第22話 赤外線通信

 目が覚めた佐田さんは泣きながら倉間さんに謝っていた。


「ごめん。本当にごめん。俺、最低だ」

「俺だって最低だろー。折角お前が助けてくれようとしてくれたのに、引き摺り込んじゃったんだからよー」


 倉間さんも宥めながら、ごめん、ごめんと繰り返し、私は像の齎した効果の痛ましさを感じた。

 謝りながらも、二人の関係は戻りつつあるように見えた。そうだ。おかしくなったのは像のせいであって、彼等の中に問題があった訳ではないのだ。


「さっきも言ったが、俺はこの像を探していた。長年、ある家が管理していたが、十四年前にその家が突然なくなり、像の所在も不明になった。恐らく、その時に聶斎房じょうざいぼうがくすねてきたんだろうね」


 文字の書かれた布で像をぐるぐる巻きながら、千歳さんが説明する。私はまだ何処か半分程心あらずのまま、それを黙って聞いていた。


「偽神邪母子像には、見たものの脳を犯す幻覚と洗脳以外にも起こる現象があってね、疑心の伝播さ。それは過去の事例から見て、像の周辺における怪談話の流布という形で現れることが多い。像を見た人の不安から生み出したり、人のもしかしたらこうかもしれないという、直ぐに掻き消えるような気持ちを拾い上げて、纏めて練り上げ、自分の周りに怪異を作っていく。今回は嫉妬心から友人に突き落とされて死んだ青年が犯人を探しているという怪異だね」


 その二人の関係性に、酷く見覚えがあった。友情と嫉妬心が絡み合って反転していく。彼等が事件を起こす前に解決出来たのは僥倖だったのだろう。


「千歳さんが怪異を追っていたのもそれが理由ですか? 像を探すために」

「そう。俺がやらなきゃいけないんだ。これに加えて、以前にも話した同居人の依頼だよ。こちらも捨て置けないからね」


 巻き終わったのか、布の端をぎゅっと縛る。布でぐるぐる巻きにされたそれは、最早何であったか分からない。こうして見ても、先程のような蛍光色の光景に襲われない。


 無害になった今になって、これがそこまで大きい像ではないことに驚く。膝くらいの高さで、細長い。像自体は石で出来ているが、この大きさなら片手で持てるだろう。立ち姿の女性が赤ん坊を抱いているようなポーズを取っていて、それが観音開きの桐の箱の中に収められていた。


「像は周辺に怪異を起こすからさ、俺は怪異を探し歩いていたんだ。そこで偶々、倉間を見つけて、様子がおかしいから話し掛けた」


 話が終わったのか、倉間さん達が此方を向く。佐田さんも漸く落ち着いたのか、泣き腫らしてはいるが、憑き物が落ちたような顔をしていた。


 倉間さんは千歳さんと出会った時のことを教えてくれた。


 像は倉間さんの家に忽然と現れた。五月の初旬頃、朝起きたら枕元に置かれていたのだそうだ。だから、誰がそれを置いたのかは分からない。それを見た倉間さんは私達と同じく神様だと思い込み、押入れを祭壇代わりに奉ることにした。見る度に多幸感に包まれる。見ていない時間が長くなると、見たくて見たくて堪らなくなる。そんな日々を過ごしていたのだそうだ。


 千歳さんに話し掛けられたのは、今から二週間程前になる。覆面の男に倉間さんは当然の如く警戒したが、変な像が家に現れたこと、像を見ると幻覚を見ること、怖いのにまるで依存したように繰り返し見てしまうこと、千歳さんが訊いて来たそれらの事柄に身に覚えがあり、抜け出せないことに悩んでもいたので、驚きながらも話を聞くことにしたのだそうだ。


 千歳さんから像の特性を教わった倉間さんは半信半疑だった。これは神であるという気持ちと、もしかしたら悪しきものなのではないかという気持ち。二度と見まいとする気持ちと、もう一度だけと願う気持ち。直ぐには千歳さんの言葉を信じられないでいたが、佐田さんの盲信っぷりを見て、やはりこれは人の手に余るものだと確信したのだそうだ。


 そして、今日、千歳さんに引き取って貰う予定だったのだが、その前に私と佐田さんが忍び込んでいたり、聶斎房が現れたりして、ひと騒動に巻き込まれたということらしい。


 千歳さん曰く、彼の中に像の気配が見えたのだと言う。脳の中にこびりつくようにそれはあり、一目で像の影響を受けていると分かったと。

 直ぐにでも回収したい気持ちもあったが、突然取り上げてしまっては、また像を見たいと願う気持ちから暴走してしまうのではないかと考え、事情を説明して、自ら手放すように促していたのだそうだ。


「千歳さんは像を見ても平気なんですか?」

「幻覚が見えなくもないが、その先にあるただの石像が見えてしまっているから、あまり夢中になれないと言うか、他の人程影響を受けづらいようだ」

「像はこの後、どうなるんですか?」

「壊すさ。ただ、強い呪物だから、少し時間が掛かる」

「どれくらいですか?」

「一年以内に壊せたらいいな、ぐらいかな」


 千歳さんが軽く箱を叩く。


「ま、ともあれ、歩道橋の呪いもこれで完全に終了だ。怪異と幽霊はいなくなったし、その元となった像も回収出来た」

「あの時、千歳さんが俺に気付かなかったら、きっともっと酷いことになっていたと思うんだー。ありがとうございます」


 倉間さんが千歳さんに頭を下げる。佐田さんが続いて頭を下げる。


「元はと言えば、こちらの管理の問題だ。巻き込んでしまって申し訳ない」


 千歳さんも頭を下げる。

 一人背筋の伸びている私は、何となく釣られて少しお辞儀をする。


 千歳さんの言う通り、これで終わりなのだろう。


 歩道橋の呪い。それは聶斎房という人物によって作り上げられた。

 元となった怪談話自体は昔からあるものだったのだろう。しかし、像の効果によって急速に怪談話は拡散され、多くの人々の認知から怪異を形成するに至った。そして、不幸にもそこで亡くなった少年の霊と怪異を聶斎房は刻んで混ぜて縫い合わせた。混じり合ったそれは、自身に刻まれたコマンドである、階段からの突き落としを機械的に行い始める。


 それが真相だ。


 倉間さんの手元に像が現れたのは五月初旬であるそうなので、約四、五ヶ月でここまで事態が悪化したことになる。これが早いのか遅いのかは分からないが、とても恐ろしい事態ではあるだろう。本来、自然発生するものが、人為的に作り出されていたのだ。もし、この件が終わらずに続いていたとしたら、更に被害者も増えて、最悪死人が出ていたかもしれないし、倉間さんと佐田さんもどうなっていたか分からない。


「貴方達は像の影響下にあったから、暫く中毒じみた症状に襲われるかもしれない。持続力はあまりないから、一ヶ月も経てば治るさ。もし、我慢ならなくなった時は俺の所に連絡しておいで。少しだけなら和らげる術もある」


 そう言って、千歳さん達が倉間さん達と連絡先を交換していく。


「貴方も良かったら交換しておこう。嫌じゃなかったら、だけど」


 千歳さんが携帯を差し出す。私は喜んで応じた。

 一度はその眼差しを恐れたものの、彼の目は確かに物事をよく見通すようであるし、聶斎房なる人物の情報を得る手段が欲しかった。そして、何より彼は幻覚に襲われ掛けた私を救い、聶斎房からも庇ってくれた。


 楽號のことが一瞬頭を過ぎったが、それは彼等の問題であって、私が立ち入るものでもないし、敢えて固辞する必要もないと判断した。


「ねー千歳さん。結局、あの像って何なの? なんであんなにやばいの?」

「オカ研に属して、色んな物を見たり聞いたりしてきましたが、あんなもの聞いたこともありません」


 二人の疑問に私も同意する。

 効果は分かったが、由来が不明瞭だ。分からないというのは、そのまま不気味さや不安に繋がる。お化け屋敷でよく使われるらしい蒟蒻も、明かりをつけて蒟蒻だと分かれば、何も恐れることはないが、知らないで顔に引っ付いたら幽霊にでも触られたのかと怖くなるだろう。


 知るという行為は、闇を光で照らす行為なのだ。不可解を解き明かし、名前を与えて形を作り、理解の内側に置く。古代から人が行ってきた世界との向き合い方の一つでもある。


 地獄の門と呼ばれる洞窟がある。生贄の動物を連れて聖職者が入ると、聖職者以外は死んでしまうという。かつてなら、聖職者は神の加護を受けた者だから死から逃れられると言われたかもしれない。しかし、今となっては、洞窟内に濃度の高い二酸化炭素が噴出しており、それが空気より重いため、頭の位置が低い動物は死に至り、比較的背が高い人間は生き残れたという科学的事実が判明している。


 より身近な日本の例で言うなら、殺生石だろうか。妖狐玉藻前が逃げた果てに、近付くと死ぬ石になった伝説がある。此方は石に仕組みがあるのではなく、その石がある一帯に火山ガスが発生していた、というものだ。


 浪漫はなくなるかもしれないが、知ることで世界の有様を解体していく手段が増える。目に見えぬ死に抗う術が生まれる。


 科学的に説明出来るものは、今の時点で明らかになっている手段で確かめられるものに限る。説明出来ないもの、代表的なもので言うなら幽霊だが、私の個人的な見解では、そこに在るが現在の科学技術では観測出来ないもの、だ。それは、私が幽霊の見える人だからそう考えるだけで、見えない人にとっては、科学の真反対にあるただのオカルトか世迷いごとなのだろう。


 そんな薄闇のような私の世界に於いても、知は光だ。恐れを退けるために必要なものだ。

 だから、偽神邪母子像の由来を出来るなら知っておきたいのだ。闇を照らし、身を守るために。


「由来、と呼べる程のことは俺も知らないのさ。だが、これを作った彫刻家は、像を作るために妻と生後間もない我が子を手に掛けたと伝わっている。そうまでして作り上げたから怨念が篭っているとも、殺された母子の恨みが像を呪っているとも言われている。貴方はどう思った?」


 不意に千歳さんに問い掛けられる。


「私は……前者かなと思います。作った人の思い込みで、神に見えるという効果になったのかなと思うので。後者の場合、ただ呪うだけで、神を騙ることはしないかなと」

「一理あるー」


 倉間さんから同意を得られた。サングラスを指で押し上げ、位置を直しながら、倉間さんが続ける。


「あれ見た時に、すっごい包容力を感じたんだけどー、あれきっとお母さんの愛とかじゃなくて、俺達が思い描く理想の母親の愛なんだろうなーって」

「作られた理想である以上、作り手の考えが入っているでしょう。やはり、死んだ母子の恨みは篭ってないのではないでしょうか」

「流石、オカ研と協力者。実に鋭い着眼点だ。そういう俺も前者だと思う。とある母親が像を見た場面に出くわしたことがあるんだが、その女性は鼻で笑って、そんなものかと言っていたよ。当事者からすると違和感がある愛情なのかもしれないな」

「色々な愛があるけどー、ガワだけ似せた中身のないものは愛とは呼べないもんねー」


 倉間さんが笑う。喉の奥がきゅっと締まるような、赤ちゃんのような笑い方で、見た目とのギャップが大きかった。


 日が暮れ始めていたことから、私達は倉間さんの家からお暇した。


 佐田さんと倉間さんのやり取りはまだぎこちなかったが、お互いどうにか歩み寄ろうとしているのが見て取れた。


 佐田さんとも別れ、布に包んだ箱を持つ千歳さんと私の二人きりになる。薄暮の空は今にも宵闇に沈んでしまいそうだ。黒い影が空を飛び回っている。鴉だ。縦横無尽に飛び回る様に、私は鳥は落ちないのではないかと思わされた。進んで落ちる鳥はいまい。


「これは、あまり触れないでおいた方がいいとは思うんだけど」


 おずおずとした様子で、千歳さんが話し出す。


「俺の場合とはまた別に、像の影響を受けやすい人と受けづらい人とが実はいるんだ」

「どんな人が受けやすいんですか?」


 千歳さんは少し言いづらそうにした。

 私は特に気にせず、回答を求めた。


「親からの愛に飢えている人、特に母親からの。そういう人が一番影響を受けやすいんだ」

「……」

「きっと、あいつは貴方のその隙をついてくる。気をつけなさい。出来ることは少ないが、何かあれば俺に連絡して」


 ではね、と短い挨拶で千歳さんは、私の向かう先とは違う道を進んでいった。


 途端に私の歩みは重くなる。

 今も虎視眈々と狙われてるかもしれないと思うと、気が重い。


 だが、それよりも、気を重くさせることがある。だって、一人だ。家に帰っても、きっと一人だ。あの勢いじゃ帰って来まい。何かに抵抗するように、ゆっくりとした歩みで帰る。それでもいつしかは辿り着いてしまうもので、何気なしに部屋のドアノブを捻る。カチャリと音を立てて、扉が開いた。

 部屋の電気がついている。

 私の胸に期待が湧き起こった。





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