第13話 嵐来たりて

 その人は、千歳ちとせと名乗った。

 暫く休んだら元気になったのか、がばりと起き上がって自己紹介をして来たのだ。


「本当にありがとう。でも、困ったな。今直ぐにはお礼が出来そうにないんだ。なんせ俺は無一文でさ」

「そんなの結構ですよ。具合の悪い人をそのままにしてたら、気になって仕方がないですし。気掛かりをなくすために、つまり、私のためにやったんです。気にしないでください」

「さては良い人だな? 益々、何かお礼をしたくなった」


 千歳さんは笑顔の絶えない人だった。陽気で、フランクで、次から次へと言葉が出て来る人だ。会ってほんの少ししか経っていないのに、私は千歳さんにとても好印象を抱いていた。


「何処か行かれる途中だったんですか?」

「嗚呼、そこの腹宿神社に行こうとしてたのさ。だけど、途中でふらふらし始めてね。朝食も昼食も取ってなかったのが悪かったのかもしれないな」

「今日、凄く暑いですから、ご飯食べないと体力保ちませんよ」

「仰る通りだ。気分も良くなったし、ご飯を食べに行くよ。貴方も何処かに行く途中だったんでしょう。引き留めてしまって悪いね。大丈夫かい?」

「私もご飯買いに行く所だったんです。だから、問題ありませんよ」

「それは良かった。嗚呼、そうだな。次会う時までに、何かお礼の品を用意しておくよ」


 そう言って、千歳さんはベンチから立ち上がる。少し着崩れた着流しの襟元を直し、姿勢良く立つ姿は、実に様になっていた。


 何処か良家の人なのだろうか。着物は使い慣らされている感じが出ているが、所作には無駄がなく、洗練されている。或いは、モデルや役者だろうか。はっきりとした目鼻立ちは遠目で見ても、美形であると判断出来るだろう。


「お礼なんていいですって」

「いやいや、是非そうさせてくれ。貴方とはもう一度会える気がするから、その時に」


 固辞するのもどうかと思ったので、「では、その時に」と返した。小さくない街だ。別れれば二度と会えるか分からない。だが、彼の言葉は不思議と信じてみたくなるような、怪しい魅力があったのだった。


「貴方は変わった雰囲気があるね。酷く懐かしい気分になる。もしかして、何処かで会ったことが?」

「多分、ですけどないです。千歳さんに会ってたら、忘れないと思います」


 そう返答すると、千歳さんははっとした顔をした。


「嗚呼、申し訳ない。口説こうとした訳ではないんだ。初対面で言うことではないね」


 千歳さんは手にしていた覆面を被る。「それではね」とスポーツドリンク二本を持ちながら、手を振って去って行く彼に、私も手を振り返して、再びお弁当屋さんへ向かった。


 かれこれ三十分は経過している。楽號らくごうは空腹から機嫌を悪くしている頃だろう。早く買って帰らなくてはならない。私の足は自然と早歩きになっていた。


 お昼過ぎで品数が減っていたが、お弁当は幾つか残っており、楽號の気に入りそうなカツ丼を選んだ。出汁の味が好きなのだと言う。私と食の好みが合うわけだ。私はシンプルに鮭の海苔弁当にした。遅くなった詫びとして、筑前煮の小さいサイズも購入する。


 ビニール袋を片手に、また燦々と降り注ぐ陽光に体力を削られながら、私は一つの疑問を抱く。

 千歳さんは、何故覆面を被ったのだろう。



 ────────────────────



「遅くない?」


 ただいまの返答がそれだった。

 確かに遅くなった。家を出て一時間近く経過している。

 ビニール袋を机の傍に置き、台所で手を洗う。


「その、訳がありまして」

「またどっかに閉じ込められてるのかと見に行く所だった」


 何だかんだ言いつつ、心配してくれていたのだろう。怒っているが、それは空腹と心配から生成されたものなのだろう。


「道端に具合の悪そうな人がいたので、介抱してたら遅くなりました」

「その人は大丈夫だったのか?」

「はい、暫く休んだら、自分で歩けるようになるまで元気になりました」

「そういうことなら仕方ないな。善行を積んだね。何か返って来るといいな!」


 私の買ってきたお弁当を机の上に出しながら、楽號はすっかり機嫌を直していた。そんなに他人の善い行いを気にするタイプだったろうか。


「どっちが君の?」

「私海苔弁です」

「やったカツ丼だ」


 機嫌が直った所で、更にプラス要素が来たからか、楽號は笑みを浮かべる。カツ丼を選んだ私の目に狂いはなかったようだ。

 手を拭いて、いつもの席に座る。


「「いただきます」」


 久しぶりに食べたお弁当は、前と変わらない味で、安心感があった。

 楽號を見ると、もりもり食べている。「これ美味しいな。どこの?」と言いつつ、カツとご飯を食べている。


「駅と逆方向の、神社近くにある……」

「あーあそこか。へー、美味しい。また、食べようっと」


 予想以上に気に入ってくれたらしい様子に、心の中でガッツポーズをする。


 鮭の海苔弁当には、ちくわ天も入っている。一口食べると、すり身の旨みと油のコクが合わさる。更に海苔のついたご飯と合わせると甘みと統一感が足されて最高なのだ。


「美味しい?」


 箸を止めた楽號が私に訊く。


「勿論! このお店、本当美味しいんですよ。大体全部美味しいです」

「そっか。それは良かった」


 偶に訊かれるが、楽號の作った料理以外でも訊かれるとは思わなかった。作った以上は出来がどうだったかも気になるだろうし、レギュラーメニューに入れるかの判断材料にしたいと言った理由で訊いていたのだと思っていたが、違うのだろうか。いや、味の好みの調査かも分からない。勉強熱心なものだ。より美味しい物が作られるのだとしたら、私はいつだって協力しよう。

 しかし、前にも何処かで同じような質問を受けたような。思い出せそうにもないので、ただのデジャヴだろう。


「カツ丼のね、カツの衣が好きなんだ。サクサクじゃなくて、ふにゃふにゃなやつ」

「嗚呼、美味しいですね」

「次点で卵。これも染みてて美味しい」

「味が染みてるやつが好きなんですね。筑前煮とかどうですか?」

「最高だね。また涼しくなって来たらおでんとかもしよう」

「良いですね。おでん好きなんですよ。具、何が好きですか?」

「大根とがんもは外せないだろ? あーあと餅巾着とかも好きだ」

「分かります、分かります」


 本当に食の好みが合う。一緒に生活する上で、これは結構大切なことだろう。私は一種の感謝のようなものを感じていた。


 筑前煮の人参を齧りながら、ここ一週間を振り返る。まだ、一、二週間程しか経っていないのに、随分と馴染んだものだ。最初は警戒したけれど、これは私の長続きしない性格もあるだろうが、直ぐに慣れてしまったし。今では楽號のご飯がないと生きていける気がしない。これらは、楽號の持つ雰囲気というか匂いに理由があるのかもしれない。


 なんだか、懐かしい心地がするのだ。良い記憶と結び付く懐かしさ。残念ながら、その良い記憶を私は覚えていなさそうだから、何となくの枠からは抜け出せないが、安心して良いような、そんな気にさせる。死神のことだって、まだ全然分からないけど、気にならない。楽號は良い奴だ多分。それで充分じゃないだろうか。


 決して胃袋を掴まれた訳ではない。と、言っても虚しいばかりだが、如月の言葉も一応持っておいた方が良いだろう。簡単に懐に入れるな、だったか。

 でも、多分大丈夫だ。そう信じている。


「最後の蓮根食べてもいいか?」

「良いですよ」

「ありがとう」


 楽號が最後の筑前煮の蓮根を食べる。そして、一口分残されたカツ丼も平らげる。満足そうな顔だ。


「そういえば、叔父さんの件ですけど、再来週の週末に会うことになりました」

「これで謎が少しでも解けるといいな」

「ええっと、今、分かってることって何でしたっけ」

「自分のことだろ。えーと、腹の中に新しいあの世がある。ルールも何もない真っ新な死者の国。霊達は進んでそこに行こうとする。中で霊達がどうなるかは分からない。君は取り込むと気分が悪くなり、霊の記憶を見る。そんなものか?」

「思ったよりも情報少なかった」

「もう一回、お腹に手を突っ込んでいいなら、もうちょっと分かるんだけどね」


 廃墟ビルでの出来事を思い出す。

 霊が中に入る時の異物感もさることながら、腕を突っ込んだままにされた時も、酷く不快感に襲われた。良い例えが思い付かないが、閉じるべきものが閉じず、無理矢理開いたままにされるのは、中身が溢れないかとか、逆に中に入ったらどうしようとか、少し怖いのだ。


「お腹はちょっと避けたいです」

「僕もなんか怖いから嫌だね。吸い込まれそう。死神は生きてるけど死んでいて、幽霊と近いからね」

「……前に悪霊について教えてくれた時、人間を取り込んだ悪霊は、人には見えないけど、物には触れると言っていました。死神の状態と近いですよね。何か関係あるんですか?」

「死神は肩書きじゃなくて、死神という種族でね。肉体を持ちながらも、あの世に近い場所で生きている者。生まれつき、半分生きている肉体、つまり実体と、半分死んでいる肉体、つまり霊体と魂を持ち合わせてる生き物、というより概念に近いかな」

「半分生きてて、死んでいる……」

「この世とあの世の存在が重なっているようなものなのさ。実体と実体のない霊体の二つを併せ持つから、半分幽霊みたいなもので、更に言うなら、人の命を奪っていくという構造の怪異でもある。まあ、幽霊は人の情念を元に生まれたもので、死んでるとは限らないんだけどさ、霊体という共通点があるんだ」

「実体と霊体の二つを持つから、同じ状態になっている悪霊と結果的に似ているんですね」

「そういうこと。まあ、見ての通り僕は理性があるし、生まれ方も違うし、構造がちょっと似てるだけで、全然違うけどね」

「襲って来ませんしね」

「あの世とこの世を行き来出来るから、別に彼岸に連れてかれても戻って来れるんだけど、君のそれは出来るかどうか分からないから」


 楽號はかりかりと頬を掻きながら、私のお腹を指差す。


「ただ、デジャブというか、なんかどっかで同じ感覚を味わった気がするんだよね」

「私の中のやつとですか」

「うん。何処だっけな。こう、冷たくなくて、でも暑い訳でもなくて、纏わりつく感じもなくて、うーん。思い出せないな」


 胡座をかきながら、楽號は首を捻る。

 私も少し考えてみたが、思い付く筈もなかった。

 やっぱり思い出せなかったのか、「もやもやするなー」と言いながら、楽號は食べたお弁当を片付け始めた。諦めたようだ。一緒に片して、ちゃぶ台を拭き終わった頃、窓をポツポツと叩く音が聞こえ始めた。


 それは短時間で強く、横殴りの雨へと変化した。ざあざあと唸る雨と、山側から降りて来る木々を吹き荒ぶ風の様子は、まさに嵐である。


 洗濯物を干してなくて良かったと思いながら、ベランダに溜まった水が排水溝へと流れるのを、特に何をするでもなく眺めていた。


 飛んできた葉が一枚、雨水の渦に飲まれて行く。

 私はふと、千歳さんは降られる前に帰れただろうかと、ぼんやり思った。





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