第15話 落とす手

「気になってるなら、見に行けばいいじゃないか」


 カレーライスを食べながら、如月が言う。

 言わずもがな量が多いが、見慣れてくると、今日は少し控えめなように見えた。付け合わせのサラダのレタスをどうにか一口サイズに折り畳もうと苦心している様は、見た目とのギャップで可愛らしく見えた。


「見に行って、何かに巻き込まれたら嫌じゃないか」


 同じくカレーライスを食べる私に、如月は微笑みかけた。


「でも、気になるんだろう? ちらっと歩道橋を見るだけだ。何をそんなに恐れてるんだ?」

「貴方は森田さんに追い掛けられてないから、そんなことを言えるんだ」

「今日はどうにもささくれてるな。肝試しの件は考えなしで引き受けて悪かった。しかし、今回は条件が分かってるんだろう? 二段目さえ踏まなければ、何も被ることはない筈だ」


 如月の言う通り、詳細な条件は不明なものの、見るだけなら特に問題なさそうだ。そうでなければ、被害者の数はもっと多くなっている筈だし、そんなにも事故が多い歩道橋をそのままにしておく程、行政は弛んではいないだろう。彼等は日夜、市民の安全をしっかり考えてくれている。


 二段目を踏まなければ良い。それが分かっていながら、私は何故こんなにも抵抗感を覚えているのだろう。


 巻き込まれるのが嫌だ。それもある。霊を見るかもしれないから嫌だ。道路の傍は事故に遭った霊が多いから、見た目が怖い。出来るなら見たくない。学校の怪異を作り出した人物が黒幕かもしれない。楽號も言っていた、これは常習犯であると。そして、折角の舞台を壊されて黙ったままでいるか分からないとも。


 後は、オカルト研究部と関わりたくない。


 脳内で呟くと、抵抗感が強まる。多分、これが一番大きいのだ。理由は何だろう。あまり触れたくない気もする。

 一度関わったら、これから先ずっと心霊関連の事象に関わらせて来そうだからか。心霊現象を玩具にして楽しんでいるからか。しかし、彼等は被害者を出さないためにと言っていた。ならば、これは間違いだ。この抵抗感の根底にあるものは、怒りではない。面倒臭さでもない。


 恐らく、罪悪感だ。気まずさと言ってもいい。

 先程の彼等に対しての私の悪い態度を、自分でやっておきながら、私自身がそれを気にしているのだ。丁寧な彼等の態度に、おざなりに対応した。その事実を悔やんでいる。


 彼等が私の態度をどう思ったかは分からない。だから、いつまでも答えが出ず、私はぐるぐると自分の行いを手に取って眺めたり、透かして見たり、ああでもないこうでもないと、言葉で埋め尽くすのだ。そして、その思考は結局の所、相手が感じたことを置き去りにしている、つまり、相手のことなど考えず、自分のことばかり気にしているという証明になるのだ。


 ごちゃごちゃと口触りの良い言い訳を並べた所で、私はただ、彼等ともう一度顔を合わせることが気まずいだけなのだ。


 この調子は大変良くない、後を引きそうだ。明らかにすべきではなかっただろうか。自分の嫌な面を思い切り見てしまった。でも、無意識のままでいる方が怖い。


「どうしたんだ? 随分、苦々しい顔をしているが」

「自分の嫌な部分に気付いてしまった」

「嗚呼、そういう……。嫌でなければだが、話してみないか? 打ち明けると多少軽くなるかもしれない。経験者としての助言だよ」


 手に顎をつきながら、如月が言う。聞く体勢に入ったのか、スプーンを動かす手を止めている。


「言っても嫌いにならない?」

「多少のことなら」


 勧めておいて、突き放すようなことを言う。

 私の不満が顔に出ていたのか、如月は笑って「よっぽどじゃなければ嫌わないよ」と付け足した。

 渋々ながら、だけどどこか縋るような気持ちで、掻い摘んで私の心理状況を説明した。


「へえ、あなたって意外と面倒臭い人なんだな。嗚呼、人が良いって意味だ」

「全然そうは聞こえない」

「そこに至るまでの心理をどうこうすることは、私には出来ないけれど、今の気持ちをもしかしたら変えられるかもしれない方法は知っている」

「どんな方法?」

「上書きだよ。もう一度、会って話して、印象を上乗せするんだ。そうすれば、あなたの気にしていることが少しはなくなるよ」

「そうか」


 もう一度会って、今度はちゃんと対応出来たなら、酷い対応をした事実は消せなくとも、心は次に進むし、相手のこちらへの印象も上向くかもしれない。


 それは、そのまま調査への協力になるやも知れないけれど、私の心の在り方のためになるなら、吝かではない。


「今日、五限まであったろう。その後、一緒に見に行こう。オカ研の人達がいるかいないかとか関係なく」

「分かった。そうしよう」


 五限には如月も出るから、それが終わってから歩道橋を見に行くことになった。

 そう思うと、三から五限の時間が果てしなく長く感じるのだった。三限はひたすらに変体仮名の読解。四限は社会学的に見た日本昔話。五限は資格用の講座だ。


 全てが終わる頃には、すっかり暗くなっていた。日が暮れても、火照った空気が残っている。

 私が大学の門の傍に立っていると、「悪い、遅くなった」と息を切らしながら如月が到着した。


「教授に質問してて」

「どう考えてもそっち優先だから、気にしないで」


 如月に「見に行くついでに何か食べて帰るか?」と聞かれたが、楽號がご飯を作って待っている筈であるし、外で連絡もせず、食べなかったら怒るだろうと思い断った。だが、何かを持って帰って食べるというのは良い案かもしれない。


 大学を出て直ぐの所にある惣菜屋さんのメンチカツが美味しいと教わり、買うことにした。楽號と私の分で二つだ。如月は一つだけ買って、その場で食べ始めた。カリッという音が聞こえる。「相変わらずジューシーだ」と言いながら、如月は五分も経たずに食べ切ってしまった。


 そんなことをしている内に歩道橋に着いた。確か、呪いの二段目は私達から見ると、道の向こう側になる。使用するのは躊躇われたので、近くの信号で、向かい側へ渡る。


 歩道橋の近くには、神経質そうな男がいた。紙とペンを持ちながら、ずっと上段の方を見つめている。

 恐らくオカ研の人間なのだろう。これでは上書きの目論見は完遂出来なさそうだ。しかし、此処まで来て帰るのもあれなので、暫く観察してみようということになった。


 彼の視界に入らないように、後ろの方から、階段を眺めた。特に異常はないように見える。霊も見えない。ずっと奥の方を見ていると、何か嫌な気配があるが、気のせいのようにも思えてくる。


 帰宅時間だから人混みもそれなりにある。勿論、歩道橋を利用する人もいる。しかし、誰も二段目を気にしている素振りはない。


 噂が流れているのは若年層の間だけなのだろう。今の時間帯は、学生よりも会社員と思わしき人の方が多い。皆、疲れた顔をしているように見えるのは、先入観だろうか。


 電車の時間の関係か、はたまたただの偶然か、人の流れがぱたりと断たれる。


 不意に訪れる静寂に、私は思わず周りを見渡す。歩道橋を誰かが渡っている。薄闇の中で目立つ金髪を揺らしながら、カジュアルな服装の女性は一人だったが、どこか楽しげに見えた。目を凝らして見ると、彼女の顔周りに小さな黒い靄があるように見えた。あれは何だろう。


 その人の進行方向は私達のいる側で、彼女は特におかしな点もなく、ごくごく普通に歩いているだけだ。しかし、階段を降ろうとした時、不自然にその体が動いた。


「あっ!」


 踏み外したのではなく、後ろから突き飛ばされたとしか思えない姿勢でその人は前へと蹌踉た。


 私は全身の産毛が逆立つような感覚に襲われる。その背後に一瞬、小さな人影があったように見えた。それは直ぐに消えてしまったが、宵闇の中でも際立って黒いその影に私は見覚えがあった。彼女を押したのは間違いなく霊だ。それも、物理的な干渉が出来る程に成長したものだ。


 私と如月は届きもしない距離なのに、手と足を前に出す。オカ研と思わしき人物も驚いた顔で、口に手をやる。


 あわや、頭から転げ落ちると思ったが、女性の体はすんでの所で動きを止めた。


 彼女の片腕はぴんと伸びて、別の手で支えられている。見ると、覆面をつけた和服の男性が右手で手摺を掴み、左手で女性の左腕を掴んでいた。

 ぶるぶると震えながらその男性はゆっくりと、彼女の傾いた体を元に戻していく。彼女が体勢を直すと、彼は手を離した。


 私達とオカ研の人が階段を駆け上がると、女性は放心したような状態で、男性は疲弊し切ったように肩で息をしていた。


「大丈夫ですか? 怪我はしてないですか?」


 如月が女性に声を掛けると、女性が戸惑ったように「あ、あの」と声を出したが、まだ状況が飲み込み切れていないのか、きょろきょろと歩道橋を見渡す。その後、質問の意図を理解したのか、「大丈夫です、大丈夫です」と繰り返した。


「千歳さん、ですよね?」


 私が声を掛けると、男性は片手を軽く上げた。


「こんなに早く会うとは思わなかった」

「千歳さんは怪我してないですか?」

「全然。ただ、久々に全力で走ったから、ちょっと肺が痛いだけだよ」


 息が整ってきたのか、千歳さんは姿勢を正した。

 そんな彼に、女性が怯えた目を向ける。


「あなたが私を押したんですか?」


 如月に肩を抱かれながら、震えた声で問い掛ける。


「違う。俺は貴方が落ちそうだったから、走って腕を掴んだだけさ。もし、突き落とすつもりなら、そんなことはしないでしょう」


 しかし、現状、彼女を突き落とすことが出来たのは、彼女の背後にいた彼だけだ。女性の猜疑の目はなくならない。


「じゃ、じゃあ、誰が」

「押された時、背中のどこら辺を押されましたか?」


 私が女性に訊くと、女性は訝しむような顔で答えた。


「腰ら辺でしたけど」

「見てください。彼はとても背が高いんです。もし、貴方を押したとしたら、その手の位置は背中の高い所にある筈です」


 その場にいる全員が千歳さんを見上げる。百八十はあるかと思うほどの背の高さだ。対して女性の身長は百六十センチないぐらいだろう。もし、この身長差で突き飛ばそうとしたら、千歳さんの手は彼女の肩甲骨のあたりの高さに当たるだろう。低い位置では、力も入れづらい。


「確かに……」


 如月が呟く。


「それに、もし貴方を押した犯人なら、直ぐにその場から逃げ出す筈です。押した相手を態々助けるなんておかしいじゃないですか」

「確かにそうですけど、だとしたら、誰が、どうして」


 ずいと、オカ研の人が前に出る。


「実はあなたのような誰かに突き飛ばされる被害が何件か起きているんです。僕はその事件の真相を突き止めたくて、今日、此処で階段を観察していました。あなた、昼間にもこの歩道橋を使ってましたよね?」

「え、はい。そうです。えっと、あなたは?」

「僕はそこの大学に通っている者です。経済学部所属の二年で、名前は佐田守さだまもると申します。少し話を伺いたいので、少し先のカフェにでも入りませんか? 勿論、怪我が大丈夫であればですが」


 佐田守と名乗った青年は、歩道橋を降りた先を指差す。


 女性は少し呆気に取られていたが、自分の身に起きたことを把握したいと思ったのか、「分かりました」と答えて、立ち上がった。





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