いつかのけしき
閑話 ひなたのけしき
静かな屋敷に、笑い声が響く。
近頃の俺は、その声を頼りに彼女達を訪ねる。
「あ、
俺の膝ぐらいの丈しかない子供が、いの一番に俺を見付けて駆け寄って来る。それを受け止め、抱き上げると、目の前に満面の笑みがあった。
母親に似た目元が細められ、小さな口が大きく開いて、鈴を転がすような声が飛び出して来る。歯は生え揃って来ていて、玩具みたいな小さな白い粒が口内に並んでいる。
「いらっしゃいまし」
縁側で佇む女が、俺に軽く会釈をする。その手には団扇があった。
此処が如何に鄙びた田舎であろうと、太陽は貴賎なく降り注ぐ。近頃の猛暑に、彼女達も苦労していることだろうと思っていたが、彼女の顔には汗一つなく涼やかなものだった。
「此処はやけに涼しいな」
俺の問い掛けに、女が答えた。
「そういう術なのだそうで。暑さが和らぐなら、心配事も一つ減ります。この子をこうして庭で走り回らせることが出来ますから」
「父様、一緒にかくれんぼしよう」
抱き上げたままの子供が、俺の髪を触りながら提案してくる。小さな手はまだ不器用で、時折引っ張って痛くさせることもあるが、反射的に振り解きたくなるのを耐えつつ、痛いことだけ伝える。子はよく分からない顔をしながら離してくれたが、代わりに俺の顔を触り始めた。
色々なものに興味を持って、その手で触れてみて欲しい、というのが、俺と女の教育方針だったから、好きにさせることにした。
頬をべたべたと触るが何が楽しいのだろうと、俺はお返しとばかりに子の頬を突く。餅のような柔らかな弾力は癖になりそうだ。
「うー」
唸りながら、子は俺の指を小さな手で掴んで、遠くに追いやろうとする。突かれるのは、お気に召さなかったようだ。
その反応すらも、何故だか愛おしく思えて、笑ってしまう。
「かくれんぼな。うん、やろうか。じゃあ、俺が隠れるから、お前は探しにおいで」
「分かった」
「三十秒数えるのですよ。覚えたばかりの数字、ちゃんと言えるかしら」
「へえ、もう二桁の数字の勉強をしているのか」
「じゅう! さんじゅうさん! じゅうなな!」
特に意味のない二桁の数字を挙げていく子に、俺は「凄い、凄い」と声を掛けて、頭を撫でた。得意げな顔をして、胸を張る様すらもいたいけだ。
「じゃあ、ちゃんと三十秒数えるんだぞ。ほら、目元を隠して」
小さな手で、俺の片手に収まりそうな小さな顔を覆う。そして、舌足らずな発音で「いーち、にー、さーん」と数え始めた。
なるほど、数字は覚えられたらしい。
「早く隠れてしまわないと、直ぐに見つかってしまいますよ」
女が笑顔で急かす。
「この子は見付けるのが上手ですから」
「じゃあ、めちゃくちゃ分からなさそうな所に隠れてやる」
「お手柔らかに」
「難しいことを言う」
女の元を過ぎて、俺は近くの夏椿の幹の後ろに隠れた。樹皮が剥離して、つやつやとした表面を見せている。しゃがんで息を殺していると「さんじゅー!」という、燥いだ声が聞こえた。
かさかさと草をかき分ける音と共に、足音が近付く。俺は口元を手で覆って、呼吸音が漏れないよう努める。
「どこかなー?」
「何処でしょうね」
「えへへ」
「楽しい?」
「うん!」
そのやりとりに俺はまたにやつく。
いつもこれだ。情けない程に俺は絆されている。そして、それはそれで決して悪い気がしないのだから、困ったものだ。
直ぐ近くの花が揺れて、子が顔を覗かせる。真剣そうな眼差しは、俺を捉えると途端にきらきらと楽しげに輝いた。
「父様、みーつけた!」
「見つかっちまったなあ!」
抱き上げて、その勢いのまま肩車にする。少しずつ重くなっている体重を感じ入る。
無邪気な声が福音のように降り注いで、周りの景色をも色鮮やかに見せた。
あまりにも穏やかな時間だ。
何気なく、だからこそ特別なひととき。
だが、それは簡単に終わってしまうものだ。
「御当主様。どちらにおられますか?」
屋敷の奥から、タツの声がする。
俺は子を降ろして、女に託した。女は先程と同じ笑みを浮かべたまま受け取った。子は不服そうな顔をしている。だが、文句は言わなかった。
「つぎはいつくるの?」
「近い内にな。それまで、いっぱい遊んで、いっぱい勉強するんだぞ」
ぐりぐりと頭を撫でて、俺はこの場を後にする。
いつかの、日向の景色。
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