怨霊怪異の不在証明 -「怪異殺し」探偵藤間澪の事件記録-
志波 煌汰
第一話 殺戮オランウータンの不在証明、及び怪異殺しの鉄則第一条
其の壱 藤間澪、刃を抜く。
「『殺戮オランウータン』? それが今回討伐する怪異ですか?」
僕こと
大晦日を4日後に控えた、年の瀬のことである。学生は楽しい楽しい冬休みに入り、社会人でもぼちぼち仕事納めの人間も出ているであろうこの時期に、僕と師匠は現場に向かうべく少しばかり高級そうな住宅街を歩いていた。
自営業の悲しみを感じつつ師匠に今回の依頼について尋ねたところ、あまりに力の強すぎる単語についオウムのごとく言葉を返してしまった次第である。
「いかにも物騒な名前の怪異ですね。『怪異殺し』である師匠に依頼が来るのも納得できます」
すたすたと歩いていた僕の師匠──
「キミね、私の弟子を自称してなんやかんやと手伝いをしてくれることに関しては、まあ助かっているからいいとして。いい加減、私を『怪異殺し』などと呼ぶのはやめてくれないか」
「? 純粋な事実じゃないですか」
「純然たる不実だ。私は『怪異殺し』なんていう、伝奇ものかライトノベルに出てくるような職業ではなく、ちょっとばかし警察とコネがあるだけの探偵にすぎないよ」
「怪異事件専門の?」
「そんなものを専門にした覚えはない」
大体、怪異だの妖怪だのといった連中が現実に居ていいはずがないだろう、平安時代でもあるまいしとぶつぶつ零す師匠に遅れることのないよう、すたすたと歩く僕。師匠は身軽そうにしつつも、荷物持ちの僕を気遣ってか歩調は普段よりゆっくり目だ。何気に優しい人なのである。
「キミもね、私が少しばかり風変わりな事件を多く担当しているからと言って、人のことを陰陽師か何かのように夢を見るのはいい加減に止しておきたまえ。今は学生の身分だとは言え、そんな調子だとまともな社会人としてやっていけないぞ」
「探偵はまともな社会人なんですか?」
「飯が食えてて税金を納めており、反社会的行為を生業としていないなら、概ね真っ当な社会人と言っていいだろうよ」
「なら安心です! 僕は師匠の弟子として修業を積み、ゆくゆくは『怪異殺し』として生きていくので」
「だから私はそんなオカルティックな代物ではなく、あとキミも弟子ではなく私が助手として雇ってあげているだけのバイトだということを何度言えば」
「それよりも、今回の事件について聞かせてくださいよ。殺戮オランウータン? って一体何なんですか?」
言葉を遮って質問をする。師匠が「キミねえ」と溜息を吐くが、それに構わず僕は質問を続けた。
「随分物騒な名前ですが、人を殺す猿ってことは
狒狒。
全国各地に伝わる、有名な猿の怪異だ。
原型を中国大陸に持つ怪異で、中国最古の字書にして十三経の一つである『爾雅』や薬学百科の『本草綱目』にその名が記されており、奇書、怪異図鑑として有名な『山海経』においても『海内南経』と『海内経』の項目にて、それぞれ「梟陽」「赣巨人」と名は違うものの、同一存在と思われるものの記述が存在する。
特徴としては怪力を有し獰猛で、人を食らうことが挙げられる。猿の怪異に相応しく好色で、よく人間の女を攫う。人間を見ると上唇が目を覆うほどに大笑いをすると言われており、その際の笑い声に「狒狒」の名は由来するという。また、知能が高く人語を解すとか、心を読むだとか、果ては人の生死まで予知するとか様々な能力を持つそうだ。
全国各地に伝承があり、退治した話や捕らえた話などもいくつか存在する、ポピュラーな怪異と言っていいだろう。
この狒狒の正体がオランウータンだという説があり、それを踏まえるとなるほど殺戮オランウータンという名は実態に即していると言えなくもない。
と、こうした基本情報をつらつらと並べると、師匠は「よく勉強しているね、流石民俗学の徒だ」と僕を褒めた後で、「しかし残念ながら今回の件はそういう由緒正しい怪異とは一切関係がないよ。本草綱目で言うならば狒狒ではなく猩々──架空の獣としてのそれではなく、文字通りのオランウータンが関係している、と囁かれているのが今回の事件さ」と経緯を説明してくれた。
「事の発端はインターネットなんだが……その前にキミ、エドガー・アラン・ポーの小説を読んだことはあるかい?」
「いえ。小説は夢枕獏しか読んだことありませんので」
「絶対嘘だろそれ。どんなキャラ付けをしたいんだよ。……まあさておき、ポーの書いた推理小説にだね、オランウータンが犯人の作品があるんだ。二人暮らしの母子が殺される事件でね、娘は首を絞められ暖炉の煙突に逆立ち状態で詰め込まれており、母親は裏庭で首をかき切られて胴から頭が取れかかっていたというそれは凄惨な事件なんだが」
「ネタバレされた……」
「150年も前の超有名作に今更ネタバレも何もあるかよ。それに一応タイトルは伏せてるじゃないか。……で、だね。その人殺しのオランウータンのことを『殺戮オランウータン』などと称した人物がインターネット上に現れてだね」
「凄いネーミングセンスですね」
「ああ。その何とも言い難い魅力を持った『殺戮オランウータン』というワードは、たちまちインターネット上で話題となった」
「暇な人しかいないんですか?」
「言ってやるなよ……。さておき、その騒動の中で、とある史実が発見された。いや、発掘と言ったほうが適切かな」
「史実……ですか?」
「これだよ」
と師匠が差し出してきたスマートフォンの画面には、「日本にも居た!? 大正時代の『殺戮オランウータン』」という文字がセンセーショナルに踊っていた。
そのネット記事によると、大正時代にとある豪商が外国から猩々(この場合オランウータンのことだ)をペットとして買い付けたそうだ。豪商はそのオランウータンを珍奇な見世物として訪問客に自慢していたそうだが、ある日余興として檻の外に出していたところ、突如興奮したそのオランウータンによって訪問客が殺傷されるという事件が起こる。オランウータンは逃亡するも官憲の手によって速やかに殺害されたが、哀れに思った近隣の寺の住職が墓を作ってやり、今でもとある山の中にそのオランウータンは眠っているのだ……という記事だった。
「当然、この事実によって殺戮オランウータン界隈は大賑わいさ」
「暇な人しかいないんですね」
「確定系になったね。まあいい。大昔の小説や事件記録やらで盛り上がってるうちは別にいいさ。私も気にしない……というかそんなの知りもしなかった。問題は、その『殺戮オランウータン』が再び殺人事件を起こした、などと騒ぎが起きていることでね」
「それが、これから向かう現場ですか」
「そういうことだ。これから向かうというか、もう着いたけどね」
ここだよ、と師匠がとある家の前で足を止める。外国の昔話に出てきそうなほど立派な煙突を備えた一戸建てが、悲しみの空気と灯の消えた電飾を纏ってそこに佇んでいた。
警察の人に声をかけて、僕たちは現場に立ち入った。普通民間人はこういうことは出来ないのだが、師匠は警察に謎のコネクションを持っているらしく、「招聘を受けて参上しました、藤間澪というものですが……」「藤間……ああ、話は聞いております、どうぞこちらへ」というやり取りだけで容易く現場検分に参加出来た。多分『怪異殺し』としての権力なんだろうな、と僕は考えているのだが、そのことについて聞くとまた師匠が嫌そうな顔をするため想像に留めている。
「で、ここが『殺戮オランウータン』の犯行現場ですか。……大変なことになっていますね」
いかにもお金持ちのお部屋でござい、といった感じで品の良い調度品が揃えられていたと思しきその部屋は、しかし酷い荒れようだった。扉近くでは棚が倒れ、ありとあらゆるものが床に散乱している。小型の台風でも過ぎ去ったのか、という有様だった。その様子を見て僕の脳細胞が回転を始める。
「ふむ、おそらく物取りの犯行……と見せかけて実は金品に手がついていないので犯人による偽装工作のやつですねこれは! 本当に金品に手が付けられていないのかは知りませんけど!」
「犯人の仕業じゃないよ」
僕の華麗な推理は一瞬で否定された。
師匠は、まあキミの言う通り金品に手は付けられていないけどね、と言いつつ「これはほら、あれだよ。3日前に大きな地震があっただろう。あれのせいさ」と説明してくれた。
「ああ、そういえば夕暮れ時に大きな地震がありましたね。事務所も資料が散らばっていました」
「そうそう。特にこの辺は揺れが酷かったらしくてね。震度4だったか5弱だったか……それでこの有様さ」
幸いにして死者・負傷者はそう多くはなかったらしいけどね、という師匠の言葉に、しかし不幸にも地震とは関係なく被害者は殺戮オランウータンに殺されたわけだ、などと思いつつ、僕は室内の一か所に目を向けた。
そこは、外から見えた煙突に繋がると思しき暖炉だった。最も、本来の機能を果たすことはめっきりないらしく、そこには薪も灰も存在しない。その代わりと言ってはなんだが、今は死体の状況を示す白テープがそこに存在していた。
「被害者は
師匠が資料を見ながら滔々と説明したあと、煙突に向かって手を合わせた。僕もそれに倣って、死者の冥福を祈る。
「……確かに奇妙な死にざまですね。けど、これがどうして殺戮オランウータンの仕業になるんです?」
「それはね、被害者の死んだ状況がポーの小説と似ているからさ」
黙祷を終えると、師匠は僕に向かって説明を始める。
「まず特筆すべきは、この現場が密室だったということだ」
「密室? 鍵がかかっていたんですか?」
「いや、鍵はかかっていなかった。でもこの部屋は物理的に密室になっていたんだ」
「……どういうことですか?」
「そこに倒れた棚があるだろう」
師匠が指し示したのは、扉近くで倒れていたオシャレ棚だった。造形にこだわったのかいかにも不安定そう。その上、重量もなかなかのようだ。倒れている位置が邪魔で部屋に入りづらかった、ということを言うと、師匠は「まさにそれだよ」と頷く。
「死体発見時、その棚はちょうど扉を塞ぐ位置に倒れていたんだよ。部屋に入る際に、男手数人で無理やり動かされたけどね」
「なるほど。この家は扉が内開きだから、扉のすぐそこに重いものがあると外から開けられなくなるんですね」
日本では外開きの扉が多いが、外国では防犯上の理由から内開きがほとんどなのだという。この家は暖炉がついてるくらいなのだし、外国に倣った作りなのだろう、と僕は納得した。
「しかし他に入り口があるのでは? そこの窓とか」
「ああ、あるにはある。ただ、これは実際に見てもらえば分かると思うが……」
と言って、師匠は窓に近づきこれを開けようとする。が、ガチャガチャと音を立てるばかりで一向に開く気配がない。見たところ、鍵が壊れて開けることが出来ないようだ。
「と、しばらく前からこの有様だそうだ。そのせいで換気に難が出来たため、そこの暖炉も使用を控えていたそうだよ」
「うーん……じゃあそれこそ、その暖炉はどうなんですか?」
「確かにこの暖炉は内側から登っていけるように梯子がついている。が、それは死体がなければの話さ」
ぴらっ、と師匠が指し示した捜査資料のページには、被害者である清一氏の写真が載っていた。随分大柄な……恰幅の良い……直截に言ってしまえばなかなか太った人物だ。この図体が暖炉の入り口でひっくり返っていたとなれば、煙突はふさがっていたも同然だろう。
「唯一、塞がっておらず鍵もかかっていないのはそこの天窓だが……」
師匠の言葉に、僕も釣られて視線を向ける。確かに天井近くには人が出入りするのに問題なさそうな大きさの天窓が存在した。どうやら鍵もかかってはいないらしい。だが……。
「流石に僕でも分かりますよ師匠。あんなとこから脱出できるわけないじゃないですか。梯子もないし、いくらなんでもとっかかりが少なさすぎる。ボルダリングの世界チャンピオンでも難しいでしょう」
「そう、人間には到底不可能だろうね。オランウータンなら分からないが」
何せオランウータンの握力は成人男性の4倍ほどらしいからね、と師匠は豆知識を披露した。
「と、いうわけでだ。被害者は暖炉の煙突に逆立ち状態で死んでおり、現場は密室状態。唯一の出入り口は人間には利用不可……ただしオランウータンなら脱出可能かもしれない。この状況はポーの執筆した某作品にそっくりだ。そういうわけで、この事件が報道されるや否や、インターネットの暇人たちは『殺戮オランウータン』が引き起こした事件だ──などと色めき立ったのさ」
「……うーん、確かに奇妙な一致ではありますが。でも、まだ『殺戮オランウータン』と結び付けるには弱い気もします。たまたまの可能性もあるのでは?」
「たまたまと言えば、この事件の被害者である庄堂家が件の豪商の子孫だというのも良くなかったな」
「え、そうなんですか!?」
師匠の言葉に慌てて先ほどのネット記事を読み返すと、確かに豪商の名は庄堂何某と書いてあった。
「ということは、そのオランウータンの墓も……あ、この近くの山ですね」
「どうもそうらしい。加えて、物好きが山に分け入ってその墓を確かめに行ったところ、墓はボロボロになっていたそうだよ」
まあ人々から忘れ去られて手入れもされてない墓なんだからボロボロになるのは道理なんだが、とかなんとか言う師匠の手から資料をふんだくり、ぺらぺらとめくって他に殺戮オランウータンに関する記述がないか確かめる。そう時間を必要とせず、気になる記述は見つかった。
「師匠! これ! この目撃証言! 事件の起こった夕暮れ頃、趣味のランニングを行っていた近所の住人が『この家の屋根の上に、赤い人影を見たような気がする』と言ってますよ! 視力が悪いため詳細は分からないそうですが……オランウータンは、赤い毛をしていましたよね!」
「……まあその通りだが」
憮然とした師匠の言葉も気にかけず、僕は興奮に脳を任せて思考を回転させる。
人間には不可能な密室殺人。大正時代、無念のうちに殺されたオランウータン。オランウータンを鎮めるはずが、壊れていたお墓。被害者はそのオランウータンを殺したものの子孫。そして、屋根に見えた赤い人影……。これはもう間違いない!
「やはり犯人……いえ、犯猿は怪異『殺戮オランウータン』! これはもう、『怪異殺し』藤間澪の出番しかありえません! さあ師匠、張り切って殺戮オランウータン殺しと行きましょう!!」
「行くわけあるか」
ごつん。
僕の意気揚々とした呼びかけへの返答は、師匠による脳天への拳骨だった。痛い。
「キミね、オカルト趣味は構わないけど、現実にオカルトを持ち込むのはやめたまえ」
「だって、こんなの絶対殺戮オランウータンの仕業じゃないですか」
「その決めつけが視野を狭めるんだ。第一、君が言う通り殺戮オランウータンの仕業だと仮定するにしてもおかしな点がいくつもあるぞ」
師匠はぴっ! と指を立てて言葉を紡ぐ。
「その①、オランウータンを殺したのは官憲であって豪商の庄堂氏ではない」
「……それは、連れてこられた原因が庄堂氏なんですから真っ先に復讐対象になってもおかしくないじゃないですか」
「その②」
二本目の指が立てられる。
「今まで何もなかったのに今更怪異が現れる理由が語られていない」
「……お墓が壊れていたじゃないですか」
「あれは最近壊れたものじゃなくて経年劣化によるものだろう」
「じゃあ、あれですよ、ネット上で再発見されて話題にのぼったことで『殺戮オランウータン』という存在が承認され、怪異としての力を得たとか、そういう……」
「その③」
僕の怪異論を無視して、師匠はその美しい指を立てた。
「そもそも怪異だというなら、『オランウータンにしか使えない侵入・脱出経路』なんていらないだろう」
「……」
幽霊だとか妖怪に物理的な壁が関係あるのかい? という問いかけに、僕は返す言葉を持たなかった。
「そういうわけだから、もっと現実的に、科学的に、そして論理的に考えたまえ」
「論理的……」
師匠に言われて僕は考える。でも、現場は密室だ。どう論理的に考えれば密室殺人なんて……。
その時、はたと閃いた。
「師匠、そもそもその棚は地震で倒れたものですよね」
「その通りだ」
「ということは、地震が起きるまではこの部屋は密室でもなんでもなかった! たまたま死体が煙突に詰め込まれた後に密室になっただけで、これは密室殺人でもなんでもなかったんですよ!」
どうだ! と胸を張る僕に対し、師匠が拍手を送る。
「全くキミの言う通りだよ桃瀬くん。いい着眼点だ」
「でしょう!?」
「が、残念なことに間違っている。地震の直前までこの部屋には人が居たんだよ。それも複数人。当然、誰も死体なんて見ていない」
「……え?」
「ちょっと余計な説明に終始してしまったね。ここらで改めて、事件のあらましを整理しよう」
師匠は捜査資料をめくった。
事件が起きたのは三日前の夕刻のこと。その日、現場である庄堂邸には長女の美咲(小学5年生)とその友人たちが集まっていた。なんでも、夜にパーティーを行う算段であり、そのための準備をしていたのだという。その会場となる予定だったのが、現場となった暖炉のある一室であり、美咲たちはそこで飾りつけを行っていたそうだ。
夕刻になって美咲の母親である庄堂由美が帰ってくる。パーティーの食事とケーキはみんなで買いに行く予定であったため、由美は美咲たちを呼びに部屋に向かい、連れ立って部屋を出た。
と、そこで例の地震である。凄まじい揺れと、あちこちでものが倒れ落ちる音が響き渡り、皆恐怖に駆られたという。
幸いにして誰も怪我はなかったが、会場にするつもりであった部屋は内側で棚が倒れたせいで入ることは出来なくなってしまったし、そもそも余震が怖い。家の中もめちゃくちゃだし、これはパーティーどころではないとなって、子供たちはそれぞれに家に帰され、庄堂家は主人である雄二氏と長男である和也(大学3年生)、そして良助(高校2年生)が帰ってきたところで、一家そろって少し遠くのホテルへと一時避難したという。
そのまま翌昼までホテル滞在をしていたが、どうやら余震もなさそうだし部屋の片づけをしなくてはならないということで一時帰宅。そして男三人がかりで扉を押して、なんとか棚をどかして荒れた部屋に踏み入ったところ──暖炉で無残にも死んでいる兄、あるいは叔父を発見した、というわけだ。
死亡推定時刻は、地震の直後くらいだと推定されている。
「……やっぱり殺戮オランウータンしかいませんよ」
「短絡的な決めつけはやめたまえ」
僕の言葉に師匠はお叱りの言葉をくれるが、しかし。
「いや、だってどう考えても人間には不可能じゃないですか、この殺人。現場には直前まで複数人が居て、いなくなった直後に密室になってる。殺戮オランウータン以外考えられませんって」
「それよりも、他にもっと気付くべき点があると思うのだがね」
他に気付くべき点……? 師匠に言われ、事件を見返す。すると、確かに奇妙な点があった。
「被害者、これいつから家の中にいたんですか?」
そこだよ、と師匠は指を鳴らした。
「そこが全くの不明なんだ。庄堂邸で清一氏を目撃したものはいなかった。つまり、犯人以前にまず被害者が密室の中に忽然と現れているわけだね」
「……清一氏も怪異、あるいは超能力者だった……?」
「すぐにオカルトに走るんだからキミは。それについては助けになりそうな証言があるよ」
師匠はたおやかなその指で資料を指し示す。
「被害者の清一氏はサプライズが好きな性格であった。そして、事件当日『美咲のパーティーに顔を出してくるよ』と妻に告げている。その際の顔は妻に曰く『いつものように、いたずらを思いついた時の顔』だったという。このことから、警察では清一氏が現場に隠れていたのではないかとの見解を示している」
「なるほど……」
僕は部屋を見渡す。パーティーを考えるくらいには広い部屋だ。被害者が大柄だといっても、隠れ場所もそこそこありそうに思えた。納得できる話だ。
「まあそういうことなら、問題は犯人がどうやってこの密室から逃げ出したか、になりますね…………いや、じゃあやっぱり殺戮オランウータンしかいないんじゃないですか? 唯一の逃げ道を使えたのが殺戮オランウータンしかいないなら、論理的な帰結として犯人は殺戮オランウータンしかいませんよ。早く殺戮オランウータンを退治しましょう。怪異殺しとして、殺戮オランウータンを相手取るときですよ」
「キミ、ただ殺戮オランウータンって言いたいだけになってないか?」
バレた。
しかし実際問題、それ以外にどう考えればいいのだろう。
「帰納的に考えて、この窓からしか出られなかったのなら犯人はこの窓から出た以外にない──みたいなことをオーギュスト・デュパンも言っていたじゃないですか」
「……キミ、ほんとはポーの某作品読んでいたね?」
やっべ。
慌てる僕を尻目に、師匠は──藤間澪は、その長い髪をかき上げる。
「……そもそも、犯人があの窓から出ていく必要なんてないんだよ」
静かな口ぶり。冷徹さを秘めた瞳。
師匠のその様子に、僕は確信する。
「ということは……師匠には既に真相が分かっているんですね」
「全てのことに論理的な説明が付けられる。この事件に、怪異の出番などありはしないさ」
師匠は静かに頷いた。
「論理の刃を以て、『殺戮オランウータン』などと言う幻想は、この藤間澪が斬り殺して見せよう」
その姿。
平安の武士の如く、静かな闘志で満たされた玲瓏たる姿に。
僕はやはり、この人こそ『怪異殺し』と呼ぶにふさわしいと思うのだった。
「……その前に、お腹減ったからちょっとドン・キホーテまで行ってくる」
「え、なんでドンキ!? 近くにコンビニありますよ!?」
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