押入れの神様

第12話 押入れの神様

 古いアパートだった。


 一階入り口正面にまとめられている六つの郵便受けは全て錆び付いている。一番左の上の段の物は最早使う事が出来ない壊れた物で、また真ん中の下の段の物は郵便物を口から吐き出していた。


 傍にはやはり錆び付いた自転車が二台止めてあった。全体的に古びて、垢染みた割には物が少なく、郵便受けを除いて散らかっている様子はない。人の痕跡が感じられるのに、生活感が見えないといえば良いのか。なんともちぐはぐでしっくり来ない、気味の悪い印象をその建物に持った。


 聞くところによると、彼は三年前からここに住んでいるのだという。出身は四国の方で、大学進学の為に上京したのが三年前であるから、その機に越して来たのだろう。よくこんな住居を見付けたものだと思うが、見付けたというよりかそう言った住居ばかりを探していたそうで、ここは居心地も良いし家賃も安くて新天地に腰を据えるには絶好の休息場所、いや、天国である、と、彼は言った。


 彼の実家はそれ程裕福ではないらしいので、ここに一人暮らしをする事になったのは、大凡経済的理由が占めるだろうが、その結果は彼の好みでは大した問題には至っていないらしい、寧ろ好ましいとしている。どういう訳にしろ、本人が気に入っているのなら、他人がとやかく言うのは野暮というものだろう。


 踏み抜いてしまいそうな頼りない階段を上り二階へ上がると、立ち入り禁止と書かれた黄色いテープで出入り口を封じられた部屋があった。何かあったのかと問うと、彼は、そこの住人が行方不明になったのだと、言葉短に答えた。どうしてかと更に問うと、知らないと、こちらを振り返りもせず、突き放すように彼は言った。その様子に、それ以上この事に追求しても答えは得られないし、求めるべきでもないと思い、口を閉じた。


 どこかで、鴉が鳴いている。


 立ち入り禁止の部屋から一つ部屋を挟んだ部屋、二階一番奥の部屋が彼の部屋だった。一階と二階、それぞれ三部屋ずつあるが、彼の部屋が一番入り口から遠いせいか、それともそこだけ照明が弱いせいか、何だか別世界の様な気がした。否、そこは事実異世界なのだろう。或いは、新世界。はたまた、天国か。


 俺は彼に、神様に逢わせてあげると言われてここに来たのである。


 鍵は掛けてないのか、何もしなくても捻ればドアノブはかちゃりと回った。お邪魔しますと言いながら、俺は彼の後ろについて行く。

 靴を脱いで上がると、そこはすっきりとした1LKだった。正面奥にはこんな古いアパートの割りに大きな窓があり、そこから入って来た刺すような痛みを感じさせる程に熱を持つ橙色が、部屋の凡ゆる物を染めていた。

 それにしても、家具類が皆無だ。隅に畳まれた布団と衣類等が入った収納箱があるのみである。これで生活出来るのだろうか。


 彼は押入れの前で立ち止まると、ちらりと俺を見た。その意図はわからなかったが、俺は何と無くうんと頷いた。その反応で、彼は何かしら了解したらしい。


 ここに、神殿も教会も祭壇も何もかもがあるのだろう。宗教には詳しくないので、的確な名というものを俺は浮かべられないが、この奥が神聖な場所である事は何となくわかる。


 俺は襖の奥を夢想した。

 一番最初に現れたのは座禅をした坊さんだった。これじゃ、申し訳ないが些か地味だ。もっと神々しく、美しい存在を。或いは、汚らわしく、忌むべき存在を。今までの概念を全て叩き壊すような強烈な存在が、ここにはなくてはならない。


 橙の影は天国に触れる資格がない。

 鴉がまた鳴いている。

 彼は襖に指を掛けた。

 俺は夢想する。籠められた闇が溢れ出る。

 音を立てて、建て付けの悪い襖が開かれて。

 嗚呼、そこには君の神様がいた。



 ──────────────────



 蒸し暑い日だった。

 過ぎ去ったとばかり思っていた夏のぶり返しに、私はぐったりとしていた。


 ニュースでは、今日の最高気温は三十度になる見通しと報じており、熱中症の危険性を唱えている。

 そんなに暑くなるのだから、Tシャツで十分だ。なるべくラフな格好を選び、なるべく涼しい体勢で寝転ぶ。フローリングの床が冷たく心地良い。授業のない土曜日など、こんなものだ。迫るレポートの期限が頭に過ぎりながらも、私は断固として休日を活動日にしないと決意を胸にした。


「ダラダラだね」

「そっちこそ」


 同じく怠そうに横たわり、団扇を扇いでいる楽號が私に言う。ちゃぶ台の上には、麦茶の入ったグラスが二つ並んでいる。


 夏でも冬でも、私は麦茶を作る。理由は節約だ。ペットボトル飲料を毎回買うよりも、多分だが、作った物を水筒に入れて持ち歩くほうがお金がかからない。仕送りは充分に貰っているのだが、まだまだやり繰りが不慣れで不安がある。削れる所は削った方が良いだろう。


 ここ最近の悩み事は光熱費だ。楽號の作るご飯はとても美味しいのだが、今までしてこなかった料理によって、ガス代の請求金額は上がるだろう。しかし、あの料理を手放すのは惜しい。そういえば、食材は毎回楽號が買って来てくれる。食べているのだから、折半した方が良いだろう。まだ、請求が来てないから、どうやり繰りしようか判断つかないが、それによってはバイトをするという検討も必要になるだろう。

 人生で一度は接客業を経験した方が良いと聞く。そういえば、近所のコンビニに求人のポスターが貼ってあった。今度、しっかり見ておこう。


「死神って割と暇なんですか?」


 暇潰しに楽號に絡む。


「土日は休む日だ」

「小学校の調査、どうなりました?」

「嗚呼、あれ。学校の怪異が消えちゃったから、調べようがなくてね。ただ、跡地に何らかの儀式が行われていた痕跡があった。学校の建物が解体された直後に行われたんだろう。結界のようなものだ。本来、結界は外から来る害を防ぐ物だが、それは中にある物を閉じ込めて、外に出さない物だった」

「花子さん達を閉じ込めていたってことですか。となると、解体されてから何十年も閉じ込められていたんですか」

「そうなるね。ちょっと可哀想だな」

「森田さんは」

「あの人は、学校という舞台に紐付けられた怪異であり、幽霊だ。幽霊部分は君が取り込んだし、学校がなくなった以上、怪異としても成立しない」


 森田さんがいなくなったと、ちゃんと言葉にされてほっとする。恐ろしかったが、同時に悲しい人だった。彼女にとっても、苦しかったろう。食べられた子供達を思うと、決して擁護は出来ないが、それでも解放されて良かったと思う。

 楽號が一口、寝転がったまま麦茶を飲む。


「楽號はどうやってあの中に入って来たんですか?」

「小学校に初めは行ったんだが、人の気配がなかったんで、周辺を見て回ったんだ。そうしたら、あの自然公園で不自然な気配がして、見たら如月が座り込んでたから事情を訊いた。調べると術式があったんで、逆から探知して、結界を外から切り開いてこちら側と繋げた。すると謎の扉があって、開くと君がいた。あの扉は内側からの唯一の脱出路なんだろうね」

「そうだったんですね。そういえば、不思議なことが一つあって」

「何だい?」


 私は本当の七つ目の不思議と、校長室で私がした問い掛けについて話した。真実を語る像と嘘を語る像、そして正解した時に開く異界への扉。私がした「あなたの後ろの扉が表側の学校への道かと問われたら「はい」と答えますか」という問い掛け。


「後で調べてみたんですけど、問い掛けの論理自体は合ってた筈なんですよ。だから、ずっと不思議に思っていて」

「それ、そもそもが間違ってるんじゃない?」

「どういうことですか?」

「だって、表側へ繋がる道を訊いたんだろ。あれは外への出口だから、どっちの扉も表側には繋がってない。真実を語る像は繋がってないから、いいえと答えるし、はいと答えないから、最終的な答えもいいえだ。嘘吐きは繋がってないから、はいと答える所を更に否定するからいいえと答える。何も不思議なことはないよ」


 私は思わず、口を押さえる。前提が間違っていたのか。


「そういや、あれはどうなんだ? 誰に言われて肝試ししたのか分かったのか?」

「いえ、美香さんは何も知らないそうですし、あの日、依頼して来た美香さんの正体が誰かも分かりません」

「何人も子供達を迷い込ませてたんだ。常習犯だから、また何かして来そうな気がするんだよな。何十年にも渡って使って来た舞台装置を壊されて、何も思わないとは思えないし」


 不穏な言葉に、私は居住まいを正す。


「また、あんな目に遭わされるんですか?」

「可能性があるってことだ。だから、あのお守りは肌身離さず持ってなさい」


 あのお守りは鞄につけた。基本的に外に出る時は、大学に行く時なので、鞄は一つしか使わない。


「結界はとても強いものだった。相当な手練れの術師だよ。しかし、あの術式、何処かで見たことがあるような……」

「思い出してください! 何でも良いですから」

「お腹空いてきたな」

「そんな私の身の安全がかかっている時に」


 その時、私のお腹がぐうと鳴いた。楽號が小さく吹き出す。私は顔が熱くなる。ただでさえ、暑いというのに。


「はは、お昼にしよう!」


 時計を見ると、十二時半だった。お昼は暑さですっかりだれた楽號の提案で、近くのお弁当屋さんで買って来ることになった。大の字で「暑い、お腹空いた」としか言わなくなった楽號を置いて、私が買って来ることになった。単純に楽號は店員さんに認識されないからだ。


 そのお弁当屋さんは安価であるのに美味しいという、一人暮らしの大学生の味方だ。私も楽號が来る前は頻繁に利用していた。惣菜も売っており、私は叔父が米を送ってくれると、よくそこの筑前煮と一緒に食べていた。


 財布と携帯をポケットに入れて、外に出る。無用心ではあるが、片道十分程であるし、家に人がいてくれると、鍵をいちいち掛けなくて済むから楽だ。

 アスファルトの道に出ると、途端に熱い日差しが肌を刺す。確かに蒸し暑いが、僅かに吹く風は涼しく、太陽も真夏程強烈ではない気がする。

 気温は同じでも、季節は移り変わっているのだなと、私は感じ入った。


 少し歩き、お弁当屋さんが視界に入って来た頃である。視界の端で誰かが蹲っているのを見た。その人は和服を着ていて、ブロック塀で出来た日陰に項垂れた様子でしゃがんでいた。明らかに只事ではない様子だ。

 周囲に人影はない。久々のこの気温だ。熱中症でも起こしたのかもしれない。駆け寄って声を掛ける。


「あの、大丈夫ですか?」


 その人はゆっくりとした動作で私を見上げ、笑顔を浮かべた。若い人だ。その手には色鮮やかな覆面があった。


「やあ、こんにちは。今日は暑いね。暑くて少し気分が悪くなってしまった。何か、飲み物なんかを頂けると有り難いんだが」


 呂律は回るようだが、顔色は悪い。初期症状なら、体を冷やして休めれば大丈夫かもしれない。


「そこの自販機で買って来ますから、待っててください」


 その人は片手を軽く挙げると、また俯いてしまった。

 私は小走りで近くの自販機でスポーツドリンクを二本購入し、戻って来る。そして、その内の一本を手渡し、もう一本をその人の首に当てた。


「悪いね。助かるよ」


 ちびちびと飲みながら、また笑顔を浮かべる。


「救急車呼びますか?」

「いや、そこまでじゃないから大丈夫」

「もし歩けるようでしたら、歩いて一分くらいで着ける公園があるので、ベンチとかで横になった方が」

「良い提案だ。是非ともそうしよう」


 その人は、首にスポーツドリンクを当てながら、立ち上がった。思ったよりも、しっかりとした足取りだ。支えようと肩に触れて分かったが、この人は物凄く痩せている。楽號と良い勝負が出来そうだ。


 公園に案内すると、その人はベンチにゴロンと横になった。丁度、近くに木が植えられているので、日陰になっている。

 私は手持ち無沙汰で、空を仰いだ。

 秋の薄い青空に、細かく千切れた雲が浮かんでいた。





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