第34話 人探しと難題
冷たく澄んだ風を受けながら、私達は屋上にいた。
屋上の縁には達さんが座っていて、少し戸惑ったような、それを隠し切れていない顔で私達を見ていた。
その頭上には、変わらず大きな目が見下ろしている。黒い大きな瞳からは感情を読み取れない。無機質で、それでいて感情的なもの。
「それで、何の用なの。あんた、昨日も来たよね。どっかで会ったことある?」
達さんが突き放すような口調で言い放つ。
普段であれば、それだけで私の心は動揺しっぱなしだったろう。だが、今は酷く落ち着いていた。後に控えているだろうものと比べれば、まだましだと分かっていたからだ。
後ろに立っている楽號からの視線を感じる。いざという時は、彼が頼みの綱だ。彼にしたって、一時も気が抜けないだろう。姿は見えないが、芒聲さんも何処かにいるだろう。
だが、私は最悪な事態にはならないだろうと、考えていた。
私は息を吸って、吐き出した。そして、意を決して、口を開いた。
「達さん」
「初対面の癖に馴れ馴れしい」
「いえ、達さん。あなたは私のことを覚えていますよね」
「覚えてない」
「覚えていますよ。だって……」
────────────────────
結果的に、達さんの想い人が誰かは分かった。だが、連れて行くことは出来なかった。
大学前で別れてから小一時間程経った頃に如月は戻って来た。その顔は浮かなくて、私は聞き込みは失敗したのだろうと思い、甘くて重めな飲み物を彼女に奢った。
如月は礼を言うと、やはり何処か心在らずと言った顔でそれを飲み始めた。
「見つからなかった?」
「いや、見つかったとも言えるし、見つかってないとも言えるし」
「どっちなんだ」
「事態は私達が思うより深刻かもしれないな」
如月は聞き込みして得た情報を教えてくれた。
校舎に入って、適当に歩いている人に話し掛けた如月は、演劇サークルの一員と偶然遭遇し、達さんのことを質問してみたのだと言う。
彼女は三年生で、二人のことを知っていた。少し悩んだ様子で、達さんは既に亡くなっていること、それは
また、その誹謗中傷を行なったのは、達さんの身近な人物であることも分かった。
次に、如月は宇留鷲理紗さんについて質問してみた。
すると、彼女は「理紗はあなたにとても似ている」と答えた。そして、彼女と会うことは出来るかと尋ねると、無理だと答えられた。
宇留鷲理紗は一週間以上前から行方不明で、警察も行方を探している状態なのだそうだ。
帰路の途中で消息が途絶えたそうだが、忽然と消えた、というのが相応しい状況説明の言葉なようだ。直前まで交わしていた友人とのメールのやり取りも普段通りだったという。達さんのことを除き、人間関係のトラブルを抱えていた様子もない。
目撃者も痕跡もない。持ち物が落ちていないし、声を聞いた者も、怪しい人影を見た者もいない。まるで、見えない何かに唐突に飲み込まれたかのではないかといったような有様で、皆、早く戻って来ることを願っているという。
それで調査は終了し、我々の計画は頓挫した。
「彼女の気持ちが如何程か、全てを知ることは出来ないが、それが苦痛に満ちた状況であったことは想像に難くない」
「嗚呼、自分の想いぐらい、自分で扱わせて欲しいものだ」
「しかし、これでは想い人を連れて行くことは出来ない」
「達さんが悪霊で、人を食べているとしたら、状況的にそれは……」
「宇留鷲理紗さん、の可能性が高いだろうね」
達さんのいるあのマンションには、宇留鷲理紗さんの住居があるようだ。彼女が宇留鷲さんに拘っている証左になるだろう。
キャラメルラテの上に乗ったホイップクリームをマドラーで混ぜながら、如月は呟くように話す。
「お別れどころか、彼女にとっても辛い現実を突き付けなくてはならなくなる」
「しかし、それは必要な過程だろう。罪を犯したなら、裁かれなくてはならない。償わなければならない。そのためには、罪を自覚する必要がある」
「そうだが……しかしだ、しかしだよ。それは死後の裁判で行われるべきもので、あなたがしなければならないことではない」
人を裁くなんて烏滸がましいことは言えない。私がそれが出来る程に上等な存在な訳がない。如月の言う通り、それはあの世で行われるべきものだ。
私達は彼女の心残りを解消させるために、今、行動している筈だ。だが、此処に来て、目的が見えなくなった。
彼女に伝えるべきなのだろうか。もう、伝える相手がいないことを、それは自身の手によるものであるかもしれないことを。
余計なお世話になりはしないだろうか。だが、裁きを受ける時にその事実を突き付けられるよりも、事前に理解して、受け入れる時間があった方が、心に受ける衝撃は緩やかになるかもしれない。
一度、彼女にお別れを言いに行こうと誘ったのだ。なあなあにして終わらせたくはない。なら、やはり私が伝えるべきだ。これを始めたのは私なのだから。
伝えた結果、暴走することがあれば、それは楽號に任せるしかないが、それは人任せに過ぎるように思える。不誠実ではないだろうか。
誰かに任せてばかりだ。だから、せめて事実を伝える役目くらいは担いたい。いや、本当の所は、彼女をむざむざ飛び降りさせた罪悪感から湧いた心なのかもしれない。
それにしたって、私が彼女を助けたいと思う気持ちの理由になりはしない。思いの発端が未だ見えない。
「私が伝えるよ」
「聶斎房の手が入っている可能性だってあるんだぞ」
「でも、彼は怪異と霊を結び付けるのが得意なようだから、今回は少し違うんじゃないかと思うんだよ。……そうだ。貴方を待っている間に少し状況を整理してみたんだ」
私はノートを如月に見せる。
如月からの情報も付け足したものだ。少々字が汚くて申し訳ないが、現在分かっているものを纏めた。
まず、飯口達さんの死亡理由について。
彼女は好きな人が誰かを周囲にばらされた上、本人から遠回しに断られた。また、それに関連して、誹謗中傷を受けた結果、苦にして飛び降り自殺という道を選んだ。
死亡後の彼女の動きについて。
死後、魂を持ったまま霊となった彼女は悪霊と化したが、死亡前後の記憶がなく、自身の死を自覚していなかった。恐らく、人を既に食べていると思われるが、それについての記憶も曖昧であると思われる。
その後、死亡場所の傍にあるマンションの屋上に出現し、時折衝動的に飛び降りを行なっていた。この際にも、死亡前後の記憶を失う。
飛び降りる理由について、彼女は「自分が許せない」と言っていた。
頭上の目について。
気付かなければ、見ることが出来ない。芒聲さん曰く、彼女を監視している不毛なもの。今の所、正体は不明だ。
如月との関連性について。
達さんが好意を寄せていた宇留鷲理紗と似ていたため、狙われた可能性が高い。
「ふむ」
如月が顎に手をつけて、まじまじとノートを読んでいる。少し、気恥ずかしい気もしながら、読み終えるのを待つ。
手持ち無沙汰で、特に意味もなく飲み物に手を運ぶ。半分以下に減ったカフェモカはすっかり冷めていた。
舌の上に甘みが残る。
ノートから目を離した如月が少し悩んだ様子で私を見た。
「正直に思ったこと言っていいか」
「どうぞ」
「彼女、記憶を失ってないんじゃないか?」
「どうしてそう思うんだ?」
如月が腕を組む。
「ちょっとした勘みたいな部分もあるんだが、そもそも、宇留鷲理紗さんが好きで、会いたいと考えているなら、態々私の所にやって来る理由がないんだ」
「本人に会うのはちょっとハードルが高かったとかじゃないか?」
「その可能性もあるが、好きな人とそれにちょっと似てる人。会いたいと思うのはどっちだ?」
「それは、好きな人に決まってるなあ。似てる人って、結局別人なのだし」
「だろう? だからね、彼女は宇留鷲理紗さんにもう会えないと分かっていたから、その面影を求めて、そっくりさんを見ていたんじゃないか。もういない彼女を思い出すために」
嗚呼、そうか。
如月の言葉を聞いて、急に色んなことが腑に落ちた。そして、私が彼女に感じていた既視感の正体にも気付いた。
彼女は忘れたがっている。
かつて、両親の記憶を忘れたがった私と同じように。
それでも、本当は大切だから忘れ難い。でも覚えているのも辛いから、忘れたふりをしている。そうと思い込んでいる。蓋をして、中身を見ないふりをしている。
私は完全に蓋をして、中身を忘れた。そして、今思い出そうとしている。完全に忘れた訳ではないということは、少しずつ思い出せていることからも分かる。
彼女も中身をちゃんと覚えている。時折、蓋を開けて覗いている。そして、それに耐え切れなくて、逃げ出すために、忘れたふりをするために飛び降りるのだ。
あの滲む孤独は、経験から来たものと、記憶から自身を切り離そうとしたから生まれたものの両方なのだろう。
恐らく、彼女は自分が死んだことも知っていた。宇留鷲理紗さんがもういないことも、まだ可能性の段階ではあるが、自分で食べてしまったことも覚えているのだろう。覚えているからこそ、その現実から目を逸らしたかった。私と会った時に飛び降りをしたのも、宇留鷲理紗さんと会おうとすれば、その現実を目の当たりにしてしまうかもしれないからだ。
なら、あの目は彼女の目だろう。忘れたがって、忘れたふりして、そんな自分を冷静に見て、覚えている目だ。逃げ出せない、現実そのものだ。
罪を自覚し、その罪悪感から彼女を逃さないために監視する目。彼女は、無意識下では罪を認め、呵責に苛まれていた。あの目はそれが顕れたものだ。
他者の目である可能性もない訳ではないが、一連の流れに他人が介入する余地はあまりないように思える。彼女を縛り付けているのは、彼女自身であるという方が説得力があるだろう。
芒聲さんが不毛と言っていた理由も分かる。
自分のした行いを分かっているのに、それに目を逸らし続けている。どうせ逃げられないのに、逃げようとしている。
それは本人にとっては苦しみかもしれないが、関係ない他人から見れば、無駄な時間とも受け取れるだろう。
でも、それは無駄な時間だろうか。
飲み込み、理解し、受け入れるまでの時間は、本当に無駄な時間だろうか。
目の前に露わになった連なり。それを知った私が今したいことは、何だろう。
「あの目は彼女自身の目なのではないか? 忘れたふりをしていても、ちゃんと自覚して見ているという意識の顕現ではないか? だからこそ、彼女は自分は地獄行きだと言っていたのではないだろうか」
「私もそう思った。彼女は覚えているのかもしれない。だが、そうなった時、彼女の心残りは何になるだろう」
「好きな人はもういないし、認めたくなくとも自分の行いを知っている。受け入れられないことに苦しんでいるのなら、受け入れられるように伝えることが必要なのではないか」
「それはそうなんだが、難しいな」
「……なんだかんだと言ったが、やはり、決め手に欠ける印象だ」
如月が腕を組み、口をへの字に曲げる。
確かに、推測の域を出ていない。だが、心の内の問題は、本人の口から話す以外では推し量るより他にない。
あと一手。私達の考えを後押ししてくれる事実でもあれば。
その時、私の携帯電話が震えた。
電話に出ると、楽號から思い掛けないことを伝えられる。そして、私は推測を確信に変えた。
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