雨寺:学校
陰鬱な気分の抜けない歩夢は、一方的に話し続ける教授の声をぼんやりと聞きながら窓の外を見ていた。窓から見える景色では時間的に生徒も少なく、初夏の暑さを除けば穏やかな時間が流れているように見える。
学校側は晄暉が永眠病に罹った事を公表していないようだった。生徒たちがパニックに陥ることを防ぐためだろうか。真意は分からない。ただ、公表しないという選択が、学生たちにああやって笑いながらの生活を与え続けているのであれば、学校側としての判断は間違っていないのだろう。
楽しそうに笑いながら去って行く生徒を見送り、ふと気づく。
「……」
教授の声が聞こえなくなっている。
不思議に思い教壇を見れば教授の姿は無く、そればかりか生徒の姿さえなかった。隣に居たはずの架も荷物ごと姿を消し、まるで教室が空になったようだった。
「え?」
突然の事態に体が固まる。
(さっきまで確かに居たはずなのに……)
ぼーっとしている間に授業が終わったとしても、架が勝手に帰るはずがない。第一、教授が使用するホワイトボートの横に備え付けられている時計は9時40分ごろを差していて、授業が終わるような時間でもない。
「あ、そうだ!」
机の上に出しっぱなしにしていた携帯を手に取る。電波も立っているので呼び出せば繋がるだろう。今やほとんどの若者が使用している無料通話アプリで架の項目を開き、呼び出す。
「……」
アプリ専用の楽しげなコール音を何度聞いただろうか。架が電話に出ることはなかった。
(架、大丈夫か?)
呼びかけに答えない友人に何かあったのではないかと不安がよぎる。
ふと窓の外に目を向ければ、相変わらず良い天気で穏やかそうだった。陽の光の効果はすごい。こんな状況でも晴れているだけで前向きになれる気がする。
「架と合流しよう」
あったはずの自分の荷物が消えていることも、もはやどうでも良い。今は一刻も早く架と合流したかった。
教室を出て校内を歩いて回る。
授業中の時間帯という事もあって廊下に人は一人もいない。それは分かるのだが、いくつかの教室の前を通りすぎたのに、中で授業をしている様子が無い。無人なのだ。静かな校内に自分の足音が響く。
ロ型に作られているこの一号館は、基本的には外側にしか窓のない作りになっている。必然的に廊下に窓がなく、教室越しに届く陽の光は十分とは言いづらい。電気はついているものの、控えめな光量が逆に薄暗さを際立たせ、いつもとは違う雰囲気を作っているような気がした。
もともと居た3階からぐるりと回って2階へ降りる。同じようにして1階へたどり着けば、唯一廊下にも窓があるおかげで陽の光が差し込み、少しだけ不気味さが和らいだような気がした。
(この棟には居ないかな……)
すぐそこに見える角を曲がれば、1階も一周することになる。
(どこに行ったんだ?)
この棟での発見を諦めて角を曲がり、顔を上げれば一人の姿があった。
「‼」
想像していなかった誰かの姿に、驚いて足を止める。
(誰だ……?)
あれだけ誰でも良いから人の姿を求めていたのに、安易に話しかけられないのは、白いキャミソールのワンピースに裸足という、生徒にしては不自然な姿だったからだ。長い黒髪の後ろ姿から覗く細くて白い四肢は、あまり外に出ていない印象を受ける。
後ろ姿なので断言できないがおそらく女と思われる人物は、この棟の出入り口付近に立ったまま微動だにしない。できれは近づかないように出て行きたいのだが、構造上不可能。
(何なんだよ、アイツ)
できればこのまま立ち去ってくれないかと期待してしばらく様子を見ていても、動く気配がない。そうしていることの意味が見いだせず、それがまた恐怖心を増幅させる。視界に入れているのも正直怖いが、視界に入れている方が安心できるという矛盾。しかしいつこちらを向くか分からないその緊張感が、そろそろ心の限界値に達しそうでもある。これ以上同じ空間には居られない。
(頼むからそのまま動くなよ……)
意を決して出入口の方へ動きだした。
足音を立てないようにできるだけすり足で、女から最も離れている位置をキープしながら進む。いつもなら3秒もあれば到達するはずの距離が、長い。
ゴールまでまだ少し距離があるものの、ようやく女を通り過ぎるところまでたどり着いた。女の顔は俯いているせいで見る事は出来ない。一歩踏み出せば女に手の届く距離であることは極力考えないようにする。
(もうちょっと距離をとったら全力でダッシュする!)
出入口までの距離を確認し、いざ実行しようと思ったその時、
「おい」
「はいぃぃっ!」
突然呼び止められた。
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