第7話 ポジティブにいこう!

「なかなかいいところでしたな!」


 翌日。昨日部活で約束していた通り、部活後に数名の部員たちとカフェに寄って新メニューと雑談を楽しんだ。その後、奏多は帰り道が同じ部員たちと電車に乗っていた。


 夕方ということもあって車内に人は多いものの、腕を広げられる程度の間隔は空いている。満員電車嫌いの奏多でも気楽でいられた。


 ムフーッと鼻息荒く今日の新メニューの良さを語っているポニーテールの少女は、加崎 いろ。小柄でせっかちといかにも小動物なイメージを纏う奏多の同級生だ。見た目から受けるイメージに違わず、陸上の担当種目は短距離100m走だ。


「まさか、新メニューにオレンジのやつもあるとは! 柑橘系最強のあたしには、超最高だったね、うむ」


 うむうむとどこかリズムをとるように首を振る陽彩ひいろ


 新メニューは果実のタルトだった。店前のポスターにはイチゴタルトのイラストしかなかったのだが、いざ行ってみると、イチゴ以外にもレモンやブルーベリーなど、他の果実のタルトもあったのだ。


陽彩ひいろ、レモンとか好きだもんね。美味しかったなぁ」


 さっき食べた新メニューの味を思い出して奏多の頬も綻んだ。本当は、イチゴのタルトを食べようと思っていたが、一緒に行ったみんながレモンタルトを注文したので、それに合わせて彼女もレモンタルトにしたのだ。とはいえレモンタルトも十分に美味しかったので後悔はない。


 小さなタルトの器に乗せられた生クリームとそれを彩る溢れんばかりのフルーツたち。それらのおいしさを少しも逃がさないと言わんばかりに表面に薄く張られたゼリーの膜の光沢。期間限定商品らしいので、期間が終わる前にぜひもう一度行きたいと奏多は思った。


「誘ってくれてありがとね。奏多っち」


「うむ、感謝しなさい。……って、最初に行こうって言ったのは美奈だけどね」


「まあまあ、細かいことは気にしない。いろいろ話せてよかったよ」


陽彩ひいろはほとんど『WitH』の話ばっかだったじゃん」


 WitHというのは、陽彩ひいろの好きなガールズバンドのことだ。ドラマの主題歌を何度も務めたことがある大物歌手で、陽彩ひいろはこのバンドにインディーズのころからご執心なのであった。


まあね、と陽彩ひいろは笑って返した。が、少しの間を開けて表情が少し曇る。


「ほんとに話したかったことは、別だけどね」


「え?」


「部活のこと」


「……」


 部活のこと。そう言われるだけで、陽彩ひいろが何を言いたいのか察しがついた。


「奏多はさ、朱音側なんでしょ。朱音たちと仲いいもんね」


「……」


 奏多は陽彩ひいろから目を逸らして、窓の外の景色を見るふりをした。


「別に攻めてるわけじゃないよ。朱音くらいデキるなら、うちの部活緩すぎって思うのも仕方ないと思うし」


「やっぱり、嫌?」


「そりゃ嫌だよ。中学きつかったけど、高校は緩そうだから続けられそうと思って入ったんだし」


「そうだよね」


 奏多は入部時点ではそこまでは考えていなかったが、今は自分の心が陽彩ひいろと同じ色をしているのがわかる。


 奏多が口を開く。


「……もし、部活厳しくなったらどうする?」


「んー。別にー? そう決まったら仕方ないでしょ。部活が厳しくなったからやめるってのも感じ悪いじゃん」


「そう……かもね」


 奏多もそう思っている。だからこそ、言い出せない。仲のいい朱音と美鶴に言い出せず、陽彩ひいろのように割り切れないでいる。


「私さ……」


「あ、あたしここで降りるわ」


 奏多の言葉に陽彩ひいろの声が重なった。


「えっ? ここで?」


 奏多は駅名を見る。表記された駅名は奏多が下りる駅の一つ手前の駅。陽彩ひいろの家の最寄り駅まではあと四駅も乗っていなければいけないはずだ。


「何? 用事?」


「ううん。なんとなく」


「な、なんとなくって」


 陽彩ひいろは突拍子もないことをよくするが、それにしては唐突だ。何か今の話題で気分を害したのかとも思ったが、陽彩ひいろの表情には負の感情は全く浮かんでいない。


 そう思っているうちに、電車はゆっくりと停車してドアが開く。


「んじゃまた明日~!」


 困惑する奏多を他所に笑顔を残して降りていく陽彩ひいろ。それに続くように車内の人たちが次々と降車していく。


「ちょっ」


 降りていく人はいつもより多く、人の波にカバンが引っ掛けられ、危うくカバンを落としそうになる。


 カバンを抱きかかえるようにして扉近くの壁に背中を押しつけ、人の波が去るのを待つ。


 かなりの人が降り、扉が閉まるころには車両内の人口密度はさっきの半分以下になっていた。この時間帯に珍しく席もかなり空いている。


 再び動き出した電車の慣性に揺られながら窓の外を見るが、蛍光灯に照らされたホームの人込みの中にもう陽彩ひいろを見つけることはできなかった。


(なんだったのあれ?)


 言えない用事でもあったのだろうか。それとも本当に気まぐれが。


 奏多は近くの席に座ると、胸ポケットから取り出した携帯端末に意識を向ける。よく覗くイベントサイトを開いて閲覧していく。


行きたいイベントや観光地が目白押しだが、一番行きたいところは、9月中に開催終了となる「デジタル水族館」というイベントだ。「光と熱帯魚たちが織りなす色彩のアート!」と大々的な宣伝文句が銘打たれている。様々な熱帯魚とプロジェクションマッピングを用いて映像と熱帯魚で表現するアートイベントのようで、会場の画像には赤い熱帯魚と映像で作られた青い龍が水槽の中を舞っているものや、季節をイメージした映像に熱帯魚たちが泳いでいる姿が載せられている。コンビニや電車でも広告が出されている期間限定の大イベントだ。


 展示の美しさに目を輝かせるが、直後見た会場の様子が撮られた写真に顔を顰める。会場内は人込みでいっぱいであり、せっかく地面に投影されたらしいプロジェクションマッピングもうまく見られないような状態となっている。込み合いすぎないように入場制限はしているらしいが、それでも奏多にとっては多い。出かけるのは好きなのに、こういうイベントには人込みはつきものなのが、彼女にとっての一番の悩みの種だ。


(フェスとかは人が多いのが醍醐味ってかんじだけど、やっぱり何か見に行くときは、なるべく落ち着いて見たいよね……)


 行くとしたら今週末、再来週とその次の週は既に遊びの予定が埋まっている。


(でも人込みがなぁ……)


 なんて思っているうちに、次の駅に到着した。携帯端末を胸ポケットに入れ、カバンを肩に掛けなおそうと視線を上げたとき、


「えっ⁉」


 奏多は席から立ち上がった。車両の中に自分以外の誰もいなかったのだ。


「嘘っ、なにこれ⁉」






 奏多は席から立ち上がった。車両の中に自分以外の誰もいなかったのだ。


「嘘っ、なにこれ⁉」


 こんな光景見たことがない。そもそも、前の駅でいつもより多く人が降りたのは確かだが、発車した時点ではまだ車内に人はいたはずではないか。


 驚いて左右を見回すと、隣の車両には普通に人が乗っている様子が見えた。この車両にいた全員が隣の車両に移動したのいうのか。


 あまりに異常な現象だが奏多には心当たりがある。


 プシューと、音を立ててドアが開く。放心しかけていた奏多は、扉が閉まる直前でホームに降りる。


 この時間帯ならいつも賑わっているはずのホームにも人影はない、と思ったが20メートルほど先に改札付近はちゃんと人が出入りしており、電車から降りてきた人もいる。ただ、奏多の周りにだけ人がいないのだ。いや、正確に言うなら……、


「よぉ」


 ホームの椅子に座っている青年、ユルカの周囲にだけ人がいない。


 視界の外から声を掛けられてビクリとした奏多であったが、彼の姿を認めると安堵と気疲れが混じった色の息を漏らす。彼がここにいるなら今起きていることの全てに合点がいく。


「びっくりした。いきなり電車の中に誰もいなくなるから、私もあなたと同じ能力になったのかと思った。なんでここに?」


 ユルカは人差し指で額を掻いた。


「いや、その待ちきれなくてさ……」


 苦笑いしながらそんな気恥しいセリフを言われたら奏多も思わず顔が熱くなってしまう。奏多は大げさに肩をすくめた。


「何それ、口説いてる?」


「ち、違うって」


「フフフ」


 茶化すことで若干顔の熱さも引いたところで、奏多は自分の乗っていた電車を振り返る。


「私、あなたの力ってバリアみたいなものが張ってあるんだと思ってた。でも違うんだね」


 もちろん、雨など物理的なものは、バリアのように物理的に近づけないのだろう。しかし……、


「あんなふうに、あなたに近づく前からそもそもあなたに近づけないような、そんな行動をしちゃうんだね」


「……」


 青年は目を細めて視線を足元に下した。


「都合のいい呪いだよ」


「都合のいい?」


「都合の悪い、のほうが正しいか。だってそうだろ? なんでも避けるのなら、光にだって空気にだって避けられて、俺の周りは空気もない真っ暗な空間になってないとおかしいだろ? でも都合よくそういうのは避けないし。なんならその辺のビルとか物とかも俺が近づくだけで壊れる、なんてことも起きてないしな。都合よく」


本当にすべて避けられるなら、彼は地面や重力すら押しのけてただ何もない空間がそこに出来上がるはずだ。しかしそうではなく特定のものだけが避けられるというのは、たしかにどこか恣意的なものを感じてしまう。それこそ、彼にこの力を与えた神様か何かの……。


 青年の目はどこか虚空を睨みつけていた。その目が放つ憎しみの矢が貫いているのは、自身の運命なのか、それともこの呪いを与えた何者かなのか。


彼のような青年が放つにはあまりにも暗い瞳の光に、奏多の心に痛みが差す。彼の頼みの綱は彼を認識できる自分しかいない。現に彼は一日を待てずして彼女に会いに来た。それほどまでに彼のいままのでの人生が孤独で、彼の中で自分の存在が大きいことが嫌が応にもわかってしまう。


それは奏多にとって背負わずともいい重石であると分かっていても、青年が奏多にしか頼ることのできないという事実が心に刺さる。同時に彼に対して何も与えることができない後ろめたさのような感情も彼女の腹の中に渦巻いていた。


 なぜかユルカを認識できるが、それだけ。彼に対して奏多ができることなど……


「あっ」


そのとき、奏多の頭の中でいろいろな記憶が稲妻のように駆け巡って、一つのアイディアを紡ぎだした。


突拍子もなく馬鹿馬鹿しいが、彼女にとってはナイスアイディア。


奏多は人差指をピンと立てて青年の青い瞳に喜色の視線を投げた。


「じゃあさ、旅行に行こうよ!」


「え……?」


唖然とした青年の顔は、やはりどこか子供っぽかった。


第二章 物は言いよう考えよう




その週の日曜日、奏多は最寄りの駅前にある噴水にて待ち合わせをしていた。待ち合わせ相手はもちろんユルカだ。


午後の陽光は降り注いでは噴水の飛沫に散らされて、風と共に運ばれてくる初秋の肌寒さを和らげてくれている。ビュオッと吹いた風が水しぶきを攫って奏多の頬を小さく濡らす。行き交う人々との間に挟まる水音と街路樹のさざめきに耳を傾けながら奏多は先日のことを思い出していた。





「で、旅行って何?」


さすがにそのままホームにいると他の人の迷惑になると思い、奏多とユルカは駅を後にして廃墟へと向かっていた。


昨日とは打って変わって晴れた空には、まどろんだ太陽から滲んだオレンジが混ざっている。通勤通学路にも関わらず、車も人も、それどころかカラスも猫も何もいない通りに、二人の足音だけが木霊していた。


「ポジティブに考えようよ!」


奏多は自身の名案に目を輝かせて青年に笑顔を向ける。


「どこに行っても誰にも会えないってことはさ、どこの観光地に行っても人込みを気にしなくっていいってことじゃん!」


「まあ、そりゃ誰も俺の周りに来ないからそうだけど……観光地はどこから出てきたの?」


「私さ、観光とかイベントとかに行くの好きなんだよね」


「え? あ、ああ……」


「でもさ、人込みが嫌いでさ、旅行に行っても人ばっかりで全然見たいものが見れなかったり、混雑で嫌になっちゃったりするんだよね。でもあなたならどこに行ってもそんなことないでしょ? そう考えたらほら、ただ悪いだけの能力じゃないって思えない?」


「いやぁ、そうか? ちょっと無理があるような……」


少なくとも青年は全くそう思ってはいないようだが、奏多はめげない。


「そんなことないって! 私にとってはすっごい いいことだよ!」


 まだらな雲から覗いた太陽光が、ユルカの顔を照らし上げた。彼は目を見開いて奏多を見返していた。


もちろん、人込みに巻かれないのと引き換えに一切誰とも関わることができなくなってもいいかと言われればノーだ。だが、しかし人込みに悩まされることなく旅行に行けるというのは、奏多にとってこれ以上ないほどいいことだ。


目を丸めていたユルカは、やがて小さく苦笑した。


「いいこと、か。そんな風に考えたこともなかったな」


だいぶ強引だがポジティブと言えばポジティブと言えなくもない。


「でも、実際俺がいいことだって思えないよ。俺は別に観光したいと思ってないし……。そこで恩恵を受けてるとは思えないよ」


「でも私がいるじゃん!」


あまりにもあっさりと言われたその言葉に、再度ユルカは目を丸くすることになった。


「あなたと一緒にどこかに行けば、私は人込みに巻き込まれずに観光できて楽しい。ほら、私が恩恵を受けてる! 悪いことばっかじゃないって!」


「いやそれ……恩恵受けてるのあんただけじゃん……」


「あー……まあ、そうとも言えるけど……」


奏多の言葉の歯切れが悪くなる。まさにユルカの言う通り。ようやく冷えた頭で、自分に都合のいいように考えすぎたかと反省する。奏多の言い分は見方によっては青年をいいように利用しようとしているようなものではないか。


「あの、ごめ——」


「いいよ。行こうか」


「え?」


奏多の言葉に被せられた声は、思いもしない言葉だった。


「どうせ他にすることもないし、俺の呪いを利用したいっていうのなら付き合うよ」


「ごめん。利用したいとかそんなつもりで言ったわけじゃ……」


「いや、いいよ。わかってる。それに、さっきはあんなこと言ったけど、俺のこの呪いが何かの役に立つなら、その……悪い気はしないし……」


目を逸らしてそう言うユルカに、奏多の頬も思わず緩んだ。


「それにしても、あんた変わってるな。自分で言うのもなんだけど、俺って相当怪しいと思うんだけど。よく旅行に行こうとか言えるな」


「そんなことないって。私は普通」


 ユルカの言葉を切るように、奏多はキッパリとそう言った。


 その強い口調にユルカは眉を上げる。


「言いたいことはわかるよ。私も我ながら大胆だなって思うし。でも、私……こういう特別なことに弱いんだ」


「特別なこと?」


「うん。限定メニューとか絶対頼んじゃう人。自分の外にある特別なものが好きなんだ。そういうのって楽しいじゃん」


「ふうん?」


 『自分の外』なんて含みある言葉。単純な珍しいもの好きというわけではなさそうなその言い方に、ユルカ不思議そうな顔をする。だが、彼はそれ以上追及してくることはなかった。


「それで旅行好きってわけね。で、どこ行くの?」


「えーっと、ここ!」


携帯端末を取り出して、奏多は先ほどから見ていたデジタル水族館のWebサイトをユルカに見せる。


「デジタル水族館? ここに行きたいの?」


「うん。行きたい! 映像と熱帯魚たちを綺麗に組み合わせてすごいんだって! 連日満員なんだって話!」


「ふうん。まあ、俺はどこでもいいや。いつ行くの? 明日?」


「ううん。今度の日曜」


「日曜っていつ?」


「明後日。っていうかその前に解決しなきゃいけない問題があります」


道端で立ち止まった奏多は、畏まった表情をして腰に手を当てる。


「え? 何?」


「そ・の・恰・好・です!」


「恰好? 服ってこと?」


 ボロ雑巾でも穴が開いていないだけまだましと言える服(なんなら服というのもおこがましい)を見てユルカは『何かおかしいところありますか?』という表情を奏多へ向けてくる。


「そう! 出かけるならまずその服装からなんとかして! そんな酷い恰好してる人と出かけたくありません!」


「誰も俺のことが見えないんだから恰好なんてなんでもいいだろ?」


「私には見えてるでしょ!」


「あ、ああ、そうか……。でも、この服以外持ってないぜ?」


「はぁー? 一体どういう生活してるのよっ?」


 あらゆるものから避けられる呪いがあることも相まって、どういう生き方をしているかまるで見当もつかない。


「まあ、服はなんとかしとくよ」





なんてやりとりがあって奏多はユルカと出かけることになったのだ。


(よく考えてみれば男子と二人で出かけるのって初めてかも)


女子含めたグループで遊ぶことはあっても男子と二人でというのは、今までなかったかもしれない。


(いやいや、そんなつもりないし)


そもそも彼が男子と呼べる年齢なのかもわからない。相手は得体の知れない男。悪い人間ではないとは思いつつあるが、この外出も話の流れでなっただけだ。


(まあでも……)


奏多はユルカの顔を思い出す。精悍な顔つきに、空を映したような青い瞳。髪型こそひどくボサボサだったが、そこに目を瞑ってまともな恰好をすれば意外と……、


「あ、いたいた」


ユルカが現れた。女性ものと思われる花柄のジャケットと丈の合っていないスウェットを着用して。


「ダッッッッッッッッッサ!」

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