第26話 駆け回って

 叔父と別れ、家路に着く。楓に会えなかったのは残念だが、また幾らでも会う機会はあるだろう。

 早速千歳さんに連絡を取ると、じゃああなたの生家で待っていると言われた。今は像の後処理のために其処にずっといるからとのことだ。

 少々手こずっているらしく、二週間後に会うことを決めて、通話を切った。場所は楽號が知っているだろう。


 彼は調べ物をすると言って、何処かへと消えた。宵闇の中に紛れ込むと、すっかり見つからない。残された私と如月はどこか硬い空気のまま電車に揺られている。

 如月が私の顔を覗き込む。


「何?」

「随分、緊張した顔をしているなと思っただけだ」

「電話って緊張するんだよね」

「顔が見えない状況は、得られる情報の量が減るからな。判断がつきづらくて、疲れるんだろう」

「私は視覚に頼りきりなようだ」


 視覚は人の五感の中で最も使われていると言っても良いだろう。一説では、知覚の八割が視覚からの情報と聞く。

 ならば、相手が見えない電話というのは、八割の情報を失った状態と言える。


 視覚情報を失うとどうなるか。

 例えば、茄子は食感に個性のある野菜だ。しかし、一度目隠しをして、焼いた茄子を口に入れられたら、私は味を楽しむ前に食感に驚いて吐いてしまうかもしれない。噛み締めても、何の食材か当てられないかもしれない。あのぐにりとした独特の噛みごたえは、食べても良い物なのか判断出来なくさせる。普段は視覚から得たこれは茄子だという事前情報があるからこそ、食感を予想し、安心して美味しく頂けるのだ。

 情報は安心に繋がる。疑心を持ったまま茄子を食べても、それが何かを当てるために、自分に危険がないと判断する情報を得るためだけに感覚が使われ、味を楽しむゆとりがなくなる。


 だから、電話という視覚を遮断された連絡方法が、私は苦手だ。相手の声色の変化に意識を持っていかれて、内容を吟味するゆとりがない。

 誕生した頃は実に画期的な大発明であったろうが、現代においては連絡を取る手段は更に増えている。いつか電話が廃され、メールやチャットなどでの伝達が基本となる世の中になればいいと思う。


 私が緊張する理由はそればかりではない。勿論、話す内容もだ。

 千歳さんは以前、楽號に話を聞けと言った。今、私は彼からの話を聞いて、更なる情報を得るために千歳さんと連絡を取った。彼の持つものの中に、私が記憶を思い出すきっかけになるものがあるかもしれないのだ。

 そして、それは私に致命傷を与えるかもしれない。

 自分の人生のことだ。いい加減な扱いは出来ない。


「緊張しっぱなしだな。そういえば、あなたの家のそばに公園があったろう。ちょっと寄って行こう」

「いいけど、時間は大丈夫?」


 陽は既に傾いている。電車を乗り継いで、自宅近くに行くまでにはすっかり沈むだろう。


「問題ない時間帯だ。寧ろ人がいなくなって、思う存分楽しめるさ。過保護だな」

「だって、私の家から如月の家まで、更に三十分は掛かるじゃないか」

「大したことないさ。ゼミの飲み会で二次会、三次会までやっていれば日付が変わることもあったからな」

「そんな時間まで何するの?」

「主にカラオケだな。あなたも流行りの歌や鉄板の歌を幾つか覚えておくといい。つまらない話ではあるが、卒なく乗り切る骨だよ。夜が更ければ何を歌っても構わない時間になるんだがね」

「処世術か。為になるな」

「私は知らない歌を聞く方が好きだけどね。その人の意外な好みが分かるから。あなたもいつか一緒に行こう。何を歌うか気になるな」

「知っているのは、叔父の聴いていた古い曲ばかりだよ」

「じゃあ、私にとっては楽しいな」


 そうこうしている内に、最寄駅に到着する。住宅街が近いからか、帰宅中と見られる人が多いが、小さい駅なのでごった返すことはない。

 コンビニで飲み物と軽食を買って、私達は公園へ向かった。いつか楽號の死神であることの実証現場となった公園だ。原っぱが目立つが、傍には遊具の類も置かれている。

 基本的なブランコ、回る球体のジャングルジム、アスレチックのように入り組んだ滑り台、地面と大きなバネで繋がっていて、それを揺らして遊ぶ動物の形をしたもの、こうして見ると様々な種類があることが分かる。

 如月は冷えるのか、ホットのカフェオレを飲みながら、砂場の前で仁王立ちをする。


「誰もいないな」

「こんな時間だから、子供は皆帰ったろう」


 時計を見ると、八時を回っていた。

 空きっ腹がぐうと唸る。私はレジ袋からコンビニで買った肉まんを齧った。微かに甘い生地の中には、筍だろうか、しゃきりとした歯応えがある肉餡が包まれている。蒸かしたてのそれはまだ熱く、日が落ちてめっきり冷えた手を温めた。


「つまり、この公園の今の主は私達という訳だ」


 如月が滑り台の頂点で肉まんを食べながら宣言する。


「貴方は偶によく分からないことを言うな」

「公園は昼間は子供達の物だ。だが、夜になれば私達、大人の物になるのだ」

「公園の所有者は自治体とかじゃないか?」

「こういうのはごっこ遊びだ。そういう気持ちで思いっきり遊んだ方が楽しいだろう。勿論、迷惑になることはしてはいけないが」


 そう言って、如月は滑り台を滑り落ちる。

 大人用のサイズでないからか、足を着くタイミングを外して、最後の段差の着地に失敗し、彼女は無様に尻餅をつく。「痛っ!」と叫びながらも、顔はどこか楽しげだ。

 出会った頃はクールな先輩だとばかり思っていたが、こうして接していると彼女は幼い面も大人な面もどちらも持ち合わせていると分かる。燥ぐ姿に等身大の彼女に触れたような親近感を覚えた。


 私も肉まんの最後の一欠片を口に放り込むと、同じく滑り台の上に立った。当然、子供の体に合わせて作られた物だから、私からすると小さな造りだ。そのちぐはぐさが如月の言う所の主になった感じを強めた。小さな王国の一番高い所に立っているような感覚だ。


 確かに、誰もいない公園というのは開放感がある。童心に戻れる。だが、それは友人と一緒だから、ということが大きいだろう。


 一人で来たら、少し怖いだろう。落ち葉もあるが、それでもまだ豊かに折り重なる木々の梢が、公園の周囲を暗く翳らせる。無機質な街灯が届かぬ領域は、人気がなくなった途端に人の世から離れる。

 もとい、この世は並べて人のものではないかもしれないが。


 一通りの遊具を流して、最後はブランコに座る。漕ぐと言うにはあまりにやる気のない足の前後運動を繰り返しながら、私達は公園を見渡す。


「それで、どう思ってるんだ?」


 如月が何となしに問い掛ける。

 私は何に対しての問いか直ぐに理解した。だが、口に出したのははぐらかす言葉だった。


「何が?」

「叔父さんと楽號さんの話さ。あなたのルーツは思い掛けず大きな事件と繋がっていて、思い出せない記憶が重要な位置にあるかもしれない。突然、敵も出て来た。目白押しだ。恐らく、今はまだ混乱しているとは思うが、このまま千歳さんから話を聞けるのか?」

「そうだね……」


 正直、今だって飲み込めているとは言えない。


「何を判断するにしたって、情報がなければどうしようもない。と言うのが今の気持ちだよ」

「……そうだな」

「正直な所、あの場で全ての情報が出されたとは思えないんだ。叔父さんも楽號も何かをまだ隠している」

「千歳さんも、前に聞いた時は躱されたと言っていたな」


 千歳さんは自分が勝手に喋る訳にいかないから、楽號に聞けと言った。しかし、楽號は千歳さんとの経緯を話さなかった。

 話す必要がないのか、話したくないのか。それとも、私だから話さないのか。本人でない以上、推測するばかりで、答えには届かない。


「楽號と千歳さんの間にあったことも気になる。これは、私が訊くべきでないことかもしれないけど」

「難しい所だな。でも、訊きたいなら、訊いたらいいじゃないか。それで話してくれるかはまた別だが、訊くだけなら怒られまい」

「そうは言ってもね」

「確かに訊かない方が良いこともあるさ。聞いてあなたがショックを受けることもあるかもしれない。けれど、あなたが彼等に抱いている印象を捨てる必要はないし、必ずしも関係が壊れるとは言えないさ」

「うーん」

「あなたは真相を知りたい気持ち、そうすることで関係が壊れるかもしれない恐れの他に、好意を抱いている人達が仲違いしていることに心を痛めているのではないか?」

「嗚呼、そうかもしれない」


 深入り出来る関係ではないかもしれないけど、出来るならいがみ合う理由がなくなって欲しい。ひりつくような殺意を抱かせずに済むのなら。フラットな関係に戻らなくても、障害を取り除くことで関係性が変わる可能性があるのなら。

 そのためにも、何が起きたかを知りたい。でも、それは余計なお世話だ。何も知らない私が何をしよう。下手すれば状況を悪化させるかもしれない。

 なら、やはり、これには触れるべきではない。


「おや」


 如月が公園の入口に顔を向ける。

 私もつられてそちらに顔を向けると、そこには小さな影が一つあった。

 それはもじもじとするように入口付近をうろうろとしている。大きさ的に子供であろうか。ぞわぞわとした気配はしなかった。しかし、妙なリアリティがある。

 もしかしたら、生霊の類なのかもしれない。


「霊だ」

「悪いものではなさそうだ。迷子かな」


 如月が入口へと近付く。


「あ、ちょっと、如月」

「大丈夫だ。敵意は感じない」


 彼女は影の前にしゃがみ込む。そして、何事か話し掛けている。

 二、三分程経つと、如月は影を連れ立って私の元に戻ってきた。影は大人しく如月の手を握っている。年齢で言うと、五歳くらいだろうか。


「遊びたいのだそうだ」

「その子が?」

「そう。親が厳しくて、なかなか公園とかで遊べないのだそうだ。だから、私達が遊んであげよう」


 私はその子を見る。悪意も寒気も感じない。生霊の特性だろうか、影だがうっすらと顔が浮かんで見える。その子は遊具を見て、わくわくとしているように見えた。

 如月が私に耳打ちする。


「遊んであげたら成仏してくれるかもしれない」

「うん、恐らく生霊だから、満足したら戻っていくかもしれない」


 不安がない訳ではないが、私の中のあの世に興味がある素振りはないし、悪霊でもなさそうだ。


「分かった。いいよ。まず、何する?」

「そうだな、何がしたいんだ?」


 二人でしゃがんで子供の声に耳を傾ける。

 とても小さな声ではあったが、ジャングルジムと言ったように聞こえた。佐田さんの時もそうであったが、生霊は自ら話すことが出来るようだ。


「よし、早速行こう。私達が回してあげるよ」


 如月が走ってジャングルジムに向かうと、子供も走って着いていく。

 私と如月は走りながら、球体のジャングルジムを回した。子供は燥いだ様子で、色々な棒を潜ったり、登ったりしていた。次は滑り台、その次は砂場、その次はブランコ。興味の移るタイミングが掴めず、私はわたわたとしながら、要望に応えていく。


「ちょっと、待ってくれ。息が、切れて」


 鬼ごっこをし始めた頃、流石の如月も常にハイパワーで動き回ることに限界がきたのか、肩で息をする。子供はさっさとブランコに乗ろうとしていたが、気息奄々とした私達を見て、踵を返して戻って来た。


 子供は私の前に立って、指を差した。

 私のお腹だ。


「ありがとう。楽しかったから、もうおわりにする」

「まだ、私達は遊べるよ。それに、此処に入ったら、戻って来れないんだよ」

「うん。自分がどうしてここにいるのかしってるんだ。みんなが羨ましかったの。でも、あそんだからもういいの」


 何故か私は悲しくなった。こんなにも小さな子が、大人びた冷静な判断をしている。いつも遊べない子が、もっと遊びたいと駄々をこねずに、満足したからもういいと言う。

 もっと我儘言っても良いんじゃないか。


「待って、それなら」

「待ちたまえ。そこに入っては……!」


 私の言葉は最後まで届かず、如月の静止は間に合わず、その子は私の中へと入って行った。

 そして、再生される短いムービー。


 病弱で入退院を繰り返し、漸く家に戻れたと思っても、心配症な両親の保護により、公園も行けず、友達を作って遊ぶことも出来ない。黴菌があるから外の物に触ってはいけない、心臓に負荷がかかるから走ってはいけない、日々増えていく禁止事項を守りながら、一番やりたいことを我慢していた。でも、理解してた。両親は意地悪ではなく、それを破れば自分の体が悲鳴をあげることを知っているから、先んじて守っていてくれているのだ。でも、やっぱり公園に行きたいよ。思いっきり、遊んでみたい。


 体から切り離されて漸く、彼は思いっきり走れたのに。





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