第5話 世界に嫌われた少年
「騒がしくなってきたし、離れよう」
青年の背を追って、奏多は木造の廃墟へと足を踏み入れる。元は旅館か何かだったのだろう。妙に広い玄関と、玄関からすぐに続く大きな階段がかつての威厳の残滓を漂わせている。子供のころぶりに入る廃墟は、記憶の中にあるものよりずっと荒れ果てていた。足が折れて入り口を塞ぐように倒れてしまっている靴箱。雨漏りによって腐り落ちてしまった床。どれも、時間に溶かされていくこの家の哀愁そのものだった。
埃とカビ臭い玄関を上がれば、左右に伸びる廊下と崩れた木戸が彼女を出迎える。
子供のころの無邪気さに消されていた不気味さを奏多は感じた。だが、そんなことをお構いなしに、青年は転がっていた椅子を立ててそこに座る。
天井から軋みとともに彼へ埃が落ちてくるが、その埃は不自然な軌道を描いて彼から離れた床へ落ちる。
「その力って、なんなの? どうしてそんな力が?」
「そんなのこっちが知りたい。もうずっと、こうしていろんなものから避けられてる。自分の意思とは関係なしに……」
先ほどの彼の姿を思い出す。雨も、落ちてくるものも、人も、すべてに近づかれない青年。その現実離れした事象へ正直理解が追い付いていない。すべてに避けられるということはどういうことなのか。言葉を交わせる奏多へあそこまで大きな反応を見せたということは、その力を持ってからずっと、誰とも関わることがなかったのか。
「その、今までどうやって、生きてきたの? ずっと、誰とも関わらずに……」
「別に、適当に……その辺を歩き回って生きてる。疲れたら寝て、起きたらまたどこかへ行く……ずっとその繰り返し……」
青年の目に光はない。その瞳の虚ろは彼の辿ってきた人生の空虚さの鏡となっていた。
「一昨日あんたを見たとき、すごくびっくりした。俺を認識できる人なんていなかったから……。あれからずっと探してたんだ……」
それで、今日奏多と再び会うことになったのか。奏多にとっては奇跡的なタイミングで。
が、彼がそこまで必死に探してくれたことに対して申し訳ないが……
「私、何にもなくてごめん……」
「……」
青年は落胆の色を隠さなかった。最初はその雰囲気に呑まれていたが、こういう仕草といい、奏多が最初に受けた印象以上に青年は感情が表に出やすいようだった。
「なら……雷に撃たれたことは?」
「えっ?」
あまりに唐突に奏多の過去を突くその言葉に、思わず彼女は素っ頓狂な声を上げた。
動揺する奏多をよそに、青年はボロボロの上着を脱ぎ始めた。
「ちょちょちょちょちょちょっ!」
突然何をし始めたのかと手を振って動揺する奏多。しかし、服を脱ぎ終わった青年を見て、彼女はハッと息をのんだ。
「それ……」
首筋から木の根のように広がる茶色の火傷痕。人に刻まれるにしては異様なその痕に奏多は見覚えがある。
「ずっと昔に、俺は雷に撃たれたことがあるんだ。それで、雷に撃たれたときから、こんな呪いを持たされてる」
呪い。自らの異常な力をそう称する彼のその声には、怨嗟の黒が滲んでいた。
「私も……そうなの。私は覚えてないんだけど、子供のころに雷に撃たれて、同じ疵が背中にある……」
「やっぱりか……」
「どういうこと?」
青年は軽く頭を掻く。
「そういう例はいくつか見たことがある。俺以外にも、雷に撃たれて何かが普通じゃなくなった人を。神様からのプレゼントだか、天罰かは知らないけどな」
「普通じゃないって、でも私、何もないよ?」
「でも、あんたは俺を認識できてる。十分それは異常だ。そうか……こんな力が発現することもあるんだな……。俺にはこんな呪いかけておいて……。本当に、」
ふざけてる、と彼はそう吐き捨てた。自らにその運命を強いた神様へ唾棄するように。
その彼の物言いに対して、
「その力……そんなに嫌なの?」
と、奏多はそう返してしまった。ただ素朴に、そして浅慮に。その言葉が軽いがゆえに鋭く突き刺さる棘であるとも気づかずに。
青年は、青い瞳の中に炎を抱きながら言葉を吐き捨てた。
「嫌に決まってるだろ。 ずっと誰とも何とも関われないんだぞ? 雨も人も何もかも……。あんただったらずっと誰とも話せずに、認識もされないでいるのが嫌じゃないのか?」
「あ、ご、ごめん……」
彼女の脳裏に、友達や家族の顔が浮かぶ。
「……私だったら嫌、だね。耐えられないと思う」
「だろうよ。最初はもうわけわかんなくてさ、雷に撃たれて重傷なのに誰も助けてくれなかったんだぜ?」
「うわ……。そっか。そうだよね……」
「そう。わけわかんないまま病院行っても、誰も病院にいないし、そもそも道中ですれ違う人もいなくて、最初は世界から人が消えたのかと思ってたよ。……でも違った。わけわかんないまま自力で治療して、動けるようになってからあちこち歩き回ってようやく気付いたよ。おかしくなってるのは俺のほうだって……」
おや、と奏多は首を傾げた。醸し出している近寄りがたい雰囲気に反し、意外と彼は饒舌だ。
「本当にわけがわからなくてさ。だって雷でそんな風になった人なんて聞いたことないし。いや、もしかしたら認識できないだけで同じ風になった人はいるのかもしれないけど……。でも——」
と、青年がぽかんと口を開けている奏多へ目を向けたとき、はたと彼の声が止まる。
「あ、ごめん……。人と話すの久しぶりだから、つい……喋りすぎた……」
青年は頬を染めながら、自身の顔を腕に埋めた。
その仕草がどうにも子供っぽくて、奏多は思わず吹き出してしまった。
「あーなんだかなぁ」
完全に理解の外の相手なのに、自分の中から警戒心が薄れてしまっていることに気づき、奏多は思わず苦笑してしまう。
はぁ、と大きく息を吐きだした後、改めて青年に向き直った
「私、南 奏多」
「え?」
「名前。私、南 奏多っていうの。あなたは?」
その時青年の海よりも青い瞳が揺れたのは、きっと動揺のせいだけではない。
言葉を紡ぐ青年の唇はわずかに震えていた。
「ユルカ……。ユルカ・イライズマ」
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