第17話 路傍のアプリオリ

 突然の新情報に動揺したが、腑に落ちる所はあった。


 二段目で死に、死後も犯人を探している青年、という人々の想像が力を持ち、怪異が成立した。それが歩道橋で亡くなった少年の霊といつしかくっつき合って一つになった。だから、彼等がそれぞれ探していた犯人の像も混ざり合う。普段の気配が微弱なのは怪異で、条件が揃った時にしか現れないから。人に干渉出来るのは、生きた人間から陽のエネルギーを奪って来た悪霊だから。怪異の蓑に隠れていた。


 楽號が言っていた。気を抜いた時に、エネルギーは奪われ易いと。突然突き落とされ、虚をつかれた瞬間は、さぞかし奪い易いことだろう。


 今回の件は森田さんと同じだ。幽霊と怪異の融合。無念と現象が重なり、人を襲うだけの装置に成り果てる。人を食べた悪霊はどんどんと力を蓄え、より多くの人を襲うようになる。


 今回はあれ程の規模ではないが、楽観視して放っておいてはいけない。


「歩道橋を渡っている時に楽しげなのは、霊と友達のようになっているからだと思うんだ。認識阻害さ。まるで自分がその人の友達であるように思い込ませられているんだ。思い込ませてるんだから、勿論相手はそういう態度で接する。すると、自然と三つ目の条件をクリアする」

「そんなの、もう金髪だったら誰でもいいってことじゃないですか」


 佐田さんが悲鳴のような声を出す。


「そうだよ。彼等はもう犯人を探していない。ただ条件に合った相手に機械的に動いているだけ」

「千歳さんは何故そうだと分かるんですか?」

「俺はどちらかと言うと、あっち側だから」


 あっち側というと、幽霊側ということだろうか。覆面をつけて怪しさは満点ではあるが、透けてもないし、普通にお話出来るし、私の腹の中に入ろうともしない。どう見ても幽霊には見えない。


 霊感がないという佐田さんの目にも映っているから、死神でもない。


「詳しくは言えないが、まあ、幽霊の状態を見るのが得意だと思ってくれ。さっき漸く見えたが、あそこの幽霊は、もうぐちゃぐちゃなまでに一つになっている。まるで、誰かが纏めてかき混ぜたみたいだ」


 千歳さんが私を指差した。その先は、私の腹だろうか。


「入れるなら、慎重に」


 この人は何処まで知っているのだろう。何一つ漏らしていない情報が、何故かこの人の手の内にある。


 唾を飲み込むのに、いつもより力がいる。自分の呼吸がやけに気になる。どくんと脈打つ心臓の動きが一つ一つ分かる。


 肺を満たすように息を吸い込んで、吐き出した。

 そうして、カラカラの喉で言葉を発した。


「……貴方は何者なんですか?」

「別に何者でもないさ。目が良いだけ。多少透けて見えるよ、貴方の中も。それはとても危険なものだ。誰にも取られないように」


 それだけ言うと、千歳さんは席を立った。


「謎は解けたし、本体も見れたし、依頼は達成した。これなら大手を振るって帰れる。俺はここらで失礼させて貰うよ」


 追い掛ける気にはならなかった。

 見透かされた事実に恐れ慄いて、私はただ彼の背中を見つめることしか出来なかった。他に何が出来た。私の何が見えていた。醜い私の内面全てを、あの人は見たのか。


 明るい店内なのに、何処か薄暗さを感じる。

 がやがやとした人の話し声が遠のく。

 そこから連れ戻すように、誰かが私の腕を引っ張った。如月だ。心配そうな顔で私を見ている。


「あなたと彼は知り合いなのか?」

「あ、いや、昨日会ったばかりだ」

「そう。これだけは言っておくが、もしあなたが見透かされたと感じたとしても、あなた自身の何かが変わった訳じゃない」


 落ち着いたその言葉に過敏になった神経が和らいでいく。


「あなたはあなただ。誰と接していても、誰にどう見られていても、あなたはあなたのままなんだ。私の秘密の共有者で、お人好しの癖に意地っ張りで、傷付いた誰かの気持ちに寄り添おうとする、優しい大切な私の友達だ」


 私の腕を掴む手は熱い程で、そこからじんわりと熱が伝って、冷え切った私の心臓を動かす。目が熱くなる。溢れるまでではなく、それは目の表面に張力で張り付く。


 そうだ。私は私だ。外からどう見えたとしても、私という本体は何も変わっていない。私の全てが外部に晒されたとしても、私が変わろうとしなければ、それは元のままなのだ。


 それを如月が気付かせてくれた。力強い眼差しで、私を奮い立たせてくれる。私と彼女の関係性は何も変わらないと言ってくれる。暗い宇宙に投げ出された私を、地球まで引っ張ってくれる引力そのものだ。


 安息地を見つけたようだった。いや、前からそうだったのだ。彼女との友情は、私にとって安らぎだった。


 気持ち悪がられる性質、人の目に止まらぬ存在感。寂しさから膨れる尊大な自意識を殺し続けながら意地を張り続けた。自分は大丈夫だと。寂しくないし、悲しくもない。他人を羨むのは良くないことだからしてはいけない。誰かのせいにするのは良くないことだから考えちゃいけない。本当は大丈夫じゃない。寂しいし、悲しい。両親の揃っている子が羨ましいし、私がこうなったのは私のせいじゃない。何で普通になれなかったのだろう。


 でも、そんな問答を繰り返して、何の意味がある。人に話してどうなる。目の前にある現実は一つだけだ。皆、自分の人生だけで精一杯なのに、私の人生を背負ってくれる人なんて何処にいるんだ。


 有りもしない過去の幻影を偶に夢見ては、自分の手で打ち壊して、砕けた欠片を拾い集めた。一人遊びだ。だから、両親のことは忘れて良かった。温かな思い出であれば、失った辛さに打ちひしがれる。冷たい思い出であれば、何も与えられなかったと絶望感に苛まれる。忘れて良かった。忘れたかったから、忘れたんだ。

 別に伯父さんもかえちゃんもいるからいいじゃないか。


 そう思っていた時に出会った人。木陰に佇む美しい人。私の悩みを嫌な顔せずに聞いて、観測する人の数だけ世界の在り方はあるんだと教えてくれた人。私の手を迷わず掴んでくれた人。


 ヒーローのような私の友達。少し胃袋のサイズが大きい、優しい先輩。強い面も繊細な面も持つ女性。


「ありがとう。大丈夫。少し驚いただけなんだ」

「なら、いいが」


 如月が私を掴む手を離す。惜しい気もする。けど、友達なら、強がって進んでみることだって必要だろう。近いけど自立していて、時に支え合うけど依存ではない。そういう関係だと思うから。


「あの、千歳さん……でしたか。彼の仰っていたことは何のことですか? その訊いても問題ありませんか?」


 佐田さんがぎこちなく微笑みながら、私に訊いてきた。彼からすると、私達の話はちんぷんかんぷんだったろう。

 私は、自分は除霊の真似事が出来るのだとだけ彼に伝えた。


「なるほど、そんなことまで出来るんですね。では、今回の事件の除霊もお願い出来たりしますか?」

「そうですね。このまま放っておく訳にはいきませんので」

「それは直ぐに出来るものなんですか?」

「それは……」


 千歳さんの言葉が蘇る。このまま私の中に入れるのは危険だろう。森田さんの時の例を考えるなら、切り離して幽霊部分のみを取り込み、怪異の舞台装置を破壊する必要があるだろう。

 楽號の力を借りた方が良い。


「方法を考えたいので、一度持ち帰っても良いですか?」

「それは勿論。私達には出来ないことですから、お任せします。お手伝い出来ることがあれば、何でもお申し付けください」


 その日はそれで解散となった。



 ────────────────────



「遅くない?」


 昨日も聞いた気がする台詞を、楽號は気怠げに発する。

 時間は既に二十時を過ぎていた。ちゃぶ台の上には二人分の夕食の準備が整えられていた。


「ごめんなさい。色々ありまして。メンチカツ買って来たから、これで許して欲しいです」

「メンチカツ? 美味しくなかったら許さないぞ」


 手を洗って来いと言って、彼は汁物やおかずを温め始める。私は素直に洗面所へ向かう。部屋に鞄を置き忘れて、手が洗いづらい。


 ダイニングに戻ると、ご飯をよそっている所だったので、鞄を部屋の隅に放り投げて配膳を手伝う。ほかほかの熱いご飯から昇る湯気が、食欲を駆り立てた。


 今日の夕食は鶏のみぞれ煮と揚げ出し豆腐だった。如実に炊事の腕前が上がっている。

 揚げ出し豆腐を齧りながら、楽號が何気なく話し始める。


「連絡手段がないの不便だな。僕の携帯の番号を後で教えてあげよう」

「持ってたんですか?」

「そりゃね。まあ、死神のだからちゃんと繋がるかは分からないけど。それより、今日は何があったんだ? 腹時計に合わせて帰って来る君が、こんなに遅いなんて珍しいじゃないか」


 認識には大いに反論したい所だったか、拗れそうだからぐっと堪えて、今日あった歩道橋の呪いの話を楽號にした。


 最後の千歳さんのくだりになると、楽號の眉が顰められた。全部話し終わると、楽號は頬を掻きながら考え込んでいる様子だった。


「そういう感じなので、どうにか幽霊と怪異を切り離して、幽霊部分を私が回収して、怪異の成立を成り立たなくさせれば、収拾がつくと思うんですよ。多分パワー的な役割は幽霊側なので、こちらを回収しさえすれば、物理的な干渉は取り敢えず止められる筈です」

「うーん、難しいんじゃないかな。その千歳って人が見た時、霊と怪異はぐちゃぐちゃになって混ざってたんだろ。そうなったら鎌でどうにかも出来ないし、君の中に入れるのも危険過ぎる」

「じゃあ、どうしたら……」

「存在ごと殺すしかない」


 存在ごと殺すとはどういうことだろう。怪異にも幽霊にも命はない筈だ。


「それはもう悪霊として回収することも出来ない。土地から切り離して、エネルギーを削るのではなく、存在の核を破壊する。そうすれば、呪いの現象も悪霊もなくなる。ただ」

「ただ?」


 楽號は再び眉を寄せた。箸は完全に止まっている。私はみぞれ煮を口に入れる。普段より遅い夕食だから、いつも以上の空きっ腹に入れるご飯はただでさえ美味しいのに、更に通常の倍美味しく感じた。噛む度にじゅわりと出て来る出汁が内臓に染み渡る。やはり、レベルが上がったのではなかろうか。


「霊と怪異がセットになってるのは偶にあるんだけどね、前の森田さんや今回の件のような一体化してるパターンって殆どないんだよ。情念と現象だから、同時に存在出来るけど、合体しそうもないだろ? 情念と情念ならくっつきそうだけど。例えるなら、幽霊は人、怪異は機械。自動で動く機械もあるし、人が動かす機械もある。でも、人と機械が合体したやつはないだろ。改造人間だからな。嗚呼、ペースメーカーとかそういうんじゃない、もっとがっつし大改造のやつだ。物語の中のサイボーグみたいな。技術も時間も掛かるし、そこまでする必要があるとも思えない」

「嗚呼、そうですね」

「だから、こう続くと、怪しいというか」

「例の黒幕のせいだと?」

「有り得ない話じゃないだろ? 後、その千歳って奴、怪しい」

「確かに、何でも見抜かれて驚きはしましたけど、多分悪い人じゃないと思いますよ」

「何でそう言えるんだ? 初対面だろ?」

「昨日話した、お弁当買いに行った具合の悪い人が千歳さんです」

「嗚呼、あの人! でも、まだ会って一回目だろう?」

「何というか、勘みたいな」

「そういうのも馬鹿にならないけどさ。まあ、兎も角、歩道橋の呪いは明日はちょっと用事があるから、明後日僕がどうにかしておくよ。君の言う通り、放っておいてもいいことないからな」


 そう言いながら、楽號がメンチカツを齧る。おっと言った感じで、目を見開く。


「あ、メンチカツ美味しいな。仕方ない。今日のことは、許してあげよう」

「ありがとうございます」


 お許しを頂けたようだ。

 楽號が美味しそうに食べる姿を見て、不思議と私は微笑んでいた。そこではっとした。彼が私に頻繁に美味しいか訊いてきたのは、こういったことだったのかもしれない。自分の用意したものを、相手が美味しく食べてくれたら嬉しい。いや、更に言うなら美味しそうに食べてくれると安心する。


 今日は何かに気付かされる日だなと、私は一日を振り返った。





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