さでは幾分掴みづらそうだった。


「や、私たちは座ろうよ。席空いてるし」


 腰を下ろした奏多は自分の隣をポンポンと叩いた。それに従ってユルカも席に座る。


「ねぇ、あなたって、何者? どこの国の人?」


もはや聞かずにはいられない疑問だった。


全てに避けられる呪いを持っていることを除いても、不思議なことが多すぎる。日本語を話しているが、真っ青な瞳に相当な長身という明らかに日本人ではない見た目。もともと着ていたどこの国とも知れない服。住んでいるところも不明であれば、お金も持っていない。あらゆる部分が謎だ。


青年はその質問に眉を上げるとほんの少しだけ考える素振りを見せて、


「ディエリ共和国」


と答えた。


「ディ、でぃえり?」


聞いたこともない国名だった。その奏多の反応に青年は苦笑を見せた。


「知らないのも当たり前。この世界の国じゃないから」


「え? この世界のって……」


青年は外に流れる景色を見た。


「異世界とか、別次元って言うのかな。あるんだよ。こことは別の世界っていうのが。そこの出身ってこと」


「それ……マジ?」


「マジマジ。ずっと着てたあの服は最初の世界のやつなんだぜ」


「……」


にわかには信じがたいが、納得はいく。こんなに真っ青な瞳の人間なんてテレビでもネットでも見たこともないし、顔つきもどこの民族とも思えないものをしている。


「でも日本語喋ってるじゃん」


「な。不思議だよな。俺としては元の世界の言葉と文字しか知らないんだけど、別の世界に行ってもその世界の言葉がわかるんだよ。話してみたのはあんたが初めてだけど、どうやら俺が話す言葉もその世界の言葉になるらしいし」


「物に避けられる能力の別世界の人って、もういろんな要素てんこ盛りだね……」


「いや、これも避けられる呪いのせいだよ」


その言葉を吐く青年の声には焔の色がちらつき、外の景色を、いや、世界を見る目は刃物のような鋭さを湛えていた。


「……どうやら、俺は世界そのものからも避けられるらしい。一つの世界にしばらくいると、その世界からも追い出されて、別の世界に送られる」


「別の世界……」


荒唐無稽な話だった。しかし、彼の能力を知っているからそれが嘘ではないことはわかる。


「もういくつ世界を回ったかな。いろんな世界があったけど、どこでも俺は避けられたよ」


「……」


彼の眼は暗い。彼は呪いによって家族や友人にすら近づけないどころか、そもそも家族や友人がいた世界からも追い出されてしまったのだ。


そんな彼の悲壮を感じてはいたが、奏多は自身の内側から湧き出してくる光り輝く感情を抑えることができなかった。


「いろんな世界って……どんな世界なの? この世界と同じ? それとも全然違う?」


「全然違うよ。空に大地が浮かんでいる世界とか、魔法が生活の中心になってる世界とか」


「魔法⁉︎ 魔法がある世界もあるの⁉︎」


「あ、あぁ。この世界にはないの?」


「ないよ! すっごい! そんな世界があるんだ! ねぇ、それってどんな感じの世界だったの?」


 予想以上の食いつきを見せた奏多に驚きつつも、ユルカは自身の記憶を探るように天井を仰ぐ。


「そうだな……あの世界はものすごく高い建物ばっかりだったな。みんな普通に飛べるから、どんどん高い建物を作った方が効率がいいんだ。高い建物の間を人や乗り物がいっぱい飛んでたな」


「すっご、でも落ちたら大変じゃない?」


「大変だとは思うけど、落ちるなんてことよっぽどないことなんだろうな。結構長いこといたけど、落ちた人なんてみたことなかったし。重力を操る魔法がすごく発達してるから、人も飛べるしめちゃくちゃ高い建物を作れる……みたいなことを何かで知った気がするけど、あんまり詳しくは知らない」


「人は? 人は私たちと同じ感じ?」


「人は……姿形は同じだけど、みんな首元に緑の宝石みたいなやつを埋め込んでて……」


 と、そこまで話したユルカは、奏多へ視線を下ろす。


 あれこれ訊いてくる少女の目はキラキラと好奇心に輝いていた。


「そんなに気になる?」


「気になるよ! 他の世界の話なんて、普通聞けないじゃん!」


 興味津々な様をありありと見せつけられ、ユルカは若干たじろいだが、すぐに笑みを綻ばせた。


「いいよ。話すよ。俺も話したい」


今まで誰にも話すことができなかったから、とは言わなかったが、口にした言葉にはその色が滲んでいた。


「その魔法の世界では大変でさ、俺が近づくと一部の魔法が止まっちまうんだよ。しかも俺は飛べないから高いところにあるほとんどのところに行けなくてさ……」


そうして二人は移動中ずっと違う世界の話をし続けた。奏多が質問したり、この世界ではどうなのかについて話したりしつつも基本的にユルカが話し続け、移動の時間はすぐに溶けてしまった。


 奏多が聞きたがったこともあるが、ユルカもまた自身が経験した事を話たがった。それが世にも珍しい体験である事を差し引いても、彼が人との会話に飢えていたことが窺えた。


彼は別の世界に飛ばされるたびにその世界をみて回っているそうだ。ユルカはそれ以外にやることがないと嘆いたために言わなかったが、ずっといろんな世界を旅できることは少しだけ羨ましいと奏多は思った。


考えてみれば、今日会った時に着ていた服装が常軌を逸していたのも、彼がいろんな世界を渡り歩いてきた故に、この世界の「普通」がわからなかったからなのだろう。


「寝る場所とか食べるものとかはどうしてるの?」


「どうって、そのへんの家に入って適当に食べたり寝たりしてる」


「え?」


 言っていることを理解するのに数秒要した。


「そ、それって勝手に人の家に泊まったりしてるってこと?」


「ああ……。そうだ」


ユルカは軽く目を逸らした。


「いやいやいや! そんなのダメでしょ! その家で寝泊りしてるときその家の人どうしてるの⁉︎」


「さあ……どうでもいい。どうせ俺とは関わらないし」


 彼の能力の範囲が半径20メートルだとすると、小さな家ならスッポリ収まりきってしまう。家主はその時だけ外泊でもすることになるのだろうか。


確かに彼の能力でまともな生活を送ることは難しいと思っていたが、そんな生き方をしていたとは。と、そこまで思ったところではたと気づく。今日会った時に来ていたあのクソダサい服は……。


「まさか、今日着てきたあの服って、どこかの家から盗ってきたの?」


「ああ。今あの廃墟の隣の家に住んでるから、その家のやつを適当に」


「隣って、えーと、誰の家だかは知らないけど……。 えぇ、やばいよ。その家の人たちきっと困ってるよ」


「どうでもいいだろ。関わりない人間がどうなってようと」


「いやでもさぁ……」


「じゃあ、どうするんだよ。こんな呪い受けて、まともに生活できるわけないだろ」


「それは……」


奏多は言葉を続けることはできなかった。彼の言う通りだ。人と関われない以上、金銭を得ることも金銭を対価に何かを得ることもできない。人と関わることができない彼は人の営みの輪からも外れている。そんな彼が普通の人間で言う真っ当な生き方をするのは不可能だ。彼を責めることはできず、


「……そうだよね。そうするしかないもんね」


心に立ち上がる暗雲を飲み込んで、奏多はそう言うしかなかった。


「ごめん。別の話しようか」


「あぁ」


遊びに行く前にテンションを下げたくはない。少し無理のある笑みを浮かべて別の話題を始める奏多に合わせて、ユルカもそれ以上その話はしなかった。

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