ルーティンの死(アウティングとグロ描写があります)

第27話 見上げた先の彼女

 朝、起きると楽號が珍しく先に起きていた。

 昨日は結局、私が起きている内に帰って来なかった。


 子供の生霊を取り込んだ後、私と如月は苦々しい思いでそれぞれ家路に着いた。声を掛けなければ良かったとは思わない。もし楽しんでくれたとしたら、それは良かったことだと思う。だが、終わり方がやるせなく、他にやりようがあったのではないか、もっとしてあげられることがあったのではないかと思うと悔しい。

 あの子の置かれた環境は、やむを得ない事情から庇護と欲求の狭間にあり、あの一時だけそこから解放することが出来た。しかし、霊体と遊んであげたことで、現実が大きく変わることはない。彼の両親は彼を守るために制限を掛け続けるだろうし、それを汲んだ彼は聞き分けの良い子供として在り続けるだろう。

 それはどうしようもないことで、誰も悪くないことだ。でも、ほんの少しだけでも、幻のような時間でも、思いっきり楽しんでくれたら、と思う。


 ダイニングのちゃぶ台の上には紙の資料が積まれていて、それを見る楽號の目元は険しく、しきりに頬を掻いている。


「おはようございます」

「嗚呼、おはよう」


 視線は動かず、返事だけが返ってくる。私は隣に行って、紙の束を見遣った。小さな字に難しい言葉が並ぶ。


「何ですか、これ」

「事件の報告書と議事録。なんだって、こんなに字を小さくするんだか。読み返す人のこと考えてないだろ」


 いつもよりも覇気のない声だ。


「もしかして、徹夜したんですか」

「そうだよ。だって、君、あいつに会いに行くんだろ。分かっている情報は揃えておいた方がいいじゃないか」

「でも、千歳さんと会うの二週間後ですよ。そんなに急がなくたって」

「えっ、そんなに後なの?」


 楽號が驚いた顔をする。そして、直ぐに脱力してのけぞった。天井を仰ぎながら、「早く言ってくれ」と恨みがましく私にぼやく。


「すみません。準備とか必要とは思ってなくて。昨日もあの後、会えてないし、言うタイミングなくて」

「あー別に君は悪くない。僕が気を急いただけ。あーあー、ベッド借りるぞ。僕は今から寝る。朝ご飯はウインナー焼いといたから、自分で食べてくれ」

「ありがとう」


 そそくさと楽號は私のベッドに潜り込む。床には楽號用の布団があるが、硬いらしく、ことあるごとにベッドを使おうとするのだ。癖なのか、布団に包まって丸くなる。


「ねえ、楽號」

「何?」

「生霊って、回収されたら、本人に何か影響ありますか?」

「殆どない。本人としては想い余って切り離したものだから、回収されたら寧ろちょっとすっきりするんじゃないかな。繋がりが全くない訳ではないから、生霊が感じた感情は多少本人にも伝わることがあるけど、実に細やかなものだ」

「そうですか。ありがとう。おやすみなさい」

「おやすみ」


 私が朝ご飯を食べ終わって、歯を磨いた頃、様子を見てみると、楽號は無垢な表情で規則正しく寝息を立てていた。余程眠かったのだろう。何となく私は微笑みながら、彼を観察する。

 相変わらず、前髪も睫毛も長い。目に入らないのだろうか。肌艶は良い。死神も年を取るのだろうか。こうして見ると、二十代そこそこといった辺りだが、実年齢は幾つぐらいなのだろう。


 こんなにも無防備な楽號は珍しい。雑だけど、世話焼きな彼はいつだって私を気に掛けてくれる。未熟な私のことだから、年上であろう彼から見ると危なっかしいことこの上ないだろう。小学校の怪異に閉じ込められたり、聶斎房とやらに付き纏われたり。こうして挙げると、最近の私の周りは物騒だ。初めは楽號も付き纏ってくる側だった。なのに、今や保護者のようだ。それが負担になってないと良いが。


 私は小さく「行ってきます」と囁いてから、家を出た。


 ここ数日は、朝もめっきり冷えるようになった。

 シャツ一枚で一日過ごすのも、そろそろ諦めた方が良いかも分からない。袖を伸ばして手を包むと、多少風を凌げる気がした。


 視界の端に気配を感じた。視線を左右に動かす。同じ向きに歩く人々、電柱の傍らに花束、薄く千切れた綿のような雲。何か違和感を覚えて、私は近くのマンションを見上げる。


 屋上に誰かが立っている。ハイライズのデニムの女性だ。縁に設けられた金網の内側にその人はいて、私を見下ろしていた。


 その女性は眺めるだけで、特に何をするでもない。


 マンションは五階建てだ。煉瓦調の表面が艶々としている。特段、薄暗いとか嫌な気配がするとかではない普通のマンションだ。


 女性も普通の人そうだ。黄昏ているのだろう。黄昏るという語は、本来日が暮れていくことや、斜陽の様を指すのだが、いつからぼんやりと風景を眺めることにも使われるようになったのだろう。更に言うなら、今は朝だから黄昏時でもない。


 一瞬、飛び降りるのではないかと身構えたが、その心配は要らなさそうだ。


 私は視線を前に戻した。同じく駅に向かう人の群れに混ざって、歩みを進める。ふと、後ろ髪を引かれた気がして、もう一度、マンションの屋上を振り仰いだ。


 そこにはもう誰もいなかった。



 ──────────────────



「最近、どうにも寝付きが悪いんだ」


 肉ピー丼をスプーンで穿りながら、如月はそう言った。


 肉ピー丼とは、細切りの牛肉とピーマンをオイスターソースで絡めて焼いてご飯の上に乗せた物だ。小鉢にはザーサイ、そしてたまごスープが添えられている。これで六八〇円なのだから、大分優しい値段設定だろう。


 今日の昼食は少し足を伸ばして、大学近くのランチが安い中華屋に来ていた。

 町中華という名称がよく似合う、何処となく昭和の香りを感じる店内は、赤色を基調にしたカウンターと壁に大量に張り出された赤字の黄色いメニュー表が目立つ。ラーメンの種類も、ご飯ものの種類も多く、ちらりと見渡しただけでは、全てを把握出来ない。周りには学生よりも、常連といった顔のサラリーマンの姿が多い。


 私は恐らく一番安い五〇〇円の炒飯を頼んでいた。この値段はとても助かる。味も勿論、美味しい。

 雑味のない、シンプルな味付けだ。葱、焼豚、なると、卵、それぞれ異なる食感が口の中で一つになり、ずっと噛み締めたくなる。米は程よくパラパラとしていたが、もちっと感も残っていた。


「寝付きというと、入眠時がということか?」

「いや、寝ている途中で起きるんだ」

「昨日は何時に起きたんだ?」

「午前三時とか四時とか。その後は眠れるんだが。お陰で授業中にうたた寝をしてしまったよ」

「遅いね。いつもは何時に寝てるんだ?」

「午前一時とか二時とか」

「そんなに変わらなくない?」

「変わるとも! 睡眠時間が一、二時間も違えば、朝起きた時の調子とか全然違うだろう」

「ごめん、確かにそうだね」


 午前一時から四時くらいまでは、深夜という枠で捉えてしまって、他の時間帯における一時間と長さが違うように感じる。時々、その時間帯まで起きているが、昼間に比べてあっという間に時間が過ぎ去ってしまうのだ。圧縮されたと言うよりかは、掴み切れずに過ぎていく時間だ。


「いつ頃から起き始めたんだ?」

「一、二週間程前からかな」

「原因とかは分かってるの?」

「誰かが枕元に立つんだ。寝入って少し経った辺りで、金縛りになって起こされる」


 私も何度かそう言ったことに経験があるので、直ぐにイメージ出来た。近頃はあまりないが、体が動かせないのに視線だけ動かせる状態というのは、想像するよりも恐ろしい。更に、霊などの気配を感じた時には、動悸が激しくなり、どうにか体を動かそうともがいて、終わった頃には草臥れている。


 医学的には、レム睡眠という、体は休んでいて脳が動いている状態の時に目を覚ますと金縛りになるらしいが、私が経験した殆どは霊によるものだった。そのストレスで睡眠障害じみた症状になったので、長期に渡るなら何かしらの対策を立てる必要があるだろう。


「知ってる人?」

「いや、知らないな。多分、女性だ。私をただ見下ろしているんだ。それだけ」

「嫌な感じとかは」

「ないな。でも、怖いから、目を開けないでずっと寝たふりをしているのだけど、近づいて来るとか触ってくるとかもないんだ」

「無害そうなのは幸いだが、枕元に立たれるのも、起こされるのも嫌だな」

「霊の正体も知りたいところだがね。薄目で見たことあるんだが、足元しか見れなくて。確かデニムを履いていたよ」


 如月が油でテカテカしたピーマンを口に運び、欠かさずご飯も追わせる。

 私は付け合わせのスープを飲む。炒飯の場合は卵ではなく、ラーメンスープになるようだ。鶏ガラのあっさりとした醤油味が後を引き、口直しに良い。もしかしたら、炒飯をこのスープに浸してみたら美味しいのではないかという考えが頭を過ったが、やる勇気がなく、私は通常通りに炒飯を掬った。


「如月の部屋にだけ出るのか? それとも、如月のいる所に出るのか」

「分からないな。実験してみたい。ちょっとあなたの家に泊めてくれ」


 突然の提案に私は慌てる。


「私は構わないけど、多分楽號もいるぞ」

「私側は何も問題ないよ。逆にお願いする立場だ。嗚呼、寧ろ、もし私のいる所に現れるとしたら、あなたも金縛りに遭う可能性があるな」

「それは全然問題ないけど」


 霊の出現条件を調べることで如月が穏やかに睡眠を取れるなら、一晩の宿の提供くらい安いものだろう。ついでに金縛りに遭うかもしれないが、慣れたものだし、楽號もいるから最悪なことにはならないだろう。最低限の安全は確保されている。


 その角度から見れば、私の家に如月を泊めるのは、実に理に適った実験方法かもしれない。


 解決に結び付くかは分からないが、何もせずにいて改善する見込みはないし、悪化してしまえば問題だ。


「じゃあ、明日にでもおいで。今夜は我慢して貰う形になるけれども」

「助かる。夕方、直接家を訪ねるよ。携帯電話に連絡する」

「分かった。待ってるよ」


 私は最後の一口を口に放る。冷めた米もそれなりに美味しいものだ。如月も丁度食べ終わって、手を合わせていた。私も倣って、手を合わせる。


 今日は家に帰ったら、軽く部屋を掃除をする必要がありそうだ。





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