3章 和する兄妹たち

 涼平は十八になった。彼は算術が得意で、大抵の計算ならそろばんをぱちぱちとはじいてあっという間に値を出すような若殿だったから、困ったことがあると、城の者は決まって彼の元に馳せた。涼平は嫌な顔一つせず、そろばんを引き出しから取り出すと、難解な計算式を構築し、するすると解いてしまう。「商人ほどに腕がたつ」との評判は的を射ていた。

 涼平はそのように舞や算術に秀でていたが、それでも飯を抜いてでもやりたいとまで入れあげていたのは剣術だった。剣道は奥が深い。呼吸、体幹の揺らぎ、腕の振るい方、足さばきにいたるまで、全てを統一しなければ、相手を確実にしとめる鋭い一撃というものは生まれない。涼平の剣は、俊敏さや読みの正確さには長けていたが、いまひとつ豪胆さに欠けると評されていた。三木は逆に、勢いと胆力は初めからものにしていたが、剣先の粗雑さを指摘されていた。二人は打ち合うことで、お互いの良さを吸収しようとした。

 「三木、もう少しためるんだ。よく観察して」

 「分かった、兄貴」

 木刀の涼やかな音が道場に響く。二つ下の三木は、少年のような細い体つきをしていたが、体幹がよいため、間違っても頼りなげな印象は受けない。それどころが、内に秘めた熱量が指先にいたるまでみなぎっており、寄らば切られるといった一種の緊張感を見る者に与えていた。

 そこへ花がおにぎりを持って現れた。

 「まあ、練習熱心だこと。少し休憩しませんか?」

 「ああ、ありがとう花」

 涼平は四つ下の妹に笑いかけた。

 「花ちゃんもやったらいいのに」

 三木はたおやかな妹にぶうたれた。

 「まあ、私には向いていませんわ」

 「苦手な人をわざわざ誘ったりしないわよ。私知ってるんだから。花の運動感覚がいいことくらい。兄貴も知っているでしょう?」

 涼平は鷹揚に微笑んだ。

 「そうだね。でも本人がやりたくないみたいだから」

 「そりゃそうだけど。なんだか宝の持ち腐れのようで私なんかはもったいないって思ってしまうのよ」

 花はうふふと笑うと、「私はお料理担当」と背を反らした。

 そこへまた来客があった。木戸を引く音がして三人がそちらを見れば、翔平と伊佐である。

 「翔平……伊佐ちゃんも」

 「涼平、疲れてないか」

 「まだ大丈夫、ありがとう」

 妹たちは皆目くばせを交わして微笑みあっていたが、伊佐がすっとんきょうな声を上げた。

 「三木ちゃん足怪我してるじゃない!」

 「あ、これ? さっきひねっただけよ」

 「赤黒く腫れてるわ! 早く救護室へ、私が負ぶってあげるから」

 「大丈夫だってのに」

 「大丈夫じゃない色よ」

 「もう、伊佐ってば強情なんだから」

 「そっくりそのままあなたに返すわその台詞」

 その間に花は懐から手ぬぐいを取り出し、さっと三木の右足に巻きつけた。

 「ごめんね姉様、私気がつかないで」

 「いいのよそんなことで謝らないで頂戴」

 「三木」

 そう声をかけて涼平が腰をかがめた。

 「伊佐ちゃん、心遣いありがとう。ここから後は私に任せてくれないか」

 伊佐は少し赤くなって頷いた。

 「涼平様がそうおっしゃるなら」

 「ちょっと待って。兄貴に背負われるなんて私嫌よ! 恥ずかしいわ!」

 「……姉上に恥じらいの感情があったなんて」

 「失礼ね花、私にだって矜持くらいあります! 兄貴には悪いけど、伊佐に肩貸してもらうわ、それで十分よ」

 「ならば」

 と有無を言わせぬ声色が場を制した。

 「私が負おう」

 ぎゃっと三木が後ずさった。

 「しょしょしょ、翔平様が……?」

 「嫌か」

 「とんでもありません、でも、私……」

 さっきまでの快活さはどこへやら、三木はうつむいた。

 花は彼女の林檎色に染まった頬と耳朶を見逃さなかった。彼女の名誉ために口には出さなかったが。

 「お言葉に甘えましょう、姉上」

 それどころか助け舟まで出してやる。伊佐は内心「よくできた妹だ」と感嘆した。

 「ええ……」

 三木は借りてきた猫のようになって翔平の背に身をもたせかけた。

 「……お願いします」

 「しかとしがみついていてくれよ」

 よっこらと掛け声をし、翔平が負ぶったまま立ち上がる。

 「なんだ、軽いんだね、三木は」

 こんどこそ三木は茹だってしまった。

 「やめてくださいまし、しょうへいさま」

 鈍感な所のある翔平には三木が赤くなっている理由が分からなかったが、慎重な足取りで木戸に向かった。

 みんなでぞろぞろとその後をついていく。

 「花ちゃん、三木さんは涼平さんと兄上の仲を知っていて?」

 「おそらくまだ気づいていないと思いますわ」

 「あの演舞を見聞きしておいて?」

 「三木は奥手なのです」

 「花ちゃんはなんだか達観しているようね」

 「兄上のことは昔から慕っておりましたから、大体の機微は分かるんですの」

 「そうなのね。私は兄上のことをずっと見てるけど、全然何を考えてるんだか分からないわ」

 花はふふと笑んだ。

 「翔平様は不思議なお方ですものね」

 「そうなのよ。言うときははっきり言うくせに、家ではあまり話さずに、少し倫理が崩れたときはすっ飛んできて物申す。まあそれで解決するからいいのだけれどね」

 「合理を重んじる方は信頼できます」

 「そのとおりよ」

 最後は兄上賛美に終わるのがこの妹たちの常である。

 少し離れたところを歩いていた涼平の耳にも全て聞こえていたが、彼がよそを向いて微笑んでいたのも常であった。

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