第40話 筵道は何処にも通じず

 いーちゃんは随分とお喋りだった。

 半刻余りずっと喋り倒し、話せば話す程饒舌に、上機嫌になっていくのだ。社の前の畳一畳分程のサイズの筵の上で、私は話の合間を掴みかけては逃すことを繰り返していたが、漸く間を見付けて言葉を発した。


「随分とこう、何と言うか、話好きなのですね」

「うむ。威厳を持とうと口数を減らしておったのじゃが、意思疎通が難しい上に、喋り足りなくての。やはり話すことこそ、理解への一歩目じゃ」

「何故、威厳が必要なのですか?」

「そのように振る舞えば、人は良く話を聞くようになる。しかし、限られた機会でのみ話すことが出来るから、その時間に全て喋りたくなってしまうのじゃ。今の通り」


 突然話し始めた時はピリッとした緊張が走ったが、本人がこの調子でずっと喋っているので、いつしか緊張の糸は緩まっていた。

 私を連れ回していた時は、威厳のために寡黙だったのだろうか。それとも、やはり憑依等の特異な現象か。恐らく、今話している人物は元々話し好きなタイプだったのだろうから、そんな人が威厳のために口数を減らすのは、さぞ不満が溜まるだろうと思う。


 取り敢えず、普通に受け答えをする分には、恐ろしさはない。というより、相手が好き放題話すので、相槌を打つ他にしようもない。しかし、このまま夜まで話し続けることは出来ない。本題にそろそろ入ろう。


「あの、それで願い事があるというお話でしたが、内容を伺っても」

「そうじゃ。すっかり忘れておったわい」


 いーちゃんが居住まいを正す。一挙一動が実際よりも大きく見える。私が敏感になっているだけだろうが、ただならぬ雰囲気に自然と肩が硬く上がる。


「返して欲しいのじゃ」

「何をですか」

「その穴じゃ」


 私のあの世の門のことだ。この子も千歳さんのように特殊な目を持っているのだろうか。

 しかし、何にしろこれは私と強く結び付いていて、取り外すことは難しいという話だった。

 取り外せるのか、いや、命と引き換えという可能性もある。慎重に聞き出していこう。


「門を知っているのですか」

「知っておる。元は儂のものだった故な」

「この門はいーちゃんさんのものだったのですか?」


 驚いた私が聞き返すと、いーちゃんは胡座をした膝の上に手を置く。そして、懐かしげに目を細めた。


「そうじゃ。昔、靎蒔の家が儂の身の回りの世話をする仕事をしていた。あの家は実に細やかで、日頃の御礼にと、儂は何でも入れられる一つの穴を当主に授けた。穴そのものと言うよりは、穴へ通じる門じゃな」


 昔、と言うが、この年頃の子が言うと違和感がある。恐らく、話の内容における昔とは、話し方からして、少なくとも何十年も前のことだろう。この子が生まれる前の時代だ。そもそも、靎蒔の家がなくなったのは十四年前だから、十歳前後に見えるこの子供が靎蒔の家の者に世話されていた可能性は低い。と言うより、物心つく前には既に家はなくなっていた筈だ。

 やはり、この子は、何かに取り憑かれているのではないか。その何かが、口を借りて語っているのではないか。

 もし、そうだとしたら、その人物は靎蒔の家と関連がある人物だ。世話をされていたと言うなら、偉い立場の人だったのだろうか。


 いーちゃんの後ろには小さな社がある。

 人智の及ばぬ深淵が如き穴を授ける存在とは。


 知識が足りないためはっきりとした判断は出来ないが、憑依が一番状況に近そうな形態に思えた。


「何故その穴を授けたのですか」

「褒美じゃ。後、一々皆ぞろぞろと山を登るのも大変じゃと思ってな。当主の中に皆入って、当主が社まで登ったら、他の者共は疲れることなく綺麗な服装のまま、仕事に従事出来るじゃろう。儂にとっても悪くなかったんじゃ。じゃがのう」


 顎に手を遣って、目元を伏せる。次に私を見た眼は酷く冷たいものだった。小心者な私は射抜かれたように、どきりとする。


「靎蒔の家は儂を忘れていった。神の穴、聖なる洞、大いなる神域の力を我が物にしたと、慢心し、傲慢になった」

「此処に来なくなったということですか」

「そうじゃ」


 現代に於いて、神の存在は昔程身近とは言えないかもしれない。氏神を知らぬ人もいるし、有名な神社の祭神の名前を聞いたことない人もいるだろう。中には、神社をパワースポットと呼んでご利益のためだけに訪れる人もいるし、スタンプラリーのように御朱印を集める人もいる。それらは信仰心で集うというよりは、イベントスポットだ。

 前者は兎も角、今でもそういった行いは罰当たりではないかという言及があるのだから、みーちゃんの言う昔がどの程度昔かは分からないが、ひと昔前ならより強い反発があったろう。

 神の穴とは、それを押し退けてでも、授けてくれた人物を遠ざけてでも、振るいたくなる程に魅力的な力だったのか。


 神の力。

 その多くは科学で証明されてきた。天候も潮の流れも、納得の出来る答えが既に用意されている。かつての神の力は、今では唯の自然現象になった。神の力は失われたのだ。

 だが、もし私の中にある門が、真に神の力によるものであれば、未踏の暗闇がまだあることが示される。人が未だ証明せざる事項だ。


 その大枠は、私にとっても馴染み深い手触りをしていた。幽霊も似た枠だからだ。

 人の想いから成る幽霊とは規模は違えど、神を神霊とも呼び慣らわすことからも分かる通り、人は霊という存在を掴み切れないものとして扱う。霊薬、霊峰、霊魂。霊という文字には魂という意味もあれど、人の計り知れぬ神秘をも表す。

 

 神の力とは、神への信仰心を通して見られる力とも言えるかもしれない。神という存在が先になければ、それは不可解な現象でしかないからだ。それが奇跡だと、恩寵だと呼ぶには、それを齎す超次元の存在がなければならない。


 そして、人々は人智を超えた存在に頭を垂れる。


 しかしながら、現代においては、恵みへの感謝と威光への追従は催事にのみ顕され、個人の心の内は自由となった。それに伴って、畏れは薄れてきたのではないかと思う。

 日本は農耕の国であったから、旱害を避けるために雨の恵み、つまるところ雨乞いが重宝されていたのではないかと素人考えで思い当たるが、そうした危機感を覚えずに生活出来る程に、食料事情や医療技術が改善して来たことも理由にあるかもしれない。最後の頼みの綱、神頼みをするのは、もうどうにもなくなった時だが、そのどうにもならない状況が昔よりも頻繁に起こらなくなった。

 切羽詰まらなくなったから、感謝も祈祷もしない。


 私などは、神様というと特別で畏れるべき存在であるし、これだけ不思議なものが世の中には溢れているのだから、神様もいるだろうし、こうして無事に生きて、人との縁にも恵まれたことにはやはり感謝しなくてはならないと思って、やはりそこで何に感謝するかと言うと、神というより他にない。


 そういう意味では、今尚神様は我々の生活と意識から切って離せない存在ではある。だが、昔よりは信仰心は薄れていると思う。


 それは、一般の人とって神様が目に見えない、存在を実証出来ない存在であることも一因だろう。言い伝え、伝説、迷信やオカルトが世迷いごとと扱われ、目に見えない曖昧な存在を、信じないとまではいかないが、いれば良い程度の願望に近い希薄な実在認識に止める。

 だから、初詣などのイベントでもなければ、改まって神事に関わらない。

 幽霊についても、似ているようでいて、信仰心の有無で扱いの差は雲泥だ。ご利益もなければ、恵みも齎さない。幽霊が見えるなんて、公然と言えない。


 時に、私が人の往来の中にかつての誰かの面影を見た時、人はそれを嘘だと言うだろう。其処にいない者を見る筈がないからだ。此処で死んだ者があると言えば、誰かから聞いたのだと結論付けるだろう。情報は至る所に散らばっているからだ。


 だが、私は見ている。知っている。だから、否定出来ない。神の力も霊もこの世にあることを否定出来ない。だから、もし、私の中にある門が神の力だと言われても、そういう場合もあるかもしれないと思ってしまう。


 神とは近く遠いもの。だが、其から授かった力は私達にとっては手元にあるもので、神そのものよりも近しい位置にあるだろう。

 日々の糧、人との縁、ここぞという時の運、それらは神よりも私達の生活と密接に絡む。


 そして、奇特な私の中にあるそれも。


 神の穴。あの世に通じる門。聖なる洞。


 だからこそ疑問に思う。


 そのような物を手に入れたら、授けてくれた相手との結び付きを堅くするものではないか。感謝したり、ギブアンドテイクな関係になったり、逆に奪い尽くしてやろうとする関係もあるかもしれないが、それとなく疎遠になっていくのはなんだか違和感がある。


 最大限もてなして良い関係を築いていった方が、お互いにとっても良いと単純に思うのだが、靎蒔は何故、いーちゃんと距離を置いたのだろう。


「お前さんは口数はそれ程多くないが、頭の中は多弁じゃのう。だがの、それ程難しい話でもない。人の心の移り変わりなど、昔の歌にもある通り、ありきたりなことじゃ。だから、儂もそれにいちいち目くじらを立てるつもりはない。儂が怒っているのは、その末路よ」

「末路というと、家の人間が全員いなくなったという、あれですか」

「授かった力を好きに振るうのは良い。罰を与えれば良いだけだからじゃ。だが、自滅するのは悪い。諌めることも、報いも与えることも出来ぬ」


 自滅ということは、靎蒔の家は、母は自ら滅亡を選んだというのだろうか。


「愛し子共が自ら命を絶つなら、怒りの一つも湧いて来よう。まあ、この話は良いのじゃ。終わったこと。今の話をしようではないか」

「はい」

「現状の説明からしようかの。今の儂は弱っている。今後も元には戻らんじゃろう。この身も、遠からず朽ちゆく。それはこの世の摂理であるから従う他にない。じゃが、終の住処ぐらいは自分で決めたい」

「それが私の中のあの世だったってことですか」

「それを穴と儂は呼んだ。靎蒔の家では、神の門と呼んでおったな。穴自体を神聖視しておった。じゃが、彼奴等が如何様に扱っていたかは、聞き及んでおる。酷いものじゃ。呪物を廃棄するとは。……これはお前さんにとっても悪い話ではない。もし、儂に返してくれるのならば、五体満足でお前さんに繋がる門を閉じてやるし、その後の扱いも保証してやろう」


 いーちゃんがにやりと笑った。


「返答は二つ返事のみ許す。繰り返すが、お前さんにとって、悪いことは一つもないぞ」





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