第44話 食い意地は危地

 周りを見渡しても白い霧と、鬱蒼とした森とで方向感覚はすっかり役立たずだ。

 春樹さんがいなければ、とっくに迷子になって澱みに捕らえられていただろう。


 いつの間にか立場が逆転して、春樹さんに手を引かれながら、私は山小屋に辿り着いた。


 そして、今、楽號の訪れを待っていた。

 火を再び焚き、寒さを凌ぎながら、重要なような取り止めもないような会話を偶にぽつりと交わし、不意に訪れる招かれざる客をあしらいながら、気を休めていた。


 その時、私の腹から間の抜けた音が響いた。

 春樹さんが笑いながら言う。


「お腹減ったの?」


 顔が熱くなる。

 思えば、昼食の量も控えめであったし、時間も結構経っている。腹の虫が騒ぎ始めるのも当然だ。だが、今は鳴るべきタイミングではなかった。


「お腹空きました。春樹さんはお腹空きませんか?」

「俺は別に。そういえば、身体を貸している間は、あまりお腹空いたって思うこと少ないなあ」

「肉体から離れているからでしょう。付け加えて、陰陽のバランスが取れていることもあるでしょう。生きた人の魂が霊体に近付く例はそれ程ありませんが、生体との繋がりがありますから、存在のブレも少ないですし、陰に傾くことも少ないのでしょう」


 幽霊は生まれ方からして、バランスを欠いて、ネガティブ側に落ちやすいのだが、春樹さんはポジティブな要素を多く持つ生体との結び付きによって、陽不足に陥りづらいのだろう。陽側に在れば良いという訳ではなく、あくまでバランスが保たれていることが重要だと言っていたのは楽號だ。


 ポジティブな要素とネガティブな要素とは、言い換えるなら、能動的な力と受動的な力、動と静だ。

 例えば、昼は活動的な時間だ。人々が動き回り、多くのエネルギーが消費される。自ら動いて、前へと進む。

 反して、夜とは多くの人にとっては休息の時間だ。家に帰り、ゆったりとエネルギーを回復させて過ごす。自ら動くことは少なく、その場に留まる。

 ポジティブとネガティブ、そのどちらもあってこそ、私達は日々を送れている。ずっと動き続けることは出来ないし、ずっと積極的な気持ちでいることも出来ない。休息も、立ち止まって考える時間も必要なのだ。

 人によって、そのバランスは様々だ。陽が八割の人もいれば、陰が八割の人もいる。だから、一概にどちらが良いとかではなく、天秤が一方に傾く状態でなければそれで問題ないのだ。


 また、幽霊というものは情念であるから、実体を持つ生体に比べて存在の芯が弱かったり、なかったりすることがあるため、誰かの手や場による変化が起こりやすく、聶斎房が行うような加工も可能にしているのだという。存在の芯とは、所謂魂などの生体コードや、実体を持つという世界に対するスタンスなどから出来るようだ。


 実体が花だとしたら、霊体は香りだ。植えられ、育ち、咲いては枯れ、種を残すといった生命のサイクルに従う花は、世界に確かに存在していて、各々自然と共に生きている。香りはその花から発生する二次的なものだ。袋に詰めて嗅いだり、その匂いを混ぜ合わせて新しい香りを生み出すことも出来る。しかし、匂いを発する元がなければ、存在しない。

 どちらもいつかは消えてしまうものではあるが、生命体である花を加工するには、花の命を終わらせる過程が挟まるものの、枯れた後も花自体は残る。生命のない香りにその過程はなく、手で煽げば忽ち掻き消えてしまう。また、温度や湿度といった影響を大いに受ける。

 この世界に於ける、実体と霊体の存在の重さの違いとは、そういった場面に表せられる。肉を持ち、しかと地に足を付けているのは実体の方であり、霊体はいかんせん軽い。

 だが、その花にしか出せない香りがそれぞれにあるのものだ。人がそれぞれ違う思いを抱くように。それはかけがえのないものと言って、遜色ない。


 それが負の感情であっても、幽霊になってしまっても、想い自体は大切なものだと私も思う。


 私にとって幽霊は、あまり良いイメージがないのは今もそうなのだが、前よりは少しだけ違って見える。唯の恐ろしい存在にも、前提に思考があり、感情があり、その果てに成ったのが幽霊ならば、全てではないが、それは私にも理解出来るものだ。私も考え、思う生き物だ。そのステップがあること、根源にあるのは同じものということをこの短い間に知った。


 聶斎房のしていることとは、香りを加工して態と腐臭の如く仕立て、それを別の花に植え付けたり、他人に嗅がせたりといったことだろうか。こう言うと、軽やかだが、実際の所は存在を捻じ曲げ、別の存在と結び付けて、幽霊も怪異も望まぬ結果を生み出して、時には死者も出しているのだから、手に負えない。

 彼は過程を短縮する術を用いて、混ぜ合わせたものを馴染ませているようだが、その術自体は何処で手に入れたのだろう。使いようによっては非常に厄介だ。途中がなく、結果だけが直ぐに差し出されるのだ。修行シーンを飛ばして、既に強くなったキャラクターを用意する、なんてことも出来るのではないだろうか。それとも、使用には制限があるのだろうか。


「難しいけど、俺は生きてるから、霊になっても大丈夫ってこと?」

「大丈夫とは言い難いですね。悪霊になる可能性が低いというだけです。その前に、先程も申し上げましたが、生きている人が肉体から離れ過ぎると戻れなくなる問題があります。そういえば、神からも聞いていたと言っていましたね」

「うん。いーちゃんからは、今回を体を借りる最後の機会にすると言われたよ。理由はあんたの言う通りで、戻れなくなるからだって。でも、何で戻れなくなるんだ? 自分の体でしょう?」

「身体と魂は馴染むことが重要なのです。離れているその間にも二つはそれぞれ変化していくので、馴染みづらくなるのです。また、容器の蓋とかがそうですが、嵌っているものを頻繁に出し入れすると、段々と緩くなって外しやすくなるでしょう。肉体と魂の関係もそれが適用されて、軽い衝撃で身体と魂が離れやすくなります。離れている時間が長くなれば長くなる程、魂と器の形は合わなくなっていき、最終的に戻れなくなります。そうなると、離れた魂は死神に回収されなければ、大凡の場合、幽霊になります。それが今のあなたです。このままでは、魂の回収を行わなければならなくなります」


 芒聲さんが真剣な面持ちで、春樹さんに説明する。

 思っていたよりも、事態が重大であると理解したのか、体育座りの春樹さんが顔を硬くさせる。膝を抱く手に力が入っている。


「でも、もうしなければ良いんでしょ」

「はい。離れる機会がなくなれば、また魂と身体は馴染み始めますから」

「でも、いーちゃんさんもどうして繰り返していたんでしょう。そして、今になってもうしないと言うのは、それ程に危険が迫って来たということなのでしょうか」

「俺が初めにいーちゃんに頼んだんだ。遊びたいって。そうしたら、じゃあ身体を貸してくれと言われたんだ」

「春樹さんは、どうして危険を冒してもいーちゃんさんに会いに行くのですか?」


 春樹さんが少し困った顔をする。

 難しい質問だったろうかと、簡単な言葉に言い換えようとした時、私よりも先に春樹さんの口が開いた。


「友達と遊ぶのに理由っているかな」


 返答のような疑問のような曖昧な言葉に、私は言葉が詰まった。


 今の私は、理由がなければ友達と集まらないように思う。如月と一緒にいる時は、ご飯を一緒に食べるために、こないだは如月の身に迫る心霊を解き明かすために、一つ一つの大きさも様々な理由で集まる。集まるための理由を作る。

 しかし、子供時分を思えば、体裁とも呼べる理由などなく、遊ぶというものが当たり前にそこにあって、一緒にいることにもそれ程の理由も必要なかった。垣根が低いと言うのだろうか。

 成長していくと世間体や社交辞令などが挟まって、人との距離が遠くなる気がする。それはそれで居心地が良いものではあるが、よっぽどのことがなければもう手に入らない、等身大で抜き身な春樹さんの感覚が少し羨ましくなった。


「そうですね。友達なら、遊ぶのに理由は必要ありませんね」

「うん。一緒にいると楽しいから会いに行くんだ」

「しかし、もう体を貸すのはやめてくださいね。恐らく、神が警戒するように、あなたの身体と魂はとても外れやすくなっています」

「分かったよ」


 芒聲さんからの諫言に、春樹さんは唇を尖らせる。


 火が弱まって来た。私は自然と上着のポケットに手を入れる。すると、がさりと中に冷たい感触がある。

 取り出してみると、お饅頭だった。社の前でいーちゃんから貰ったものだ。


 あの時は食べる気がしなかったが、今は空きっ腹で丁度良い。

 ガサガサと音を立ててビニールを外し、一口齧ろうとした時、芒聲さんが驚いた顔で私を見た。そして、慌てた様子で私の手からお饅頭を無理矢理取り上げた。


「な、何ですか」

「これは何処で手に入れた物ですか」

「え」

「食べましたか? 食べてませんか?」

「えっと、その、それは」


 いつになく慌てた様子の彼に、私は戸惑い上手く言葉が繋げられない。


「そ、それはいーちゃんさんから貰った物で、齧りかけたけど、食べてはいません」


 私の返答に、芒聲さんが力を抜きながら息を長く吐き出した。


「食べちゃいけませんでしたか。毒が入っているとか……」

黄泉竈食よもつへぐひ、という言葉をご存知ですか」

「あっ」


 聞いたことがある。

 あの世で食事をすると、この世に戻れなくなるというものだ。一種のお約束でもある。

 確かイザナギが亡くなった妻のイザナミに会いに行った時に、黄泉の国の食べ物を食べてしまったからもう戻れないと断られるシーンがあった筈だ。

 更に言うなら、ギリシャ神話にも、死者の国の食べ物を少量食べさせられたせいで、一年の内一定期間冥界で過ごすことになった人物がいたと、そんなことを如月が言っていた。

 彼女は確かそれに繋げて、三日夜餅みかよのもちいの話をしていた。


 平安時代の婚姻の儀式の一つだ。当時は、女性の家に男性が通う婚姻形式が取られていて、三日通った婿となる男性は女性宅の家族に紹介される。そこで餅を食べさせられ、それを経て家族となるのだ。

 同じ釜の飯を食うとも言うが、同じコミュニティの中で食事を共にすることは、仲間意識を芽生えさせるのだろう。より踏み込んで言うなら、同じ釜の飯を食べて出来た体は、当然の如く、其処で食事をする者達の体と同じもので出来ている。

 肉体の同一化。食事を共にすることは、コミュニケーションを深めるということだけでなく、肉体それ自体も近付いていくことになる。


 三日夜餅も婚姻関係を結ぶから餅を食べるのではなく、女性の家の食事を食べること自体が、その家に仲間入りするという意味になるのではないか、そして、その考え方は世界的にも見られるのではないかと、食後の杏仁豆腐を食べながらいつかの如月が言っていた。世間話の延長線上だから、そこまでの根拠を揃えていた訳ではなかろうが、そういう意味では、黄泉竈食ひに似ていると言っていた理由も分かる。

 コミュニティの中で食事をすることは、そのコミュニティに仲間入りするという行為であり、食事によって体が作られるのだから、長くそこにいればいる程、肉体もが近付いていく。だから、異界の物を食べれば、体が異界に近付く。

 謂わば、境界線を外す行い。ある種の契約。

 そう思うと、食事とは恐ろしい行為だ。


 そして、今、私がしかけた行為とは。


「異界の物を口にすれば、現世に戻れなくなります。絶対口にしないように」

「はい。止めてくださって、ありがとうございます」

「他に持っていませんか」

「元々持っていた飴が」

「それなら食べて大丈夫です」


 お饅頭はまたビニールに包まれ、芒聲さんの手の内に仕舞われる。

 私は飴玉を舌の上に転がす。甘味が多少空腹を抑えてくれた。


「此処はあの世なのですか」

「いえ、異界です。此岸と彼岸の境目に曖昧な形で挟まれているのが異界です。生きている人間からすれば、あの世と大差ないでしょう。唯、あの世とは違い、異界に来ただけなら現世に戻れます」


 海底から帰って来た浦島太郎。鬼ヶ島から帰って来た桃太郎。彼等も人の住まわぬ異界から戻って来た例なのだろう。

 彼等は特殊な機会を得てその地に向かったが、帰ること自体に苦労した話はない筈だ。ならば、この状況もいーちゃんの気さえ変えれば、普通に戻れるのだろう。


「渡った川がある筈のない川だと知って、てっきりあの世にでも来たのだと」

「あなたが渡った川は、三途の川ではありませんが、確かに異界と現世を分かつ境界ですよ。川は境界の区切りなのです」

「そういえば、俺が来る時もいつも川がある」


 春樹さんが賛同する。

 どうやら、本当に超えてはならないラインを超えた訳ではなさそうだ。少し人心地をつくも、まだ状況は何も変わっていない。

 私は戸へ視線を動かす。

 開かれる気配はまだない。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る