第33話 再始動は計画的に

「君、今、何処にいるの?」


 電話に出ると、楽號が開口一番に所在を尋ねてきた。


「その、昨日の夜に現れた女性がいるマンションです」

「何で一人で突っ込むんだよ。危ないだろ。今、行くから待ってろ」

「いえ、今から帰りますから。一人で大丈夫です」

「そう? 本当に大丈夫? ……朝ご飯作ってるから、早く帰って来いよ」


 通話を切る。

 きっと、此処で私の出来ることはない。だが、後ろ髪を引かれる気持ちで、屋上の方向へ振り返る。閉ざされた扉が無機質に隔てている。そのノブを捻る勇気が、私には足りなかった。


 階段を降り、マンションの外へと出ると、私はまた屋上を見上げた。達さんが私を見下ろしているのが見える。その頭上には大きな目があって、それが達さんを見下ろしている。


 あれは、何だろう。

 巨大な目。芒聲さんは監視されていると言った。誰が何のために監視しているのだろう。突然の飛び降りはそれが理由なのだろうか。最後に彼女は「自分が許せない」と言った。何の罪を犯したのか。或いは、あの目は罪悪感を抱かせるものか。

 彼女にはあの目が見えていないと言うが、無意識下に働き掛けるものなのだろうか。彼女が空を見上げる様子も、怯える様子もなかった。見えていないことは確かなようだ。


 考えがまとまらない。まだ、胸が煩く脈打っている。


 それを持て余している内に、自宅へと辿り着く。鍵を開けて中に入ると、楽號は台所に立っていた。時計を見ると、七時前だ。


「おかえり」

「ただいま」

「あのさ」

「分かってます。浅慮でした」

「分かってるならいいよ。それで? 何か得るものはあったの?」


 私はダイニングのちゃぶ台の傍に座った。楽號はパンを切っている。出ている具材からして、サンドイッチを作るのだろう。


「達さん……名前が飯口達さんという方で、お別れを言いたい相手は好きな人でした。彼女は、好きな人がいることを周囲にバラされた上、好きな人から遠回しに断られたこと、あることないことを吹聴されたことに絶望し、自ら死を選んだようです」

「なるほどね」

「そこで、その好きな人に会いに行こうという形で話をまとめることが出来たのですが、突然、また飛び降りてしまって。そして、再生した彼女に話し掛けたら、また初対面からスタートみたいな感じになりまして」

「死んだ時の記憶を失うタイプかな。一緒に死ぬ前後の記憶も失っているのかもしれないな」

「後、芒聲さんに言われて気付いたことですが、達さんの頭上には大きな目があって、曰く、それが彼女を監視しているのだそうです」

「大きな目ねえ……。というか、芒聲に会ったのか」


 完成したのか、楽號が皿を持って此方にやって来る。ハムとチーズのサンドイッチを机に置くと、いつもの席に座る。

 私はサンドイッチを一つ掴んで、口に運ぶ。甘いハムとチーズの相性が良い。辛子の効いたマヨネーズがコクと締めを担う。ふわふわとした軽い食感で、幾らでも食べられそうだ。

 楽號も一つ食べている。もぐもぐと噛みながら、考えているようだ。


「芒聲さんは彼女を悪霊だ、と言っていましたけど、そうなんですか」

「そうだと僕も思うよ。まるで人のような存在感だったし、もう人を食べた後なんだろう。酷く安定していた。前に、悪霊はエネルギーのバランスが負の方へ大きく傾いたものと説明したろ? 彼女はそのバランスが元に戻っていたんだ。だから、三日くらいなら崩れないだろうと思ってたんだけどね」

「思ってたけど、今は違うんですか?」

「うーん。兎も角、自他に対して攻撃性があるなら、放っておく訳にはいかないね。君の突撃は予想外だったけど、これは僕の落ち度だな。後で芒聲に嫌味を言われる」

「じゃあ、彼女は即回収されるんですか」

「そうした方がいいね」


 私が彼女を霊と認識出来なかったのは、彼女が既に人を食べた悪霊で、存在が生きた人間に近付いていたからなのだろう。霊の何処か希薄な気配が、実体を持ち始めたことにより、生者と変わらない揺るぎない存在感へと変わっていくのだ。


 そうだ。悪霊なのだとしたら、彼女を放っておく訳にはいかない。人を食べた霊は危険だ。もし、彼女が次に人を食べるとしたら、恐らくそれは如月だ。彼女に危害が及ぶ事態は絶対に避けなければならない。


 しかし、本当にこのままで良いのだろうか。死神の手によって、彼女はあの世へと送られる。詳しくはないが、それが普通のことなのだろう。正しい道なのだろう。人を食べたのだ。裁かれなくてはならない。償わなくてはならない。そうしなければ、被害に遭われた人の魂が報われない。


 だが、私は彼女の心残りを知ってしまった。それを解消する手段も分かっている。少し棘はあるがこざっぱりとした気風であることも、恋に臆病な様も、笑うと酷く魅力的なことも、もう既に知っている。それを分かっていながら、私は彼女を死神に任せるのか。


 何も知らないままでいたなら、それを躊躇うことはなかった。だが、知ってしまった。知ってしまった後にその選択肢を選ぶことは。


 それは見捨てることと何が違うんだ。


「楽號」

「何」

「回収、やっぱり三日間待ってくれませんか」

「何で?」

「彼女のやり残したことをやり遂げさせたいんです」

「……危ないかもしれないよ」

「分かってます」

「まだ、分からないことが沢山だよ。大きな目についても」

「調べます」

「何でそんなに親身になるの?」


 言葉に詰まる。

 勝手に共感を覚えただけだ。取り返しがつかなくなる前に、気掛かりを解消したいだけだ。とても、自分本意な理由だ。それだって、明確な形をまだ見つけられていない。


 楽號が溜息を吐く。私は少し緊張する。

 彼は微笑みながら、口を開いた。


「君のことだから、どうせ同情とかしたんだろ。いいよ。一緒にお別れまでを見届けよう」

「良いんですか?」

「僕も似たようなことで、彼女に猶予与えたんだ。悪く言う資格なんてないし、挽回の機会がなくっちゃね」

「何の話だ?」


 起きたらしい、如月が寝ぼけ眼を擦りながら、会話に入って来る。


「サンドイッチ食べる?」

「食べる。その前に顔を洗って、口濯いで来る」


 寝起きは良いのか、さくっと起き出すと、欠伸をしながら洗面所へと向かって行った。水音が聞こえて来る。


「まあ、なんだろう。危険なことには変わりないよ。もし、彼女が誰かを害そうとするなら、その瞬間、僕は彼女を回収する」

「はい」

「今、一番危険なのは如月だ。彼女は参加させない」

「私がどうかしたのか?」


 先程とは違い、すっきりした顔で如月が席に着く。「いただきます」と言いながら、サンドイッチを頬張る。


「美味しいな。それで、私が何なんだ?」

「こいつ、一人で勝手に昨日の女性に会いに行ったんだ」

「大丈夫なのか? そういえば、居場所を知ってると言っていたな」


 かくかくしかじか。手短に説明をする。


「成程。確かに、こういった状況であれば、私の存在は悪い方向に影響してしまうかもしれないな。だが、影響を与えられるというのは一つの武器になるぞ。それに」


 二切れ目のサンドイッチを食べながら、如月が言う。


「その飯口さんに取り付く島がないというのなら、その想い人の方に働き掛ける手もある」

「と言うと?」

「彼女がその人に会いに行かないなら、相手を連れて来ればいいんだ」


 私と楽號は顔を見合わせる。


「そっか。それなら、もう一度、最初から彼女を説得する時間を短縮出来る」

「そうと決まれば、彼女の通っていた大学で聞き込みだ」

「きっと芒聲はきっかり三日後に回収に来る。時間がないぞ」

「私と如月で聞き込みに行きましょう」

「僕は彼女を見張ろう。恐らく、彼女は死んで間もない。普段なら歓迎出来ないが、そういう経緯で亡くなったのなら、尾鰭のついた噂が流れている筈だ。そこから探せば見つかるかもしれない」


 死んで間もないというのなら、三、四年生を中心に聞いて行けば、彼女を知っている人に当たるかもしれない。そういえば、相手は三年生で演劇のサークルに入っていると言っていた。


 ヒントはある。勝算もある。これなら、見つかるかもしれない。


 彼女の心残りを解消出来るかもしれない。


 如月が慌ただしく、身支度を整え始める。その手際の良さに見惚れそうになるが、自分の身支度も始める。サンドイッチを口に放り込んで、鞄を引き寄せる。

 中に手を入れると、硬い感触に当たった。取り出すと、スタンガンだった。ずっと借りっぱなしだったのを、忘れていた。


「如月」

「何だ?」

「これ、返すよ。もう、必要ないからね」


 予想外の品だったのか、如月が驚いた顔で受け取る。そして、優しく笑いながら「そうだな」と同意しながら、私にまた差し出した。


「でも、やっぱりまだ持っていてくれ。元々の用途としてはもう不要かもしれないが、あなたの周りは今、ちょっと不穏だからな」


 そう言われると、何も言い返せない。私は大人しく受け取ることにした。

 しかし、今回の仕事に於いては、場合によっては不利になるので家に置いておくことにした。


 楽號はマンションの屋上に。私達は達さんの通っていた大学へ。


 私はふと、不思議に思った。

 何故、二人はこんなにも私の行動に協力的なのだろう。胡乱な私の進みたい方向に気付いて、意見を言って、道順を整えて、それをさも当たり前のように行うのだ。


 楽號の何故そうするのかという問いにも答えられなかった。今でも、達さんの何に共感したのか定かでない。

 恐怖の在り方が似ているからか、唯の同情なのか。単純に、結末が気に食わなかったからなのか。全部そうだと言えるが、それが全てではない。

 まだ、言語化出来ない何かを彼女に感じた。そうだ。きっとそうだ。私はそれを知りたいんだ。


 それは寄り添ってくれる人達にとっては、大したことない理由だろう。でも、それを言っても言わなくても、彼らは付き合ってくれるだろうと思えるのだ。なんて心強いのだろう。きっと一人だったら、私は何にも不干渉のままだった。


 頭を振る。今はそんなことを考えている場合じゃない。

 鞄を持って、二人連れ立って家を後にする。


 如月は達さんの大学に行ったことがあるらしい。

 電車に揺られて、桜並木の道を抜けて、彼女に先導されて大学に辿り着く。比較的新しい校舎のようで、すっきりとしたデザインをしていた。


 家政系が強いからか、行き交う同年代の人達は女性の比率がとても多い。皆、何処か煌びやかで、女子大生というイメージにぴったりだ。

 かと思うと、大人しそうな高校で見掛けたような子もいるし、華やかというよりは親しみのあるコーディネートで垢抜けた人もいる。そして、その人の横にはオフィスカジュアルと呼んでも良いような質実剛健そうな格好の人もいる。


 彼女達がどうあろうとするかは、私がどう思おうとも関係ない。


 私にとっての典型的女子大生は、肝試しの時に出会った美香さんなのだが、そういうカテゴライズは矮小な考え方な気がして来た。ステレオタイプと言えば良いだろうか。

 この社会には実に多様な人々がいるのだから、勝手に作った枠で区切るのは乱暴だ。区切られる側からしたら迷惑なことだろう。そうするのだって、外から見る人にとってはその方が整理しやすいからで、本人達の意向を受けた訳じゃない。


 カテゴライズした方が良いものもある。例えば、生物の分類などだ。体系的に纏めるには、それが欠かせない。

 だが、人を見た目で判断するカテゴライズは、その人の本質を無視して、或いはそうであると決め付けて行われることが多々ある。それは相手を尊重するという、コミュニケーションに於ける最も重要な要素を軽んじている。


 如月だって、割と個性的な分類だ。このような友が隣にいるのに、その視点がまだ持てていなかったとは、恥じるばかりだ。


 私が一人で反省していると、如月が此方を見た。


「よし、私が中で聞き込みして来るよ。あなたはそこのカフェで待っててくれ」

「分かった」


 小走りで彼女は校舎の中へと入って行った。残された私は一人反省会を続けながら、カフェでカフェモカを注文した。





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