第6話 一人
しっとりと夜に包まれた自室で奏多はベッドに横になっていた。日付を超える少し前の時間。数多の旅行先で手に入れた置物たちが静かな息を立てている。奏多は寝転がりながら携帯端末を覗いて夜の闇を押しのけていた。
寝る前に少し観光地やイベントなどを調べるのが彼女の習慣であった。彼女の端末には、この今月内に東京で開催されるイベントが掲載されているサイトが表示されていた。
奏多は旅行やイベントに行くのが好きだった。いつも過ごす場所とは違う場所で、違った景色を見る。普通ではない特別を感じる。自分の肌でそうした特別な空気に触れると心が高鳴るのだ。
音楽のイベントや、特別展示会など今月だけでも開催されているイベントはたくさんある。
(行きたいやついっぱいあるなぁ……)
彼女は東京近郊で生まれ育って本当によかったと思っていた。東京では毎月どころか毎日のように何かしらのイベントは開催されているし、もとより観光場所もたくさんある。週末のたびに出かけているが、それでも参加したいイベントや行きたい観光地が尽きることはない。
いろいろなイベントに目を通しながら、奏多の脳裏に今日の出来事が浮かび上がってくる。
ユルカと名乗ったその青年と、彼が呪いと称したその力。
寝返りをうって彼女は天井へ目を向ける。
いまだに今日の不思議な出来事は夢か何かなのではないかと思う。目を閉じて、朝になったら何も残っていないのではないかと。しかし、そう思うにはあまりにもリアルで鮮明な体験であった。事実ずぶ濡れになった荷物と制服は今も浴室の乾燥機能で乾かされている。
奏多は額に手を当ててユルカのことを想った。
人も、物も、すべてから避けられ続ける彼の人生はどんなものだったのだろう。
どこに行っても誰の近くにも行けない。雨や風などの外部からの刺激を受けることもできない。世界から人がいなくなったり、雨が降らなくなったわけではなく、あくまでそれらが存在しているうえで接触することができないのは、残酷すぎると奏多は思う。
自分を認識できると知って奏多を探し、言葉も交わせると分かったときに堰を切ったように話し始めた彼の姿を思い出すと、苦い思いが心に滲む。
いったいどれだけの間 人と話すことができなかったのだろう。話し始めのころは声すらまともに出せていなかった。
『呪い』彼が称したそこ言葉は確かに適切なのかもしれなかった。
数時間前のことを思い出す。奏多が廃墟を後にしようとしたときのことだ。
「あのさ、あんたがよければ、またここに来てほしい」
「え?」
「だってほら……」
青年は頬を掻いて奏多から目を逸らした。
「あんたとまた、話したいし……」
「フフッ。なにそれ、口説いてる?」
「ち、違う!」
「わかってるって。あなたと話せる人、私だけだもんね。ってかここに来てほしいって、ずっとここにいるつもり?」
「まさか。適当にその辺で過ごして、またここに来るよ。明日、また同じ時間に話せるか?」
話したいことがたくさんあるんだと言わんばかりの目の輝きに、奏多は思わず頷いていた。
「わかった。でも明日は無理。部活のあと友達とカフェ行くから。その帰り際にちょっと寄るくらいならできるけど……」
「それでもいいよ。明日の夜、またここで」
と、そうしてまた会う約束をして帰路についたのだ。あのときは彼の素直さが可笑しくなって茶化したが、あの時の言葉はきっと押さえつけることのできなかった彼の本心そのものだ。
「はぁ……」
心に差しそうになっていた暗い雲から逃げるように、携帯端末を枕元に置いて目を閉じる。
カーテンの隙間から差す街明かりだけが部屋を照らす光源となっている。静かになった室内に、どこか遠くから響いてくる車の走行音だけが迷い込んでは離れていく。
青年の話を信じるなら、奏多もまた妙な力を持っているようだ。かつて雷に撃たれたことによって。青年を認識できるのはそのせいではないか、と言われたが実感はない。現状変なところといえば、ユルカを認識できることくらい。口から火が吐けるとかならともかく、そんなことで妙な力が自分にあると言われても反応に困る。そもそも、雷に撃たれたことが原因かもわからないではないか。
(特別、ね……)
昔の自分なら、そんなこと言われることすら嫌だった。だが、それは昔の話。
『私……「普通」がいい! 「特別」なんていらない……!』過去の自分の言葉が頭に響いた。嫌な思い出だった。
彼女は寝返りをうって湧き出した記憶から目を背けた。
今日はいろいろあった。溜まっていた疲れは即座に奏多を包み込んで眠りの中に連れていく。
また行く、とは言ったが、今考えれば行ってどうするとも思う。奏多の中の冷静な部分が、得体の知れなさすぎる青年に警戒を促す。
(明日夜……ね)
あんなところで夜に会う約束をするなんて、いくら何でも異常な状況に流されすぎたかもしれない。だが、正直に言えば、彼女はワクワクしていた。ユルカという特別な青年が生み出すかもしれない、旅行行くこと以上に特別な体験に。
そういえば、よく考えてみれば、今日の足場が崩れるなんて事故が起こったところなのだから、業者とかが来て簡単に入れないのでは? などと考えているうちに眠りについた奏多だった。しかし、彼女の心配を全く無視する形で、翌日彼女は青年と会うことになった。
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