第21話 聶斎房

 私の中に入ると、影と佐田さんを繋ぐ靄は断ち切れた。

 私の中で走馬灯が駆け巡る。違う、これは走馬灯ではなく、ただの記憶だ。佐田さんの記憶だ。


 嗚呼、羨ましい。倉間と神との関係が妬ましい。俺もあのような関係を築きたい。神に俺だけを見て欲しい。何故、俺には微笑んでくれないのか。俺には霊感がなくて、倉間にはあるからなのか。俺は倉間を祝福する神を横で見るだけだ。悍ましくも煌めく光景。だが、倉間の見るそれは俺なぞが見ているものより凄いのだそうだ。

 嗚呼、羨ましい。妬ましい。嫉みが止まらず、俺の心にはいつしか倉間と神への恨み言が溜まっていった。なんであいつだけが。独り占めにしたい。愛されたい。

 愛されたい。

 耐え切れなくて。壊れる寸前で。慣性で動いてるだけなんだ。どうにか大学に入ったが、時間も金もない。それでも、折角来れたんだから、両親の傍から離れられたんだから、満喫してみたい。そうだ、サークルに入ろう。金の掛からないものがいい。オカルト、前に好きで本とか読んでたけど、取り上げられて捨てられてから見てないな。嗚呼、此処に入ろう。

 へえ、鞍馬天狗みたいでかっこいい苗字じゃん。学科同じなの? へえ、知らなかった。

 よう、本当に同じ授業だったんだな。一緒に受けようぜ。お前、面白いな。気が合うよ俺達きっと。

 部屋遊びに行っていいのか。じゃ、じゃあ、何か菓子折り持ってくわ。要らない? 友達だから? あ、ああそうだよな。冗談だよ。

 鍵をくれるのか。じゃあ、飲み過ぎて帰れなくなったらお前の家来るわ。元々そういう目的で渡した? 分かってるじゃん。

 神様を見つけた? それ、何かやばいやつじゃないの? 最近のお前、様子変だぞ。話してくれよ。いつまでも付き合うからさ。心配なんだよ。

 なんだよこれ、絶対やばいやつだよ。なあ、こんなの捨てろよ。嗚呼、でも、もう少し、もう一度だけ、あの光景を。

 嗚呼、嗚呼、羨ましい。見なきゃ良かった。そうすれば、こんなことにはならなかった。独占欲が膨れ上がって、もう自分でもどうにもならないんだ。お前よりも神様が欲しくなった。

 何で壊れたんだろうな。大切にしていたのに。やっと築けた関係なのに。分かってるよ、俺が欲をかいた。壊したのは俺だ。お前を取り戻したかった。けど、魅了された。人の物を欲しがった。そのためなら、お前がどうなってもいいって考えた。お前から取り上げようとしたんだ。俺のせいだ。俺のせいだ。ごめん、俺のせいだ。


 見終わって、しゃがみ込む。ふらふらしながらも、慌てて佐田さんの脈を取る。動いている。死んでない。ほーっと息を吐き出す。


「それは悪霊でも、地縛霊でもなく、生霊と呼ばれるもので御座います。霊というのは、人の情念。元になった人間が生きてても死んでても、想いが強過ぎると精製されまする。初めてのお味は如何でしたかな? 貴方の口ではまだ苦いですかな」


 ふざけた調子で男が説明する。

 生霊。取り込んだ後の流れは同じだが、感じる感覚が違っていた。普通の霊だと既に終わった出来事を見ていたが、生霊の場合は今も継続している出来事だからか感情のエネルギーが段違いで、酷く生々しく疲れる。更にそれが多少見知った人の生霊だと、嫌な事実を見てしまったようでしこりが残るというか、心を暴いてしまったような申し訳なさがある。


 佐田さんは、最初は心から倉間さんを心配していた。けれど、何度も神様を見たせいで、思考が歪められ、他の何を害っても欲しいと願ってしまった。私を部屋に連れて来たのは、その危険性を私に体感させて、倉間さんから神を引き離さなければならないと思わせたかったのだろう。そうして、外へ持ち出すのを手伝わせるためだったのだろう。

 二人は仲の良い友達だった。なんてことない、ごく普通の。だが、それをあの像が壊した。


「その顔、許せない、どうしてって顔ですね。ご要望にお応えしましょう。理由は、全て貴方のためで御座います。貴方と私がもう一度、顔を合わせるに相応しい舞台を作りたかったのです。そこの覆面に邪魔されて、くだらない喜劇に成り果ててしまいましたが」

「もう一度? 貴方と会ったことなどありません」

「覚えていないだけです。あの時の貴方は……」


 その時、鈍い光が煌めいて、男の首が胴体と離れる。


「今更やってきて保護者面ですか? 落ちこぼれの死神、楽號!」


 耳障りなけたたましい笑い声をたてながら、首はその勢いで何処ぞへ飛んで行く。血飛沫は出ず、断面からは肉も骨もなくただ黒いものが覗く。と思った途端に、全身がどろりと溶け出し、黒い澱みとなって地面へと落ちて行った。


 窓に降り立つ細い影、その手に持つ短刀だけが夕日を反射して、きらりと光っている。黒髪が風に靡いて長い前髪を流しているのに、その表情は逆光になって見えない。


 楽號だ。楽號な筈だ。でも、別人のような雰囲気を纏っている。


 怒っているのか。


 楽號は真っ直ぐに千歳さんに顔を向けていた。千歳さんは無表情で楽號を見つめていた。そして、楽號は短刀を構える。私は慌てて間に入る。


「待って楽號! この人は味方です」

「そんなことはどうでもいい。はこいつを殺したい」


 刺々しい殺意が楽號の体から発せられる。全身の毛が逆立つようなひりついた空気が狭い部屋の中に満ちて、私は初めて彼に対して怯えた。初対面の時に刃を向けられた時だって、ここまで恐ろしくなかった。


 対する千歳さんは、身構えるでもなく、そもそも警戒もしておらず、楽號の殺意を全身で受け入れているようだった。その瞳には複雑な色が混ざり合っていて、私には真意が読み取れなかった。


 おろおろする私に一瞬微笑みかけてから、楽號に目を向け、千歳さんは口を開いた。


「貴方に殺されても、俺は仕方ないだろう。それだけのことをした。それほどに貴方を傷付けた。その罪は消えることがない」

「当然だ!」

「でも、今貴方がそれを行えば、貴方が大切にしているものが傷付くぞ」

「白々しいことを……」


 その言葉に楽號は渋面を作る。怒髪天を衝いたように見えたが、狼狽えた私を見ると、長く葛藤した様子の後、はあと息を吐き、肩の力を抜いて構えを解いた。しかし、短刀を握る拳は硬いままだった。


 私は何か言葉を発しなければと思った。この状況をどうにかしなければならない。だが、私程度に何が出来るのだろう。


 この二人の過去に何があったかは分からない。会話からして、千歳さんが楽號に何かをして、それに対して楽號が激しく怒っていることぐらいしか察せられない。殺したいと思う程の怒り。私はまだその気持ちを知らないでいる。どれ程のことがあれば、これ程の怒りを抱けるのだろう。


 それと、楽號の大切なものとは一体何だろう。なんだか、一緒にいるのが当たり前のような心地でいたが、私は彼のことを全然知らない。何処から来て、どのように育って、何を大切にし、何を許せないのか。知っていることは、彼が死神ということぐらいだ。


 此処で口を挟む資格が私にはあるだろうか。その程度しか知らない私に。彼等の因縁に水を差す力が。


「うっ……」


 呻き声が背後から聞こえる。目を遣ると、倉間さんが意識を取り出したのか、起きあがろうとしていた。


 千歳さんが近寄り「大丈夫か」と声を掛けながら、彼が起き上がるのを支えた。倉間さんは状況が分からないのか、きょろきょろと部屋を見ていたが、押し入れの佐田さんを見つけると、「佐田!」と叫びながら手を伸ばして、彼を激しく揺さぶった。


「おい、佐田! 佐田! 返事しろ」

「一旦、下に下ろそう」


 千歳さんが近くの布で像を隠し、倉間さんと協力して床に下ろした。外部からの刺激のせいか、佐田さんがうっすらと目を開けた。


「佐田! 大丈夫か!」

「くら、ま?」


 乾いた声が小さく出る。


 倉間さんはほっとした顔で、笑顔を浮かべた。私も自然と息を吐き出していた。


 直ぐ横でとん、と音がした。振り向くと、窓辺にいた楽號の姿は消えていた。窓から体を乗り出して、見渡すが、何処にも姿が見えなかった。


「楽號!」


 呼んでみるが、返事はない。


「彼は暫く戻って来ないよ。俺がいるから」


 倉間さん達から離れて、千歳さんが隣に立つ。

 背が高いので、近くに立たれると、結構見上げなくてはならない。


「あの、貴方と楽號の……いえ、他人が口出すことではありませんね」

「いや、貴方には口を出す資格があるさ。でも、そうだね。俺から勝手に話す訳にはいかないな」

「それは……」

「彼に訊くと良いさ。きっとあなたの元に、彼は戻って来るよ」


 千歳さんが優しげに微笑む。覆面をつけているのに、何故だかその表情は伯父に似ている気がした。少し距離があるけれど、親愛の情を寄せてくれているのだろうと感じた。


「あの、窓の外にいた男は」

「彼の名前は聶斎房じょうざいぼう。人を食べ続けた悪霊。怪異を編む禍事。凶事の先触れ。色々な二つ名はあるが、関わってはいけない存在だと思っていれば良いさ」

「彼は死んだんですか?」

「先程見た姿は端末のような物で、幾ら壊しても本体には傷一つつかない。死神達も必死になって探しているようだが、こうして姿を見せたということは、まだ仕留められていないんだろうね」


 窓から階下を見ると、地面に落ちて行った黒い澱みが霧散して消えていく所だった。


「彼は恐らく、また貴方の前に現れるだろう。貴方のあの世を手に入れようと」

「地獄を作るとか言ってましたね」

「必ず碌なことにならない。だから、決して取られないように守るんだよ」


 私は自分の鳩尾に手を当てた。あの世に繋がっている。それは何度も言われたし、霊達を取り込む内に自分でもそういう場所に繋がっているのだと感覚的に分かってきた。だが、今、手を当てて伝わるのは冷たい彼岸の空気ではなく、温かな心臓の鼓動だけだ。


 また、自分の奥底に溜まった汚泥が迫り上がって来るようだ。どうして、自分ばかりこんな目に遭うのだろう。嫌なものを見て、怖い目に遭って、次はこれを狙う人が現れて、きりがない。普通に生きていきたいと願うのは、そんなにも難しいことなのか。手放したい。面倒なこと全部、嫌なこと全部、投げ出してしまいたい。


「千歳さん、私の中のあの世を取り出すことは出来ますか?」


 千歳さんは暫し沈思黙考した後に、残念そうに「無理だろう」と答えた。


「それは貴方に適応して在る。とても深い結び付きだから、切り取ることは出来ない。もし出来たとしても、貴方は死んでしまうだろう」

「どうするにしろ、一生付き合うしかないんですね」

「そうなる。嫌かい。……いや、普通嫌だよな」


 そうだ。嫌だ。


「でも、それは、誰かにとっての希望ともなり得るものなんだ。直ぐに分からなくても良いさ。ただ、今は自分の身を守るために、それを守るんだよ」


 暗がりの感情を呼び起こすだけのこれが、希望になる日が来るとは思えない。いや、でも、廃墟のビルの子供の霊や森田さんを楽號に回収させずに取り込んだのは、これが救いになるかもしれないと考えたからだ。


 誰かの希望にはなり得るのかもしれない。私にとってはそうでなくとも。今はまだ、悲観の淵に立たされているままだとしても。





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