第30話 神殿騎士の憂鬱

 ダーワル神殿の騎士アズガは神殿の敷地内にある宿舎で3日間うち沈んでいた。

 バーソンらから法王に疑念があると言われて啖呵を切って飛び出してきたが、少なくとも彼らに悪意のないこと、得られている情報からすれば当然の疑いであることは頭では理解できているのだ。

 だがアズガの信仰心は厚く、その信仰の地上における頂点である法王を疑うと言うことは生理的にできなかったのだ。

 彼があまりに深く落ち込んでいたからだろう。普段、あまり話すことのない法務部門の神官がアズガに声をかけてきた。

「どうしたのですか、アズガ? ずいぶんと深く悩んでいる様子ではありませんか。そのような状態では職務にも影響が出るのではありませんか」

 神官はアズガを思いやるように言った。

「私とあなたはさほど親しくしてきたわけではありません。ですが悩みを話すのはかえってよく知らぬ相手の方が楽というもの。どうですか、話を聞くぐらいのことはできますよ?」

 アズガはちょうどよいタイミングでの声がけに、これもダーワル神の救いだろうと感じた。そしてあまりに悩んでいたせいか、警戒することもなく話をしていた。

 バーソンらと協力していたこと。王都周辺での襲撃事件を調べてきたこと。公爵、大商人、法王の密会があったと思われることから、法王を疑わなければならないのではないかと悩んでいたこと。

 神官はときどき話を促しながら、何かをつぶやきつつもじっと話を聞いてくれた。

「よく話してくれました、アズガ」

 神官は慈悲深い声で言った。

「それはさぞ辛いことだったでしょう。ですが悩むことはありません。法王や神殿がそのような悪事に関わる、あるいは見過ごすことすらありえないのです。アズガの信仰が揺らいだことは残念ですが、これも神のなす試練でしょう。

「さぁ、立ち上がるのです、アズガ。身ぎれいにして食事でもすれば心も少し晴れることでしょう」

「ありがとうございます」アズガは少し気が楽になっていた。


 アズガはやはり冷静ではなかった。冷静であれば神官がつぶやいていたのが「心の静寂」と呼ばれる神官魔法だと気づいただろう。これは本来は痛みなどで錯乱している患者を落ち着かせ、施術を受けさせるための魔法だ。だがある種の催眠術的な効果でもって実現されており、相手の話を疑念も持たずに受け入れるという効果であるともえるのだ。

 アズガはその魔法効果で何も疑うことなく、ペラペラとすべてを話してしまっていたのだ。


 アズガは神官に促されたようにシャワーで身ぎれいにしてから食堂へ向かうことにした。

 神殿の食堂では神殿関係者は金銭を支払うことなく食事をとることができる。アズガはその日の定食を受け取ると手近の空いている席へ座った。

 彼がフォークを取り上げたとき、食堂の外の廊下からどよめきが聞こえた。続いて固いブーツが床をならす音が聞こえてきた。

 何事かと顔を上げると、ちょうど入り口から黒い全身鎧を着た神殿騎士4名が入ってくるところだった。黒い鎧は神殿の調査部門「黒鳥」の証だ。不正をするものを捕縛したり、神殿の教えに反した神官を処罰することもその職務に含まれており、黒い鎧は恐怖の代名詞となっていた。

 4名はまっすぐにアズガの方へやってきた。

「アズガだな」

 先頭の1名が断定した。

「信仰に対する罪で逮捕する」

「なんだと!」アズガは椅子を蹴って立ち上がった。「私を誰だと思っているのだ!」

「神殿騎士のアズガだ。神殿に対しておぞましく根拠のないデマを語っていることの証拠もある。おとなしく捕縛されよ」

 残る3名が剣を抜いた。

「さもなければこの場で処刑することも我ら「黒鳥」には認めらている」

 アズガはやっと正気を取り戻した。

 あの神官はそもそも怪しかったのだ。なのになぜか何のためらいもなくべらべらといろいろと話してしまった。

 ここで自分が逮捕され処刑されるのも構わない。自分の信仰がそのように判断されるならばやむを得ないことと諦めもつく。

 だが、このままではバーソンらにも「黒鳥」の手が及ぶだろう。

 アズガも腕には覚えがある。というよりもこの神殿で最強の一人といわれているのだ。だが「黒鳥」は実戦部隊だ。ヘルメットで顔はわからないが、アズガを捕らえようというのだ。当然その中でも腕利きが連れてこられているだろう。4対1で叶うとはさすがに考えられない。しかも相手は全身鎧で完全武装。こちらは普段着で剣を下げているだけだ。

「抵抗しようというのかね」先頭の1名も剣を抜いた。「それもよい。神殿最強と言われる騎士と手合わせしてみたいと思わぬわけではないのだ」

 アズガはためらった後、剣を鞘ごと外して捨てた。

「ほう」先頭の1名は小さく笑った。「戦力差の判断はできたわけか。つまらぬがやむをえまい。捕らえろ」

 指示された1名がアズガを後ろ手にしっかりと鎖をかけた。

 そして乱暴に小突くようにして歩かさせた。

 廊下へ出、更に建物からも出る。

 アズガは有名な騎士だ。それが後ろ手に鎖をかけられ「黒鳥」に連れられていく様子をみた神殿関係者や信者らは言葉を失った。

 「黒鳥」はしかし誇るようにアズガを時折小突きながら進んだ。

 そのまま恐怖の対象ともなっている「黒鳥」の本部のある建物に入ろうとする。


「……」突然、アズガを捕らえていた騎士が声もなく倒れた。

 「黒鳥」の騎士らはしかし恐れることなく剣を抜いた。「何者だ!」

 続いて衝撃波が飛んできたが騎士が剣でそれをなぎ払った。「くせ者め! どこだ!」

 アズガは近くの建物の屋根の上にオリビエが立っているのを見つけた。オリビエはあのいつもの冷淡な表情のまま、視線でアズガに裏門を示していた。

「不届き者めが!」先頭の1名が懐から短剣を出した。「ダーワル神の怒りを浴びるがよい!」

 それは神聖魔法による加護を受けた投擲用の短剣だった。投げれば確実に相手へ向かっていく。

 オリビエは魔法の氷の刃で短剣を打ち落とした。

 アズガはその隙に裏門めがけてかけだした。

「逃がすな!」先頭の1名が指示を出すと残る2名がアズガを追った。

 続けざまにオリビエが魔法の炎の矢を放つ。無数の炎の矢が「黒鳥」の騎士を狙う。

「避けろ!」

 先頭の1名の指示でアズガを追っていた2名は横へ飛んで避けた。

 だがその隙にアズガは通りへ飛び出していた。そして雑踏の中へ潜り込んだ。


 アズガはとにかく全力で走った。何が何だがわからないがこのまま捕まるわけには行かない。いつの間にか人気のない裏通りに入っていた。そして疲れきったアズガは座り込んだ。

「はぁはぁ」

「腕を出しなさい」

 突然声をかけられ、アズガはよろよろと起き上がろうとした。

「鎖を解きます」声は冷静に続けた。

 アズガはその相手がオリビエであることにやっと気づいた。

「た、助けていただいたことに感謝します」アズガは頭を下げた。「なんと御礼をしたらよいかわかりません」

「御礼ができるような状態とは思えない」オリビエは淡々と指摘した。「後ろをむいて」

 アズガは慌てて後ろを向いた。

 オリビエは何やらつぶやいて杖で鎖を叩いた。すると鎖は粉々になって崩れた。

「助かりました」やっと腕が自由になって、アズガは肩を回した。

「話すことがあって神殿へ行ったらあなたが捕まっていた。あなたが捕縛されるのは計画にない。だから助けただけ」

 オリビエはそのまま立ち去ろうとした。

「お、お話というのは?」

「もう不要。あなたは神殿に狙われていた。バーソンもそうなるのでしょう」

「そ、そうだ。急いで伝えないと」

 オリビエは首を振った。「もうすぐ開演の時間なの」

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