2章 天女の舞
涼平は十五になった。元服の齢である。涼平には乳兄弟がおり、元服の儀の日、彼ばかりがはしゃいでいた。
「いやはやめでたい! 涼平様はお顔立ちが涼やかだから、烏帽子がさぞお似合いになるんでしょうね~!」
「大輔、もう少し声を小さく」
「これは失礼しました! いや涼平様の立派なお姿が嬉しくて嬉しくて!」
涼平は苦笑し、しかし瞳を和ませて大輔を見た。
「そう喜んでくれるのは大輔くらいだ」
「なに言ってるんですか涼平様……! 翔平様がいらっしゃるというのに!」
とたん、少し頬を染めて涼平はうつむいた。
「……彼の準備はできているかな」
涼平と翔平の儀を同時に執り行うことをもちかけたのは渡家だった。決定した後にそのことを聞いた涼平はまず白くなり、それから真っ赤になった。ちなみにその表情を知っているのは大輔だけである。
「安倍亮吾に様子を訊いてまいりましょうか?」
亮吾は渡家の軍司・安倍寛助の息子である。世話好きなたちで、今日の儀式の準備に奔走していた。
「いや、迷惑になるから、いい」
「なるものですか! まったく、涼平様は人がよすぎます! たまにはわがままくらい言ったらどうです? じゃ、ちょっくら行ってまいりますよっ」
涼平が止める間もなく、大輔はすっとんでいった。せっかちなたちなのである。
しばらくして戻ってきた大輔は、抑えようがないほどに頬を緩ませていた。
「いや、亮吾に手引きされてちょっと様子を見させていただいたのですが、翔平様は髷を結っていらっしゃいましたね」
「……そうか」
涼平はあくまで平常の顔を貫こうとしたが、その様を想像し、わずかに口元がほころんだ。
「……綺麗だったか」
「そりゃあもう。……涼平様、楽しみでございますね」
大輔は含ませるようにしてそう言った。涼平は大輔に目くばせだけを送り、口元を手で隠し、ふすまの方を向いた。
儀はつつがなく終わった。亮吾は胸を熱くして二人の勇姿を後ろから見守っていたが、終了と同時に今までの疲労がどっと押し寄せてきて、近くの者に「少し横になってくる」と言いつけ、自室に戻ると倒れ伏した。疲れた。まだ片付けが残っているが、あの程度なら他の者がやるだろう。―ーしかし翔平様はなんと凛々しくおわしたことだろう。全てを射貫くかのような強い瞳が後ろからでも想像できた。人一人分離れた翔平様と涼平様の間に、たくさんの綾かな糸が見えた。
「おうい、安倍ぇ、大丈夫かあ」
大輔の声が遠くから聞こえてくる。亮吾は見えないと分かっていながらひらひらと手を振り、その声に応えた。
その夜、二人は並んで宴会の中心にいた。
「しかしお麗しい。まるで天人のようですね」
明久は翔平を見、機嫌よく笑った。
「言いすぎですよ、宮村殿。愚息の口傘のなさには日ごろからひやひやさせられておりますわい」
「いやいや、それくらいのほうがいい。うちの涼平は主張をあまりしませんから」
「奥ゆかしいじゃありませんか」
「いや、男に奥ゆかしさは必要ありませんよ」
「それもそうだ」
二人してがはははと笑うのを、涼平は眉根を押さえてやり過ごし、翔平はあきれたように首を振って「父上、悪く言うのは私だけにしてください」と釘を刺した。
「おおこわ。うちの愚息がお怒りじゃわい」
「いや、仲良い友人というのは宝ですよ。我々もそうですし」
「いやまったくだ。しかし、仲がよすぎるというのも考えものですな。うちの翔平からよい人の話を聞いたことがない」
「奇遇ですね、うちの涼平もそうなんです。いくら武士として清廉潔白に生きよとは申せど、よい人を作るなとは誰も申してはおらんのに」
「どうなんじゃ翔平、そのほうは」
涼平には、今こそはっきりと翔平が青筋を立てるのを見た。
「まだ父に申すほどのことではございませぬ」
「ということは、いるのか!」
「まだ申せぬと言っているのです!」
「いやあ、翔平ももうそんな歳か……」
勝手に悦に入る良成を、翔平は黙殺した。
明久は涼平をちらりと見た。
「涼平はいるのか」
「はい。私もまだ申せませんが」
「なんぞ、これらは秘密を好むのう」
「まあまあ、宮村殿、そういう年頃なのですよ」
良成は上機嫌に酒を求めた。注がれた酒を一息に飲み干し、ぷはあっと息をつく。
「この涼平は昔、見よう見まねで歌舞伎の舞をしていたことがあるのですよ。それがなかなか様になっている。私もつい見惚れてしまったほどで」
「それは初耳ですなあ!」
「どれ、涼平、一つなにか演目をやらんか」
翔平は堪りかねて叫んだ。
「さっきからなんです、黙っていればいいように! 我々はあなたたちの人形ではないのですよ!」
「翔平」
涼平は彼を制した。
「分かりました、では一つ舞わせてもらいましょう。演目は……白拍子で」
「なに」
涼平は明久の驚きには応えず、するすると広間中央に進み出た。
鎮まる一帯。宴会客は皆、それまでの成り行きを見守っていた。母は気づかわしげに、花は心配と期待を込めたまなざしで、三木は単純に楽しそうに。しかし、涼平には誰の視線も埒外にあった。焚きつけた父でさえも、意識の外にあった。彼はただ翔平だけを 見つめ、最初の型をつくった。
それは規格外の舞だった。元々男装の麗人が水干に長袴で舞うものである。それを元服姿の男が舞うというだけでもそことなく背徳の香りが漂うというのに、涼平はまるで高級遊女のように妖艶にしなをつくった。男の直線的な色気と、女の曲線的なそれが混然一体となり、目撃した客はのちにそろいもそろって「酒の酔いが醒め、代わりにあの世の酩酊が心身を襲った。逃れるすべはなかった」と証言したほどである。
多くの客が幻想に捕らわれるなか、翔平はただひたと涼平だけを見つめていたが、息をほうと吐き出すと、おもむろに笛を懐から取り出し、調子を合わせ始めた。幽玄な調べであった。武家で笛を吹かせると翔平の右に出る者はいないとまで言われた彼だが、一見涼平の艶美な舞には似つかわしくない音色を吹きあらわしていた。しかし、違和感を抱くものはいなかった。翔平らしい清らかさが、涼平の艶に深いところで通じ、溶け合っている。全ての客がそう感じとっていた。いや、全て、というのは正確ではなかったかもしれない。伊佐だけは翔平の清らかげな笛の音に、ほんのわずかな熱の匂いを読み取っていたからだ。
演目が終わり、しばし会場は余韻に包まれた。ついさきほどまで存在していた幻郷を惜しむように、皆静かに呼吸をし、やがて感嘆とどよめきが沸き起こった。
「なんとめづらしき舞と笛でしたろう」
「まるで浦島太郎の気分だわ」
「見惚れている間に百年経ってしまったかのようじゃ」
客は口々に思いおもいの感想を言いあったが、それでも皆共通して気づいたことがあった。
翔平と涼平は想いあっている。
奥手の三木を除いて、居合わせた全員がそう悟っていた。
それ以後、明久も良成も、二人をからかうことはなかった。どことなく正直にばつのわるそうな顔をして酒をちびりちびりと飲んでいた。
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