第16話 カフェタイム会議

 女性は鏑木玲奈かぶらぎれいなと名乗った。

 着いてきたものの、やはり疑心は晴れておらず、不安げな様子だった。私達は鏑木さんに怪我がないことを確認してから、彼女の了解を得て、近くのカフェに入っていた。


 チェーン店だからか、広く明るい雰囲気で、物静かというよりはざわざわとしていた。静かで雰囲気のある店より、此方の方が安心感はあるかもしれない。


 佐田さんは、私に渡した物と同じレジュメを鏑木さんにも手渡し、ざっと簡単に事情を説明していた。彼女は突然出て来た心霊現象に混乱しているようだったが、何か思い当たることがあったのか、途中から真剣な顔で話を聞いていた。


 私と如月は少し居心地が悪く思いながら、一番安い珈琲を啜ってやり取りを聞いていた。千歳さんは目を瞑って、腕組みをして動かない。寝ていないだろうか。


「大体は分かりました。その、ちゃんと理解しているかは分かりませんが、何が起きていて、あなた方がどういう風に受け取っているのかは」


 遠慮気味に鏑木さんが言う。頼んだカフェオレには、まだ一口も口をつけていない。ずっと鞄を抱き締めるような形で固まっている。


 この状況では仕方がないだろう。突き落とされ掛けた直後、一番疑わしき人物とわらわらと集まって来た人間に連れられて、お茶をしているのだ。怪しい集団だと思われても、何か騙そうとしているのではないかと疑われても当然だ。私もこの状況は怖いと思う。


「分かったんですけど、いきなり幽霊とか言われても、あまり信用出来ないです」

「僕もお化けとか見えないんで、お気持ちは分かります。正直、今回の件も、誰か生きている人間がやっていることだろうなと思っていました。これまで調べた中でも、生きてる人の悪戯や偶然だったことが少なくないので」

「でも、押された手の感じとか、多分そこの方の手の大きさと違う気もして、さっきの押す位置の話とかも、もしかしたら、そうかもしれないと思うので。……後、昼間にあの歩道橋を歩いた時、なんか違和感はあったんです。二段目かは覚えてないんですけど、嫌な目線というか」

「鏑木さんはいつもあの歩道橋を使ってるんですか?」

「本当に偶にって感じなんですけど、図書館に調べ物しに行く時とかに通ってます。ちょっと遠回りにはなるんですけど、景色がいいので」


 大学の近くに区立の図書館がある。駅からの道を考えれば、通り道にはなるだろう。

 鏑木さんがカフェオレを口に含む。時間を掛けて飲み込むと、口を開いた。


「私、もうあの歩道橋使えません。警察にもなんて説明すればいいか分からないし。霊とかも分かんないし。私どうしたらいいですか? 何があそこにあるんですか?」

「今、それを解明しようとしているんです。そのために、鏑木さんの証言が必要なんです」

「……」


 佐田さんが幾つか質問をし、鏑木さんが答える。大凡、レジュメに書いてあるものもそれ程違いはなかった。


 歩道橋を使う頻度は高くなく、昼間通った際に違和感を覚えた。帰りにもう一度利用すると、後ろから突き落とされた。手は腰辺りの位置で、手のサイズはあまり大きくなく、押す力もずっしりした感じはなかったと言う。


 居合わせた私が気になったのは二点。歩道橋を渡っていた彼女の顔の周りにあった黒い靄と、突き落とす時に一瞬背後にいた人影。あれは霊だ。しかし、被害の規模の割に、気配が微弱だった。


 あれは怪異だろうか。何かしらの要因で、二段目を踏んだ人に襲い掛かっているとかだろうか。


「鏑木さん」

「はい」


 私が名前を呼ぶと、鏑木さんは少し怯えたように返事をした。怖がらせてしまっただろうか。なるべく、笑顔で話を続ける。


「歩道橋を渡ってる時、誰かと話してましたか?」


 鏑木さんが少し驚いた顔をする。


「変な話だと思うんですけど」

「大丈夫ですよ」

「口には出さなかったんですけど、脳内で誰かと話してたというか。なんて言えばいいのかな……頭の中に誰かが入り込んだような……」

「誰かと話しながら歩いてるような感じですか?」

「嗚呼、そうです。そんな感じです」

「それはさっき歩道橋を登った時から?」

「多分そうです」

「何を話したかって覚えてますか?」


 手を口に近付けて、暫し眉を寄せていたが、諦めたような顔で鏑木さんは答えた。


「覚えてません。ただ、知らない誰かの話をしていたような気がします。あまり自信はないのですが」

「ありがとうございます」


 知らない誰かの話とはどういうことだろう。霊は鏑木さんを誰かと間違えて話し掛けているのだろうか。或いは、鏑木さんを誰かと思い込ませようとしている、とかだろうか。


 ずっと黙っていた千歳さんが腕組みを解き、少し前のめりになる。


「変なことを訊きますが、貴方が髪を金髪にしたのは最近でしょうか?」

「……? そうです」

「今日は染めてから初めて歩道橋を使いました?」

「はい。髪が関係しているんですか?」

「いえ、色々な可能性を探している所なので何とも。教えて頂き、ありがとうございます」

「はあ」


 腕時計を見ると、一時間程経過していた。鏑木さんが言い出しづらそうに、おずおずと発言する。


「あの、そろそろ私」

「長々と申し訳ありません。充分お話を聞かせて頂きました。質問責めにしてすみません。支払いはこちらで致しますので、どうぞそのままお帰りください」


 席を立つ鏑木さんに、佐田さんが立ち上がってエスコートする。支払おうとする鏑木さんを静止し、出口へと向かわせた。


 私達も立ち上がって、頭を下げる。遠慮がちに頭を下げながら、鏑木さんは去って行った。恐らく、私達の印象は最初と変わらなかったろう。

 佐田さんが席に戻り、珈琲を一口啜る。


「怖がらせてしまったね」


 千歳さんが申し訳なさそうな声を出す。覆面から発せられると、奇妙な心地がする。


「まあ、この状態で怖がらない女性はいないだろう。突き落とされ掛けて、その後、謎の男に連れてかれるなんて、怖いからな」

「確かにそうですね。申し訳ないことしました。上手くフォロー出来ればと思ってたんですが、この状況自体が問題だったんですね」


 佐田さんが項垂れる。終始生真面目な様子だったが、それなりに気にしつつの言動だったようだ。さっきまでの緊張感はすっかり弛んで、私達はすっかり駄弁る空気になっていた。


「そういえば、あそこにいらしたってことは、幽霊さんにはご協力頂けるということで?」

「あ、いや、そういう訳では。ただの成り行きで」

「そうなんですね」


 佐田さんが残念そうにする。ちくりと胸が痛んだ。

 珈琲を覆面につかないように器用に飲む千歳さんに、私は訊いてみたいことがあった。


「千歳さん」

「なんだい?」

「何でさっき金髪であることを訊いたんですか?」

「嗚呼、だって、今までの被害者が全員金髪だったからだよ」

「我々のした取材相手の方もそういえば、全員金髪の方でした」

「じゃあ、呪いの条件の一つは髪が金色であることか。ちょっと分かったな」


 如月が嬉しそうにする。

 確かに情報が明らかになったのは良いことだ。


「となると、実験とかしてみたいが、私達の中に金髪はいないな」

「オカ研に金髪の奴がいます。明日、試してみましょう」

「フットワーク軽いなオカ研」

「あなたは何が見えたんだい」


 千歳さんが私を見る。私に霊感があることは、千歳さんには明かしていなかったと思うのだが、どうして私に訊いたのだろう。しかし、情報を共用し、事態の解決に近付くことが今は先決だ。


「……歩道橋を渡っている鏑木さんの顔の周りに、何か靄のようなものが纏わりついていました。そして、彼女が突き落とされた時に、背後に一瞬誰かがいました。影は小さくて、子供のようでした。恐らく突き落としているのはこの子でしょう」


 私の言葉に佐田さんが吃驚していた。


「やっぱり、霊なんですね」

「千歳さんは、この事件についてどう思っているんですか?」


 私の問い掛けに、ふっと千歳さんは笑った。細やかな表情を覆面が隠す。


「どうして千歳さんは、被害者が全員金髪であると知っていたんですか?」


 畳み掛けるように問い掛ける。しかし、彼は答えない。悩んでいるようだった。


 私は彼を疑っている訳ではない、だが、その意図は確かめておくべきだと感じた。それが、後々の無様な失敗を未然に防ぐものだと、引き裂かれる痛みを軽くしてくれるものだと、経験で知っている。

 千歳さんは品の良い唇を開いた。


「俺がこの事件に関わった理由は簡単なことだ。一人目の被害者が知り合いだから。俺はそいつから頼まれたのさ。自分を突き落とした物が何かが見たいとね」

「Uさんですか?」

「宇月だからUだ。合ってるよ。それで俺は調査を開始した。飯と寝る場所を提供してくれてるからさ、そのくらいはやってやらないと」


 神経質な奴だから気を遣って大変だけど、家主の言うことは絶対だし、こんなヒモ風情でも世話された恩は返さなきゃなと、千歳さんは自嘲ぎみに笑う。


 千歳さんの話を聞くに、五月にUさんこと宇月さんが突き落とされた際に本人から犯人を見つけて欲しいと依頼されたのだそうだ。


 そこで千歳さんは歩道橋で発生した事件を総洗いした。まず、事情聴取。近隣の住民から歩道橋についてを訊いて回った。そして、分かったのは、ある噂話だった。


 かつて歩道橋の二段目で殺された青年が、今も犯人を探しているという話。かつて歩道橋で突き落とされた子供が死亡して、犯人が捕まっているという話。


 そして、若い人達から聞いた、レジュメに書いてあるような二段目に纏わる怪談話。

 現場を見た際、呪いの反応は微弱だったことから、ある条件を満たした時だけ発現するだろうと思った。


 怪談話から、それが行われる条件は二段目を踏むことと仮定。登り始めの二段目という概念が該当するようだ。更に条件があることを想定して、その後に起きた事故と宇月さんの事故を合わせて見た時、金髪であるという共通項を見つける。遡れる過去の事件も含み、その二つの条件に該当するのは宇月さんが初めだった。ここ近日の連続した事故の様子から、あまりに期間が空いた古いものや事件以前のものは恐らく条件が成立する前なので外した。


 ならば、呪いが呪いとして成立したのは、ごく最近だ。

 呪いの二つの条件は、異なる話を掛け合わせたようなもの。二段目を踏むのが駄目なのは、二段目で死んだ青年の霊の怒りを買うから。金髪は歩道橋で亡くなった子供を殺した犯人が金髪であったから。これは当時の報道から分かっていることだ。


 霊はその二つの条件が揃う者を突き落としている。


 だが、疑問だった。幾らなんでもそれだけが条件では、該当する人間が多過ぎる。


 そんな時に、ある筋から手に入れた。青年を殺したのはその友達だったと。痴情の縺れで、青年の彼女を羨んだ友達が、妬みから殺害したというものだ。それなら、若者に広がる怪談話と類似性が増える。


 子供の事件は実際にあったものだが、青年の事件は存在しない。だから、此方はただの怖い話として流布されただけのもの。そして、年代を経ても受け継がれ、多くの人が知っているという事実から、一つの怪異として顕現した。


 霊と怪異は自分を殺した犯人を探している。そのように作られている。元々違うものだから、条件も混ざり合う。


「だから、思った。条件はもう一つある。彼等にとって、そいつが友達であるかどうか。全てが当て嵌まった時、彼等は復讐として突き落とすんだ」


 思い掛けず詳らかにされた真実に、その場にいる誰もが言葉を失った。





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