第28話 墜落と破裂(微グロ有)

「何で毎回、突然そういう約束をしてくるんだよ」


 キッチンでホワイトソースを作る楽號がぼやく。

 パスタに掛けるのだそうだ。美味しそうなミルクとバターの甘い匂いが部屋に充満している。


「毎回ではないでしょう」

「掃除しなきゃいけないじゃないか。正直、前回家に招いた時も掃除してないことが気になってたんだ」


 楽號はそう言うが、現在、うちのダイニングは楽號の持って来た資料の束がちゃぶ台で溢れ返っている以外は散らかっていない。


「この程度ならそのままでも良いんじゃないですか?」

「違うよ。基本的な掃除の話だ。君ね、物を置いてないことが綺麗じゃないんだよ。杜撰だぜ、そういうの。ぱっと見、そう見えなくても日々の汚れは蓄積してるんだ」

「……今から床拭きます」

「うん、よし。後、何処に寝かせようか。君のベッドと僕の布団しかないぞ」

「それは、お客様をベッドに寝かせて、私は床に寝ます」

「こんなに寒いのに風邪引くだろ! 如月だって引け目に思うよ。仕方ないから、僕と君は同じ布団だ。敷布団横にしたらスペース出来るだろ。足は飛び出るけど気にするな!」


 語気は強めだが、色んなことがさくさくと進んでいる。私はフローリングワイパーで床を一通り拭いていく。綺麗に使っていたつもりだが、多少シートは黒くなる。

 ついでにと、雑巾を濯いで壁も軽く拭いておく。


 物を仕舞って、軽く埃を取っておけばいいだろうと思っていたが、予想よりも大掛かりな掃除になっている。

 私は廊下も綺麗にすると、楽號の指示を受け、風呂場へ向かう。洗剤の入ったスプレーを噴射し、そこら中を泡に塗れさせてから、スポンジで軽く擦り、シャワーで流していく。

 ホワイトソースを作り終わったのか、楽號が顔を覗かせる。


「そのままお風呂に入っちゃえば?」

「そうですね」


 擦り洗いは知らず知らずの内に力が入るものだ。掃除して汗をかいているから、楽號の言う通り、そのまま入ってしまうのも手だろう。濡れる心配もなくなるし、そうしよう。

 スポンジを浴槽の縁に置き、手の泡を流した私は、浴室の外へ行き、着替えを持って戻って来た。そして、着ている物を全部脱ぐ。


 ざっと掃除した後、頭や体も洗い、冷水で壁を洗い流して完了だ。


 頭をタオルで拭きながらダイニングに行くと、ベストなタイミングで夕飯の準備が終えられた所だった。楽號と私はいつもの席に着いて、手を合わせた。


「いただきます」


 クリームパスタは美味であった。優しいミルクの香りの中に漂う、バターの甘い香り。塩っけのあるコンソメがびしりと味を締める。具材はベーコンとほうれん草で、彩りもある。

 ソースは、アルデンテより少し柔らかい麺とよく絡まり、噛んだベーコンから溢れる塩っ辛い油がアクセントになっている。それが仄かに甘いソースとの相性が抜群に良いのだ。


「初めて作ってみたけど、悪くないな。どう? 美味しい?」

「美味しいです。クリーム系ってほっとしますね」


 寒くなってくると、クリームシチューなどのこってりした物が美味しく感じられる。ただでさえ、秋は収穫期でお米も果物も美味しいというのに、凡ゆる角度から美味しい物が現れる。実に魅力的な季節だ。


「それで、如月は何でうちに来るんだ?」


 ねじねじとパスタを巻き上げながら、楽號が問い掛ける。


「夜、枕元に幽霊が立つせいで、近頃眠れてないみたいで。それで、その幽霊が如月の部屋に現れるのか、如月の元に現れるのか検証してみようという話になりまして」

「幽霊が何に憑いているのかの確認か」

「そうです」


 付け合わせのグリーンサラダを頬張る。青臭い香りが鼻を抜ける。レタスと、葉先が丸く茎が赤っぽい草のみの潔いサラダだ。どちらも草の味だが、こうして食べ比べると違いがあるのが分かる。レタスの方が水分量が多く、あっさりとしているが、もう一種の物はそのまま草という感じだ。


「まあ、いいんじゃないか。理由が分かれば、構造も分かる。それに本人に憑いてたら僕が……というか、僕はいていいのか?」

「いて貰わなくちゃ困ります」


 安全保障の肝だ。いてくれないと、何かあった時に如月の身を守れない。


「そうなの。ふーん」

「何ですか?」

「別に、悪い気にはならないけど、面白くもないなと思っただけ」


 私は首を傾げた。


「どういう意味ですか?」

「野暮なことは言わない。そら、食べ終わったなら皿洗うぞ」


 食べ終わった皿を掴んで、彼は流し台へと運ぶ。私は最後の一口を巻き取ると、口へと押し込んだ。そして、皿を持って流しへ向かう。

 洗い物を始めていた楽號が、私の持つ皿を受け取り濯ぐ。


 私は台布巾でちゃぶ台を拭き、それを終えたら、楽號の洗った皿の水滴を、別の布巾で拭き取る。個人的には放っておいても乾くから良いと思うのだが、キッチン周りに物が置かれている状況が、楽號的にストレスなのだそうだ。だから、洗ったら直ぐに拭いて棚に戻している。


「その幽霊がやばかったら、楽號が回収してください」

「そのつもりだよ。君のを使うのは危ないからね」


 家事が終わり、まったりタイムが訪れる。私は本を読み始めた。楽號は鎌の手入れをしている。

 特に会話もなく、ゆったりと流れていくこの時間が好きだ。自分の意思を認められているような、自分の世界に閉じこもっているような。それでいて開かれているから、いつだって話し掛けても構わない。

 酷く自由で、肩の力が抜けて、居心地が良い。


 私は黒々とした文から目線を外し、楽號の様子を窺う。淡く緑がかった灰色の瞳が、長い前髪と睫毛の隙間から見える。不意にその瞳が私を捉えた。私はどきりとしたが、一度合った目はなかなか外せない。捉えて離さないのに、楽號の口はちっとも開かれない。

 無言で見つめ合う時間が過ぎていく。

 三十秒程で私は観念して、視線を右下へと流した。楽號が口元を歪める。


「僕の勝ち」

「何なんですか」

「にらめっこ。先に目線外したら負け」

「通りで凄い見て来ると思いました」


 楽號がへらっと笑う。私も釣られて口元に笑みを浮かべる。



 ────────────────────



 今朝も、屋上にその人がいたと思う。

 妙に気になって、一瞬だけ見上げて確認をしたが、奥の方に引っ込んでいるのか、人影らしきものがちらりと見える程度しか分からなかった。だが、どうにも昨日の人と同じ気配がした。


 人の波に乗って、大学へ向かう。

 相変わらずの人の群れ、電柱の傍らの花束、薄く千切れている雲。少し前までしていた金木犀の香りはもうしない。


 ぐしゃあ。


 何かがひしゃげる音がした。私は振り返る。

 十五歩程下がった所に、赤が散らばった何かがあった。人だ。人だった肉塊だ。それは服を着ていたが、一瞬何処が腕で何処が足か判断がつかなかった。あらぬ方向へとへし曲がったそれが、ぴくぴくと不均一に痙攣する。服を突き破って、硬く白い物が覗いている。髪が長い。デニムを履いている。


 この人は、屋上にいた人だ。


 見たくはないのに、私はその凄惨な結果から視線を逸らせないでいる。どうしたらいいのだろう。こういう時は、救急車を呼べばいいのか。いや、どう見たって、怪我の範囲を超えている。間に合わない。ならば、警察を呼ぶのが正解なのだろうか。

 助けを求めるように、私は周りを見渡す。誰もが足を止めずに、私の傍を不思議そうな顔をして通り過ぎて行く。そこにある飛び散った血肉に反応する人はいない。そこで気付いた。


 他の人にはこの飛び降りの死体が見えていない。


 悲鳴の一つも上がらず、私の周りはいつもの朝の風景が流れている。人々は道で立ち止まる私を迷惑そうな顔で避けていく。


 なら、この死体は霊だ。


 死体のような見た目の霊は見たことある。自分の死の直前の行いを繰り返す、といった霊がいることも楽號から聞いたことがある。電柱の花束は、もしかして彼女のための物なのか。それにしても、どうして私は彼女が霊であることを、ここまで気付かなかったんだろう。


 ずるりと不自然な動きで、散らばったそれらが集まっていく。まるで、逆再生されているようだ。ものの十秒程で、それは元の人の形へと戻って行った。


 アンニュイな表情で、その霊は自分の肉が弾けていた現場に佇んでいる。その体の何処にも赤はなく、隙間から覗く白もない。


 若い女性だ。私より少し年上だろうか。

 長い髪を、後頭部の高い位置で結んでいる。まるで何事もなかったかのように、その人はその場から去ろうとして、愕然としている私を見付けたのか、足を止めた。


 不快そうに眉を顰めて、その女性は口を開く。


「見てんじゃねえよ」


 それだけ吐き捨てると、その人はマンションの中へと戻って行く。

 私は何も言えず、かと言って追い掛けることも出来ず、彼女と同じように自らの日常へと戻った。人の流れに戻っても、私の心臓は煩く脈打っている。行動だけ戻しても、ちっとも心が戻って来ない。放心とはこういうことだろうか。


 そういえば、と私は思考を再起動させる。


 今までの霊はただ浮遊しているか、衝動のままに動いているか、自動的に稼働していたかのどれかのように思える。その点、彼女は行動自体はある種衝動的ではあるが、私への態度は理性的だ。悪態がつけるということは、対話が成立出来る程に知性が残っていて、かつ私のことを人と認識しているということであるから、かつてのセンサーに引っかかった物を機械的に排除していた霊達とは一線を画している。


 そして、何より不可解なのは、私が彼女を二回目撃しておきながら、霊であると認識出来なかったことだ。見れば、生きている人間との差異で直ぐに分かる。靄であるものは見ただけでそれと分かるし、人型でも様子がおかしかったり、風景に溶け込まない違和感から判断出来る。

 だが、彼女はまるで生きている人間かのようだった。


「もし」


 歩いていると、後ろから声を掛けられる。


「はい」

「余計なお世話だと思いますが、今は全てに警戒して、深入りしないことをお勧めしますよ」


 そう言いながら、その人は私の横に並ぶ。一九〇センチはあるのではなかろうか、と見える大柄の男性で、その人は体格に合ったスーツを着こなしていた。そして、その手には白日には不似合いな、鈍く光る大きな鎌があった。

 この人が私の周りに控えているという死神なのだろう。


「貴方は……」

「失礼しました。私は今回あなたの護衛を任されました、死神五番、芒聲ぼうせいと申します」

「私は」

「嗚呼、結構です。把握してありますので。それよりも、自分が狙われているのだという自覚を持ち続けて頂きたい。自殺志願者を守ること程、不毛でやるせないこともありませんから。それでは」


 芒聲さんは言葉短にそれだけ言うと、気配を消して何処かへ立ち去って行った。

 忍者の修行もしたことのない私では、彼が何処から何処へ行ったのか見当もつかない。だが、見守られているというのは確かな事実だったようだ。

 私は顔を前に向け、駅の中へと入って行った。





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