第36話 再会と決別と

「少しエネルギーを奪われただけで、命に別状はないよ」


 宇留鷲さんを見ていた楽號が、達さんに向かって言うと、彼女は瞳を潤ませながら顔を歪め、それでも止め切れなかった涙が目尻に溜まって、ぽろぽろと頬を伝って落ちて行った。


「ごめんなさい。全部、あたしのせいなの。本当は分かってた。あたしがやったことだって。でも、受け入れられなくて、逃げ出したくて」


 彼女の言葉を聞きながら、私は最悪の一歩手前で踏み止まれたことに、安堵していた。


「貴方が認めてくれたから、彼女を助けられたんです」

「それも、ああまで言ってくれなきゃ、きっとあたしはまた逃げ出してしまってた。ごめんなさい」


 泣きじゃくる達さんの横に、芒聲さんが立つ。背が高いので、影も大きく、やって来たことが直ぐに分かった。私達は芒聲さんを見上げる。


「法律で、人を殺して取り込んだ悪霊は、その力の殆どを削ぎ取られた上、一定期間牢に入ると定められています」

「はい。どんな罰も受けます」

「しかし、貴方は誰も殺していない。監禁だけです。罰は軽くなるでしょう」


 それだけ言うと、芒聲さんは影の中へと消えて行った。彼なりのフォローだったのだろう。


「達さん、もう全部、思い出しましたか」

「うん。覚えてるよ。あんたと話したこと。如月さんの話も、一緒に理紗に会いに行こうと言ってくれたことも」

「待て、私の話って何だ?」

「ちょっとした思い出話などを」

「凄くいい話でしたから、安心してください。如月さん」


 如月はやや不満げだが、これ以上食い下がる気はないのか、仕方なさそうに微笑んだ。


 達さんは愛おしげに宇留鷲さんを眺めている。如月の枕元に立っていた時と似ているが、その時よりも万感の思いが込められているように見えた。


 唯、眺めているだけで、触れることすらしない。


 そうだ。彼女は唯、想っていただけだ。無遠慮に暴かれて、絶望した被害者なのだ。なかったことには出来ないが、悪霊となり、発作のように人を襲ったことだって、元を辿れば、そこが発端なのだ。


「あたし、これから何処に行くの?」


 目を逸らさずに問い掛ける。


 楽號が答えた。


「裁判所だよ。魂を持った霊は、通常の人の死後と同じ流れで処理される。だから、まずはその罪の所在の確認から始まる」

「そっか。じゃあ、やっぱり地獄行きね」


 なんてことない口調で言う。


「私の中なら」

「あんたの中?」

「私の中に、そういう裁判とかがないあの世があるらしくて。其処なら、貴方が罪に問われることは」

「そう、でも、駄目。あたしは償いたいの。やっと、認められたのだから。やっと前に進めるのだから」


 あの時よりも、こざっぱりとした魅力的な笑顔でそう言うから、私はもう何も言えなくなった。いつまでもその笑顔を見ていたいような、その笑顔が見たくて頑張って来たような気さえする。


「希望を持たせるつもりはないが、君は踏み止まった。そのことは評価されると思うよ」

「ありがとう。死神って優しいのね」


 強い人だと思う。人によっては、認められないまま終わることもあるだろうに、彼女は己の罪を認め、受け入れ、改悛し、先に進もうとしている。


 同じ状況にあったとして、私は直ぐ罪を認めて、前に進められるだろうか。私の記憶に受け入れ難いものがあったとして、私はそれを受け入れて、未来へ繋げて行けるだろうか。


 その強さも、一途さも、笑顔も、私にはないものだ。羨ましいとは違う。嫉妬とも違う、何か温かな感情をそれを見ていると感じる。その感情の名前を、私は知らない。


「あなたの視線には想いが沢山詰まっているな」

「きっと、彼女にとって私は、取るに足らない存在。触れる資格なんて最初からないし、こんなことをしでかした以上、関わる資格だってない。……大丈夫かな、本当に起きるの?」

「大丈夫、直ぐに目を覚ますよ」


 楽號の返答に、「良かった、良かった」と繰り返していた彼女は、くるりとこちらを見て、不思議そうな顔をした。


「ねえ、何でここまでしてくれたの?」


 ずっと、引っ掛かっていた問いだ。


「あんたにとって、メリットってあった?」

「それは……子供の頃の私にも、忘れたい記憶がありました。私は忘れたくて忘れました。でも、今、それを思い出そうとしています。なんだか、そこに既視感を覚えて、手を貸したくなったというか」


 上手く言葉に出来ない。しどろもどろになって、格好がつかない。


「つまり、あたしのことを気に入ったから助けたかった?」


 なんてことない風に投げ掛けられたものに、言葉が詰まった。


「いや、あの、そういうことでは。いえ、嫌いとか助けたくなかったって訳では決してないのですが、その」

「冗談なんだけど」


 くすくすと達さんが笑う。

 私は顔が熱くなるのを感じた。


「……でも、あたしはあんたのこと結構好きだったよ。一緒に会いに行こうって言ってくれて嬉しかった。きっと、あたしが現実を認めるために、沢山準備して来たんでしょう」


 一つ一つを噛み締めるように、言葉が紡がれる。


「ありがとう。きっと、あんた達がいなければ、あたしは理紗のことも殺してたし、もしかしたら、如月さんにも危害を加えていた。そうなる前に、止めてくれて本当にありがとう」


 にっと笑って彼女は言う。

 やっぱり、うだうだと言葉を重ねてみても、結局の所、私はこの笑顔が見たかっただけなのかもしれない。

 シンプルな理由の方が、それらしく思える。


「うっ」


 宇留鷲さんが目が覚めたのか、短く呻く。達さんが身を乗り出して、彼女を見る。


 薄く目を開いて、暫しぼんやりとしていたが、意識がはっきりしたのか、ばっと勢いよく起き上がった。そして、きょろきょろと周りを見渡す。


 私と如月の顔を見比べている。混乱しているようだ。


「大丈夫ですか? 貴方は此処で倒れていたんです。救急車を呼びましょうか」

「え、あ、あれ。私、なんで」

「痛い所とかありますか?」

「ない、です。ちょっと怠いかなくらいで。救急車も大丈夫です」


 当然だが混乱しているようだ。

 如月が「立てますか?」と聞きながら、彼女の支えになる。立ち上がりに一瞬ふらついたが、その後はしっかりと一人で立てた。


「夢を、見ていました。同じ学科の女の子の夢。いつも一人で遠くを見ている子。その横顔が綺麗だった。……でも、私はその子に酷いことを」


 遠くを見つめながら、彼女はぼやくようにそう呟く。それを聞いた達さんは眉を顰め、また、泣きそうな顔をした。彼女に気付いていない宇留鷲さんは、はっとしてこちらを見た。


「あの、私、いつから此処に?」


 楽號が後ろから耳打ちをしてくる。私はその通りに言葉を発した。


「ちょっと分からないです。日の出を見に来たら、貴方が倒れていました。だから、その前のことは分かりません」


 私の言葉に、如月が付け加える。


「救急車は本当に大丈夫ですか? 警察とか呼びますか?」

「いえ、大丈夫です。お騒がせしてすみません」


 そう言って、不思議そうな顔をして、彼女は去って行った。


「楽號、彼女は本当に大丈夫なんですか?」

「ちょっと長い睡眠のようなものだ。多少の怠さは感じるかもしれないが、怪我もしてないし、三日も経てば元に戻るよ」


 楽號の言葉を聞いて、達さんが息を吐いた。そして、意を決したように、私達に向き直った。


「じゃあ、あたし、もう行くね。死神さん、お願いします」

「いいんだね?」

「うん、理紗とお別れ出来たから」

「魂は壊さなくていいね?」

「あたしは自分の罪を償うよ」


 楽號が腰に吊るしていた籠を取り外し、手に持った。鈍い色のその籠の中には、薄ぼんやりとした青い光が光っている。


「これは回収箱と呼ばれる、霊を納める箱だ。回収した霊は一度これに入って、管理局へ運ばれる。通常の霊であれば、その後、管理局経由で本人へと返されるんだが、君の場合は魂が入っている。だから、これに回収した後に向かうのは、管理局ではなく、あの世の裁判所だ。そこで君は罪の重さを計られ、罰が決められる」

「分かった」

「じゃあ、中に入って」


 達さんが箱に手を伸ばすと、指先から砂のように崩れて、箱の中へと吸い込まれて行く。手から腕へ、腕から胸へ、顔へ、足へ。


「本当にありがとう」


 そう言った口も崩れて、一分も経たぬ内に、達さんの全身は箱の中へと収まった。


 楽號は何処となく丁寧な手付きで、それをベルトに再度吊るした。


 これで解決したのだろう。


 私は長く息を吐き出した。そして、思い切り吸い込んだ。それをまた吐き出す。

 朝の澄んだ空気が胸いっぱいに詰まって、体の中が新しいもので循環されているような気になった。東の空を見遣れば、すっかり陽は浮かんでいて、下の道には僅かに人の影がある。


 日常に戻ったのだと、何となく思った。ちくりと刺す胸の痛みはあれど、これで良かったのだ。


「流石に、二日連続大学をサボる訳にはいかないな」


 如月が少し眠そうに言う。達さんがまた飛び降りをする前にと思って、かなり早朝に起こしてしまったから、睡眠が足りていないのだろう。

 そう言う私も、眠気に襲われている。一度、大学に向かう前に、家に戻って荷物を取りに行かなくてはならないが、そのまま眠ってしまいそうだ。


 足りない睡眠と、程良く疲労した体。眠るには最適な状態だ。

 此処で一眠りしてから活動を再開した方が、全体的に見れば効率が上がるだろうが、大学はそんな理由による遅刻は認めてくれない。此処は諦めて、欠伸を噛み殺しながら、授業に臨む他あるまい。


「荷物だけ取りに戻って、大学行かないと」

「キャリーケースもあるの邪魔だな」

「今日もうちに泊まるか?」

「流石に遠慮しておこう」

「僕は魂を提出してくる」

「いってらっしゃい」

「お願いします」


 楽號が建物の影に溶けて消える。どういった原理なのだろう。睡魔に支配された頭では、仮説の一つも立てられない。


 私達は階段を降りて、マンションの外に出る。少ないが、ちらほらと駅の方向へ向かう人達がいた。

 それに逆らうように歩いて、家を目指す。


 途中、芒聲さんが現れて、私の横に並んで歩いた。


「どうしましたか?」

「正直、今回の件をあなた方が解決することに、期待をしていなかったのですが、評価を改めなければなりませんね。上々な結果です。見事でした」


 突然のお褒めの言葉に、私は戸惑いながら、「ありがとうございます」とかろうじて返す。


「あのまま回収していたら、まだ生きている人間もあの世に連れて行くことになりました。勝手に死人を増やすとペナルティを貰いますので、防いで頂いたことに礼を言います。しかし、あなたは今、狙われている立場です。努々お忘れなきよう」

「はい。分かっています」

「分かっているなら、もう言いません」


 それだけ言うと、彼はまだ跡形もなく消えてしまった。

 感謝と釘刺し。同時に食らうと、褒められた気がしない。だが、少しは認めて貰えたようだ。


 何だか、それが無性に嬉しい。


「今回のあなたは、とても頑張っていたな」


 如月が此方も見ずに、呟く。

 私が目線を向けると、彼女も此方を見た。


「そうかな」

「嗚呼。正直な所、悪霊と分かった時点で、早く死神に任せた方が良いと思っていた。だが、あなたがとっても必死だったから、私も楽號さんも協力したいと思ったんだ」

「そうだったんだ。ありがとう。そして、振り回してすまない」

「いいんだ。元々私から話を出したのだし、私もあなたに助けられた。それに、うん、そうだな。偶には人助けに奔走するのも、悪くないさ」


 如月が腕を上げて、背筋を伸ばした。そして、思いっきり欠伸をする。


「傷は残った。双方にね」


 傷は残った。そうだ。もう少し理解があれば、もう少し寛容さがあれば、そう思えば、胸が締め付けられる。


「でも、あの子は気付いただろう。遅過ぎるとしても、例え、小さくても、その気付きは大切なものだ」

「そうだね」

「だが、芒聲さんの言う通り、これは上々な結果だ。最悪な結末は避けられたのだからね。私達が介入した段階で出来ることは限られていて、その中で出来うる限りのことはしたんだ。だからね、あなたはもう少し、自分を褒めていいのだよ」


 私は納得は出来なかった。だが、その言葉が持っている優しさには応えたくて、黙って頷いた。





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