桜演舞

はる

1章 佳宮の里

 時は天聖八年、この年は気象も穏やかで、佳宮の地の村人は皆人心地ついていた。この地を統治していたのは、五〇〇年前から続く宮村家である。一四代目領主の明久は、生来の鷹揚さと剛健さ、そして治世においては合理的な政策を打つことから、領民に厚く慕われていた。

 彼には子が三人あった。長男の涼平、長女の三木、次女の花である。三木は男勝りで、剣術に長けていた。花はしとやかな物腰の、心優しい少女だった。彼女たちについて、明久は一切の気鬱を抱いておらず、蝶よ花よとねこ可愛がりしていた。問題は十二になる長男の涼平である。彼は引っ込み思案で、自ら前に出ることはなかった。

 「あれはいつ男になるのだろうな」

 というのが、明久の口癖だった。本人の前では言わない。妻のお豊と二人きりになったときに耐え切れずに溢すのである。そういう時、決まってお豊は「まあまあ。そう急がなくていいじゃありませんか。涼ちゃんは周りをよく見ている子ですよ」と彼を励ました。

 実際その通りであった。涼平は、三木が菓子を花より多く食べたとき、悲しげな花にそっと自分の分の饅頭を差し出すことがよくあった。その後、三木に「平等に分けるように」とよく言い聞かせることも忘れなかった。また、三木の剣術の稽古にはよく付き添い、柔らかな言い方で指導をしていた。彼は元来器用なたちで、大抵のことは一、二度教授すれば覚え、たやすく物にすることができたのだ。明久は彼の奥手なところを憂慮しているようだが、お豊にとってはそこも謙虚と映り、好ましく思えた。――習得が早くて、心優しい、聡明なわが子をおいそれと心配なんかするものですか。あの人は男らしさを重視してるようだけれど、そんなものはおいおいでいいのよね。お豊はそう思いながら、明久の嘆きをにこにこと受け止めていた。

 当の涼平は父の心配に気づいてはいたが、どうすることもできず困っていた。自己主張というものは苦手だ。そんなことをする暇があったら、周囲の人の心に気を配っていたいと思う。三木はとかく勝ちたがるので、どうしても花が弱い立場に置かれやすい。その不平等さをいさめるのが兄としての最低限の務めだろう。また、母上は言葉を胸に秘めやすいため、父上は無自覚に母上も同意見だと思い込みやすい傾向にある。もう少し年齢が上がれば、そこもどうにかしたい、などと思いを巡らせていた。つまりお豊のほうが正しく彼の性質を理解していた。

 三木は彼を勝手に好敵手として見ており、しばしば突っかかっていったが、花は優しい兄を純粋に慕っていた。兄が野に咲く花に見とれていると、三木は冷やかそうとしたが、花はそれを手で制した。

 「なんでよ。男が花に見とれるなんておかしいじゃない」

 「世間的にはそうかもしれないけれど、それでも兄上は花が好きなのよ。人の好きなことにちゃちゃを入れてはいけないわ。それに」

 花は兄の背中を見て微笑んだ。

 「ああいう男性、私はとっても素敵だと思うけれど」

 「そうかしら。私は男にはもっと荒々しくあってほしいわ」

 「それは三木の希望であって、兄上に押し付けてはいけないし、人は押し付けられたものを受け取らないものよ」

 「ま、花は心優しいこと。私はどうせおこちゃまですよ」

 「そんな自分を卑下しなくていいじゃない」

 つんとそっぽを向いた三木を花が困ったように見つめていると、その気配に気づいたのか、涼平が振り向いて手を振った。「喧嘩するなよ」という愛しい兄上の声が、花には聞こえる気がした。

 

 宮村の領地から北西に位置する所に、渡家の治める領地があった。宮村領と同じく、決して肥沃な土地ではなかったが、漆をはじめとしたあらゆる貿易が盛んで、経済は安定していた。宮村家と渡家は昔から親交が深かった。

 時の領主、渡良成には二人の子があった。長男の翔平と長女の伊佐である。翔平は涼平と同い年だったが、強い目をしてはっきりと物を言うような子どもだった。伊佐が泥遊びをして父親に苦言を呈されたとき、翔平は父の目を見てこう言った。

 「女が、男がと言わず、好きなようにさせたらよいではないですか。父上が人形を好きなのを誰か咎めましたか?」

 母親のお三津はこの時肝を冷やしたという。そのことは私だけが知っていることだったのに。子どもの観察眼というものは恐ろしい、と。母親は翔平を少し遠ざけたがったが、翔平はそんな母のことを意に介さず、そんなことより、と伊佐を可愛がった。伊佐は翔平の溺愛を受け、自信に満ちた少女に育った。

 そんな翔平と涼平は友達だった。引っ込み思案の涼平を、翔平はよく手を引いて外に連れ出した。例えばこんなふうに。

 「見てごらん、涼平。つつじがあんなに綺麗だよ」

 涼平はそれを聞くと、ぱあっと顔を輝かせてそちらを見やった。

 「ほんとだね、翔ちゃん」

 いち早く翔平が草履をつっかけ、膝を少し折って涼平の履くのを待った。履き終わると、二人は手を取り合ってつつじの傍まで駆けた。にこにこと相好を崩す涼平の顔を、翔平は愛おしげに見つめた。涼平。君の優しげな顔立ちが好きだ。何かを慈しむ心映えが好きだ。翔平は胸を熱く焦がすこの気持ちがなんというのか知らなかった。つつじは黙って揺れていた。

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