やさしいところ

英 金瓶

あの頃の思い出。

 週の初めの夜遅く、姉ちゃんからLINEが入った。


埼玉の祖母が息を引き取ったという知らせだった。


享年98歳。


苦しむことなく、眠るように旅立ったそうだ。



「一か月くらい前から、あまりご飯を食べなくなったみたい。」


そう、姉ちゃんからLINEがあったのが、ついこの間の話。


その文末には、「おばあちゃん、千成かずなりに会いたがっているみたいだよ。」というメッセージも添えられていたが、僕は会いに行かなかった。


その時は、こんなに身近に別れが迫っていたとは思ってもみなかったから……。


ショックで頭の中が真っ白になった僕は、“知らせてくれてありがとう。”と一文いちぶんだけ返し、この日はなにもしないまま布団に深く潜り込んだ。


幼き頃のおばあちゃんとの思い出に思いを馳せ、今更ながらの後悔に苛まれながら……。



翌日。


僕は仕事が終わってから、おばあちゃんちに向かうことにした。


僕が働く小さな町工場からは、バイクで大体2時間弱。


着いた頃にはとっぷりと日も暮れていて、おばあちゃんちの周りは田んぼや畑ばかりだから、辺りは真夜中のようにひっそりと静まり返っていた。


「ごめんくださーい!」


僕は呼び鈴を押したが中で鳴ってる様子がなかったので、仕方なく玄関先で大きな声で叫んだ。


普段はあまり、大声など出したりはしないものだから、僕はなんだか少ししながら、暗い玄関先で家人を待った。


これで誰も出て来なかったら、もう一度叫ばなければいけないのか……。


僕はそう懸念しながら、中の様子を静かに探った。


すると、「どちら様ですか?」と、中から懐かしい声が聞こえてきた。


「あ!おばちゃん?!ぼくです!夜分遅くすみません!千成かずなりです!ご無沙汰してます!」


「え?!かず?!」


おばちゃんは、突然の僕の訪問に驚いたようすだった。


無理もない。僕は連絡も入れずに突然訪れたのだから。


カチャン!カチャン!


扉の向こうでは鍵がせわしくき、続けて勢いよく扉はひらかれた。


すると驚いたことに、中から顔を覗かせたのは、おばちゃんではなく見知らぬ女性。


「え?あれ?……ここって……。」


僕は予想外の展開に戸惑い、思わず身を一歩引いてここがおばあちゃんちであることを再確認した。


すると、見知らぬキレイな女性は、そんな僕にこう言った。


「おかあちゃんじゃないよ!亜妃あきだよ!」


「え?!うそ!……え?!えぇ?!」


見知らぬキレイな女性は、従姉のだった。


「いやー、かずだー!久しぶりぃ!あんた変わってないねー。大きくなってる!」


「え?……そっかな……。」


あきねーとは小さい頃にはよく遊んでもらったが、いつしかここに寄り付かなくなってからは、まったく顔を合わしていなかった。


なので、こうして顔を合わせるのは十数年ぶり。


誰もがそうだと思うが、思春期くらいから親戚の家に行くのがなんだか億劫になって、そのままどんどん行きづらくなるパターン。


僕もそのパターンで、おばあちゃんちからは足が遠退いていたのだった。


幼き頃、やんちゃでお転婆だったあきねーは、久しく会わない間に美しい女性へと変貌していた。


「よく来たね。遠かったでしょ!さ!入って入って!」


久々の再会に、ストレートに歓喜するあきねー。


僕はそんなあきねーとは裏腹に、なんだか素直には喜べないでいた。



家に上がると、あきねーはそのまま僕をおばあちゃんが眠る大広間へと案内してくれた。


おばあちゃんは、蝋燭ろうそくの灯った薄暗い部屋で眠っていた。


一昨年おととしの暮れあたりから、おばあちゃんはこの部屋でほぼ寝たきりで過ごしていたそうだ。


あきねーもその頃からここに移り住んだと、姉ちゃんからは聞いていた。


「おばあちゃん、電気点けるよ。」


あきねーはそう言うと、おばあちゃんの眠る大広間に明かりを灯した。


「ははは……また言っちゃった。もう、眩しいよ!って言わないのにね……。思わず言っちゃうよ。口癖だね……。」


あきねーはそう言うと、淋しそうに笑った。


「おばあちゃん。かず、帰ってきたよ。」


僕がおばあちゃんの前でしていると、あきねーは僕の手を引いておばあちゃんの前に連れてゆき、おばあちゃんにそう語りかけた。


「かず。おばあちゃんに、って言ってあげて。」


「え?……。」


「おばあちゃんね、最期の方は認知症入ちゃってね……。夕方になると、千成かずなりは帰ってきたのかい?って、毎日のように聞いてきたんだ……。きっとおばあちゃん、最期の方は現在いまではなく、あの頃を生きていたんだね……。だからさ、言ってあげて。!って。」


僕はそれを聞いて、心が痛かった。


あの頃とは、きっと僕らがまだ小さかった頃のことだ。


あの頃僕は、夏休みになるとおばあちゃんちに来て、時間を忘れてカブト虫やクワガタを獲りに遊びまわってた。


そしていつも、日が暮れてからの帰りになると、姉ちゃんやあきねーに「おばあちゃんに心配かけるな!」と、叱られていた。


僕はずっと、おばあちゃんに心配ばかりかけていたんだ。


おばあちゃんは、あの頃からずっと、僕を心配してくれていたんだね。


それなのに僕は……。


おばあちゃん……ごめんね。


おばあちゃん……ありがとう。


おばあちゃん……ただいま。


僕は、声にならない言葉でおばあちゃんと話していた。


気がつくと、傍にあきねーの姿はなく、僕はいつの間にか大粒の涙をこぼしていた。


しばらくすると、あきねーが頃合いを見計らってか声をかけてきた。


「かず、夕飯まだだよね?」


「え?……うん。」


僕は涙の跡を手でぬぐいながら、何事も無かったかのように顔を上げてそう答えた。


「一緒にどお?」


「え?……あー……。」


僕は遠慮する気持ちと葛藤し、どうしようかと迷っていると「私一人の夕飯も淋しいからさぁ……。」と、煮え切らない僕をあきねーは誘ってくれた。


僕は、あきねーのその言葉に甘えることにした。


するとあきねーはニコッとして「じゃ、すぐ支度するから居間でくつろいでいて。」と僕に言い残し、いそいそと台所に向かった。


僕は、そんな嬉しそうなあきねーを見送ってから、おばあちゃんにもう一度手を合わせて居間へと向かった。


居間に入ると、お線香と芳香剤の入り混じったような懐かしい匂いとともに、思い出深い風景が視界に飛び込んできた。


天井から吊り下がった電気の傘。


サイドボードに湯呑やグラスと一緒に並べられた人形たち。


僕はノスタルジーに包まれて、あの頃座っていたみんなの視線が集まるテレビの前に腰を下ろし、部屋中を眺めまわした。


少しすると台所からいい匂いがしてきて、僕は今朝から何も喉を通らなかったのを思い出し、忘れていた食欲を掻きたてられた。


あきねーの手料理は初めてのはずなのに、僕は何故かその香りをとても懐かしく感じた。


 これって……。


やがてその香りは色濃くなると、あきねーの「おまたせー」という言葉とともに、いい匂いが白い湯気を立てて姿を見せた。


「あきねー、今日の夕飯ってもしかして……。」


「うん?ふっふっふっふっ……。」


あきねーは不敵な笑いを浮かべると「じゃーん!」という効果音とともに、テーブルの上に手料理をお披露目した。


「おばあちゃん直伝、肉汁うどんだよ!」


「わぁー!」


僕は心がときめいた。


それは、甘めの出汁に豚バラとキノコの旨味がみ出たにつけて食べるうどん。


あの頃おばあちゃんが僕らによく食べさせてくれた、思い出のうどんだった。


「いただきます!」


「どうぞ、召し上がれ。」


僕は両手を合わせ、あきねーと食材に感謝して、先ずは出汁で味覚を潤した。


「あー!これこれこれ!懐かしい!」


あの頃の、みんなの笑顔が僕の脳裏に蘇る。


僕は続けて、一口目を頬張った。


「うんっっま!」


その旨さは期待を遥かに超えていて、思いのまま発したその一言に、あきねーは満足気に微笑んだ。


「あきねー、これってもしかしてさ、あきねーの手打ち?!」


「そうだよ。だから言ったじゃん。おばあちゃん直伝だって。」


そうだ。


おばあちゃんも手打ちだった。


おばあちゃんのうどんは東京や他で出るうどんとは違ってコシが強く、噛み応えのあるうどんだった。


ここら辺では古くから食べられていたらしく、昔はみんな自分でうどんを打っていたのだと、おばあちゃんは教えてくれた。


「あきねー美味しい!すごく美味しいよ!」


僕は、あまりの美味しさと懐かしさに涙が出そうになった。


そして、十数年の空白に、再び後悔をした。


「あきねー、ありがとう!ほんっと、美味しい!最高だよ!あきねー。」


僕が何度もそう言ってうどんを頬張ると、あきねーはそのたんび嬉しそうに「ふふふっ」と笑った。


その笑顔は、みんなで囲んだあの頃の楽しい食卓を思い出させる、そんな笑顔だった。


僕はそんなあきねーの笑顔を見て、“やっと帰って来れた。”そんな気がした。


そして再び、僕はうどんを頬張った。


あの頃の懐かしい味。


世界一のやさしい味。


コシが強くて噛み応えのある、おばあちゃんのうどんを。
















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