不透明な懐古

第23話 甘味は回帰

 それ程、距離が離れている訳ではないから、電車で一時間も揺られていればいつぞやの見慣れた景色が現れる。猛スピードで過ぎ行く街並みをぼんやりと眺めていた私は、視線を外し、車内に目を遣った。


 土曜日だからか私服の人が多く、友人同士か時折笑い声が聞こえる。朝の電車とは違い、雑多で活気のある雰囲気だ。


「見てくれ」


 右隣で吊革に捕まっている如月が、携帯電話の画面を見せてくる。写真だ。美味しそうな栗のパフェだ。


「美味しそう」

「だろう? 叔父さんの家に行く前にちょっと食べて行かないか。季節限定なんだ」

「いいね。まだ時間も余裕あるし、そこで少し時間を潰そう」

「僕も食べるから、三人分注文してくれ」


 左隣で同じく吊革に捕まる楽號が言う。意外と甘い物が好きらしく、私が一人でプリンなどを夕食後に食べていると近付いて来る。なので、最近は二人分買うようになってしまった。


 この地域では大きなターミナル駅に列車が到着する。降りる人の流れに乗りながら、逸れないように、そして、流れを遮らないように私達も降りた。もう慣れたものだが、窮屈さを感じる時間だ。


 私の家よりも都心から離れるためか、何処となく自然の匂いがするような気がする。いや、自然の匂いというよりかは、人や物の発する匂いが減って、その分澄んだ感じがするのかもしれない。考えてみれば、森の中はそれなりに強い匂いのある場所だ。あの自然公園も土の香りがしていた。


 何処からか仄かに金木犀の香りも漂い、私は本格的な秋の到来を感じた。気が急いて、幾分早足な如月に置いていかれないように、私と楽號も足を早める。栗のパフェも、同じく秋の訪れを知らせてくれる物だろう。


 私達は叔父の家へと向かっていた。


 課題のレポートを無事提出した今、肩の荷が下りた私は実に気楽だった。

 恐らく面倒臭がりな教授は、レポートの提出をするにあたって、授業内での回収も専用の提出箱も用意せず、自分の部屋の扉の下から差し込めと指示した。今頃、床に大量のレポートが散らかっているだろう。しかし、忙しい中で時間を端折っていこうとすると、直ぐに回収出来る上、何も用意しないで良いこの方法は実に合理的ではないだろうか。見た目が悪い以外、問題がない。


 誰もが多かれ少なかれ生真面目であった中高の教師と比べると、実に型破りで己の裁量で動いている教授が多い。そのせいか、堅苦しかった校舎も、大学の方が息がしやすい気がする。私の性分にはこちらの方が合っているのだろう、とても過ごしやすい。


 そんなことなどを叔父達に報告しつつ、両親について訊いていきたいと考えている。


 少し歩くと、如月がある店を指差す。綺麗なガラス戸の奥には、木目調の壁のお洒落なカフェがある。人で賑わっているが、ちらほらと空いている席も見える。


「此処だ。早速入ろう!」


 楽しげな如月に引き摺られながら入店する。明るい声で迎え入れられ、二人席に案内されたが、断って四人席に変えて欲しいとお願いすると、快く別の席を案内してくれた。ボックス席だ。

 ふかふかとしたクッションに体を沈める。


 そそくさと如月はメニュー表を手に取り、睨めっこをする。


「全部美味しそうだ」


 そう呟きながら、私達にもメニュー表を見せてくれた。写真が多く、色とりどりのパフェは宝石のようで、どれも美味しそうだった。デザートに力を入れているのか、実に多種多様な甘味が揃っている。


 メインのメニュー表とは別に季節限定用のメニュー表もあり、そちらに栗のパフェが載っていた。来週からはさつまいものパフェが始まるようだ。


 食い入るように楽號もメニュー表を見つめている。口の中で、ぶつぶつと抹茶か栗かと唱えている。その言葉を受けて、私の目線は抹茶パフェに移る。確かに白玉の乗った抹茶のパフェも美味しそうだ。中に入った餡子もなかなかに唆られる。


 私は一つ提案をした。


「私が抹茶を頼みますから、楽號は別のを頼んで、お互い交換しましょう」

「え、そんな裏技使って良いのか! じゃあ、栗のパフェ!」

「私もそれに参加する! キャラメルパフェにするぞ!」


 二人が意気揚々と宣言する。思っていたよりも勢いがあり、面食らったが、楽しげな様子を見ていると、自然と笑みが溢れた。


 結局、私が抹茶パフェ、如月がキャラメルパフェ、楽號が栗のパフェとなった。如月が手際良く店員さんを呼び、三人分のパフェと珈琲を頼んでくれた。


 友人がうきうきとしている様子は、今までも何回か見掛けたことがあるが、何度見ても良いものだと思う。肘をつきながら「楽しみだな」と笑い掛けてくれる。その何でもなさが、私にとっては喉から手が出る程に欲しかったのだから。


「死神がパフェ食べている所って周りからどう見えているんだ?」

「ん? あー、突然パフェが抉れたなぁって思うだろうね。あと、スプーン消えたなぁとか」

「手に持っている物も見えなくなるんですか?」

「あまり大き過ぎると無理なんだけど、スプーンとか鞄くらいなら霊体に近付かせられる。後は服とかもね」


 おしぼりで手を拭く楽號を二人で観察する。


「霊体に近付かせられるってどういう現象なんだ?」

「実体の上に霊体を被せるみたいな。そうすると霊体が見えない人には実体も見えなくなるという。今もおしぼりが突然消えたように見えている筈だ。手品師になれるな僕。消失マジックのプロだ」

「私の就活が上手くいかなかったら、一緒にマジシャン始めよう」

「如月ならすぐ内定貰えるだろう」


 まだ私には先の話ではあるが、いつかはやらなければならない就活に、少し重さを感じる。いつまでも三人で遊んでいたいと思うが、そうはいかないだろう。如月とは大学を卒業しても遊びに誘えると思うが、楽號はどうだろう。


 私の中のあの世の調査が終わったら、去ってしまうのだろうか。死神の居場所など知らない。連絡先は知っていても、連絡を取り続けられるだろうか。あの世だけが私と楽號を繋げてくれているような気がして、それがなくなった時にどうなるのか想像が出来ない。出会って一ヶ月も経ってない相手に、私はどうしてこんなにもしっくり来ているのだろう。


 急に寂しさに襲われる。私は頭を振る。楽しげな場に水を差すような真似は避けたい。


「お待たせしました」


 案内をしてくれたのと同じ店員さんが、私達の元に珈琲を持って来てくれる。そして、間が開かずにパフェが運ばれて来た。


「おー、これがパフェか。華やかだな!」

「楽號さんは初パフェなのか?」

「初めてだ」


 細身なガラスの容器に盛り付けられたパフェは、なるほど見事なものだった。


 私の抹茶パフェには、餡子と白玉、抹茶プリンや生クリームなどが入っていた。底にある暗い濃い緑の物は抹茶ゼリーだろうか。

 如月の物はソフトクリームを中心として、周りにはバナナやブラウニーが盛られており、上からはキャラメルソースが掛けられている。底の方には珈琲ゼリーが沈んでいる。

 楽號の栗のパフェは、モンブランをそのままパフェにした見た目で、中間にはバニラアイスが挟まっており、その下にサクサクとしたフレークが詰められている。頂点にはマロングラッセが一つキラキラと照明を受けて光っていた。メニュー表の写真よりも、当然だが美味しそうであった。


 珍しくおずおずと言った様子で、楽號がパフェをひと掬いして、口に運ぶ。途端に目を見開く。


「美味い! 何だこれ美味い!」


 その反応に私と如月は顔を見合わせて、微笑む。

 そして、私達も各々頼んだパフェを口に運ぶ。


「これは……」

「美味しいな! キャラメルソースに少し苦味があって、他の甘い物とのバランスが素晴らしい。一口食べてくれ、美味しいから」

「あ、貰おう」

「僕も食べる」


 机の上でスプーンが飛び交う。三社三様、個性があり、どれも高水準のバランスで仕立てられている。パフェを構成する一つ一つの要素も美味だが、それは量を見誤ればくどさに繋がる。しかし、これはどれも丁度良く、味だけでなく食感さえもカバーされているのだ。飽きることなく最後まで美味しく食べて貰うという作り手の拘りを口の中で堪能した。


「そういえば、普通の人には見えないですし、死神って何処でご飯とか食べるんですか?」

「死神向けの店があるんだ。店主が見える人とかでね。でも、そんなに数も多くないから、あまり選択肢はないし、賑わっている店でないことが殆どだから、こういうお洒落なパフェとかは食べたことない。男一人だと頼みづらいしね」

「性別なんかで好きな物が頼めないなんて窮屈なだけなのだから、とっとと取っ払ってしまえ」


 如月の食生活を思えば、それは彼女にとって大事な考えなのだろうと思った。彼女は牛丼屋もラーメン屋も一人で突貫する。


 私は取っておいた白玉を一つ、口に運ぶ。もちもちとした食感でありながら、歯切れが良く、素朴な味わいが口に広がる。

「お団子は一口で食べないで、小さく噛みちぎりなさい。喉に詰まってしまったら大変だから」

 ふと、誰かの声が頭に蘇る。


 酷く懐かしい心地がする。誰だったか、如月でも楽號でもない。叔父でも楓でもない。

 思考を少しその言葉に寄せると、芋蔓のように思い出した。


 着物を着た女性が私の横に座っていた。上等そうな物であるのに、その人は着崩していた。でも、その女性の雰囲気が凛と澄んでいたから、だらしないようには見えなかった。

 私とその女性は広い日本家屋の縁側に座っていた。傍にはお盆が置かれていて、そこには皿に盛られた焼いただけで何も掛かっていない白い団子と、お茶が乗っていた。

 私は足をパタパタと動かしながら、目の前の庭を見た。高い塀と、それと高さを競うように伸び行く木々。その根本には陽を奪われて弱々しく咲く蒲公英が一本あった。親しみはないが、身に覚えのある庭の光景だ。

 女性が一本、串に刺さった団子を小さな私に差し出す。

「お団子は一口で食べないで、小さく噛みちぎりなさい。喉に詰まってしまったら大変だから」

「うん」

 私は言う通りに、一粒を齧って、よく噛んで飲み込んだ。そうする私に女性は優しく微笑んで、まるで壊れ物に触れるみたいに私の頭を撫でた。

「美味しい?」

「美味しい!」

「良い子、良い子。いっぱいお食べ。私の分も食べて良いのよ」

母様かかさまも食べて。美味しいよ」

「私はいいのよ」

「一緒に食べたらきっともっと美味しいよ! 父様ととさまが言ってたよ、美味しい物は皆で食べた方が美味しいんだって」

 それを聞いた母様は少し驚いた顔をしてから、「そうなのね」と言った。

「初めて聞きました。じゃあ、試してみましょう」

 そう言って、女性は小さな口でお団子を食べた。彼女は目を見開いた後ぎゅっと目を閉じた。そして、飲み込むと口を開いた。

「まあ、本当だわ。とっても美味しい。父様は色々なことを知っているのね」

 母様の反応を見た私も、もう一口食べる。噛んでから飲み下すと、母様に笑顔を向ける。

「もっと美味しくなったよ」

「ええ、本当に」

 何かを言い掛けた母様が動きを止める。

「母様?」

 遠くで足音が聞こえる。家の誰かが私達を探しているのだろう。母様の顔が悲しげになる。

 私はいつもこの瞬間が嫌だった。一緒に悲しい気持ちになるのだ。

「御当主様。此方でしたか」

 世話係のフミが来た。私達の世話をしてくれるお婆さん達だ。もう一人、タツという人がいた。

「お団子は危ないから、儂達の見ている所で食べてくださいと申し上げているでしょう」

「ごめんなさい」

 何がおかしいのか母はへらへらと笑っていた。私は口を噤んだ。そして、まるで石にでもなったかのように、存在感を消していく。

 壊れた母様を見るのは辛かった。でも、それが私を守るものだと分かっていた。母が狂ったふりをしていれば、追及の手は止む。私への奇異な目も、母が奪い取ってくれる。幼心でも、この箱庭の中は異常で、それから守られているのだという自覚はあった。


「おい、どうしたんだ?」


 如月の声に、はっと意識がカフェまで戻る。


「あ、ごめ」

「泣いてるのか?」


 指で触れると、温かな雫が目尻に溜まっていた。指で拭って、「何でもないよ」と答えた。


「パフェが美味し過ぎただけだよ」

「……確かに、此処のパフェは最高だった。私の人生のベストスリーに入る」


 私の苦しい言い訳に如月が乗ってくれた。


 二人に遅れをとっていた私は慌てて、パフェを食べ切る。そうしていると、時間も丁度良い頃合いになったので、店を出たのだった。





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