音声記録04:帰路─まどろみの中で星を仰ぐ─

「もう少し強めに縛って。そう、それくらい。はっきり血管が浮いてないとズレるから」


 あなたは座席に座るシュネーと向かいあい、彼女の上腕をゴム管で圧迫していた。浮いてきた静脈をスリスリと撫でたシュネーは、続いて注射器を用意させる。


「そしたら注射器を……待った。ラベル確認しなさい。他の薬もあるから間違えないように。ちゃんと冬眠剤って書いてあるわね? 見せて……うん、間違いないわ」


 キュポ

 

 あなたはボタン式注射器のキャップを外す。


「その目印を血管に合わせて、押さえながらボタンを押すの…………いいわよ」


 プシュ


「んっ……」


 ボタンを押すと針が飛び出し、シュネーの腕に冬眠剤が注入された。


 ペリ……ペタ


 小さく呻いたシュネーは小さなパッチを貼ると、ゴム管を外して体を起こす。


「次はあんたの番よ、ほら座って」


 腰のあたりまで脱いだスーツをひらりとはためかせながら、シュネーはあなたの腕を取ってくるりと互いの位置を入れ替える。対面にシュネーがいるのは変わらないまま、今度はあなたが座席に座るかたちだ。


「腕、出して」


 先ほどの応急手当の時と同様、てきぱきと準備が進む。パチンとゴム手袋をしたシュネーはあなたの腕を縛り、すばやく血管にあたりをつけた。


「そのしかめ面は何? そんなに注射が嫌? 仮にも強化人間なのに?」


 スリスリと消毒綿で肘の内側をふき取りながらそう問うシュネーに、あなたは頷く。慣れてはいても、異物感がどうしても嫌いだった。


「ふーん、まぁ我慢なさい。冬眠剤で代謝下げないと酸素足りないんだから。予定じゃ7日で着くとはいっても、すぐ回収されるとは限らないのよ。ほら、力抜いて……いくわよ」


 キュポ……プシュ


「はいおしまい」

 

 ペリ……ペタ


「すぐに温度も下げるから、ちゃっちゃとスーツ着なおしなさい」

 

 シュル……ガサ……ゴソ……


 二人はゴミをまとめながら、半脱ぎだったスーツを着なおす。


 ピ、ピ、ピ


 シュネーがコックピットの温度設定を下げる。低体温症にならないギリギリの範囲まで弱め、バッテリーを少しでも長持ちさせるのだ。


 シュル……バサ……


 あなたは非常用キットから取り出した断熱フィルムを広げる。薄いシート状だが毛布ほどの大きさで、くるまれば体温を反射して温かい。取扱説明書にはそう書かれていた。


「ん……その断熱フィルム、私の隊でも採用してるやつじゃない。これ結構あったかいのよね。ならもう1℃下げても……いや、0.5℃にしときましょうか」


 ピっとさらに設定温度を下げたシュネーは、座席に深く座り直す。


「ね、もう少し詰められない? ありがと。シートベルト締めるわよ」


 スルスル……カチリ、カチリ


 あなたとシュネーは狭い座席で互いに詰めあい、身体を寄せる。


 ガサガサ……バサ


「足の方、冷えやすいからしっかり巻くのよ。少し暑く感じるかもしれないけど、すぐ室温も下がるから」


 あなたは頷いて、断熱フィルムに隙間ができないよう端をシートと体の隙間に押し込む。二人は首から下をフィルムで覆うかたちになるが、シュネーは片手だけ出して機体をスリープモードへ切り替える操作を実行した。


「じゃあ、灯消すわよ」


 カチカチ……ピピ


『オートパイロット・オン』

『システム、スリープモードに移行します』


 システム音声がそう告げると、コックピットが薄暗くなる。モニターの光だけが残っているが、表示されていた各種ステータスが次第に消えていく。



 しばしの沈黙。すぐ横から静かな呼吸音だけが響く。




 不意にシュネーが口を開いた。


「…………外の映像を最後まで見せてくれるのは、パニック対策なのかしら」


 シュネーの視線の先、まだ点いているモニターに映し出されているのは宇宙の景色だった。徐々に暗くなるコックピットとの対比のせいか、画面上の星の光は存在感を増している。


「別にすぐ暗くなっても構わないけど……ま、星を見ながら眠るのも悪くないわ」


 薬が効き始めたのか、あるいはやれることをすべて終えて安心したのか。少し険の取れた声でシュネーはつぶやく。


「……一人で見てたら、こんな広いところを彷徨ってるんだ……って、心細くなって逆効果かもしれないけど……あんたは平気かもね。きっと一人でも…………」



 シュネーはしばらく黙る。空調の僅かな風の音と呼吸音だけの空間。



「…………ねぇ、どうして私を助けてくれたの」



 少し首を傾げながら、あなたは当然の答えを返す。依頼されたから、と。



「……うん。まぁ、そうよね。私が依頼したのはそうなんだけど。恨みだってあったでしょ……それにきっと、私がいなくても一人で帰れた。……なんで、そうしなかったの?」


 あなたは少し黙り込み、自問する。彼女がハッチを叩くまで意識を失っていたが、もし自力で目覚めたら帰ろうとしただろうか、と。



 ゆっくりとした呼吸音だけが響く静かなコックピット。あなたは少し重くなってきた瞼を開きながら、思考をめぐらせる。



 しかし、どれだけ頭をひねっても、一人で生きようとする自分の姿は想像できなかった。そして気づく。自分とシュネーは同じだったのだと。



「…………同じ? 私と?」


 あなたは頷く。そしてシュネーがあの時いった言葉を繰り返した。全てを無くして宇宙に放り出され、一人で死ぬのが運命だと受け入れていただろう、と。



「……あんたも、帰る場所はもうないって……そう思ってたのね」


 シュネーも薬が回ってきたのか、瞼を半分閉じながらぼんやりと相槌を打つ



「……じゃあ、もし私がハッチを叩かなかったら……」


 あなたは無言で頷く。



「ふふ…………うん、確かに同じね……私と」



 コックピットは次第に暗くなり、すでに互いの顔は見えない。それでも、シュネーの柔らかい表情があなたにはわかった。



「……死ぬのは怖い?」



 あなたは頷く。



「……私も、少しだけ怖い」


 ぼそりと、シュネーも弱音を吐く。しかし続く言葉は違った。



「でも……きっと帰れるわ。……安心なさい」


 先ほどあなたに励まされたお返しのつもりなのか。睡魔に気勢を削がれながらも、シュネーは精一杯見得を切って言う。



「悪運の強いあんたに……このシュネー・秋波・ベルフラウが……ついてるんだから。……そう簡単に……死ぬもんですか」


 シュネーの脳裏に、これまでのあなたとの因縁のすべてが走馬灯のように浮かぶ。協力することも、敵対したこともあった。だがいずれも確かに生還してきたのだ。



 そしてシュネーはふと疑問を抱く。それは今更尋ねるのは変な問いかけだったが、躊躇するほどのものでもなかった。



「…………ねぇ。あんた、名前は……なんていうの?」



 闇の中、返事は聞こえない。




 しばらく待っても、聞こえてくるのは微かな風音と規則的な寝息だけ。




「ほんと……最後まで私の思い通りにならない奴ね……覚えてなさい……必ず聞き出してやるんだから」



 シュネーは小さくため息をつくと、柔らかな声色で真横で眠るあなたに囁いた。



「おやすみなさい」

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