人々と私

第70話 祝いの日

 一月十日。


 楽號が連れて行かれてから、一年以上経った。

 その日は、私は珍しく緊張をしていた。

 入学式以来袖を通していなかったリクルートスーツを羽織ったのだ。スーツを着るというだけで、特別感が今はまだある。


 式典と言えど、そこまでしっかりとしたドレスコードはないだろうと思い、まさに入学式といったスーツの格好になってしまった。

 家を出る前に、前ボタンをしっかり留めて、一度鏡の前に立った。入学式の時もそうしたのを思い出す。しかし、大きな変化は見れなかった。人間はそう簡単に変わらないということなのかもしれない。


 今日は自治体の式典に出て、その後、電車に乗って、叔父さん達に挨拶とお礼を言う。そして、電車でよく行く繁華街を目指すというのが、本日のスケジュールだった。最悪、繁華街さえちゃんと辿り着ければ良いと思っていたが、順調に進んでいて、これから叔父さんの家へ帰るところだ。


 結局、楽しめたのか、楽しめなかったのか、分からない成人式だった。偉い人の話は、有り難い気もしたが、私にはまだ実感の湧かないことが多かった。


 三十分も揺られれば辿り着く。最早、ノールックでも辿り着けられる範囲に家はあるが、危ないのでちゃんと目で見て歩く。

 一階で呼び出しボタンを押すと、明るいかえちゃんの声が聞こえてきて、エントランスの自動ドアが開かれる。オートロックのマンションに入る時、私は挙動不審になる。忍者であるのにその正体を隠して、一般人としてあるような。怪しい者ではないけど、他所者である自覚があるからだろう。

 部屋の扉の前でインターフォンを鳴らすと、出て来たのは叔父さんだった。


「おめでとう」

「ありがとう」


 少ない言葉のやり取りは温かみに満ちて、私は照れ隠しに、「かえちゃんは?」と聞いた。


「リビングだよ。本当に良かったのか。袴の用意をしてやったのに」

「レンタルも高いし、着飾るのは得意じゃないから」

「靎蒔の家にいる時は着物ばかりで、正装も幾つかこっちの家に持って来ていたんだよ。今朝、押入れから引っ張り出して来たから、着てしまえ」

「ええ」

「一生に一度だけのめでたいイベントなのだから、堪能しなさい。ほら、着替えるよ」


 珍しく強行な叔父さんに、私はなす術なく、されるがままだ。


 叔父さんの部屋に押し込められて、私は棒立ちになる。叔父さんはというと、押入れから紙に包まれた着物を取り出していた。


 日常使いをしていただけあって、その着付けの手際は感嘆に値をする程、素早かった。色々なものをぐるぐるされた気がしたが、女子の場合はもっとぐるぐるさせたり、詰めたり、結んだりで、大変なのだそうだ。ちらりと着付けのやり方を誰かに習ったが、あれは一人で着られるものではないだろう。


 五分もすれば、私はちゃんとした成人となっていた。

 スーツの時にはあまり変化を感じなかったが、こうして着慣れない和服の袖を通してみると、自分もなかなかに様になっているのではないか、二十年も生きてきたのかと感慨深いものが込み上げて来る。縛り付ける物が多いからか、背筋も自然と伸びる。衣装というものは、思っていたよりも意識に変化を齎すようだ。


「ほら、これで完成だ」

「ありがとう」

「久々だから、出来るか不安だったけど、上手くいって良かったよ」

「叔父さん」

「ん?」

「あの時、私を引き取りに来てくれて、そして、育ててくれて、ありがとうございます」

「……そんなこと。お礼を言われるようなことはしてないよ。あのな、感謝をするのは良いんだ。でも、お前を引き取ったのは、俺がお前の親戚で大人だったから、当然の行いなんだ。だから、それに引け目を覚えることも、過大に恩を感じることも駄目だ」

「でも、私は本当に感謝しているんです」

「とは言え、そう言ってくれるのは嬉しいよ。お前が自分の人生を肯定的でいてくれるのかなと思うからな」


 前に比べて、自分を認められていることは感じている。それが正しい評価はさておき、自分もこの世界にあって、影響を受けたり与えたりしながら生きているのだと実感がある。


 叔父さんが少し遠慮がちに笑う。


「その、楽號さんはどうなんだ」


 芒聲さん達に連行された彼とは、まだ、再会出来ていない。

 あの後、芒聲さんが何度か訪れ、私からの話を聞きながら、少しだけ楽號の様子を報告してくれる、ということを繰り返していた。それに叔父さんも協力してくれていた。


「嗚呼、えっと、芒聲さんの話を聞く限りだと、状況は良くなって来ているみたい。私との再会は意図していた訳ではないし、学校での聶斎房の企み阻んだことから彼との共謀の線は消えていて、でも、監視対象の母との接触が任務放棄ではないかって突っ込まれていて、どうにかそこのフォローが出来れば良いんですけど、何せ生まれる前のことなので、何も分かるものがなくて」

「楽號さんが家に来ていたことに、俺は全く気付いていなかったからなぁ」


 思案顔だった叔父さんが、私に目を向ける。その澄んだ黒目はいつぞやの人々を思い出す。


「確か、境界属性が強くなっているって言っていたよな」

「私が境界と馴染みやすいこと? うーん、強まったというより、使い方に慣れて来たって感じですね」


 靎蒔の家から帰った後も、試しに空間と同化をしてみたり、如月に協力して貰ったりしながら、門を返した後にも残った能力を使っていたのだ。


「それを使って、あっちに行くとかは出来ないのか」

「実はもうやってたりして」

「行ったのか」

「行きました。茜藏さんに証言をして貰いたくて。前に彼女が地獄から私を助けて来れた時、縁を辿って道を作ったと言っていたので、同じことが出来ないかと思って」


 聶斎房の手によって、彼の奈落に落とされ、脱出をはかった際に、一人落ちて行く私の手を取り、門の向こう側へと引き入れてくれたのが茜藏さんだ。彼女は奈落と門の向こう側を繋げた方法について、結界破りと、一度その二つの地点が繋がった履歴によって、結ばれたのだと私に説明してくれた。


 私には境界性という属性があり、自己の境界線を曖昧にすることで境界線そのものと同化出来る。それは境界のある場所全てに馴染むことが出来るということだ。

 つまり、今、私がいる此処と門の向こう側との間にある境界と同化した後に、自己を確立させれば、その場所へと移動することも出来る。

 一言で言えば、転移が出来るようになったのだ。


 と言っても、それは未だ机上にあり、実体を空間転移させるには課題が多くあるため実現は遠い。なので、まだ、自由自在には出来ず、色々と制限もある。しかし、場所自体が曖昧で、尚且つ、実体があるかも問わない門の向こう側は、この能力の成立させやすい条件が揃っている。門自体も個人の内ではなく、空間に置かれているのも助けになっている。


 なので、それらを利用して、私は現在は門の向こう側と行き来している。

 身体を含めた同化を意図的に行うのは、難儀で回数はこなせていないが、成功率はそれなり高い。


 伊吹山を後にした時に思い付いたこととは、同化を用いて、茜藏さんから楽號の諜報活動に問題なかったと証言して貰えるよう頼むことだった。そして、この能力の使い道についてだった。


「任務をちゃんと遂行していたと証言してくださって、それが通れば良いんですけど」

「お前なり戦っているんだな。きっと良い結果が訪れると俺は思うよ。俺にも出来ることがあれば協力するからな。楽號さんについてのあれこれは難しいかもしれないが、靎蒔についてなら幾つか答えられるものもあるだろう」

「ありがとう」

「でも、危ないことはするなよ」


 釘を刺され、どきりとする。

 以前、千歳さんの言っていた通り、これは自分の輪郭を失わせることだから、多用は厳禁なのだ。繰り返せば、いつかは私は自分を見失って、空間そのものになってしまうだろう。叔父さんがそのことを知っているかは分からないが、気を付けなければならないのは事実だ。


「楓にその格好を見せてやってくれ」

「勿論」


 リビングへ向かうと、完全に休日スタイルのかえちゃんが携帯を弄っていたが、私を発見すると、「格好良い! やばい」と素敵な感想をくれた。そして、携帯のカメラで大量に撮影してくれた。

 この子はいつも明るくて、ポジティブな言葉を掛けてくれる。叔父さんも叔母さんもそこまで明るい人じゃなかったから、少し不思議だが、遺伝だけが人の性格を形成する訳ではないのだろう。


「うちで飯、食ってくか? スーパーで何か買って来るから」

「いや、如月と祝杯をあげる約束をしているんです」

「こないだの綺麗な子か」

「え、例の美人さん? 超見たかった。なんであたしがいない時に、みんな集まるの?」

「だって、かえちゃん学校あるじゃん」

「二十四時間ずっと学校にいる訳じゃないし、千佳ちゃんだって学校あるじゃん」

「まあ、機会があれば会わせてあげるから」

「本当? やったー! 絶対ね。絶対。それでいつぐらい? 予定空けとく」

「その内ね」

「その内っていつ? 三日以内?」

「その内」


 かえちゃんは以前から如月に興味を示しており、事あるごとに会おうとしてくるのだ。そして、私はそれを適当にあしらっている。

 如月にかえちゃんのことを言えば、「じゃあ、連れて来ればよかったじゃないか」と柔かに言うだろうが、私個人としては、私と如月の関係を枝分かれしたものにはしたくなくて、唯静かに穏やかに過ごして行きたいのだ。かえちゃんには申し訳ないが、私と如月の間に入る隙間はない。


 イベントの空気は最初だけで、次第に普段通りの空気へと変化していく。

 三人共、いつもの調子で祝日を過ごして行く。


 ふと、時計を見ると、待ち合わせの時間が近付いている。


 着せて貰った所で申し訳ないが、移動のしやすさのために、袴は脱がせて貰おう。


 脱ぐ前に記念に写真を撮る。叔父さんとかえちゃんが被写体とカメラマンとを交互に行き来しながら、気持ち多めに撮影をする。見た目はそう変わらないが、叔父さんは何処か燥いでいるように見えた。それがもし、私の祝い事によるものだとしたら、凄く嬉しく思う。

 誕生日などもそうだが、誰かが自分を気に掛け、共に祝してくれることに真心を感じる。私という個人を認めて、好意的に受け取ってくれているから、きっと祝ってくれるのだろうと私は楽観的に考えてしまう。だから、叔父さんも私を好いてくれているから、私の成人を喜んでくれているのだと思っている。

 そういう考え方なので、何かを祝われると、気恥ずかしさもあるけれど、相手の気持ちが胸に沁みて、じんわりと暖かくなるのだ。喜びが胸の内から暴れるようにしていながらも、それを隠しながら、私は「ありがとう」と伝えるのだ。


「最後に、三人で撮ろう」

「撮れるの?」

「千佳ちゃんの方が腕長いから、千佳ちゃんが携帯持って」


 ぎゅうぎゅうと詰めながら、かえちゃんの携帯のボタンを押す。軽快な音が何回か鳴り、私達は犇くのをやめる。

 撮影した映像をかえちゃんと確認するも、殆どがブレでぼやけてしまっている。


「あはは、全然駄目じゃん」

「画面が見えなかったんだ」

「あ、でも、これはいいかも」


 かえちゃんが出したのは、唯一ブレていなかった写真だ。ぼやけていないし、誰も目を閉じていないし、最低ラインは超えている。

 そして、私は携帯に表示された時計を見て慌てた。


「早く行かなきゃ、遅れる」

「着物脱がしてやるから、こっち来な」


 叔父さんにちゃちゃっと脱がされ、私はまたスーツへと戻る。

 バタバタと慌ただしく荷物を持つと、玄関へと向かう。


「また来ますから」

「いつでもどうぞ」

「今度は如月さん連れて来てね」


 扉を閉めて、私は駅へと早足で向かう。


 なんてことないように、お別れは等閑に投げられた。それは、変わらぬ再会があることを信じているからだろう。また直ぐに会えると、そして、また同じように会話が出来ると、これは唯の一時の別れだと、そう思っているから気軽なのだ。


 そう。別れは唯の一時だけだ。

 直ぐに会えると言っていたのだから、もうそろそろ会いに来て貰わないと困る。


 彼を思い出すと、一緒に料理の記憶も溢れて唾液が出て来る。すっかり胃袋を掴まれている。

 嗚呼、あの肉じゃがをもう一度、食べたいものだ。


 そんなことを考えながら、私は乗車予定の列車になんとか乗り込めたのだった。





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