其の弐 藤間澪、殺戮オランウータンを斬る。
「さて──」
名探偵の推理は、いつもこのセリフから始まる。
庄堂邸には事件関係者が一堂に集められていた。
この一軒家の主である庄堂雄二、その妻である由美。長男である大学生の和也、高校生の次男、良助。そして小学生の長女美咲。被害者である庄堂清一の妻も真相を聞くために立ち会っている。あとこの場にいるのは、捜査責任者である警察と、名探偵こと『怪異殺し』藤間澪の一番弟子であるこの僕、名張桃瀬だけである。
関係者の間には、緊張感が漂っていた。それはそうだろう。親族が無残に殺されただけでなく、今こうして探偵という身分のものから一堂に集められているのだから。すわ、この中の誰かが犯人なのではないかと勘繰るのも仕方のないことだ。まして、真犯人にとってはさらに気が気でないだろう。
かくいう僕も、師匠がこれから語る真相に胸を躍らせていた。
何せ、一番弟子の僕でさえ、この事件の真相については何も知らされていないのだ。
一番弟子なのに!!!
というか師匠、思い返せば捜査らしい捜査を全然していない。
現場で事件の整理をした後に「全部説明がつけられる」と言ったきり、驚安の殿堂まで昼ご飯を買いに行って帰ってきただけだ。わざわざドン・キホーテなんかにいくものだから、やたらと帰るのが遅かった。コンビニに行けばよかったのに。お気に入りの食べ物でもあったのかな?
その間、僕も自分なりに現場を調べてみたが、やはり調べれば調べるほど「これやっぱり殺戮オランウータンの仕業じゃない?」という思いが拭えなくなっていた。
師匠は……布? 服? のようなものを携えて、「事件の説明にこれが必要なんだ」とかなんとか言っていたが……。
全然分からない。師匠は一体何を考えているのだろうか。まあ名探偵なんてものはそういうものなのかもしれない。
「……先日、この家で皆さんのご親族である庄堂清一さんがお亡くなりになられました。お悔やみを申し上げます。不躾かと思いますが、その死にざまは──有体にいってしまえば、とても奇妙なものでした。そのことで皆さん、いろいろと気を揉んだことでしょう。しかしご安心ください。全ての真相を、今ここに説明いたします」
師匠はそう話を切り出した。気遣いの出来る探偵こと師匠は、被害者遺族の感情を蔑ろにはしない。しかしそんな師匠の気遣いも、これから犯人を指摘されるかもしれないという遺族の緊張緩和にはあまり役立っていないようだ。
その様子を見て、師匠はふうと息を吐いた。
「……どうやら皆さん、随分と緊張していらっしゃる様子だ。それならば、早々に指摘すべきことを指摘してしまいましょう」
師匠の言葉に、全員がびくりと体を震わせる。それに構わず、名探偵は高らかに宣言した。
「庄堂清一氏を殺害せしめた犯人は、この中に──
──いません」
…………。
沈黙。
誰も、身動きすらしなかった。
しばらくして、この家の主人である雄二氏がようやく口を開く。
「ええと……。聞き間違いでしょうか。今、なんと?」
「ですから、この中に犯人は居ませんと言いました。そういうわけですので、皆さんリラックスしてお話をお聞きください」
「……」
再びの、沈黙。しかし今度の沈黙はそう長くは続かなかった。
「一体どういうことですか!? じゃあ兄は誰に殺されたっていうんです!?」
「そうよ、あの人が殺されるような恨みを買うなんてことありえないわ!」
「その通りだ、伯父さんは、優しくて、愉快で、人を楽しませるのが好きで……誰にでも慕われた、いい人だった!」
「そもそも、清一さんを殺した犯人がここにいないなら、なんで私たちを集めたのよ!」
「ここで説明をする暇があったら、早く犯人を捕まえるべきじゃないか!?」
轟轟と。緊張の糸が途切れたせいか矢継ぎ早に言葉を投げかけながら詰め寄る被害者遺族と師匠の間に立ち、僕は「まあまあまあ」「どうどうどう」を駆使してなんとか宥めようと努力する。こういうのも一番弟子の仕事である。
一通り落ち着いたところで、この中で一番年少である少女が、ぽつりと小さな言葉を零した。
「伯父さんは、やっぱり『殺戮オランウータン』って言うのに殺されちゃったの?」
……誰がこの子にそんなことを吹き込んだのだろう。あるいは、自分でネットを調べたのか。
どちらにせよ酷なことだ。身内が怪異に殺されたなどと。しかもその犯行動機が怨恨となれば、自分たちが狙われることにも怯えなくてはならないではないか。
しかし、その言葉に対する師匠の否定はとても早かった。
「全然違う。そんなことはないよ。『殺戮オランウータン』なんてものは存在しない」
きっぱりとした師匠の言葉に、不安に揺れていた少女の瞳は少しばかり落ち着きを取り戻したようだ。そのまま、師匠は被害者遺族に声をかける。
「ひとまず、私の話を聞いてもらえませんか。皆さんが納得できるような、そういう説明をしますので──」
心の内を吐き出して冷静になったのだろうか。遺族はその言葉に素直に従った。
「改めまして。それでは説明を再開いたします。事件のあらましについては……皆さん、わざわざ振り返る必要はないでしょう。この事件において、説明すべきことはたった一つです」
師匠は、関係者に対してゆっくりと人差し指を立てる。
「『密室状態の現場から、いかにして犯人は脱出したのか』。これを説明できれば、この事件に奇妙な点は一つも存在しません」
「……その点について説明がついたということで良いのでしょうか、藤間さん?」
成り行きを見るに任せていた捜査責任者らしき人の言葉に、師匠は軽く頷いた。
「合理的に考えて答えは一つです。扉は倒れた棚に塞がれ、窓は鍵が壊れて開かず、煙突は被害者の体で塞がれており、唯一開いていた天窓からの出入りは人間には到底不可能。となると、必然考えられるのは──」
「──人間以外の存在が犯人であり、天窓から逃げていった!」
「違うよ」
僕の華麗な推理は師匠に三文字で切り捨てられた。ばっさりと。関係者の目線が痛い。あと師匠も「それは違うって言ったよね?」という視線を向けてくる。辛い。
話の腰を折られたことなどないかのように、師匠は推理を続ける。
「単純な帰結です。シンプルにして、無二の結論。すなわち──
──誰にも出ることが出来ない密室なら、誰も出て行っていないというだけのこと」
「……え?」
戸惑いの声は、誰のものか。あるいは全員の総意だったか。
「探偵さん……どういう意味です? 誰も出て行っていないって、それは一体……」
「犯人はずっとこの部屋の中に居た……? いや、でもそんなわけは……死体が見つかった時、当然この部屋の中も探しまわったのよ?」
関係者に広がる困惑に、師匠は申し訳なさそうに頬を掻いた。
「すみません、もったいぶった言い方になってしまいましたね。もっと分かりやすく、簡潔に言うとしましょう」
「これは事故です。犯人なんていません」
「な──」
「じ──」
「──事故ですってぇ!?」
と、一番大きな声をあげてしまったのは、恥ずかしながらこの僕こと名張桃瀬である。横からの大声に目を丸くする遺族の皆さんに申し訳なく思いつつ、いやでも、それはおかしいんじゃないでしょうか師匠!
「ちょっと待ってくださいよ師匠! 被害者は殺されていたんでしょう!? だったら犯人がいるはずです! いないとおかしい!」
「被害者は殺されていないよ。事故だよ」
「そんなわけないでしょ! 絞殺されてたんだから!」
僕の言葉に、師匠はしばしきょとんとした後。
やがて、とてもとても冷たい眼差しを僕に向けた。
……僕、また何かやっちゃいましたか?
「桃瀬くん」
「はい」
「私が買い物に行ってる間に、何してたの?」
普段より優し気な口調が、怖い。
「……えーっと、現場のですね、捜査を……」
「資料は?」
「はい?」
「捜査資料。ちゃんと読んだ?」
「……いえ」
「そっかー」
うんうん、と師匠はあくまでも優しく頷き、ゆっくりと捜査資料を差し出した。
「ここになんて書いてあるか、読める?」
「はい……」
「口に出して読んでみて?」
「はい……」
穏やかな師匠の様子に、背筋のサーキットを冷汗がマッハで駆け降りるのを感じつつ、その箇所をゆっくりと読み上げた。
「『被害者の死因は……頸椎骨折と見られている……』」
「意味、分かる?」
「はい……」
「絞殺の場合の死因って何かな?」
「主因としては窒息です……」
「よろしい」
師匠は、藤間さんは、あくまで優しげである。……ただし、額には青筋が立ったままだ。
それでも、僕は一応の確認のために尋ねた。
「あのう……首を絞められて死んでいたというのは……」
「それはポーの小説の話でしょ。今回の死因は頸・椎・骨・折。空想と現実を混同しちゃ駄目だよって、何回言えば分かる?」
「……すみませんでした」
どうやら、とんでもない思い違いをしていたらしい。そういえばちゃんと死因を確かめてなかった。現場があまりにもポーの小説に似ていたから、てっきり死因も同じだと……。
僕を諭したあと、しばらく部屋の壁に手をついて深呼吸をしていた師匠──恐らく怒りを落ち着かせようとしている──だったが、やがて元の冷静な雰囲気を取り戻して帰ってきた。……僕が後で怒られることは、どうやら覆せそうにないが。
「失礼、お見苦しいところを。気を取り直しまして……改めて結論をお伝えしますと、今回清一さんが亡くなられたのは『落下による頸椎骨折』、すなわち不幸な事故です」
「事故って……」
遺族も動揺を隠せないようだ。それも当然。何故なら、事故だとしてもあまりに状況が奇妙である。
「じゃあ兄は、暖炉に逆立ちで詰め込まれていたわけじゃなく、煙突から逆さに落ちてきたということですか……?」
遺族を代表しての家の主の言葉に、師匠は「そうなりますね」と頷く。
「それは一体何故……」
「それでは桃瀬くん」
「はい!?」
突然の指名に、ぴんと背筋を伸ばす僕。気分は進捗がないのにゼミで発表を求められた時のよう。
「問題。事件当日は何の日かな? つまり、パーティーの理由を答えろということだけど」
サービス問題だよ、と告げる師匠に、ここで答えられれば挽回出来るかも、という思いが湧く。
逆に言えば、これを外すともう目も当てられないことになるということだが。
必死に考える。3日前? 何があったっけ。大学の授業が終了……違うな。師匠が特番を見ていた……これでもないな。なんだっけ……。
「美咲ちゃんの誕生……」
日ではないらしいな、美咲ちゃんの冷たい視線を見るに! 僕は慌てて口を噤む。ギリギリセーフ。そもそも冷静に考えると美咲という名前は冬生まれっぽくないもんな、うん。
……冬?
あ。
その瞬間、僕の脳裏に過ぎったのは、この家に来た瞬間に見た光景だった。
灯の消えたイルミネーション。
「……クリスマス・イブ?」
「正解」
セーフ。なんとか首の皮一枚つながったようだ。僕は息を吐いた。
「いやしかしキミね、これくらいすぐに答えたまえよ。どれだけ世間を見ていないんだい」
「すみません、自分には縁のないものだと思って意識から外していまして……」
「そんな悲しいことを言うなよ」
「あとは……ほら、僕はゾロアスター教徒なので」
「そんなしょうもない嘘を吐くなよ」
ともあれ、正解は正解だ。しかし、クリスマス・イブだということがこの事件にどう関わるのだろう。
考える僕を余所に、師匠は何かを取り出した。あれは……推理が始まる前に見せた、服?
「そしてもう一つ、こちらを見れば、皆さん、全ての真相がお分かりになると思われます」
そういって師匠が取り出したのは、やけに薄汚れた服だった。汚れてはいるが、その特徴的な色を見ただけでなんの衣装か、その場の全員が理解できる代物であった。
赤を基調とし白をあしらった暖かそうな服。
サンタ服だ。
クリスマス・イブ。サンタ服。そして煙突。
これにいたずら好きな被害者の性格が加われば──師匠の言いたいことは、あまりにも明白だった。
「皆さん、もうお判りでしょう。サプライズで煙突からの登場を目論んでいた清一氏が、たまたま起きた地震のせいで煙突に頭から落ちた。これが今回の件の真相です」
師匠のその言葉に、関係者は「ああ……」と安堵とも落胆ともつかない声をあげて崩れ落ちた。思わぬ真相に気力を奪われたようで、もう声も出ない様子だ。
仕方ないので、細かいところの指摘は僕が行い、師匠に説明を補強してもらうことにする。これも弟子の責務だ。
「師匠、そのサンタ服は一体どこに?」
「近くの家の庭に落ちていたそうだよ。買い物帰りに周辺の聞き込みと捜索をしていたら見つけられたんだ。おそらく、煙突に落ちる際にたまたま脱げてしまい、風で飛ばされたのだろうね」
「被害者は大柄ですが、煙突に詰まったりは……」
「確かに被害者は暖炉の入り口をふさいでいたが、しかし煙突の中に納まっていた。ということは被害者の体が通る余地はあったということだ。……とはいえ、ところどころ引っ掛かりはしたようだがね。被害者の頭がトマトのように潰れていないのは、引っかかって減速したせいさ。残念なことに、その首を折る程度には速度を保持したままだったようだが」
「屋根の上に見えた赤い人影って……」
「サンタ服を着た被害者だろうね。そもそもの話、オランウータンは赤というより『赤茶』と称するべき色合いだよ」
他に何か質問は? という素振りを見せる師匠に対し、僕は頭を振った。隙の無い、実に論理的かつ合理的な説明である。
それでは、と師匠は言葉を繋ぎ。
「怪異『殺戮オランウータン』なるものは存在せず、ここで起きたのは天災による不幸な事故だった……。これで不在証明、完了です」
「……さすがは藤間さん。実に合理的、見事な説明だ。その方向で捜査を進めます。そう遠くないうちに、あなたの説明通り事故で決着がつくでしょう」
警察の言葉に師匠は「あとのことはよろしくお願いいたします」と返す。軽く頭を下げ、捜査責任者は出ていった。今後の方針についての打ち合わせでもするのだろう。
後に遺されたのは、不幸な事故で親族を失った被害者遺族のみ。
「……清一伯父さん、まさかそんなことで死んでしまうなんて」
ぽつりと長男が零した言葉に、長女は過敏に反応した。
「……私のせいだ。私が伯父さんをクリスマスパーティーなんかに誘ったから」
「美咲!」「美咲ちゃん!」
そんなことない、というニュアンスを込め両親が叫ぶ。被害者の妻も「違うわ、美咲ちゃん。あれは不幸な事故だったの」と否定したが、しかし少女の表情は晴れない。
そんな被害者遺族の姿を見て、師匠はバツが悪そうに頬を掻くと、
「えー、皆さんにもう一つ、お見せするべきものがあるようですね」
とごそごそ何かを取り出した。
現れたのは、小さな音楽プレイヤーだった。ビビッドなカラーが非常に可愛らしい。僕はそれに見覚えがあった。確か、クリスマスから販売開始ということで話題の代物だ。
師匠の手の中の小包に、美咲ちゃんは大きな反応を見せた。
「それ……私が伯父さんに欲しいって零した奴……」
「これはね、家の裏手に落ちていたのを見つけたんだよ。幸いにも柔らかいところに落ちてたから、中身は無事みたいだ」
包装は汚れてしまっていたから私の方で取っ払ってしまったけどね、と言いつつ。師匠はそのプレゼントを、そっと美咲ちゃんに渡した。
「美咲ちゃん。清一伯父さんはね、本当にキミを驚かせようと、喜ばせようと、きっととても楽しみにしていたはずだよ。このプレゼントが証拠さ。私は彼のことを資料でしか知らないけど、キミたちはよく知っているだろう? そんな伯父さんが、自分のために皆が暗い顔をしているのを知ったらどう思うだろうか」
その言葉にはっとしたのは美咲ちゃんだけではない。家族全員だった。
師匠は美咲ちゃんの手をぎゅっと握って、ゆっくり立たせる。
「皆さん。家族を失った痛みはすぐに癒えるものではありません。ですが、陽気だった清一氏が皆さんの様子を見たならば、きっと心を痛めることでしょう。……すぐになどと、酷なことは言いません。しかし、いつか彼のことを思い出すときは、彼が本当に皆の笑顔が好きだったということを思い出してほしいと、部外者ながらに私は思うのです」
師匠の言葉に、庄堂家の面々はゆっくりと涙を流し始める。
それは、悲しみの涙だ。失われたものが戻らないことを思い、流す涙だ。
だがそれはきっと、いつか振り返る思い出を悲しみだけにしてしまわないために必要な涙なのだと、僕はそう思った。
……そう、信じようと思った。
「……さて、これで私の役目は終わりかな? 桃瀬くん、我々は退散するとしよう」
「……そうですね、師匠」
こうして『殺戮オランウータン』事件は……いや、『庄堂清一氏の死亡事故』は幕を閉じた。
僕の心に、小さな疑念を残して。
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