第69話 閃影現れて

「芒聲、これは」

「上の指示です。従って頂きます」

「嗚呼、そう。まあ、そりゃそうだよな」


 不満げではあるが、何処か納得した面持ちで、楽號が部屋から降りて来る。歩く度に、枷の金属が擦れる音が聞こえた。

 庭に置いた自分の靴を履きながら、楽號は此方に近付いて来た。そして、誰に対してでもない風に吐き捨てた。


「ざまあないね」


 その言葉を拾った聶斎房が、枷の嵌まった手を挙げて、口元を隠しながら笑った。


「ええ、本当に。愚かしゅうて、笑ってしまいます」

「君も捕まってるじゃん」

「最初からそういうご予定でしょう」

「それもそうか」


 軽口を叩ける程の余裕はあるようだ。

 楽號がじろりと睨み付けるように、芒聲さんへと顔を向ける。


「ルールには従うとも。罰があるのなら甘んじて受ける。だが、こいつへの手出しは無用だ」

「分かっています。千佳さんは死神でも死人でもありませんから、元より我等が裁くことは出来ません。かと言って、重要参考人ですから、誰かに奪われる訳にもいきません。必要があれば、一時的に、死神による保護という形で、自由は手放して頂く可能性もあります。これは形式的な理由の他に、楽號の罪を軽くするために必要な証言を、恐らくあなたがお持ちであると推測して申し上げています」

「証言……」

「必要ないよ」


 はっきりと楽號が言い放つ。


「僕は他人の手なんか借りないよ。いや、芒聲の助けは必要だけど、でも、生きている人間が出来る範囲はここまでだよ。聶斎房も捕まった今、死神がこの子を保護する必要もない」

「でも、楽號」

「千佳、君は君の居場所で生きなさい。生者の世界で。もう、別の世界のことなんか気にしなくていいんだよ」

「でも、私は楽號の助けになりたいんです」

「それは……家族だから?」

「いいえ、私にとって貴方が助けたいと思える人だからです。貴方は私の同居人です」

「ふはは、そうだった。なら、きっと僕もそうしたろうな」


 私は楽號の隣に立つ。

 芒聲さんは少し呆れるかもしれないと思ったが、その眼差しは真っ直ぐに私を射抜くようだった。笑っていないし、見下げているようでもない。


「了解しました。千佳さん、貴方も証言者として」

「いや、しないよ」


 私はてっきり楽號達と着いて行って証言をするものだと思っていたのだが、当の本人から静止が掛かる。驚いて彼の顔を見るが、彼は芒聲さんを見ていた。


「帰るのは、僕と君らと聶斎房。千佳は置いて行く」

「どうして」

「どうしても。あまり君を危険な場所に置きたくないんだ」

「死神の暮らす世界は恐ろしいのですか?」

「大凡は悪くない。でも、君を確実に傷付けるものがあるだろう。だから、行かなくていい。それに、神様にお返ししなくちゃいけないものもあるんだろ。約束を破ると大変だぞ」

「うっ」


 記憶が全部戻った今、いーちゃんに門を返す時だ。早く返さねば、いーちゃんもギリギリな状態であるから、一歩間に合わなければ、手遅れという可能性もある。

 門の向こうの準備は整っているようだし、山の澱みを引き剥がして、いーちゃんが生きて行けるようなレベルまで流さなければならない。時間が掛かるから、始まりは早ければ早い程良いだろう。

 だから、出来るだけ早く返さなければならない。


 でも、その前に、今、目の前にあることをどうにかしなくては。そうしなければ、楽號と離れ離れになってしまう。

 私は芒聲さんに懇願する。


「私に出来ることは何でもします。証言とかばんばんやります。だから、楽號を牢に入れたりとかはやめて下さい」

「落ち着いて、千佳さん。あなたが考えているような最悪なことは起きません。というより、起こさせません。恐らく、今の状態だと、謹慎を言い渡されるのがせいぜいでしょう。手の拘束は一時的なもので、命を奪われることもありません」

「大丈夫だよ。千佳。直ぐに戻って来るから」


 楽號が優しく此方に微笑むから、私は安心していいのか、怖がるべきなのかが分からなかった。けど、一番パニックになる筈の楽號が落ち着いているのに、私だけがじたばたとするのもおかしいと思い、口を閉ざす。

 煩く脈打つ心臓を鎮めんと、二、三回程胸を叩いた。然程、効果はなかった。


「本当に直ぐに帰って来るんですか」

「そうだよ」

「必要な時が来たら、私が千佳さんに話を聞きに来ます。それが証言として扱われるでしょう。それでいいのですか、楽號」

「公平無私と思われている芒聲がやるなら、上の連中もちゃんとした証拠だと思ってくれるだろうね」


 私も第一印象はそのようなものだったが、この頃の芒聲さんは優しいというか、味方に付いてくれそうな雰囲気がある。無私ではないような。今も、恐らくではあるが、楽號を助けるために色々としてくれているのだ。


「いえ、そうではなく。処分が軽くなるかもしれない方法があるのに、それを選ばないのかと問うています」

「さっき答えたろ。選ばないよ、俺は」


 意固地な楽號に、芒聲さんが軽く息を吐く。


「取り敢えず、お二人を連れて行きます。千佳さんはこれからどうなさる予定ですか?」

「伊吹山へ向かいます」

「嗚呼、あの山ですか。一人で大丈夫ですか? 何人か死神をお付けしましょうか」

「いえ、一度通った道ですし、道中に世話になった人達もいるので、一人で大丈夫です」


 私の言葉に、楽號が無言で眉を寄せた。だが、口を挟むつもりはないのか、口は開かれなかった。


「では、さようなら。あなたのお陰で、悪霊聶斎房を捕らえることが出来ました。此方の把握していたものと比べると、半分以下迄生命エネルギーが落ちていることが気になりますが、まあ、良いでしょう」

「それでは、千佳様。ご機嫌よう。今度は釜の底でお待ち申し上げまする。いつでもお越しくださいませ」

「行く予定はないですよ」


 背中を押されて去って行く楽號が、こちらに顔を向けようとしながら、大きな声で言った。


「ご飯、ちゃんと食べろよ。後、チルド室に鶏肉入ってるから、早めに食べてくれ。チキンステーキにしてもいいし、唐揚げにしてもいい。あ、生姜のチューブ切らしてたから買い足しておいてくれ。それと、蒲鉾の賞味期限も近かった気がする。あと、それと」

「兎に角、適当に食べて待ってますから、早く帰って来てください」


 メッセージを途中で区切りながら、返答をした。

 少し安心したのか、微かに笑った後、大人しく連れて行かれてしまった。

 彼等は暗い影に向かって進むと、そのまま影と馴染んでいなくなってしまった。


 影と人が消えて、私一人になった。

 陽はすっかり上にある。


 まだ、頭の整理がつかない。だが、無力な私が、彼を信じる以外何が出来たろう。


 それは思考停止ではないのか。


 頭が回らない。栄養摂取の必要性を感じる。


 朝食でもと思ったが、本当にこの家には食べ物がない。棚にあったビニールの小袋に入ったお煎餅を一口齧ったが、湿気っていて、食べられたものではなかった。そうめんは昨日、全部食べてしまったし、諦めて出掛けて行くしかないだろう。


 私は身支度を整え、部屋の掃除を軽くしてから、伊吹山へと出掛けた。


 踏み石の上に置いたままの靴を履き、誰もいなくなった家を振り返った。部屋の障子は全て閉じたから、そこまで伽藍堂な風には見えない筈だが、見えなくても人気のなさというのは肌で感じられるものだ。

 千歳さんがあちらに行ってしまったから、此処にはもう誰もいないし、誰も帰って来ない。

 時が止まったような、それは生気を感じないと言っても良いかもしれない、兎に角、此処は既に終わった土地なのだ。


 後ろ髪を引かれることもなく、私は踵を返す。

 髪を引くのは、もしかしたら、人の手なのかも分からない。ならば、人のいないこの場所で、私の髪を引く者はいないのだろう。


 一度通った道を戻るだけだ。

 坂を下りて、暫く歩けば、雑木の宿がある。生島さんに一言挨拶してから、川へと降りて行く。

 いつぞやと同じ、澄んだ川を渡ろうとすると、後ろから春樹さんが追い掛けて来たから、共に向かうことにした。一度入ったことがあるとは言え、踏み固められた道がない山だから、案内人がいるのは心強かった。


「もう、門を返しに来たの?」

「ええ」

「一人で?」

「……ええ」


 そうだ。一人になった。

 沈んだ心を悟られないように、私は声の調子を上げた。


「彼は少し用事があって、別の場所に向かったんです」

「そうなんだ。門を返したら、いーちゃん元気になるかな」

「なるかもしれませんね。門の内側の人々は、いーちゃんさんを歓迎するでしょう。澱みを流す手段も用意してましたよ」

「え、じゃあ、いーちゃんは死ななくて済む?」

「断言は出来ませんが、可能性はあるかもしれないと言っていました」

「そっか。そっかあ。あ、門の中に入ったの?」

「はい。とても綺麗な所でしたよ」

「俺も行ってみたい」

「もしかしたら、いつか誰でも中に入れるようになるかもしれません」

「誰でも? でも、あの世なんでしょ?」

「今、あの世から脱却しようとしてるんですって。だから、生きてる人も行き来出来るかもしれないと」

「じゃあ、俺もいーちゃんに会いに行けるかもしれないんだ」

「上手くいけば、そうなるかもしれません」


 その話を聞いた春樹さんは、目に見えて上機嫌になった。元より、彼はいーちゃんさんを助けたいという気持ちが強かったから、可能性があることを純粋に喜んでいるのだろう。


 少し登ると、一昨日見たのと同じ場所にぽつんと社があり、その前には筵が敷かれている。しかし、其処に座る者はもういない。


 私は筵の前で跪き、社に話し掛けた。


「お約束通り、お返しに参りました」


 すると、突然に吹いた風が私の顔を打つ。枯葉が舞い上がり、私は思わず目を瞑った。それは私の身体を擦り抜けるように、吹き抜けていった。

 背後では同じく驚いたのか、春樹さんの小さな悲鳴が聞こえた。そして、遠く空より、厳かな老人の声が響いた。


「しかと受け取った。感謝じゃ」


 ふと気付くと、身体の感覚が違っていた。

 思わず、立ち上がって自分の体を見回すが、特に変化はない。


「どうしたの?」

「あ、そうか。門がなくなったのか」


 門を持っている時期の方が長く、それが当たり前であったから、失った時の感覚が新鮮だった。胸の中心がぽっかり空いたようでもあるし、命の実感が湧いて来るようでもあるし、寂しいような嬉しいような複雑な気持ちだ。


「終わり?」

「みたいですね。随分とあっさりとしていましたが、こんなものなのかもしれませんね」

「本当に返して良かったの?」


 何かが頭を過った気がしたが、捉える前にそれは消えてしまった。


「約束ですから」

「そっか。ありがとう、返してくれて。いーちゃんの願いを叶えてくれてありがとう」

「いえ、私は、それに元を辿れば靎蒔の家のあれこれでしたから、お礼を言われるようなことは」

「でも、俺が嬉しかったから、お礼を言いたかったんだよ」


 この子といると、色んなことが思い出される。当たり前のようで、細やかな喜びの在処を教えてくれるのだ。


「では、私も。案内してくれて、ありがとう。とても助かりました」

「どういたしまして」


 笑顔でお礼を言い合うと、先程まで沈んでいた胸の内が、やおら温かくなっていく。


「ねえ」

「何でしょう」

「きっと、喧嘩とかなんでしょ。会える時に会いに行った方がいいよ」

「……そうですね」


 楽號がいないのは、私と喧嘩をしたからなのではないかと考えているようだ。合っているような、合っていないような。

 お互いの意思の擦り合わせをする暇もなかった。

 慌ただしく過ぎて行こうとするものに、縋り付こうとして、私は振り落とされた。それは、彼方側には連れて行かない、という楽號の意思であったから、私は主張出来なかった。其処には私のためを思う心があるのだ。


 だから、いかないでとは言えなかった。


 けど、一つ思い付いたことがある。


 山を降り、宿へ戻ると、春樹さんと生島さんに別れを告げて、私は来た道を戻って行った。





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